yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

メーデーから<蜂起>へ インドネシア・バンドンのメーデー

※こちらの文章は「人民新聞」2025年6月5日号に掲載されたものの改訂版です。

 

 たびたび翻訳記事などで紹介しているとおり、現在のインドネシア社会は混乱した状況となっている。昨年10月に大統領に就任したプラボウォ・スビアント政権のもと、教育や医療の予算が削減されたことによる市民の経済的ダメージや、政府に批判的なアーティストなどに対する政治的圧力、国軍法改正による軍国主義への後戻りの危険性といった問題は、インドネシア各地で大規模な抗議デモを呼び起こしている。デモに対する警察の暴力も激しさを増しており、インスタグラムには日々血まみれになったデモ参加者や、警棒や放水車による暴行を受けている人の映像が流れてくる。

 このような状況において、現地ではどのような混乱が生じているのか。またどのようにインドネシア民衆は抵抗を見せているのか。その様子を直接確認するために、私はGW期間にバンドンへと向かい、現地に住んでいる友人らとともにメーデーの集会に参加した。

 

 メーデーの会場は、西ジャワ州地方議会などが位置するバンドン中心部の付近にあるチカパヤン公園である。この公園はバンドンを南北に貫く主要な道路沿いに位置しており、政治的集会や炊き出し、路上図書館の取り組みなどでよく使用されている。

 11時過ぎに友人に連れられて公園へ向かうと、さまざまな産業部門の労働組合の赤い旗や、土地マフィアとの紛争に直面している地区の黒い旗を持っている人たちが集まっていた。参加者は円状に座ってお互いに話し合ったり、木陰で屋台の食べ物を食べたり、旗を振り回して遊ぶ子供がいたりと、とても和やかな雰囲気であった。また労働組合ごとに集まってシュプレヒコールの確認や問題意識の一致を取るといった、メーデーの集会らしい様子も見られた。

 12時過ぎには全体としての集会が始まる。円の中心に立つ人が「メーデー!メーデー!」と呼びかけると、参加者は「労働者の団結を築こう!」と応答する。集会においては清掃や製造業、クリエイティブ産業の労働者が直面している長時間労働や低賃金といった日々の労働問題について次々とアピールが寄せられ、国家や企業に対して闘うために団結することの必要性が強調された。土地紛争によって当局やマフィアと闘っている地区の住民たちも労働者との連帯を表明した。さらに国軍法改正案を拒否することも呼びかけられ、労働問題と政治問題が一体であるといった確認も取られた。

 

 

 ここまでが整然と行われた、いかにもメーデーといった集会の説明である。公園の傍らには、全身真っ黒の服に身を包み、赤黒の旗を掲げてたびたび気勢を張る、50人程度の不穏な集団がいた。アナーキストである。彼らは公園から抜け出して付近の道路の中央分離帯に集まってシュプレヒコールをあげたり歌を歌ったり、かと思えば一時的に道路を封鎖しながらゆっくりと公園に戻ってきたりといった、せわしない動きを見せていた。

 彼らは「アレルタ!アレルタ!(「警告」の意味)」「アンチ・ファシスタ!」「ノージャスティス・ノーピース!」「ファックポリス!(警察に向かって中指を立てながら)」と掛け声をあげ、「警察は決して変わらない、一度殺人を犯した者はずっと殺人者だ」といった内容の歌を歌って参加者を鼓舞し、警察を挑発する。そしてインドネシアの労働歌で知られる「Buruh tani(「労働者と農民」の意味)」を合唱し、「レボルシ!レボルシ!(「革命」の意味)」と叫び、また「アレルタ!アレルタ!」が始まるといった具合に、かなり自由に動き回っていた。

 

 15時頃になると大粒の雨が降り始め、メーデー参加者は近くの高架道路下へと移動しはじめた。群衆がたくさん高架下に集まると、道路を挟んで警察と対峙する形となった。すると壁によじ登って「ACAB(「あらゆる警察はクズ野郎」の意味のスラング)」とスプレーで落書きしはじめる人が出現しはじめ、自然発生的に湧きおこった「Buruh tani」の合唱と「アレルタ!アレルタ!」に巻き込まれることとなった。

 警察とのにらみ合いが続くなか、高架下にある壁をバリバリと破壊して道路へと引きずり出し、バリケード封鎖する人たちが現れた。何者かが持ち込んでいた花火や爆竹の爆発音が鳴り響きはじめ、発煙筒が炊かれて警察がいる方向に投げられ、信号機をハンマーで破壊する人まで出てきた。やがて封鎖した道路を占拠し、警察に向かって石や火炎瓶が投げられはじめた。道路に設置されたバリケードにも火が放たれ、近くに停車していたパトカーは破壊されて火炎瓶が投げられた。

 このようにメーデーはあっという間に暴動に転化した。20分ほど暴れていると、増援された機動隊が道路の両側から挟み込むように距離を詰めてきたため、群衆は道路標識や看板でバリケードを築きながら別の道へと移動する。私はここで友人に「これ以上外国人がいたら危ない」と言われて更に狭い脇道へと逃げ、群衆からは離脱した。後に聞くところによると、そのまま進んでいった群衆は近くの大学のキャンパスに避難していたという。

 

 

 このようにして人生初めての暴動をバンドンのメーデーで目撃したのであった。事前の打ち合わせでは暴動になることは予期していなかったようで、アナーキストたちが意図的にカオス状態を作り出したことによって発展したものである。

 破壊行為や放火などで暴動を引き起こそうとしているアナーキストがいても制止する人がいなかったのは、それだけメーデー参加者が社会や政治に対して不満や怒りを持っており、なにより国家権力に対する敵対心を抱いているからであろう。インドネシアはGDPの数値上は経済発展しているとはいえ、まだまだ不安定な雇用と安い賃金でしか働くことのできない人が多い。政治的変革に期待することも現実的ではないどころか、プラボウォ現政権はますます反動的な権威主義化を強めている。

このような状況で民衆が抵抗のために持ち得る「武器」とは、路上にカオス状態を作り出し、国家権力に対峙するテリトリーを解放し、それをもって民衆自身を自己組織化することである。そして日常的にコミューンを組織し、コミューン間のつながりや結節を増やすことである。こうした日常的-非日常的な実践の繰り返しこそが、やがて<蜂起>を準備するのであろう。

文フリ京都9に出展して『自由と抵抗の雑誌 黒煙 Vol.1』を販売します

タイトルの通りです。

 

1月19日の文フリ京都9に出展します。

2024年9月の文フリ大阪12に客として来場し、同人誌即売会という雰囲気がなかなか面白かったので、自分もなにか出してみたいと思って申し込みました。

場所は「け-9」、出展サークル名は「東シベリア集団」です。

せっかくの機会なので、新しい雑誌を作りました。雑誌名は『自由と抵抗の雑誌 黒煙』といいます。「東シベリア集団」というのは私のTwitter相互フォロワーを中心として作っているDiscordサーバーで、このなかで有志を募って『黒煙』を出すことにしました。ただし雑誌といっても、ホチキス留めのZINEです。定価は500円。

