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「性的表現による悪影響」論を解体する

はじめに

「性的表現には悪影響がある。だから、一定の規制が必要だ」
そんな主張はネットで常に、いくらでも目にする。

この曖昧な主張にうんざりさせられることは多いだろう。

例えば「性的表現」とは何を指すのか。多少肌の露出がある程度の写真やイラストから、明白なR-18指定のポルノまで幅がある。
また「悪影響」とは、誰に、どんな害があることを意味しているのか。
そして「一定の規制」とは、何をどう制限することなのか。

本記事の主な批判対象は、こうした曖昧な主張を、何とか研究論文などを引きつつ補強してくるタイプの「表現規制論」である。

このタイプの主張は、多くの人にとって扱いが難しい。関連分野にある程度通じていないと、的確な反論を組み立てられないこともある。またパッと見で「いかつい」「ちゃんとしてそう」な論文を出された時点で、気後れする向きもあるかと思う。

しかし、基本だけでも押さえていれば、多くの場合において合理的な反論はできる。少しでも基礎知識があれば、さらに簡単に対処できる。また、本記事を単位そのままリンクで共有して頂いても、十分な「反論」になるよう書いたつもりである。



「悪影響」という言葉の解釈

まず「悪影響」という言葉の意味を正確に把握しておこう。

前提として、あらゆる行為には、広い意味での「悪影響」くらいはある。

小さな子供向けに配慮して作られている任天堂のゲームでさえ、プレイ中に罵詈雑言をまくしたてることはある。酷ければモニターやコントローラーを叩き壊す人もいるようだ。

だからといって、通常、いきなりそのゲームが「暴力的な人格を育てる」とは言わないし、法規制の対象にもしない。

一方で、飲酒運転のように、科学的に悪影響が明確で、他者に危害を与えるおそれが大きい行為には、法律での介入が正当化されることもある。

つまり単に悪影響といっても、個人や家庭にコントロールを委ねるのが健全であり、下手に介入する方がむしろ人権侵害となるものから、社会全体で法を使ってでも対処すべきものまで、深刻さは様々である。

当然ながら、規制論者は、自分の主張が後者の飲酒運転問題に近いと主張するだろう。しかし、「性的表現の悪影響」に関する研究が飲酒運転レベルの強い因果関係の立証に成功していることはまずない。

少し頭の回る規制論者なら、「悪影響」という言葉はあえて曖昧にしておくかもしれない。聞いた人が勝手に飲酒運転並に有害で切迫したリスクがあると勘違いしてくれる分にはラッキーだからだ。しかし、そこでいう悪影響の実態は「マリオカートでゴール直前に赤コウラをぶつけられたら、イラッとして口汚くなる」程度の話であることも大いにある。

基本としては、ある行為に「悪影響」があると主張されたとき、最低でも次の3点を検討すべきである。

  • 「悪影響」という抽象的な言葉は、具体的には何を指しているのか。

  • その悪影響はどの程度、実証的に確かめられているのか。

  • それを理由に、どこまでの規制や介入が正当化されるのか。

たとえば、前述のように「ゲームをすると口汚くなることがある」という程度の話なら、実態を明確にし、ただ指摘すれば十分である。

また、ある論文を根拠に主張される「悪影響」も、「引用者の主張」と「論文の結論」にはしばしばズレがあり、妥当な解釈の範囲を大きく逸脱していることも珍しくない。

そして、悪影響の有無や程度の問題(科学的事実)と、それに基づく規制や介入の正当性(政治的・法的判断)は、まったく異なるレベルにある。表現の自由や知る権利の制約には、憲法上の厳格な要件がある。ある種の悪影響があったとしても、ただちに法規制までは繋がらない。


社会統計レベルの知見:ポルノは性犯罪のリスクを高めるか?

