”離婚序章からの帰還”を読んで | やりたいことが分からない人へ

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でもやりたいことがわからない。
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という人向けのブログです。ワーキングマザー時代の自分を整理しつつ書き散らしていく予定です。

下記を読んだ感想。

離婚序章からの帰還
http://anond.hatelabo.jp/20150108160833

・・これまでの「夫が家事育児に非協力的」に起因するストレスについては
最近カウンセリングを受けたり、
「相手が何かしてくれる、してくれないで対応を変えるのは
幸せの鍵を相手に預けているようなもんだよ」という友人の言葉などから、
私の中では「自分で自分を癒して幸せになるんだ」と
ずいぶん軽減してきたつもりだった。

が、「本当に共働きの大変さを分かち合っている」上記の記事に
当時のストレスがフラッシュバックしてしまったようだ。

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この旦那さんは、もともと相当家事をやっている。リンク先にある6年前の記事では
週3日は会社に泊まり込むほど激務なのに、
・土日の食事は100%作成
・平日の嫁と娘の食事の「ストック」を土日で仕込む
・嫁の土日外出時は、娘の面倒見る

等やっていた。
それでも共働きの奥さんに離婚したいと言われて、試行錯誤。

以下一部転載


■まず必要な事は気付くことだった。

まず最初に必要なのは
「妻に落ち着いた時間を取り戻させる」
ということに気付けるか
どうかという事だった。

いくら愛してるとか、
いつもありがとうとか言っても、
いくら大丈夫?と心配しても駄目だ。
言葉では現実の大変さはカバーできない。

もっというと、ゴミ出しをするとか、
時々風呂に子供を入れるとか
溜まってる洗い物してあげるとか、
土日に晩御飯作ってあげるとか
そういう事を細切れでいくらやっても
問題解決に寄与しなかった。

本当に必要なのは、妻の大変な状況を
正しく理解することで、それは
「あわただしく仕事を終わらせてダッシュで
迎えに行って息つく間も無いうちに
子供にご飯、お風呂、寝かして
仕事のメールをもう一度ひらいて…」
みたいな日常を断ち切るコトだった。

つまり、普通に30分だけ残業できたり、
会社の飲み会に参加できたり
家で夜にDVDをゆっくり見たり、
時々友達とご飯に行って来たりとか、
そういう独身時代では普通にできる
日常を取り戻してあげることだと解った。

そこまで気付くのに3年かかった。
それから、2年間。
俺は本当の夫婦を戻すため
色んなことをトライした。

●水曜、金曜はパパお迎えの日
週2日は俺がダッシュでお迎えから、
飯、風呂、子供の寝かしつけまで
全部をやることにした。「細切れに手伝っても意味がない」事に気づく。
つまり、
奥さんは
「毎日5時に会社を出て駆け足で保育園に迎えに行き、
息つく間もなくご飯、風呂、寝かしつけをし
子供が寝たあと仕事のフォローをする」。
このハードな日常がエンドレスで、「妻だけ」続いていることに気づき

「週2回は自分がその役割をする」ことを始める。
そして、
「妻が独身時代なら出来ていた当たり前の日常を取り戻す」
つまり
・30分残業したり
・友達と飲みに行ったり
・帰宅してDVDを観たり。

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そう!! そうなんですよ!!

=>ここにマーカー引いて旦那に読ませたいと思った。

当時の私のストレスはざっとこんな感じだ。
--

なんで「私だけが」「毎日」
仕事が残っていても、電話会議を打診されても
胃が痛くなる思いで定時ダッシュし
子供を2か所に迎えに行き
ご飯を食べさせ、洗濯機を2度回し、風呂を洗ってわかし、
洗濯を取り入れ&干し、
宿題のフォローや絵本の読み聞かせをした上で
ギリギリ22時に寝かせる(それでも遅いので罪悪感)

なんで旦那は毎日、自由に残業できるの?
「したくしてるわけじゃない」と言う。
でも、「しなければならない事を残して帰る」よりずっと自由だ。
なんで「ごめん、今日飲みに行くことになった」って思いつきで行けるの?
私は職場公式の送別会でも、1か月以上前から旦那にお迎えをお願いしている。
出張も抑え、不可避のものは2週間前から調整。
なんで私は本屋やコンビニにすら寄れないの?
自由の翼をもがれたようだ。

そんな中、2011年夏。
原発事故による節電のため、旦那職場で「輪番休業」が実施された。

旦那は水木休み、私はこれまで通り土日休み。
保育園は通常通りだが、
「仕事が休みの日は16時お迎え」というルールの為
旦那が16時に迎えに行き、子供を就寝までケアする。
(つまり旦那は朝保育園に送った後は16時まで自由時間)