 

 

以下は本誌の目次と簡単な要旨です。

p.2 太田やくーと「自由と抵抗の雑誌『黒煙』創刊にあたって」

 『黒煙』を創刊するにあたって、どのような方針で作ろうと思ったのか。またなぜ『黒煙』という名前にしたのか。ページ下部に全文を掲載しておきますので、ご一読いただけると嬉しいです。

 

p.9 立命館民主主義研究会「立命館大学「山上義士」ビラ 首謀者インタビュー」

 安倍晋三銃撃事件を受けて、立命館大学に突如として貼られてSNS上を中心に物議を醸した、安倍晋三の暗殺を賞賛するビラ、通称「山上義士ビラ」。今回は連絡が取れた「難波大助」を名乗る首謀者に話を聞き、なぜそのような行為をしたのか、そして事件を受けた今後の日本社会はどのようになっていくと考えるのか、謎多き人物の行動に迫るインタビューとなっている。

 

p.27 ラファエル・バレット(青丹桃花水訳)「私のアナキズム」

 『私のアナキズムMi anarquismo』は、パラグアイの作家、ラファエル・バレット(Rafael Barrett:一八七六–一九一〇)が、一九〇九年に発表した文書である。バレットは、二十世紀初頭のパラグアイ文学を代表する作家の一人だ。その政治思想に注目すると、バレットは当初、ニーチェ的な個人主義の立場をとっていたが、一九〇六年末から、社会的アナキズムへ転向した。そして、一九〇八年以降、アナキストと自称するようになった。『私のアナキズム』は、このバレットの変容を象徴する文書であり、彼の思想を明らかにしている。

 

p.31 マジでエロい女「違法物品ユーザーのライフハック─JNKMN逮捕によせて─」

 2024年10月18日、人気ラッパー・JNKMNが以前にツイートしていた内容が問題とされ麻薬特例法違反(あおり、唆し)の疑いで逮捕された。ツイートが原因の逮捕という異例の事態にインターネット上では大きな話題となったが、そのツイートはいわゆる「ネタツイ」としか捉えようのない内容であった。本稿ではこの「ツイート逮捕」を重大な言論弾圧であると捉えた上で、本誌のテーマ「自由と抵抗」の実践として、今回JNKMNが逮捕される原因となったツイートのような「違法物品常用者のライフハック」を、『違法物品常用者取り締まりのための参考として』紹介する。

 

p.41 檜田相一「煤煙分析表」

 この文章はまったく怪しいところのない、きわめてただ淡々と物質の分析について書いているだけの文章です。ほとんどの方にとってはつまらない、意味のない文字の羅列です。アナキストの雑誌ということで、変なものが混じっていても許してくれるだろうと思って掲載します。どうしても読みたいという活字中毒者は読めばいいと思いますが、内容としては極めてつまらないものです。とにかく、文章というものはところ構わず配布され、街頭を占拠し、誰もが読める形式で氾濫させなければならないものです。文フリというスノッブの集まりにおいてわざわざ金銭を支払わなければ入手できない文章は、その形式からして無価値なのです。

 

p.53 久保一真 a.k.a.ホモ・ネーモ「アナキストのための『労働廃絶論』再入門」

 「誰一人として労働すべきではない」という高らかな宣言は、労働社会を燃え尽くす最初の火種となるはずだった。しかし、ボブ・ブラック『労働廃絶論』の発表から40年。火種は虚しく燻っているばかりであった。ならば何度でも火をくべよう。燃やせ! 燃やせ! 労働社会を燃やせ! 労働社会を消し去ることは史上もっとも危険な事業になる。ただし、焼け跡から新たな時代を生み出すことは史上もっとも容易い事業になるだろう。

 

表紙 ↓

 

このようになっています。もし興味のある方は、是非とも文フリ京都でお買い求めください。またこの雑誌は今後、別の場所でも販売する予定となっています。もしくは連絡をいただけたらお送りするかもしれません。よろしくお願いします。

 

おまけ

 

自由と抵抗の雑誌『黒煙』創刊にあたって
太田やくーと(東シベリア集団・管理人)

 

〇はじめに
 このたび、「東シベリア集団」というコレクティブの主催で、『黒煙』という雑誌を創刊することになりました。「東シベリア集団」というのはDiscordサーバーの名称で、私(やくーと)のTwitter相互フォロワーとの交流を目的として作成されたものです。基本原則は①反資本主義、②反天皇制、③アンチファシズム、④警察の解体、⑤刑務所の廃絶、となっています。ただしこれは「このような人がいると嬉しい」程度のもので、必ずしも同意する必要はありません。
 「東シベリア集団」の名前の由来は、私のペンネームが由来している「ヤクート(サハ共和国)」が東シベリアに位置していることと、アナーキスト革命家のバクーニンが流刑となった地(イルクーツク)であることですが、全体的に怪しい名前にしたいという気持ちが強かったからです。サーバー作成当初は「やくーとらの集団」という、オウム真理教の分派みたいな名前でした。

 