悪影響のうち、もっとも深刻で想像しやすいのは、「性的表現(ポルノ)が性犯罪を引き起こす」という話だろう。

ただし、ポルノを性犯罪の主要な原因として位置付けるのは、ポルノの危険性を主張する専門家の間でも一般的ではない。その理由のひとつとして、ポルノ利用者は非常に多いが、性犯罪者はごく少数だという、誰もが知る現実がある。

この大きなギャップは、少なくともポルノが単独で性犯罪を引き起こせるほど強力な原因ではないことを示唆している。

ポルノと性犯罪の関連について、社会統計レベルで得られている知見はDiamond(2009)の総説論文にまとめられている。この論文では、地域ごとのポルノの入手可能性と性犯罪発生率の相関関係を調べた研究や、ポルノの解禁前後で性犯罪発生率の推移を調べた研究が多数紹介されている 。

それらを元にDiamondが導き出した結論は明快である。調査されたすべての国や地域で、ポルノの入手可能性が高まるにつれて、性犯罪は減少したか、少なくとも増加はしていなかった 。

この傾向について、「単に時代が進んで全般的な治安が良くなっただけだ」というような単純な代替仮説で否定することも難しいだろう。なぜなら、同じ時期に殺人や強盗といった非性的な暴力犯罪は、様々な国でむしろ増加傾向にあったからだ。さらに、のぞきや露出といった軽度の性犯罪も同様に減少する傾向が見られたことも、代替仮説を弱める材料となっている。

また、調査対象とした国が広範囲にわたることから、「一国だけの特殊な社会情勢による」といった限定もかけづらい。(日本、アメリカ、デンマーク、スウェーデン、カナダ、中国(上海)、クロアチア、チェコ……など。)

もっとも、Diamond自身も、これらの社会統計的研究が因果関係の証明ではなく、相関関係を示すにとどまることを明言している。しかし彼は、国や文化の違いを超えて一貫した負の相関が見られることから、『ポルノが性犯罪を増やす』という通説を覆すだけでなく、むしろポルノが性犯罪を抑制している可能性を示唆するものだと主張する。

【応用的なコラム】
もっとも、上記はあくまで相関関係の議論である。より詳細な因果推論を用いた研究では、ポルノによる性犯罪への影響について結論が分かれている。例えば、Bhullerら(2013)は、ノルウェーではブロードバンド・インターネットの普及、すなわち容易なオンライン・ポルノへのアクセスがレイプを含む性犯罪を「増加」させたと報告している。しかし、著者ら自身が、この結果は特定の集団と状況に限定されたもので、安易に一般化できないと慎重な姿勢を示している。
実際、ドイツを対象としたDiegmann(2019)の研究では、同様の手法を用いながら、全く逆にオンライン・ポルノが性犯罪を「減少」させる可能性が示唆された。こちらはDiamondの主張を裏付けるものだが、同様に安易な一般化はできないだろう。

もちろん、こうしたマクロな社会統計レベルの話が、そのままミクロな個人のレベルに当てはまるわけではない。実際、ポルノが個別の性犯罪の「補助的な要因」の一つになる可能性はある。例えば、心理的・認知的な面で大きな困難を抱え、特に「影響されやすい」人に関しては、「ポルノを見る→それを模倣して犯罪に及ぶ」といったケースは起こりうる。

しかし、その例外的なケースを捉えて「ポルノのせいで起きた」と結論付けるのは、主要因である個人の特性を無視した詭弁の類だろう(ネット上の議論ではよくあることだ)。

もっとも、専門家もこの点は承知しており、「どのような人に、どのようなポルノが、どう有害なのか?」と条件を絞ってリスクを論じるのが普通ではある。実際、Malamuthら(2000)の「合流モデル」などは、そうしたアプローチの代表例である。もっとも、このモデルに基づく研究も、効果量は小さく、サンプルや分析手法によっては再現性に乏しいとの批判もある(Kohut&Fisher, 2024)


性的攻撃性:性犯罪に代わる「測定可能なリスク」?

