落合陽一は常に最高を超えてくる
ある日、突然電話が鳴った。
僕は電話など滅多に出ないのだが、電話の主の名を見て驚いた。
落合陽一だったのだ。
落合くんが僕に電話をすることなど滅多にない。何らかの緊急事態ということだろう。
慌てて掛け直すと、「テレビ電話でいいですか」と言われ、再びFacebookのメッセンジャーが鳴動した。
「GPUを貸して欲しいんですよ。できればH100を3台。二週間ほど」
H100と言えば、一つ600万円ほどする超高級部品である。重要戦略物資として、中国への輸出は固く禁じられているほどだ。AIの世界ではH100級のGPUを何個持っているかがその組織の科学力と等しいと言われるほどだ。
「そんなもん何に使うの?」
「これ見てください」
落合が見せてきた画面は、何らかの動画をリアルタイムで処理したものであった。しかし、あまりにフレームレートが低い。
「これ、前にH100でやった時はもっと綺麗にヌルヌル動いたんですよ。でも4090だとこんな感じでカクついちゃうんです」
「なるほど。クラウド上にH100なら調達できるかもしれないが、ローカルに必要ということか」
「そうなんです。二週間ほどでいいので」
「でもまず第一に、僕はH100は持ってない。僕の管理しているのはA100だから、世代的には4090より昔になってしまう。また、第二に、H100はデータセンター用だから冷却がついてない。自前で冷却を管理する必要がある。しかし、速度の問題だとすると、そもそもH100ではなくて5090・・・いや、ひょっとすると5070の方がいいんじゃないの? A100はAmpare世代で、4090はAda Lovelace世代で、H100はHopper世代、でも5070はBlackwell世代だから、H100より高速だと思うよ。VRAM容量がそんなに要らなそうだから、5070はVRAM12GBで10万円くらいだから、そっち買う方がいいのでは」
「なるほどそうなんですね!んじゃ、買う方向で考えてみます。ありがとうございます」
そんな会話があった。
実は裏側でさくらインターネットに頼んでH100も3台ほど都合をつけていたのだが、どうも急いでるらしい。それに、現場で動かすカードが必要ということであれば助けにはならないだろう。
実際、5090はめちゃくちゃ高速で、4090から5090に移行してComfyUIを使うと驚くほど体感が違う。
毎年、落合くんが日本フィルとコンサートをやっているのを観に行くのが楽しみになっていた。毎年クラウドファンディングで、落合くんと全国あちこち旅ができるのが楽しみで、今年はどうなるのかと思っていたのだが、なかなかオプショナルツアー付きのチケットが売りに出されない。
ボケーっとしていたら、なんと当日出張が入ってしまって、長岡の中学校に深層学習PCのメンテナンスに行ったまさにその日に東京公演が終わってしまった。
「アドバイスをいただいたで、コンサートはうまくいきました」
こういう連絡をマメにくれるのが落合陽一のいいところである。
「出張が入ってて行けなかったんだ。残念。行きたかったなあ」
「8月30日に大阪万博でやりますよ」
万博のシーズンパスを持っているから行けなくはない。しかし、その一週間後にも万博に行く約束をしているので二週連続で行くことになる。でもまあ、そこまで言うなら行ってみるか。実際、最新のGPUを使った落合陽一の作品を見てみたい。
ゴールデン街で仲間を誘って万博に乗り込むことにした。
万博に来るのは五度目だが、久しぶりに来たらめちゃくちゃ混んでいた。みたこともないほど人がいる。入場までに一時間を要した。
とりあえず挨拶がわりに落合館で人類にさよならを言う。

かえす刀で「null^2する音楽会」の会場へ。

「null」とはコンピュータ用語で「何もない」ことを意味する。
落合はこれを二回繰り返すことを、仏教で言う「空即是色、色即是空」になぞらえたものだと説明する。
スタッフTシャツには平仮名で「ぬるぬる」と書かれている。シュールすぎる。
落合曰く、「本当は"俺のヌルヌル"にしようとしたんだけど、役所に止められた」そうだ。まあ「俺の」はやり過ぎだろう。
かくして音楽会は催された。
指揮者の動きや音楽の動きに合わせてまさにヌルヌルと映像が動く。
Blackwell世代でしか出せない高解像度で高速な映像処理だ。おそらくStreamDiffusionを使っているのだろう。相変わらず、常に落合は想像を一枚も二枚も超えてくる。
これは完成系だ。
サントリーホールよりも良いのかもしれない。
全ての壁にプロジェクションされた映像がクラシックのコンサートを今までにない没入感で包み込む。時折幻影のように指揮者の姿が反映され、その反映された指揮者の動きを起点としてアナロジーのように映像が煌めいていく。能と狂言、そしてオーケストラと生成アルゴリズム、テクノロジーと伝統芸能、最新技術と伝統的な精神性といったものが見事に融合していく。