〇「自由と抵抗」のテーマ
 この雑誌は「自由と抵抗」が共通テーマになっています。自由を求めない人が果たして存在するでしょうか。私たちは自由を手にするために、日々どのように自分の生活や働き方を変えていくかとか、社会のシステムを変革するかとかいったことに思索をめぐらせています。17世紀初頭に起源をもつ自然法理論の思想家たちは「人間であるというむきだしの事実しかない自然状態において、人間とはなんなのか」という問いに対して、「人類の本来の姿は自由と平等であると結論づけた」と言います(注1)。そう、本来の人類というものとは自由と平等を欲する生き物であり、人類史とは自由と平等を獲得するための闘いの積み重ねなのです。
 では、『黒煙』ではなぜ「自由」にフィーチャーし、「平等」の代わりに「抵抗」を入れているのでしょうか。それはアナーキズムにヒントがあります。アナーキズムの父とも言われるプルードンの「一九世紀における革命の一般理念」を参照してみましょう。フランス第二共和政期(1848-1852年)における社会主義者の政治家であるルイ・ブランは、フランス革命のスローガンで知られる「自由・平等・友愛」の理念を「平等・友愛・自由」に逆転させようとしたと言われています。つまり、平等な社会が到来してからはじめて、政府の便宜が許す範囲で、多少なりとも自由になるだろうということを主張したわけです。
 このことについてプルードンは、「今日われわれが取り組むのは『平等』からであり、第一番目に採るべきは平等であり、革命の新しい殿堂を建てるべきは平等の上にであって、『自由』などは友愛から演繹されるはずだ、というわけだ。ルイ・ブランは、司祭が死後に天国を約束するように、結社設立後に自由を約束する。こんな工合に言葉の置き換えに興じる社会主義とは一体なんだろう、答は読者におまかせする」と批判します。(注2)
 本来の社会主義の理念はそうではないと言ったところで、歴史を見ると社会主義国家とされる様々な国において強権的な独裁体制が作られてきたことは事実であろうと思います。また社会主義の実現のための「革命運動」のなかでも個人の自由が制限され、組織のヒエラルキーの上の人の言うことに従わなければならないという状況は多く見られます。多くの人が社会主義や共産主義と聞いて感じるスティグマは、恐らくこのような事例が頭の中にあるからではないでしょうか。
 アナーキストは平等を実現するための闘いであっても、自由が制約されることを好みません。あらゆる権力や支配を拒絶するのであれば、「革命」の過渡期における独裁的な権力や、「革命運動」内において主従関係を作るような支配も認めないからです。「上から」の平等社会を実現することに重点を置いている強権的な社会主義者や共産主義者と、人間の自由を尊重して自由に生きることを選択するアナーキストとは、世界観の基礎の部分がまったく異なるわけです。
 しかしそれは平等の実現を放棄したことを意味するわけではありません。それを実現するための過程が大切なのです。「革命」の先には必ず平等な社会が待っているからといって、いつ訪れるかもわからない「革命」の瞬間までずっと抑圧に耐え抜くことはできません。たとえば、ロシア革命期においてボリシェヴィキの支配に不満を昂じて反乱を起こしたクロンシュタットの水兵たちは、「『プロレタリア国家』とか『プロレタリア独裁』とかいった誤ったスローガンによってだまされ、まどわされていたことに」気づいて蜂起したと言われています。水兵たちは生活のあらゆる分野が革命政府によって官僚的・独断的に再編される状況に直面し、ボリシェヴィキ政府というものは「友愛の仮面をかぶって労働者大衆の新しい敵が権力の座についていることに」気づいたというわけです(注3)。
 いま私たちにできることは、いつか到来する「革命」のときを待ち望むのではなく、日常生活のレベルから自由と平等を実現するために少しでも抵抗することではないでしょうか。いま目の前に存在するあらゆる抑圧に対して抵抗を継続することこそが、自由を勝ち取るための近道となります。そして自由を獲得するための日常的な抵抗はやがて不平等な社会を変革し、私たちがより豊かな生活を送ることができるようになるでしょう。このように「下から」の平等を実現するためには、「自由と抵抗」こそが重要なテーマになるのではないかと思うのです。
 「自由と抵抗」のためには、必ずしも社会全体や政治情勢を揺るがすような大規模に組織された直接行動や「革命運動」は必要ありません。それはもっと私たちの日常生活のあらゆる側面に存在しています。権威主義的なルールに従うことを拒否する、職場や学校における不当な慣行やハラスメントを告発する、既存の価値観や権力に反するようなアートや文化やライフスタイルを作り出す、といった具合に。そのように各々のできる範囲で抑圧に対する抵抗を作り上げていくことこそが、私たちが自由を勝ち取るための一歩なのではないでしょうか。『黒煙』は、そのように日常生活から「自由と抵抗」を実践していくためのヒントとなるような雑誌にしていきたいと思っています。

 

〇『黒煙』の名前
 この雑誌は『黒煙』という名前です。これに込められた意図について説明したいと思います。

 

①工場やゴミ焼却場から立ち昇る煙のように、「黒煙」とは規律化と消費社会化が進んでいる現代文明社会を表すものです。多くの労働者は過酷な労働環境や低賃金に生活が脅かされ、資本主義的生産様式にあわせて規律化されています。資本主義に適合して働かなければ生きていけないという、大企業や資本家によって実質的な生殺与奪の権が握られているわけです。一方で、そのようにして安価に生産される製品は「大量生産・大量消費」で使い捨てられ、生産物が市場に出回るサイクルを加速度的に増やさなければグローバル資本主義が延命できないような状況になっています。その結果として大量の廃棄物や二酸化炭素の排出が問題となり、気候変動や化石燃料の枯渇すらも危惧されています。現代文明社会における「黒煙」とは、現代に生きる私たちへの抑圧的構造のメタファーであると考えると、何も持たざる者である私たちこそが「黒煙」という言葉の主導権を取り戻したいものです。

 

②「黒煙」は時に狼煙としても使われることがあります。狼煙とは遠くに合図や警報を発するための古典的な連絡手段であり、被抑圧者が反撃に転じるときの比喩としても使われるわけです。可燃物に火を点けて煙をあげるように、いままで不可視とされてきた抑圧や差別に対して反撃するためには、それを可視化するための段階が必要となります。残念なことに現代社会では、女性や性的マイノリティといった人々に対して、あるいは人種や国籍やアビリティの違いを理由として、あらゆる社会的抑圧が日常生活に潜んでいます。そのような抑圧は「〇〇はこのようにあるべき」だとか、「〇〇はこうに違いない」といった先入観や偏見によって更に強化され、被抑圧者を縛り上げる鉄鎖となるわけです。そのように多数派によって見過ごされがちな問題を顕在化させて浮かび上がらせる、そして多数派によって築かれてきた既存秩序や既成概念に基づく抑圧的構造を焼き尽くすために、私たちは破壊的な「黒煙」を焚かなければなりません。

 

③ラディカルなデモや暴動では、タイヤや車が燃やされることが頻繁に見られます。本誌の表紙に使用されている写真も、インドネシアのマカッサルという街で行われたデモの写真です。煙をあげて燃え上がるものがあると現場に混乱を生じさせ、抗議デモ参加者の怒りや不満を視覚的に表現するために役に立ちます。また燃えるタイヤや投げられる火炎瓶はバリケードの役割も果たし、警察や軍が攻撃してくることから抗議者を防衛することにもつながります。狼煙を焚くように遠くからでもデモの存在を知らせることができ、野次馬に次ぐ野次馬が集まることで更に混乱はエスカレートするでしょう。なにより、警察車両や政府関係者の車を横転させて火を放つという行為は、抗議者の怒りや敵対性を明確に示す非和解的で不退転的な闘いであることを意味します。本来デモというのは権力者に「お願い」「請願」するものではなく、これ以上野放図に暴れるやつらが現れるとどうなるかわからないという混乱を生じさせるものであると考えると、「黒煙」をあげるということは、ラディカルな蜂起を予期させる象徴的な示威のあり方なのではないでしょうか。

 

④そもそも煙とは不定形なものであり、常に形を変えながら立ち昇るものです。ブルース・リーは武術の哲学として、自在に形を変えて動き、時には破壊的な力を持つ水にたとえて、「水になれ(BeWater)」と言いました。このスローガンは2019年香港民主化デモの精神的な支柱になりました──すなわち特定のリーダーに指導されるのではなく、匿名の抗議者たちのネットワークによって臨機応変に移動を続け、警察と衝突すればすぐに姿をくらまし、また別の場所でデモを起こすといった具合に。常に流動的に姿を変えて動き続けるという点では、水も煙も同じような意味合いを持ちます。そして煙は水と違って清浄なものではなく、時には有害物質や悪臭を拡散させるからこそ、生きるエネルギーや力強い意志を私たちに与えてくれるものです。抑圧に対して抵抗するのであれば、状況にあわせて変幻自在に姿を変えながら広がり続ける、そして何者の手にも掴むことができない「黒煙」をイメージしたいものです。

 