「ポルノは性犯罪を増やすか」という問いは、実は近年の科学的研究ではあまり扱われない。前述した通り、実際に発生する性犯罪は数が少なく、また、「特定の状況で人が本当に犯罪を犯すか」を試すような実験は、倫理的に許容されないからである。

例えば、「暴力的なポルノを被験者に大量に見せた後、その被験者と女性を個室に閉じ込めたら、痴漢やレイプをするだろうか?」のような実験は倫理的にできない。

そこで研究者が着目したのが、性的攻撃性(sexual aggression)という、より広範で測定可能な概念である。「ポルノは性犯罪を引き起こすか?」から「ポルノは性的攻撃性を高めるか?」という問いにシフトすることで、性犯罪よりは相対的に軽度の問題を捉えようとしたのである。

こうした操作的定義そのものは研究手法として適切であるが、しかしながら、性的攻撃性は性犯罪よりもずっと広い概念である。これは、直接的な犯罪行為には至らないものの、他者を性的に軽んじたり、利用しようとしたりする「行動」と、そうした行動を内面的に支える「信念(認知)」の総体を指す。

具体的には、以下のようなものが含まれる。

  • 問題となる「行動」の例

    • 性的な冗談や、相手が不快に感じるような容姿への言及

    • 執拗なデートの誘いや、性的な関係へのしつこい圧力

    • (痴漢行為に至らない程度の)不必要な身体的接触

    • 相手を性的な対象として執拗に見つめること


  • 問題となる「信念(認知)」の例

    • レイプ神話の受容: 「露出の多い服を着ている方が悪い」「嫌がっていても本当は合意している」といった、レイプ被害者を非難するような考え方。

    • 敵対的性信念: 男女関係を「男が女を征服する」といった敵対的なゲームと捉える考え方。

    • 被害者への共感の欠如: 性的被害を受けた人々の苦痛に対して、共感する能力が低いこと。


では、実験室ではこうした性的攻撃性をどう測定するのだろうか。

「信念」については、レイプ神話などへの同意度を質問票で尋ねることで数値化する。「行動」については、直接的な加害行動は再現できないため、実験相手に不快な音を聞かせたり、微弱な電流を流したり、あるいは相手が苦手だと知っている辛いソースを食べさせるといった「一般的な攻撃性」(general aggression)を表す代替行動を用いる。

ただし、これらはあくまでも「不快な状況を相手に与える傾向があるか」を推測するものであり、「性的な強制行動」そのものではない。

そして、ここで最も重要なのは、「性的攻撃性」と「性犯罪」の深刻度の違いだ。

上に挙げた「行動」や「信念」、あるいは実験室で測定される代替的な攻撃行動は、たしかに社会的に望ましくないものではある。しかし、それ自体が直ちに処罰の対象となる犯罪行為ではない。また内心で歪んだ信念を持っているだけでは、当然ながら法的に罰せられることはない。(内心の自由を考えれば、罰せられるべきでもない。)

このように、研究で使われる「性的攻撃性」と私たちが想像する「性犯罪」との間には大きな隔たりがある。

性的攻撃性に関する論文を読む際には、「この研究が測定している“攻撃性”とは、具体的には何を指しているのか?」を意識していないと、ポルノに関する研究結果を無意識に深刻な内容へと拡大解釈してしまうおそれがある。

例えば、専門知識がないまま「性的攻撃性が高まる」という文章だけを読むと、「見境なく強姦するようになる」くらいのイメージをもっても不思議ではない。

しかし、性的攻撃性の定義や測定方法に戻れば、実態は「異性の口説き方が強引になる」「実験室で相手に聞かせる不快なノイズの音量が少し上がる」といった、より限定的で間接的なものである可能性が高い。