こんな演出は落合陽一にしかできないし、最新の技術を全力で作品にぶち込むという情熱なしには実現できない。
ただただ、落合陽一という人物が真摯であるからこそ、彼が自らの創作、仏教やコンピュータ、日本の伝統芸能に対し誠実にひたむきに向き合うからこそ実現する、最高のステージだ。
「人類にとって、考えることはおまけだから」
日本人だけがこれを見るというのは実に勿体無い。
これはもう世界レベルの芸術だ。
チームラボは世界中にあるが、落合のコンサートは日本にしかない。これは非常に勿体無い。日本には世界に誇るべきメディアアーティストが二人いる。チームラボの猪子寿之と、落合陽一だ。この二人は、実に対照的だ。二人とも僕は大好きだが、この二人は考え方が真逆である。
猪子寿之は、常に理詰め、アートをビジネスとして捉え、アート的な成功とビジネス的な成功のバランスを常に取ろうとしている。紛れもない天才だが、ある意味で堅実とも言える。アートをビジネスの中心に据える前に、普通のソフトハウスを経営していた猪子さんらしさがそこここに垣間見える。僕は猪子さんが本格的にアートをやる前から彼を知っているので、それがよくわかる。
猪子寿之はビジネスを成功させることができるビジネスマンであり、同時にアーティスト集団チームラボのリーダーでもある。猪子寿之に言わせれば、「チームラボとは猪子にあらず」あくまでも「集団」としてアートを作る。また、新作を作ることにそこまでこだわらない。「同じものを作る」ことに価値を見出している。実際、昨年はサウジアラビアのチームラボに行ってきたが、麻布台やお台場とほとんど同じ作品が展示されている。「同じものだから意味がある」というのが猪子流のアートの定義だ。「ドラえもんのようなもの」ではなく「ドラえもん」が欲しい。だから同じであることが大事なのだと、いつか僕に語ってくれたことがある。
ちなみにサウジアラビアのチームラボのいいところは、人が全然いないところだ。お台場や麻布台ヒルズでは人が多すぎて十分楽しめないが、サウジアラビアに行けば時間帯によってはほとんどの作品を独占できる。これは、サウジアラビアの人々が日中はあまり出歩かないからだ。これも「同じもの」だから意味があることの一つの例だ。
チームラボと比較すると、落合は二度と同じものを作らない。落合にとって、作品とは常にアップデートされるべきものであり、落合陽一という作家個人のナラティブ全体で表現されるものだ。
落合陽一と言うのは、誤解されやすい人間である。
いつも飄々としていて、掴みどころがなく、遠慮容赦なく難しい単語を使い、けれども何だかカッコいいものを作る。言い方を変えれば、よく知らない人から見たら少々鼻につく、ように見える。
しかしその実際は、極めて誠実かつ真っ当な媒体芸術家であり、テクノロジストである。彼の飄々とした態度も、難解なテクニカルタームと仏教用語の組み合わせも、実は裏表のない素の落合陽一なのだ、ということを理解するには、彼と直接話をする必要がある。むしろ落合は、相手に合わせて話を簡単にするというのがそれほど好きではなさそうに見える。僕はラジオやテレビなんかに出る時は、「わかりやすくしよう」とついつい身構えてしまうところがあるが、そういう場でも落合は容赦しない。それが彼を難解に見せ、気難しい人物のように誤解させてしまうところがある。
しかしそれは彼が自分の向き合うべき芸術に対して、完全に真摯に向き合っているが故のある種の副作用であって、彼は決して自分の実力以上に気取ろうとしたり、自分を大きく見せようとして虚勢を張ったりはしない人間なのだ。そんな人間ならGPUを貸してくれと公演の一週間前に言ってきたりしない。これとて、凡人であれば、「今から機材を調達して一週間で仕上げるのは土台無理だろう」と諦めてしまうところを、「直前まで全力を尽くそう」と考え、行動に結びつけるのは落合が超一流の仕事人であり芸術家であるからだ。
実際の落合陽一は、常に「なんとかしてやりたい」「もっと応援してやりたい」と思わせるチャーミングさを持っている。それもまた、芸術家にとって重要な資質と言える。それは猪子寿之も同様だ。独特のチャーミングさを持っていて、応援したくなるし、次の作品を見に行きたくなる。猪子に至っては、「同じだ」とわかっているのに世界中どこでも見に行きたくなる。そこが凄い。
予算的にアルスエレクトロニカでやるのは難しいと思うが、これがたったワンステージだけで限られた人々しか見れないというのは実に惜しい。もっと大きな箱で、もっと大勢の人に見てもらいたいと切に思う。
ぜひいつか海外公演に挑戦して欲しい。