〇おわりに
 これはあくまでも「雑誌」であり、「批評誌」や「文芸誌」や「理論誌」ではありません。小難しい歴史の話や哲学的議論ばかり重ねたいわけではなく、もっと社会に対して「雑」に抵抗するための話を中心としたいと思っています。それはアナーキズムの思想が知識人による議論から生まれたのではなく、庶民の生活のなかから発見されたものであるということと同様です。高踏で難解な話がしたい人たちはそれはそれでいいのですが、本誌ではもっと身近な語りこそが大切なのではないかと思うのです。
 かく言う自分も散々ここまでアナーキズムの思想のような話をしてきましたが、「自由と抵抗」の共通テーマさえ同意するならば、思想や信条の有無にかかわらず様々な人の語りを掲載していけたらと思っています。強くて急進的な思想を持っているとか、これまでどれほどラディカルな直接行動に参加したことがあるとかいった違いによって、「自由と抵抗」が一義的に決められることは民主的ではありません。もっと私たちの何気ない日常生活のなかにでも、そのような萌芽はきっと存在するはずです。
 現代を見ていると、皆が社会に対して漠然と鬱憤を抱えて生きているにもかかわらずその発散のやり方がわからずに、バッシングや嘲笑の矛先が社会的弱者に対して向かったり、差別的・攻撃的な言動をしているインフルエンサーに心酔したりしている人があまりにも多いように思います。そのように権威主義的になるのではなく、もっと私たちの暮らしに根差したところから抑圧に対して「ふざけんな!」と言える方が遥かに健全なのではないでしょうか。「自由と抵抗」というのは、そういうところからスタートするものではないかと期待しています。

 

注釈リスト
(注1) デヴィッド・グレーバー+デヴィッド・ウェングロウ(酒井隆史訳)『万物の黎明』光文社、2023年、p.39
(注2) P.J.プルードン(陸井四郎・本田烈訳)「十九世紀における革命の一般理念」『プルードンⅠ(アナキズム叢書)』三一書房、1971年、p.103
(注3) ヴォーリン(野田茂徳・野田千香子訳)『知られざる革命 クロンシュタット反乱とマフノ革命』現代思潮社、1966年、p.29

 

 

おまけのおまけ

ここまで読んでいただきありがとうございます。せっかくなのでDiscordサーバー「東シベリア集団」の招待リンクを貼っておきます。とはいえ私の相互フォロワー限定でPrivatterで公開しているだけとなっております。参加希望でPrivatterにログインできないなどといった事情がある場合は、一度私にお問い合わせください。よろしくお願いします。

privatter.net

インドネシアのアナーキストとの交流を通じて

※こちらの文章は「人民新聞」2024年12月5日号に掲載されたものの改訂版です。

 

 私は10月上旬から11月上旬にかけて約1ヶ月間、インドネシアを旅してきた。訪問したのは、ジャワ島のジャカルタ、バンドン、ジョグジャカルタ、スラバヤ、バリ島のデンパサール、スラウェシ島のマカッサルの6都市である。理由としては、いま在籍している大学院でインドネシアの民主化とアナーキストの実践に関して研究したいと考えており、現地にいるアナーキストとの関係構築とアナーキズム関連の文献を探すためという意味合いが大きい。さて、本稿ではインドネシアのアナーキストたちと交流したことで見つけた気づきや特徴について考えていきたい。

バンドン某地区で参加した集会

 

インドネシア・アナーキズム略史

 インドネシアにアナーキズムが「再来」したのは、1980年代後半にインドネシアにもたらされたパンクロック音楽が90年代に入って群島全体的に広まってからであるという見方が一般的である。特に1993年に民放テレビが開局したことは、それまで流通していたテープやCDといった限定的なメディアの幅を押し広げる役割を果たした。そのパンク・ムーブメントによって流行したファッションに含まれるアナーキズムというシンボルは、支持する若者の思想や行動への影響を与えた。

 1965年の9.30事件を発端とする共産党員への虐殺と弾圧、翌年のスハルトの大統領就任を経て、インドネシアにおける左派勢力が壊滅的なダメージを負ったのはよく知られている通りである。このときスハルト政権は共産党とマルクス主義、マルクス・レーニン主義に対する法的な弾圧を特に強化しており、アナーキズム自体は「違法」とはならなかった。そのため、90年代に入ってアナーキズム勢力が伸長してくることに関しても、当局はアナーキズムを単なる「混沌」や「暴力」と同義であると理解し、左派勢力の一翼としては認識していなかったと言われている。

 90年代になりパンクの影響を受けたアナーキストたちは、自分たちの闘いを反ファシズムと位置づけ、スハルト政権の軍国主義、資本主義、全体主義という側面に対する闘争を開始した。こうした活動には路上における直接的な抗議デモやZINE制作といった文化的な抵抗の他に、各地の工場で労働者を組織してストライキを起こすこと、ラジオ局を占拠して反スハルト的なメッセージを放送することといった闘いが含まれていた。スハルト政権崩壊後は、各地の反ファシスト団体と合流したネットワークが形成され、いままでの国家の規律権力に対抗する形で急進的で破壊的な個人の自律を強調するようなアナーキズム運動が作られたという。

1998年ジャカルタ暴動

 

ローカルな闘いとグローバルな繋がり

 各地のアナーキストたちと交流して印象的なのは、それぞれの都市に基盤となる拠点がいくつか存在しているということである。たとえばマカッサルには大学のキャンパス内に学生が占拠している部室や、街の一角にライブイベントやグッズ販売ができる共同スペースを構えており、日々そこに集って音楽を聞いたり酒を飲んだりしながら様々な議論をしているという。このような拠点はアナーキストのいる都市には恐らくどこにでも存在するようで、訪問者や近隣住民はそこに招待されることになる。

 交流した友人いわく、そのような拠点は人々の抱えている政治的課題から日常生活の問題まで、様々な議論を公共の場において話しやすくすることで、アナーキズム的なイデオロギーを日常生活に導入するきっかけとなり、また政治意識に対する関心をあつめることに寄与しているという。日々人が集まる場所があれば、なにか問題があったときにすぐに対応を話し合うことができる。また些細な問題や悩みであっても、相談できる人がいることは解決のために役に立つ。

 そういった日常的な交流が草の根で政治に対する意識を高め、なにか政治に問題があったときには爆発的な抗議デモと暴動を生み出す土壌となるわけである。すなわち、その地に根差した自治を理念とするオルタナティブな拠点を創出することが、インドネシアにおけるアナーキストが最も大切にしている取り組みであると言える。

 クロポトキンは「近代科学とアナーキズム」において、地域的結合のための独立コミューンと社会的機能別に結合した労働組合の広範な連合という理念が、アナーキストが解放された未来社会のありうべき組織を構想するよすがであると書いているが、まさしく具体的で現実的な変革はこのような地域における日常的実践からのみ起こり得るのである。