私にとっては夢みたいな夏だと思った。
「水木、家に大人がいる!!ダッシュで帰らなくても良いんだ。
残業も出来るし、飲みに行ける!!!」
私は朝に晩御飯を用意して行き、
いつもなら残して行く仕事をゆったり片付けたり、
経費精算したり(そうそんな事もする暇なかった)
友人と飲みに行ったり、本屋さんに寄ったりするつもりだった。

しかし。午後8時半に帰宅した私に
旦那はブチ切れていた。
「今まで通り定時であがって子供の面倒みろよ!
俺、休みやねんで!?」

全く意味が分からない。
私は仕事プラス子供のお迎え~寝かしつけまでの世話を
長男が生まれ職場復帰してから延べ5年はやっている。
なに寝言いってるんだ?
「休みやねんで」
=>私も土日に一人で子供の面倒を見ている。当然保育園の預かりもなしで。

旦那はさらに
「いつも定時で上がってるのに、誰も残業しろって言わへんやろ?」
「いつも通りに帰ってこいよ!」
「お前、一般職やろう!」

→私が当時勤めていた企業は外資系、男女の差はない。
出産後、負担の少ない部門に異動はしたが、
「与えられた仕事をやる」ものではなく、
部門や職種の役割やその時々のプロジェクトに応じて自分で判断して動いている。
ので、そこは訂正したが、旦那の私の仕事に対する軽んじ方にも傷ついた。

夫は、「定年まで働くのは俺なんやから、
どっちかがメインで家事育児せな、仕方ないんちゃう」
と事あるごとに言っていた。

当時の私にとって夏の木金の自由は、節電による棚ボタ。
後にも先にも1回しかないないので、
色々話をしたが
平行線のままだった。
旦那にも考えをまとめてメールしたが、
「輪番休業とお前の残業は関係がない」
「お互い考え方が違う、歩み寄れない」という返答だった。

ちなみに年収はほぼ同じ。
旦那は営業職で毎晩帰りは22時位だが、
接待や新規開拓は少なくデスクワーク・社内調整が多い仕事。
家事育児分担は
平日は旦那は朝の洗い物・保育園送りと、帰宅後の洗い物。
私は上記に書いた通りその他一切をやっている。
行事への出席、急な発熱も全て私が対応していた。
休日は一緒に掃除をし、買い出しは私。
習い事送迎は半分ずつ分担していた。

なぜ、旦那は
「自分が休みの日で」
「日中は保育園に預けることも出来ている」のに
定時で私が帰ってこないことを許せなかったのだろう。

なぜ、私だけが歯を食いしばって
平日の昼も夜もONスイッチでフル稼働しなければいけなくて、
なぜ旦那は「残業する自由」「帰宅すればスイッチOFFできる自由」
を当たり前だと考えていたのだろう。

ところでたまに実家に帰ると、母に「ちょっとは手伝ってよ!」
と言われるまで寛いでいる自分に気が付く。
完全にスイッチOFFになっていた。
「あ、今私子供の時に戻ってた。というか、旦那になってた」
自分の家では私がなんとかしなければ、とくるくる立ち働いている。
そして、目の前でスイッチが切れ、
ソファでDVDを観ている旦那に軽く殺意を覚える(笑)
そして、旦那を「苦労を共にしてきた同志」とは全く思えず、
言葉だけの感謝や土日の子供相手などでは
全く癒されない自分になっていった。
「同情するなら手伝えよ」と。

感謝の言葉だけなら、
奴隷制時代の農園で白人が黒人にしているようなものではないか。
つまり、「それはお前の仕事。俺はやらないけど、感謝はする」
というもの。

これは完全に
「自分はこんなに頑張っている。
だから自分は正しい。
手伝ってくれない旦那が間違っている」
という思考回路なんだが。
で、こういう思考回路のクセを外したほうが楽になる、
と思ってここ最近自分を癒していたのだが。

冒頭の記事は完全に旦那さんが歩み寄り、
二人で乗り越えて解決した事なので、本当は自分もそれを
望んでいた事に気づいたのだろう。

共働きならどこの夫婦でも起こる問題なのだが。
自分なりにそれぞれの夫婦の落ち着け所を模索していくか、
奥さんが心にフタをして離婚もしくは熟年離婚に至るか。自分ひとりで解決しようと思い過ぎても、後者になるような気がする。