チェイニー元米副大統領が84歳で死去 対テロ戦争主導、トランプ氏と対立

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アメリカのディック・チェイニー元副大統領が3日、死去した。84歳だった。肺炎および心臓・血管疾患の合併症のため同日夜に亡くなったと、家族が4日に発表した。
2000年代初頭にジョージ・W・ブッシュ大統領の副大統領として、政権内外に強力な影響力を発揮した。2001年9月11日のアメリカ同時多発攻撃を経て、「対テロ戦争」の主要な設計者となり、2003年のイラク侵攻を早くから推進し、ホワイトハウスの行政権限を大幅に拡大するなど、毀誉褒貶(きよほうへん)の多い業績を残した。
ドナルド・トランプ大統領に対しては、2011年1月6日の連邦議会襲撃事件に対する議会調査委員会で、娘のリズ・チェイニー下院議員(当時)が追及を推進したこともあり、厳しく批判し続けた。長年の共和党重鎮でありながら、昨年11月の大統領選では民主党候補のカマラ・ハリス副大統領を公然と支持し、共和党だけでなく民主党支持者の間にも波紋を呼んだ。
チェイニー氏は選挙前、「ドナルド・トランプほどこの共和国にとって脅威となる人物は、これまでいなかった」と非難。これに対し、トランプ氏はチェイニー氏を「何の影響力もないRINO(Republican in Name Only = 名ばかりの共和党員)」と攻撃した。
チェイニー氏の家族は声明で、「第46代アメリカ副大統領のリチャード・B・チェイニーは昨夜、2025年11月3日夜に死去した。結婚して61年になる最愛の妻リン、娘のリズとメアリー、そして他の家族が最期を見守った」と発表し、「元副大統領は、肺炎および心臓・血管疾患の合併症により死去した」と明らかにした。
家族はさらに、チェイニー氏が「何十年もの間、国に仕えた」として、ホワイトハウスの大統領首席補佐官、ワイオミング州選出の下院議員、国防長官、そして副大統領を歴任したと説明した。
さらに、「ディック・チェイニーは偉大で善良な人物で、子どもや孫たちにこの国を愛するよう教え、勇気・名誉・愛・優しさ・フライフィッシングを通じて生きるよう教えた」、「私たちは、ディック・チェイニーがこの国のためにしてくれたすべてに、計り知れないほど感謝している。そして、この高潔な巨人のような人物を愛し、愛されたことに、計り知れないほどの祝福を感じている」と家族は述べた。
チェイニー氏の死去発表から間もなく、ホワイトハウスは4日朝、国旗を半旗に下げた。
トランプ氏はまだチェイニー氏の死去についてコメントしていないが、ホワイトハウスはトランプ氏は訃報を「認識している」と述べた。

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「最良の公僕で愛国者」とブッシュ氏
元副大統領の訃報を受けて、ブッシュ元大統領は声明を発表。「国にとって損失で、友人たちにとっては悲しいことだ」として、「歴史は彼のことを、同世代で最も優れた公僕の一人として記憶することになる」とたたえた。
ブッシュ氏はさらにチェイニー氏について、「誠意と高い知性、そして真面目な目的意識をもって、あらゆる職務に臨んだ愛国者だった」と述べ、「私は、彼の率直で誠実な助言を頼りにしていた。彼は常に最善を尽くしてくれた。信念を貫き、アメリカ国民の自由と安全を最優先にしていた」と振り返った。
ブッシュ政権で大統領補佐官(安全保障問題担当)、さらには国務長官を務め、チェイニー氏と共にブッシュ氏に仕えたコンドリーザ・ライス氏は、「誠実さと、この国を愛していたことを尊敬していた」と、ソーシャルメディア「X」に書いた。ライス氏は二人が笑顔で並んで写った写真と共に、「彼は私を奮い立たせてくれる存在で、公共への奉仕について多くを教えてくれたメンターだった」とも書いた。
民主党のビル・クリントン元大統領は「私たちはしばしば、意見が対立したが、この国への彼の献身と、揺るぎない責任感を私は常に尊敬していた」と述べた。
マイク・ジョンソン下院議長(共和党)は「聖書は明確に、敬意を払うべき者には敬意を払うべきだと教えている」として、「晩年に政治的な意見の違いがあったとしても、祖国にささげた犠牲と奉仕には敬意を払うべきだ」と述べた。
「負の遺産」への批判