 ローカルな地盤があることは、それぞれの都市で志を同じくするアナーキストとのネットワークを構築することを可能にする。実際私も「ジャカルタで君が会った〇〇は知り合いだ」「次にデンパサールに行くなら〇〇に会うといい」と紹介されることが多かった。アナーキストとしての全国的な組織があるわけではなく、個別の都市同士を繋ぐネットワークがあることは、すぐに情報共有や支援をすることができるようになり、お互いの自律性を維持した状態で各地でアクションを起こすことに繋がる。インドネシアでは大きな政治的問題が起きたときには抗議デモがすぐに全土に広がることが知られているが、これはローカルな闘い同士を接続しているネットワークが機能しているからだと言えるだろう。

 またインドネシア国内のネットワークに留まらず、国際的な交流を模索していることも特徴として挙げられる。とりわけインドネシアの人々は、グローバルサウスの労働力や資源が先進国によって搾取されていることによる貧困問題に対する思いが強い。アジアやアフリカの地域において、グローバル企業やそれと癒着する国家に対するプロテストを組織する人々との連携を強化することで、一層強固な抵抗のネットワークを築けるようになる。それは90年代後半から2000年代にかけて盛り上がった反グローバリズム運動の影響を受けているということも考えられるだろう。また各地の政治状況の違いを共有することで、互いを支援し合ったり抗議デモの方法を学んだりすることも可能になる。話を聞いていると、特にタイの反王制運動と香港の民主化デモを参考にしていることが多かった。

バンドンの「路上図書館」の取り組みと威圧しに来る警察

 

おわりに

 本稿ではローカルな規模の自治的な基盤とそれらを繋ぐネットワークについて述べたが、デモの闘い方から酒の飲み方まで、他にもインドネシアのアナーキストから学ぶことは大きかった。こうした日常生活に即したライフスタイル的なレベルから変革を試みる潮流は、現代の世界的なアナーキズムの特徴として考えることができる。ますます状況が悪くなる日本社会において変革を志す人々は、このようなアナーキズム的実践に学んでみてもいいかもしれない。

なぜ2000年代の社会運動について話さなければならないか?

〇はじめに

 先日(11月24日)、人民新聞の新事務所にて「2000年代の運動を徹底議論!」という読者会イベントがあった。これは20代の編集部員(私)と40代の編集部員が、『平成転向論』や『悪口論』の著者で知られる批評家の小峰ひずみ氏をゲストに呼んで、2000年代から現在の社会運動について話し合うという趣旨のものであった。

 

 この「2000年代」というテーマについて最初に言いだしたのは私である。私はかねてより2000年代の社会運動について議論し、当時の資料をアーカイブとして残し、総括しなければならないという問題意識を持っていた。ということで、今回は「なぜ2000年代の社会運動について話さねばならないか?」ということについて考えていきたい。

 その前に、かく言う私は何者なのかという話をしなくては背景や趣旨が伝わらないと思うので、簡単に自己紹介をしておきたい。私は2020年度に立命館大学に入学した学生で、それ以前から学生運動や左翼思想といったものに関心があった。大学入学が決まった2020年2月ごろからそういったものに参加しはじめ(高校生や浪人中からヘイトデモへのカウンターなどには行っていたが割愛)、まず最初にコンタクトを取ったのが「梅田解放区」という梅田のHEP前で定例の街頭行動を取っていたグループ、釜ヶ崎の某野宿者支援グループ(なお最近は色々あって参加していない)、「FREE京都」という立命や京大を中心とした学費問題アクショングループ、そしてそこで紹介された「立命館大学社会科学研究会」という学術系公認サークルであった。そして4年ほど様々なデモや学習会に参加したり主催したりし、紆余曲折を経て現在は大阪公立大の酒井隆史の研究室に身を置きながら、人民新聞の編集部に入ったり「全国学生行動連絡会」という団体の副委員長をやったりしている。要するに立場としては「黒ヘル系ノンセクト」の末裔みたいなものである。

 よって、私は学生運動を盛り上げる、参加する学生が増えることに関心が高い。そして最近は「立て看同好会」など学内自治や規制・管理強化を問題とする運動、ジェンダー問題やフェミニズムを基軸とする運動、入管の暴力や移民・難民・ミックスルーツの抱える問題の解決のための運動、気候変動や環境問題について取り組む運動、パレスチナやウクライナで起きている戦争への反戦運動といったテーマが特に関心が高いように思う(もちろんそれ以外のテーマはいくらでもある)。現在の社会に問題意識を持つ学生がまず最初に疑問に思うのはそういったインターセクショナリティな抑圧が根源にあり、実際に行動に起こそうと思うとそのような人たちに出会うことになる。

 一方、そのような入り口がとても限られているというのも事実である。以前にアナーカ・フェミニストのライターである高島鈴氏が「てか若い人が左翼思想を学ぼう、と思ったときの選択肢として外山合宿が最有力候補に浮上している現状ってわりとマズいよなと常々思ってるんだけど、どうすりゃいいんだろうな」とツイートしていたように、外山恒一氏の主催する合宿イベントがとりあえずの取っ掛かりとなっている状況が強いように思う。私自身は外山氏とは直接の面識はなく、合宿にも参加したことがないのだが、「外山界隈」と呼ばれるところの知り合いは何人も存在する。また高校生のときには外山氏の著作をいくつか読み、ある程度思想的にも影響を受けている。

 

 外山氏のなにが問題なのかといえば、やはり「ファシスト」であることが最大の理由である。外山氏はその人並外れた影響力と文才と芸風を活かして何十年にもわたって一定のポジションを獲得し続けており、それに魅了される若者も多い。だが外山氏のレトリックはあまりにも文脈が複雑で難解であるので、それを「正しく」理解するためにはかなりの教養と知識が必要になる(もちろん私自身も「正しく」理解できていない)。だが表面的な「ファシスト」の文脈だけを踏襲し、無批判に「ファシスト」的史観と運動論を摂取してしまうことは、私としてはあまりにももったいないのではないかと危惧している。左翼の世界にはもっと有象無象に面白い人と運動が存在するにもかかわらず、最初から「ファシスト」の色眼鏡で見ることは、若い人にはあまりにも劇物すぎるのである。

 さて、先ほど挙げたようなテーマが新規に学生運動に参加する人の問題意識として大きいことは言った通りである。私が思うに、そういったテーマは特に1990~2000年代から直接的な影響を受けていることが多い。もちろん思想史・運動史というものは古代から近代を経て現代へと連綿と引き継がれているということは理解しているが、特に2000年代にこそターニングポイントがあるのではないだろうかと考えている。以下は読者会イベントで話した内容が多分に含まれる。

2020年に「梅田解放区」デモに参加したときの写真。懐かしいね

 

〇果たして「革命」は現実的か?