もし表現規制論者がこの「性的攻撃性」に関する研究を根拠にするのであれば、私たちはこう問わなければならない。

「実験室で測定された”ノイズの音量が少し上がること”は、社会から表現を奪うほどの深刻な『害』なのか?」と。

悪影響の有無だけでなく、その「程度」と「内容」が、規制という手段に見合っているのかを厳しく問うことが本質的な批判となるだろう。

さらに言えば、こうした研究結果が示す効果量(effect size, 数学的には相関係数と同等)は非常に小さいというのが通例だ。社会学・心理学の分野では、効果量rが0.1〜0.3で「小〜中程度」、0.3〜0.5で「中〜大」と評価されることが多い。r = 0.3程度でも「統計的に有意」とされるが、それが「現実に有害か」はまた別の話だ。

たとえば、次章で述べるFerguson&Hartley(2020)のメタ分析論文では、暴力的ポルノと性的攻撃性の関連は、出版バイアスなども考慮するとr=0.09に過ぎなかった。これは「小さい」の基準(r=0.1)すら下回っており、一般的に意味のある因子とは見なされない。

しかも、この小さな効果量さえ、あくまで「実験室での代替行動」や「アンケートへの回答傾向」に対する効果量なのである真に測定したい「現実の加害行動」にどれだけ影響しているかは依然として曖昧さが残っている。

こうした曖昧な指標をもって法律による規制を正当化することは、学術的な根拠としても乏しく、政策的には過剰で危険ですらある。


性的攻撃性への影響ですら、証拠は乏しい
:ポルノと加害行動の「関係性」を疑うメタ分析

Ferguson&Hartley(2020)は、ポルノ消費と性的攻撃性・性犯罪との関連性を調べた59件の論文をメタ分析する研究を行っている。

類似したテーマのメタ分析は過去にもPaolucciら(1997)Wrightら(2016)によっても行なわれており、どちらもポルノによる有害な影響の存在を示唆していた。

しかし、Ferguson&Hartleyは、ポルノと性的攻撃性の研究で起きやすい「過剰な主張」や「バイアス」を排除し、より現実を反映した結論を導くために、以下のように方法を洗練させたメタ分析を実施したのである。

  • 「行動」指標のみに限定:単なる信念の変化と、加害行動リスクの上昇とを明確に区別するため。

  • 効果量は統制変数込みのβを採用:精度の高い推定が可能となる。

  • 研究の質をモデレーターとして分析:質の高い研究ほど効果が小さい傾向が確認された。

  • 出版バイアスの評価:ファネルプロットを用い、バイアスの存在を可視化した。

  • 引用バイアスの評価:研究者が自説に都合のいい論文ばかり引用していないか(引用バイアス)を評価し、その偏りが研究結果に影響を与えているかを分析した。(結果、バイアスがある研究ほど、ポルノの影響を過大に報告する傾向が確認された。)


ここでは具体的な統計処理にまで立ち入らないが、研究の信頼性を高める工夫がなされている。

その結果、次のように結論している。

  • 非暴力的ポルノによる影響:性犯罪・性的攻撃性との関連を示す証拠は実質的に存在しない。

  • 暴力的ポルノによる影響:ごく弱い相関が一部研究で見られたが、出版バイアスを補正するとr=0.09となり、解釈できる基準を下回った。因果関係を示すには不十分であり、全体としては不確か。特に非暴力的ポルノについては、研究の質が高いほど効果量がゼロに近づくという明確な関係が見られた。 これは、信頼性の高い手法を用いるほど、「ポルノによって性的攻撃性が上昇する」という仮説が支持されなくなることを意味する。

  • 人口統計レベルの研究:ポルノの入手可能性が高まると、性犯罪が減少する傾向が見られた。


述べてきた通り、「性的攻撃性」は性犯罪よりも遥かに広範かつ軽度の概念である。そのような「性的攻撃性」との間にさえ一貫した関連性が確認できなかったという事実は、ポルノの悪影響論の前提そのものに疑問を投げかけている。

当然、そうした悪影響論に基づいて表現規制を行うことは、一切許容しかねると言うべきである。

以上。

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