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チェイニー氏は、2001年9月11日の同時多発攻撃を経て、アフガニスタンやイラクへの侵攻、アメリカ国内の監視活動強化などといったアメリカの「対テロ戦争」推進で中心的な役割を果たした。また、対テロ戦争推進のためとして、ホワイトハウスの権限を大幅に拡大した。
イラク人作家でニューヨーク大学准教授のシナン・アントゥーン氏は、チェイニー氏がイラクに残した遺産は「混乱とテロ」だと指摘。「世が世なら、ディック・チェイニーは確実に戦争犯罪人として裁判にかけられていたはずだ」と、BBC番組「ニュースアワー」番組で主張した。
アントゥーン氏はさらに、イラク戦争によって当時のサダム・フセイン大統領が暴力的に権力の座を追われたことで、「国のインフラが破壊された」と述べた。
そして、チェイニー氏がイラクに関する自分の行動を正当化し続けたにもかかわらず、米軍の地上部隊を投入するという決定が、その後「イラクを国際テロに開放することになった」と述べた。
イラクに派遣された米陸軍の退役軍人クリストファー・ゴールドスミス氏もBBCに対し、「ほとんどの人がディック・チェイニーを、最終的に数十万人の死につながる巨大な問題を生み出した人物として認識している」と語った。
首席補佐官、国防長官、副大統領
「ディック」ことリチャード・ブルース・チェイニー氏は、1941年にネブラスカ州リンカーンで生まれた。父は農務省の職員で、母親は元ソフトボールの選手だった。13歳の時にワイオミング州キャスパーへ移住。1959年に奨学金を得て名門イェール大学に進学したものの卒業には至らず、後にワイオミング大学で政治学の修士号を取得した。
1968年にワシントンの政界へ進み、ウィスコンシン州の選挙区選出の若手共和党下院議員ウィリアム・スタイガー氏の下で働いた。
リチャード・ニクソン政権下の1969年に、設立間もない経済機会局のトップとなったドナルド・ラムズフェルド氏(後の国防長官)の目に留まり、その下で働くことになったという説もある。

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ジェラルド・フォード大統領が1975年にラムズフェルド氏を国防長官に選んだ際、チェイニー氏はわずか34歳で大統領首席補佐官に就任となった。
1976年の大統領選でフォード氏がジミー・カーター氏に敗れると、チェイニー氏は地元ワイオミング州に戻り、連邦議会の下院選に出馬した。
選挙中に初めて心臓発作を起こすと、妻リン氏が代わりに選挙活動を続け、チェイニー氏は得票率59%で初当選した。
下院では徹底した保守派議員として頭角を現し、ロナルド・レーガン政権の軍拡路線を精力的に支持した。

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ジョージ・H・W・ブッシュ政権下で国防長官となり、1990〜91年の湾岸戦争で国防総省を指揮した。この戦争では、アメリカ主導の連合軍がイラク軍をクウェートから撤退させた。
生来のタカ派ではあるものの、冷戦終結に伴い、軍事予算の大幅削減を主導した。
1992年の大統領選で民主党のクリントン氏が勝つと、チェイニー氏は政界を離れ、石油関連の多国籍企業ハリバートンの最高経営責任者(CEO)となった。
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の息子でテキサス州知事のジョージ・W・ブッシュ氏が2000年大統領選の共和党候補になると、チェイニー氏はその陣営に参加。当初は副大統領候補を探すのがチェイニー氏の役割だったが、ブッシュ氏の要請もあり、チェイニー氏が副大統領候補となった。
2001年のブッシュ政権発足と共に、チェイニー氏は副大統領として主要な政策決定にかつてないほどの影響力を発揮した。
それまでの副大統領はもっぱら、正式な権限をほとんどもたない役職だった。政府と政界の仕組みを熟知していたチェイニー氏はそれを一変させ、同時多発攻撃後のアメリカにおいて、その外交・国防政策に対する強大な決定力を自分の手元に集約した。
このためチェイニー氏といえば、強力な副大統領として果たしたその役割が、長く記憶され、そして長く批判されることになった。
2001年の同時多発攻撃を受け、チェイニー氏は攻撃の当事者は米軍の「怒りの総力」を浴びることになると表明。アフガニスタンとイラクへの軍事侵攻を強く推進した。犯行声明を出したイスラム組織アルカイダについては、イラクと関係があると主張し続けた。
イラク侵攻に至る過程ではフセイン政権がいわゆる大量破壊兵器を保有していると主張したが、そうした兵器は軍事作戦中に発見されなかった。
チェイニー氏がイラク侵攻推進に果たした中心的な役割は、本人の評価に大きな影を落としただけでなく、数十万人の死者を出し、中東地域に混乱をもたらした。アメリカでは、イラクでの戦争の財政負担から抜け出すまでに何年もかかった。
軍事的にはタカ派で、財政的には健全財政を重んじる伝統的な保守派政治家だが、同性愛については、次女メアリー氏が同性愛者で自分はそれを支えると公言。さらに、同性結婚を支持し、ブッシュ大統領もこれに賛同した。
同性婚の合法化についてチェイニー氏は、最終的な決定は個々の州にゆだねられるべきだとしたうえで、自分自身は「結婚の平等」、つまり同性カップルも異性カップルと同じように結婚する権利を持つことに賛成だと公言。「自由とは全員にとっての自由を意味する」と述べていた。
チェイニー氏の政治家としての経歴は後に、2018年の映画「ヴァイス」で大きく取り上げられ、俳優クリスチャン・ベール氏がチェイニー氏を演じてゴールデングローブ賞を受賞した。