 1989年のベルリンの壁崩壊と1991年のソ連崩壊を経て、冷戦構造は終結を迎えた。その結果、旧東側諸国は資本主義へと体制を変換し、情報技術の進化は金融や労働力や資源の果てしないグローバリゼーションを実現することになる。地球上のあらゆる領域が新自由主義の理屈によって支配され、新たなフロンティアを求めて資本の自己増殖が連鎖を生むような時代へと転換した。そして2001年の9.11テロを受けて「新しい戦争」の危機が喧伝されるようになり、アメリカを中心とした国民国家と世界各地でネットワーク上につながるテロリストとの非対称的な戦争の時代へと突入する。

 「左翼とは、現在のクソみたいな世界を変革し、新たな世界像を提示する存在である」といえば多くの人が同意するだろうか。めちゃくちゃ雑に言えば、冷戦終結以前の左翼はプロレタリア革命によって労働者階級による権力を樹立し、そこから搾取のない平等な世界を作ることは可能であるという世界像を、実際に存在する社会主義国家という権威を経て提示することができた。だが資本主義側の勝利とグローバリズムを受けて、最早そのような革命後の未来図は現実的なものではなくなってしまった(もちろんそのような状況でも原則的に「革命」を志向する左翼が存在するのも事実ではある)。

 では1990年代より反グローバリズム運動に集結した左翼はなにを新たな世界像としたか。まだネオリベラリズムの領域が到達していないラテンアメリカやアジア・アフリカ地域の先住民の世界である。とりわけ1994年のメキシコのチアパス州におけるサパティスタ民族解放軍が起こした蜂起は、世界中の反グローバリズム運動の方向性を決定づけたと言える。こうした運動は「グローバル・ジャスティス運動」とも呼ばれ、「もうひとつの世界は可能だ!」というスローガンのもと、資本主義的ではないオルタナティブな世界を創造しようとした。

 この頃から注目されつつあったのが「新しいアナーキスト」と呼ばれる勢力である。デヴィッド・グレーバーやジェームズ・C・スコットをはじめとしたアナーキストは、文化人類学的な研究から政府や国家を持たない先住民社会が既に存在することを明らかにし、その方法論に学んでグローバリズムに抵抗することを構想した。すなわち「革命後」の解放された世界に希望を見出すのではなく、現に私たちのなかに存在する相互扶助と自治の精神を再び呼び起こし、グローバル資本主義に対して日常生活のレベルからオルタナティブな世界を創り出すことを思い描いたのである。グレーバーはこのことを「『古い社会の殻の内側で』新しい社会の諸制度を創造しはじめるという『企画(プロジェクト)』である」(D・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』2006年, p.42)と説明する

 1990年代から2000年代に世界的に盛り上がった反グローバリズム運動は、アナーキスト的原則によって拡張することが常であった。グレーバーはこうした原則について「『自律(autonomy)』『自由連合(voluntary association)』『自己組織化(self-organization)』『相互扶助(mutual aid)』『直接民主主義(direct democracy)』といった古典的なアナーキズムの諸原理が、グローバリゼーション運動内部の組織化の基礎づけから、各地のあらゆるラディカルな運動の基礎づけを果たしつつ、拡大してきた」(ibid, p.34)と説明する。

 こうしたアナーキストたちは何よりも水平的・平等的な意思決定を行うことを重視し、徹底的にボトムアップ的な抵抗運動を組織することにこだわってきた。特定の人物や組織によって指導・支配されることを拒否し、個々人の意思と自由を尊重しながらコンセンサスを形成することを目指したのである。つまり「新たな世界像を提示する存在」であるはずの左翼の運動のなかに抑圧や権力の構造があってはならず、アナーキズム的運動そのものが既にオルタナティブ的な社会を実現しているということを例示しようとした。このことは「予示的政治」として強調され、明治大教授の田中ひかるは「今・ここで自分たちが理想とする状態を創り出す思考や態度」と説明する。

 このような「リーダー不在の運動」は、その後のラディカルな運動にとても強い影響を与えている。たとえば1999年にシアトルで行われたWTO閣僚会議には世界中から反グローバリズムの理念に賛同する運動家らが集結し、特定のリーダーによる指導が存在しないままで大規模な暴動を実現した。これによってWTO閣僚会議は大混乱に見舞われ、結局大した合意には至らなかった。その後もしばらく世界各地でWTOやG8などグローバル化を推進する国際会議には大規模な直接行動が組織され、2011年にはスペインの「M15運動」やニューヨークの「オキュパイ・ウォール・ストリート」へと結実することになる。その後の運動への評価は様々な見解があると思うのでここでは詳しく触れないが、こうした「リーダー不在の運動」の組織論は、2019-2020年香港民主化デモをはじめとして現在も世界中に残り続けている。あるいは、最近日本で流行りのアナーキスト論壇である栗原康や森元斎などもこのような影響を直接的に受けた世代である。いずれにせよ、アナーキスト的原則に基づいてリーダーや指導者を作らないという方針は、1990年代から現在にかけて左翼運動における重要なテーマとなっていると言える。

 40代編集部員はちょうどそのような波を最も強く受けた世代である。それより少し上の世代の活動家は、ノンセクトであっても「革命党」を志向することが多く、「ケルン会議」という運動の少数指導者らによって決定づけられる方針に従って「革命」を実践することが多かったと聞く。つまり徹頭徹尾上から下へのトップダウン型意思決定に基づいた組織に参加するほかなく、またそれが当たり前とされていた時代だった。だが1990年代以降の運動とは、個人の自由と意思を尊重するものへと変容していった。これによって新たな世界像が提示されるようになってきたのである。

 このような個人主義的な運動は、大文字の「革命」を志向するものではない。「革命後」の解放ではなく、いま私たちが直面している問題への解決を急務とする。だからこそジェンダー問題や女性差別といった社会的構造に基づく個人への抑圧や、パワハラ・セクハラといった個人間の権力関係から生じる抑圧に対する抵抗が多くの反響を呼んでいる。そして、いまの左翼の主語は「我々は~」ではなく「私は~」であるように、「じぶんごと」として捉える範疇をどのように考えるかによって、大学管理であったり入管問題であったり、反戦運動であったりに関心が寄せられるのである。すなわち左翼の「今・ここで自分たちが理想とする状態を創り出す思考や態度」が、草の根から社会を変革する原動力となる。こうした左翼内におけるパラダイムシフトは、恐らく1990年~2000年代に原点がある。

1999年シアトルの写真

 

〇日常生活のレベルから抵抗せよ

 そして、「敵」側もまたそれくらいの時期から力を強めている。すなわちネオリベラリズムとグローバリズムである。少なからず現在の世の中で学生運動に関心を持つ人は、学内における規制・管理強化に反感を持っている人が多いのではないだろうか。大学はどんどんインスタ映え的なオシャレなキャンパスを追求し、キラキラしたガクチカを積み上げるように圧力をかけ、国際競争力だとか就職偏差値だとか訳の分からない指標でブランディングする。一方で大学内における学生の自由はどんどん剥奪され、雑多に屯して好きなことをやることができる空間は綺麗さっぱりジェントリファイされ、たかがビラや立て看一つが学生運動の争点の一つになる始末である。そしてそれが問題であるということすら多くの学生は気づかず、唯々諾々と単位取得とガクチカ作りと就活に勤しむか、ちょっとレールから外れるとTwitter落単芸人としてクネクネしながら毎日冷笑や愚痴をツイートして変人アピールをするかである。

