全社基盤と部門特化、二段構えのアプローチ
三菱UFJ信託銀行株式会社
執行役員 デジタル戦略部長(CISO)
多木 嘉一 氏
三菱UFJ信託銀行デジタル戦略部は、2024年4月1日、デジタル企画部と業務IT企画部の2部署が統合して発足。顧客と社員、システムに価値を与えるためのDX推進を担うこととなった。多木氏は同部長であり、西潟氏はリーダーとしてAIの利活用を推進する。
三菱UFJ信託銀行株式会社
執行役員 デジタル戦略部長(CISO)
多木 嘉一 氏
生成AIの活用について多木氏は、「単なる生産性向上のツールと捉えているわけではありません。民主化やナレッジマネジメントの実現を起点に、データ整備やプロセス・システム改革、人材育成を促進し、お客様や従業員へ提供する価値を高めようとしています」と語る。
生成AIの活用にあたり、同社は2つのアプローチを採った。西潟氏は「メールやチャット、文書作成といった全社員が関わる汎用的な業務スタイルの改革と、部門特有の高度な業務改革です。後者は我々が部門と一緒になって取り組んでおります」と説明する。特に部門の業務改革においては、これまで一部の人しか担えなかった専門的な契約書などの文書作成や商品提案を幅広い人材が行えるようにすることで、現場の社員がより主体的に働ける環境づくりを目指している。
信託銀行では個々の顧客に合わせた提案やコンサルティングが欠かせない。顧客のニーズや状況に合わせ、多様な商品やサービスの中から最適な提案をするには、経験に基づく深い知識が求められる。所有権や財産権といった権利を司る業務が多いだけに、そのノウハウは契約書などの文書に凝縮されており、マニュアルは同社の知見やノウハウの塊だ。
信託銀行ならではの高度な専門的文書をどう扱うか
株式会社GenerativeX
代表取締役CEO
荒木 れい 氏
同社の生成AI活用を支援するGenerativeXは、大企業の生成AI活用や内製化の推進支援を行うスタートアップだ。CEOの荒木氏は同社のマニュアルの価値を次のように語る。「信託銀行の提供価値は、信じて託す、という言葉に表れるように、銀行が100年以上約束を守ってくれるという顧客との信義則の下に成り立っています。その信頼の積み重ねがマニュアルに凝縮されているのです。技術がコモディティ化すればするほど、その価値を増していくでしょう」
株式会社GenerativeX
代表取締役CEO
荒木 れい 氏
しかしマニュアルだけでは業務が回らないのが実情だ。「よくよく話を聞いてみると、社内規定に書かれていない“秘伝のタレ”のような知見やノウハウがたくさんありました。ベースの文書は同じでも個別の条件によって細部が異なります。現在の信託銀行の営業担当者は、社内規定に記された抽象的なルールと過去の文書に蓄積された具体的なノウハウを相互に参照しながらお客様向けの契約書を作成する必要がありました。これまで人が行っていたこの活動を、AIができるよう支援しました」(荒木氏)。
同社が特に重視したのは、現場にオーナーシップを持たせることだった。実務の知見やノウハウを持つ現場が主体的に取り組めるよう注力したという。「通常、マニュアルの改訂は積極的にはやりたくないものですが、“あなたのノウハウを詰め込んだ分身を生み出すんです”と言うと、皆さんのAI活用に対してのエンゲージメントが高まるのを感じました」(荒木氏)。西潟氏も、「従来はマニュアルを作成しても活用状況が見えづらかったのですが、AIはその内容をきちんと読み取り、業務に反映してくれます。だからこそ“作れば使われる”という実感が得られ、現場の方々も積極的にノウハウを形式知化してくれるようになりました。ただ、それだけでは個別の課題解決で終わってしまうので、我々デジタル戦略部が全社で横串を通し、”秘伝のタレ”を差し替えても同じように機能できる仕掛けを作っていくというコンセプトで取り組みました」と語る。
人間主体からAI主体へ
現場を動かすインセンティブ設計
三菱UFJ信託銀行株式会社
デジタル戦略部 DX統括推進室 AI推進グループ
調査役・ジュニアフェロー
西潟 裕介 氏
同社は、この取り組みを通じて「AIが働きやすい環境整備」の重要性を認識した。その条件を「部門のナレッジがドキュメント化されているか」「生成AIを活用して高い精度で運用できるか」「部門が自律的かつ継続的にナレッジを補強・更新する体制を整備できるか」「部門長がコミットメントしているか」の4つと定めた。
三菱UFJ信託銀行株式会社
デジタル戦略部 DX統括推進室 AI推進グループ
調査役・ジュニアフェロー
西潟 裕介 氏