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チェイニー氏は長年にわたり、心臓に疾患を抱えていた。最初の心臓発作は1978年、下院議員に立候補していた37歳の時だった。当時のチェイニー氏は、たばこを1日3箱吸っていたという。
2010年には心不全の進行を抑えるため、小型の心臓ポンプを埋め込む手術を受けた。この時点ですでに5回の心臓発作を経験していた。2年後には心臓移植手術を受けた。
遺族には、妻リン・チェイニー氏、娘のリズ・チェイニー氏とメアリー・チェイニー氏、そして7人の孫がいる。
トランプ氏と対立

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複数の共和党政権で閣僚を務めた共和党重鎮だったにもかかわらず、チェイニー氏は同党のトランプ氏を強烈に批判し対立した。
2016年の大統領選ではトランプ氏を支持したものの、大統領選へのロシア介入疑惑や北大西洋条約機構(NATO)をトランプ氏が大統領として軽視する様子に、衝撃を受けたとされる。
チェイニー氏は長女リズ・チェイニー氏を支持し、娘が下院で「反トランプ派」の中心人物となるのを支えた。また、トランプ氏が2020年大統領選の選挙結果を受け入れようとしない姿勢を非難した。
昨年の米大統領選の2カ月前、チェイニー氏は民主党のカマラ・ハリス氏に投票すると発表し、トランプ氏はアメリカの共和制にとって深刻な脅威だと警告した。
これに対し、トランプ氏はチェイニー氏を侮辱する発言を繰り返した。
チェイニー氏の死去に際し、ハリス前副大統領(民主党)は「強い献身の気持ちにあふれた人、愛する国に人生のあまりに多くをささげた人が、失われてしまった」としのんだ。
チェイニー氏がかつて率いた共和党は、トランプ氏によってすっかり作り変えられ、そしてチェイニー氏は党内でもはや「歓迎されない人」となった。
そして皮肉なことに、トランプ氏を批判しハリス氏を支持したことで、チェイニー氏はかつて激しく対立した左派の一部にたたえられるという晩年を迎えたのだった。
【解説】 チェイニー氏が推進した「終わりなき戦争」がトランプ氏を大統領にしたのか
ジョン・サドワース 北米特派員
ディック・チェイニー氏が共和党政治の頂点にたっていた時代は、今では大昔の歴史の話に思える。
アメリカのネオコン(新保守主義)運動の絶頂期は、ニューヨークのツインタワーへの攻撃の後に訪れた。アメリカは自国への攻撃に、膨大な軍事力を世界各地に示すことで対応した。
暴君は打倒する。民主主義は爆撃によって生まれる。世界はアメリカ人にとってより安全な場所になる――と、そういう理屈での政策だった。
しかし後になると、チェイニー氏自身もイラク侵攻が誤った前提に基づいていたことを認めていた。大量破壊兵器は存在しなかった。
それでも彼は、当時の政策を正当化し続けた。異常な攻撃には異常な対応が必要だったというのが、その理屈だった。
しかし、平和の恩恵がほとんど見えないまま紛争が続くことに、国民の疲弊が深まると、アメリカの保守派ですら、アメリカが20年近く払い続けた血と財の代償に疑問を抱き始めた。
そしてその後、現在へと時間を早送りすると、今ではトランプ派の政治家たちが、左派よりもはるかに毒々しく辛辣(しんらつ)に、ネオコン思想の理想に激高している。
晩年のチェイニー氏は、トランプ氏の最も手ごわい批判者の一人だったかもしれない。
だが皮肉なことに、チェイニー氏が始めた「終わりなき戦争」が、少なくとも部分的には、「アメリカ・ファースト」の大統領誕生へとつながる勢いの一端になったのだ。