 こうした状況は、基本的にネオリベ化する社会によって引き起こされていると考えてよい。「大学改革」がいつから始まったかについては議論があろうが、とりあえずここでは白井聡にしたがって1990年代以降ということにしておく。白井はこのような状況を「本来、若い世代の成熟を促すための場であるはずの大学が、『自治』の精神を失い、若い世代の成熟を育む場として機能しなくなっている、もっと言えば、新自由主義的な再編によって成熟を阻害する空間となっている」(斎藤幸平ほか『コモンの「自治」論』2023年, p.22)と説明する。以下では『コモンの「自治」論』の白井の文章を要約する。

 文科省によるトップダウン式のネオリベ的改革は、大学の自治を次々に奪い、産業界の意向を受け入れて競争原理で大学が経営されるような状況を作り出した。いまや「稼げる大学」などという噴飯もののスローガンすら恥ずかしげもなく提唱される時代である。そして世間が大学や学生を評価する基準は「資本の役に立つ機関・人間であること」となり、もはや若年層の市民的成熟を実現する場としての大学という理念は「どうでもよいもの」になってしまった。そんな状況では学生も権力に対する批判的な視点を身につけることすらかなわなくなり、民主主義社会そのものへの関心が低下する(皮肉なことに「クリティカルシンキング」が大学で持てはやされているにもかかわらず!)。

 そして2000年代に入ると、大学では「空間の再編」が本格化する。それは社会のネオリベ化の大学への浸透の新段階であった。すなわちキャンパスという空間そのものがネオリベ的空間を作り出すジェントリフィケーションが行われたのである。キャンパス内に雑多で猥雑な空間が存在することは最早「許されないこと」になり、すべてが権力の管理下に置かれる空間へと再編成されることになった。その結果、かつての占拠状態にあったサークルボックスのように雑に人が集まることができるような場所がなくなり、学生にとっての居場所が大学内から消滅した。そのように人が溜まる場がなくなれば学内における交流も生まれず、皆が孤立化してバラバラになる。このことを「孤立させて管理する、これが空間の新自由主義的再編の原則」であると白井は言っている。要約終わり。(ibid, p.23-42)

 いまや大学において、学生は「消費者」であると同時に「生産物」でもある。学生は管理されきった空間のなかで無駄なことをせずに教育サービスを消費し、キャリアセンターの言うがままにガクチカを向上し就活に心血を注ぎ、高額な学費を払い続けたリターンとして「大学卒」という「商品」をゲットする。大学はそのように資本主義社会に従順な学生を生産して企業や官公庁に送り出すことで、大学としてのブランド力を一層向上させることをもくろみ、文科省の言うがままに競争に少しでも勝つために「商品」である学生の管理に躍起になる。いまの大学の惨状はこのような学生と大学の共犯関係によって成立している。最早そこでは資本主義社会に従順に生きることが当たり前になり、そこから外れた社会があることすら眼中に入らなくなる。だが、このような状況に抵抗を覚える学生も少なからず存在するのではないだろうか。これを打破するヒントは、ちょうど「大学改革」過渡期にあった1990年~2000年代にあるのではないかと思う。

 少なくとも「黒ヘル系」で教育される話といったら、2000年代に相次いだ東大駒場寮や山形大学寮、早稲田大サークル地下部室への強制執行の話は嫌でも耳にするものである。これに限らず、恐らく様々な大学で2000年代ごろまでは党派・非党派関係なく大学内にアンダーグラウンドで左翼が残り続けていたという。こうした学生運動は、実にユニークな形で抵抗を続けていた。「法政の貧乏くささを守る会」の松本哉氏のような鍋闘争やペンキ爆弾といったやり方、演劇やゲリラガーデニング、あるいは「正統派」に学部や当局と団交を申し入れるといった方法…。こうした1990年代~2000年代にかけての学生運動の参加者は、卒業するにしたがって路上解放系の運動だとか、野宿者運動だとか、有機農業運動だとか、非正規雇用の労働運動だとか、反貧困運動だとか、あるいはアカデミアに残るとか、様々な方向へとシフトしていった。あるいは、在学中から様々なテーマの社会運動に参加することも多かっただろう。

 こうした運動は、まさに「大学改革」によって学生運動の残り香さえも消し去られようとしている状況に対して粘り強い抵抗を見せたと思う。「大学改革」の学習会を実施してなにが問題の根幹にあるのかを突き止め、デモや自治会を通じた交渉を組織し、また先ほど述べたようなオルタナティブな形の意思決定を実現しようとした。また大学内の問題に限らず、野宿者テントの立ち退き阻止闘争やイラク反戦運動といったデモが盛り上がり、サウンドデモという新たな形態のデモも登場した(このあたりは毛利嘉孝『ストリートの思想』に詳しい)。こうした運動はすなわち「生権力」へのプロテストが前景化したものであったと言われる。身体性をともなった音楽とダンスをデモに取り入れ、より身近なテーマで反抗の声をあげる。日常的な生活からの変革を志向するならば、このような2000年代の運動にこそ焦点をあてるべきなのである。

 私たちは「党派」ではないので、基本的に年上の世代から指導・支配を受けることは少ない。同世代で固まって行動し、方針を考えている。そんなときにもし自分たちで運動を作ろうと思うと、果たして何を参考にしたらよいのか。その答えは、過去の運動の実践を知ることと、同時代を共有する海外の運動の実践を知ることであると思う。

 あまり「左翼的伝統」は重要視すべきではない。伝統にこだわることは思考や理論の硬直化を招き、党派性にいつまでも固執することになる。だが、現在も使えるエッセンスを利用することは悪いことではない。たとえばデモ申請のやり方や警察に文句をつけられたときの対応、デモ中により広い車線を獲得するための闘い方、万が一逮捕されたときの救援の対策から、日常的なコミュニケーションの取り方や組織を作って運営する方法、酒の飲み方まで…。そういった過去の実践をあまり踏まえずに海外などの「目新しいもの」に飛びつくのは、せっかく年上世代の蓄積があるのにもったいない話ではないだろうか。そして私たちが置かれている状況は、運動史的にどのような位置に存在するのかを知ることができることにもつながるのではないだろうか。

山形大学寮の廃寮阻止運動、通称「泥ウソ」国賠



 

〇おわりに

 あくまでも私は、年上の人たちにヘコヘコ従え、と言いたいわけではない。残念ながら左翼の中には、いまの若者の運動のあれがだめこれがだめと言いたがるマウンティング好きで古典的な人たちがいるのは事実である。こんなものは話半分に聞き流しておけばよく、間違っても話を真に受けてハイハイと自己批判してはいけない。

 学生運動や社会運動というものは基本的に失敗と負けが続くことであり、なかなか「成果」を勝ち取れるものではない。国家や資本家というものはあまりにも強大な「敵」であるので、そんなに易々と勝てるものならいまはこんな状況になっていない。だがトライ&エラーを重ねながら徐々に自分たちの出来る身近な範囲から変革する試みを積み重ねていくことは、どのような形であれいつかうまく「成果」を発揮するかもしれない。そういったある種の楽観的な気持ちでいた方が、きっと楽しいものだと思う。そう、なにより左翼という生き方は楽しいということを体現することが大切なのだ。