各部門における生成AI活用案件のプロジェクト化にあたっては、デジタル戦略部が必要な支援を行うが、その前提として上記4点のコミットメントを確認する。「本部は支援を、部門は知見と関与を、それぞれが責任を持って差し出すことで、お互いにコミットした形でプロジェクトを進められます」(西潟氏)。
実は同社では生成AI活用以前からIT活用やDXに現場を巻き込む活動に取り組んでいた。まずスマホアプリから閲覧可能な社内報やオンラインセミナー、ラジオなど様々な媒体を使って情報発信の機会を増やした。さらに生成AIやローコードツールを誰でも使える環境を整え、トレーニングプログラムやスキル認定も整備している。自由に応募でき全員の投票で表彰する「みんなの表彰」といった制度で挑戦を後押しし、MUFGグループ全体でも「AI祭り」や「データサイエンスコンペ」を行うなど、様々なレベルの人が主体的に取り組める環境を整えてきた。「このような取り組みを推進すると、部門にアンバサダー的な人が生まれてくるので、彼らを中心に我々のカウンターパートとして取り組みを進めたり、月次の連絡会で情報交換を行ったりしています」(多木氏)。
荒木氏は同社の取り組みを次のように評価する。「現場目線で見た時に納得感のある仕組みだと思います。短期的にみると日常業務に加えて仕事が増えるので、積極的に取り組むメリットを感じにくいのですが、組織的な後押しや評価制度が整っており、成果を上げれば表彰もある。ノーリスクでハイリターンなんです。こうしたインセンティブ設計により業務部門の積極的な巻き込みができているのでしょう」
人材育成やカルチャーの醸成に加え、データやシステムの整備、業務プロセスのシンプル化など、多面的な取り組みも進めた。「単に1つのプロジェクトが成功すれば良いというわけではありません。自律的で持続的に成長できる組織になるために、人材、カルチャー、データ、プロセス、システムの5つの柱を整備してきました。そうはいってもすべて整ってから着手では重すぎるので、適用しやすい領域を定め、パイロットスタディーとして取り組みを始めました」(多木氏)。
その結果、既に4部門で生成AIを活用したソリューションを実現している。例えば、個人向け顧客の提案準備では、顧客の基本情報と意向を入力するだけで、最適な提案や関連文書を自動で生成する仕組みを構築した。経験の浅い担当者でも短時間で高品質なサービスが提供でき、従来は数時間かかっていた作業が数分に短縮できるなど、大幅な効率化も実現している。「効率化によって人が対応できる範囲が広がっています。今まで以上にお客様と密に向き合えるようになります」(西潟氏)。
基幹システムのモダナイゼーションにも生成AIを活用している。「生成AIは、社会課題を解決するプロの知見やノウハウを継承する“橋渡し”の役割を果たしています。様々な場面でその力を発揮しています」(多木氏)。
多様な人材がイキイキと
働ける文化を醸成
これまでの同社の取り組みは、既存プロセスを大きく変えずにAIをツールとして活用する「プラスAI」という考え方で進められてきた。しかし今後はAIを主体に据えてプロセスを再設計する「AIプラス」へと移行していくという。「AI駆動でのプロセスで人がどう関われば良いのかを考える必要があります。突き詰めれば、人はどう生きるか、どう働くかという哲学的な問いに行き着くでしょう。AIネイティブな社会に向けた一つの挑戦だと捉えています」(多木氏)。
西潟氏も、「AIの進化にただ追随するのではなく、変化に強い人材が必要です。先端技術はGenerativeXのような専門家に任せ、我々は自らの業務を踏まえ、変化に合わせていく。そのために、人と技術が協働できる業務の在り方を、主体的に考えられる組織設計が重要です。その手段として、技術を目利きできる人材を育てていきたい」と強調する。
今後はAIネイティブ世代が入社し、これまで以上に多様な価値観を持つ人材と共に働くことになる。同社ではそうした時代を見据え、「ワークインライフ」という取り組みも実施。ワークとライフを二項対立で捉えるのではなく、ライフの中にワークが含まれると考え、「自分ができること」「会社から求められること」「社会の役に立つこと」「自分がしたいこと」の4つの観点から捉える仕組みだ。若手の感性を取り込む試みや、誰もが手を挙げられる「みんなの投票」といった制度は、多様な人材がイキイキと働ける文化を醸成するはずだ。
最後に多木氏は、「AIは手段であり、使うのは人です。行き着くところは人の力であり、それをいかに高めていくかが重要です。自分や会社を高めていこうという意思のある人と一緒に働きたい」と締めくくった。