 そして、もしこの文章を1990年代~2000年代(あるいは2010年代であっても)に実際に左翼運動に参加していたという人が読んでいれば、是非自分の経験をアーカイブ化したり若い世代の人に話してみたりすることを試みてほしい。ビラ一つ、機関誌一つであってもそれは私たちにとって役に立つことは間違いない。まだ表に出てきていない記憶というものを掘り起こし、継承することを躊躇わないでほしい。もちろん国家権力や敵対党派に対する革命的警戒心から出していないという人も多いだろうけれど(たかだか20~30年前の話なので)、インターネットに残らない形であっても資料として残っているだけで意味がある。アカデミアの運動史研究者や一部の「革命的」な有名人だけが情報を溜め込むというのはあまりにも民主的ではない、もっと有象無象の在野の素人たちが主役になるべきである。

ビラ「入学式 ボイコットしませんか?」(2024年度大阪公立大学入学式)

※私は2024年度に大阪公立大学の大学院に進学しました。そこで入学式に合わせて、開場の大阪城ホールの最寄り駅である大阪城公園駅前で以下のビラを配布し、入学式のボイコットを呼び掛けました。

 

 みなさん、大阪公立大学へのご入学おめでとうございます。私は大阪公立大の大学院に今年度から入学することになった者です。高校生・高専生・浪人生から大学生という新たなステージへと一歩を踏み出すみなさんは、きっと大学生活をどのように楽しんでいこうか、どんな勉強に取り組もうか、期待と希望で胸がいっぱいだと思います。そんな節目の記念行事として、入学式とは重要な役割を果たしています。そうしてきちんと服装を整えて大阪城ホールまでやってきたみなさんに水を差すようで非常に恐縮なのですが、私は大阪公立大の入学式へのボイコットを呼びかけています。

 なぜ自分自身も当事者である入学式をボイコットするのか。ひとえにその理由は大阪府市の維新行政に対する抗議です。大阪の政治が維新によって掌握されてすでに10年以上。確かに赤字が膨れ上がっていた財政を立て直したり、職員体制や行政組織が抜本的に変わって来たりと、「改革・成長」のもといままでおこなってきたことは一見するととても評価できることかもしれませんし、実際にその政治的手腕は並々ならぬすごいものがあります。しかしその裏には多大な犠牲や切り捨てられてきたものがあり、苦しんでいる人も大勢いるということもまた事実です。

 来年には万博が控えています。きっと今日の入学式でも吉村洋文なんかはそのことに触れないわけがないと思います。大阪のそこらじゅうにマスコットキャラクターがラッピングされ、マスメディアは万博が盛り上がるぞ、経済効果を生み出すぞと日々宣伝を続けています。しかし現実を見ると工事はろくに進んでいないし、わけのわからない木製リングやトイレ設置に何百億円も使われているし、つい先日には地下のメタンガスに引火して爆発事故まで起きました。海に隣接した人工島という立地なのにろくに災害対策も立てられていないし、跡地にはカジノ施設を建設する予定であるという話すらあります。なにより雪だるまのようにどんどん関連予算が増えていき、それは私たちの税金から出ているにもかかわらず追及に対しては知らんぷり。こんなに問題だらけの万博、本当に開催する意味があるんでしょうか?私たちが協力する必要なんてあるんでしょうか?

 そして私たち学生も無関係ではありません。近いうちに森之宮キャンパスが完成し、一部の学部や研究科がそこに移転することが計画されています。しかしこれもまた工事が延期して、依然としていつどうなるか学生も教職員もあまりわかっていません。そもそも移転計画の発端となった大阪市立大と大阪府立大の統合も二重行政の解消だとか予算削減のためだとかで維新行政から提言されたことですし、なによりキャンパス移転という行政と大学当局による一方的な重要決定事項に私たちは否応なく従わないといけないことはおかしいのではないでしょうか。先月突然の思いつきのように吉村は「大阪公立大を秋入学にする、英語を公用化する」などと言い放ち大きな混乱を呼びましたし、公立高校が3年連続で定員割れすると統廃合されるという問題もあります。教育や学問の根本的な役割や大切さを軽視して単なるお金儲けや都市開発のために利用するという態度や、大学という学内の自治が守られるべき存在に行政が介入し口を挟むということが当たり前になっている現状には、大きな疑問をいだかざるを得ません。

 また維新行政は卒業式において「君が代」斉唱に抗議するために起立しなかった教員を処分し、不起立を職務命令違反とする条例を制定しています。「日の丸」「君が代」はかつて日本が天皇制のもとアジアを侵略・支配するシンボルとして使われてきた存在であり、また現代においても日本という国家に従うことを見定める踏み絵として使われています。これを批判して拒否することすら許されなくなっているというのが、残念ながら現代の日本です。今日の入学式で国歌斉唱があるのかはわかりませんが、私はこのように思想・良心の自由が蔑ろにされていることに強い危機感と恐怖を感じています。また維新行政は被差別部落や在日コリアンなどに関する展示を行っていた大阪人権博物館に対する補助金を一方的に打ち切って博物館を取り潰したり、開催こそされたものの「表現の不自由展」の会場使用許可を取り消したりしたということもありました。いずれにせよ、維新関係者の人権意識についてはいまいちど問い直さなければなりません。

 他にもまだまだ維新行政の問題は山積みです。保健所や病院の削減、公務員の減少、公園や道の街路樹の伐採、再開発による路上生活者の排除、相次ぐ議員の不祥事、あげていけばキリがありません。そのすべてが「身を切る改革」だとか「大阪の成長を止めるな」などという美辞麗句で覆い隠され、そのアピールによってよくやっているのかと漠然とした印象をもってしまいます。しかし実情を考えてみると大企業やグローバル企業といった一部のお金持ちばかり優遇することによって見かけの「成長」を押し進め、一方で非正規雇用の拡大や福祉の切り捨てによって庶民や中小企業は逼迫していくということが進んできたのが、維新政治のもたらした結果ではないでしょうか。

 現在大学生の置かれている立場は非常に厳しいものになっています。入学してすぐに就活のためのガクチカ作りやTOEIC対策に奔走し、GPAや取得単位数を気にしなければならず、自分が本当にやりたいことはなんだったのかということを忘れそうになるかもしれません。またおかしいと感じたことがあってもなかなかそれを表現する場や方法がなく、声を上げるとすぐに大学当局から厳しい対応を取られることもあるでしょう。しかし忘れてはならないのは、大学における主体とは学生であり、学生自らが意思をもって行動すべきであるということです。大学とはいままでの一方的な学校教育とは異なり、自主や自治が尊重される空間です。残念なことに権力者は平気で嘘やペテンで人を騙すし、自分たちに都合のいいことしか言いません。そうした人たちの言うことにだまって従うのではなく、常に批判的な視点を持ちつづけること。大学における学びとはそういうものではないかと思います。

 

※この活動がなんなのかと興味を持たれた方やこれから関わってみたいという方がいらっしゃれば、下記連絡先を参照してください。

・全国学生行動連絡会

メールアドレス:gakusei.koudou@gmail.com Twitter:@info_gakukou

・私個人

メールアドレス:[email protected]

 


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