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いい大人が、しかも現役の弁護士がこういう発言をするのは問題があるような気がするなあ。釣りですか?
一人の少女を不幸から救い出す手助けができるのであれば、過去の言動との整合性などどうでもよいではないか(la_causette)音羽さんの件でもそうだし、松永さんの件でもそうなのですが、匿名の陰に隠れないと言いたいことも言えない人たちは、どうも他人の過去にこだわりすぎなのではないかと思えてなりません。「誰が言ったかは重要ではない。内容が重要なのだ」というのならば、それを語った人の過去の発言やら過去の行動などというものを重視するのはおかしいと言うことになります。さらにいうならば、その人が同時並行的に別の場所で語っていることすらその発言を評価する上での要素に加えることはおかしいとすら言えます。
私たちは、人間らしく生きていこうとすれば、言動の一貫性にそれほど拘ってなどいられません。私たちは、誤りも犯すし、成長もする。抽象的な理念を犠牲にしても実現を目指さなければならない現実だってある。現実社会の中で、現実社会をよりよくしていくために具体的に活動しようと思えば、君子豹変しなければならないのです。
翻って、ネット上で他人の悪口や揚げ足取りに終始している役立たずさんたちの目から見れば、そりゃ、「ツッコミどころ満載」と見えるかも知れないし、どんな些細なものであれ過去の言動等との矛盾を突きつければ「論破」だというルールの下では「論破」が可能かも知れません。が、彼らがいくら「論破」「論破」と言ってみても言われた方に「論破された」感がないのは、彼らが重視しているほどには私たちは「言動の一貫性」を重視していない、といいますか、そんなことよりも大切なものがあることを知っているからなのではないかとも思ったりします。
>「誰が言ったかは重要ではない。内容が重要なのだ」というのならば、それを語った人の過去の発言やら過去の行動などというものを重視するのはおかしいと言うことになります。
オレは「テキスト上に示される意図に自立性は無く、テキストの意図を読み取るとき、その背景が問われる」ということを
以前に書いている通り、その発信者の他の発言や行動との一貫性が重要だと思っているのです。
テキストの主張(その内容の如何を問わず)の信頼性を同一発信者の発言の一貫性が補強するのです。そういう意味では「誰が言ったか」というよりは同一主体の発言の一貫性が「内容」のうちに含まれる、といってもよいと思います。
>私たちは、人間らしく生きていこうとすれば、言動の一貫性にそれほど拘ってなどいられません。私たちは、誤りも犯すし、成長もする。
自分の誤りに気付いて自分の主張を変更する場合、とりわけそれが批判を招いているようなものである場合、周囲に人間を納得させるだけの妥当性のある説明が必要だと思うのだけど(場合によっては謝罪なども)。
自分の都合で発言内容をころころ変えるのは決して「成長」などとは言わないですよ(苦笑)。
そういうのを一般的には「卑怯者」と言うのです。
音羽氏の言葉を借りれば「
最低の下衆野郎」というところでしょうか。
小倉弁護士はコメント欄で裁判を例に挙げているけど、同一裁判で弁護士が一貫性に欠ける発言をすれば、その発言は裁判官から証拠性無しと見られるでしょ。裁判所とはなんと非人間的な場なのでしょうか(笑)。
それから「私たち」などと
一人称複数を主語に書かれたテキストは胡散臭く見える、というのをオレはかつて書いてますが、周りが皆自分と同じだと思わない方がいいですよ。
>抽象的な理念を犠牲にしても実現を目指さなければならない現実だってある。
「発言の一貫性を求める」ことは「抽象的な理念」ではありませんよ?
上に挙げた裁判の例もそうだし、サラリーマンが商談で一貫性の無い話をすれば商談は決裂するだろうし、恋人にのらりくらりと一貫性の無いことばかり言えば相手に「不実な人」と非難されるでしょう。周囲から信頼を得るという点において非常に現実的です。
>現実社会の中で、現実社会をよりよくしていくために具体的に活動しようと思えば、
ですから、現実です(笑)。小倉さん、脳内のお花畑ばかり見てないでちょっとは現実を見ましょうよ。
もっとも、現実世界ではそうした「一貫性の無さ」が「見通しの悪さ」によって隠されている場合が多々あり、それを支えに活動してた人たちが「見通しの良すぎる」ネット上で困っている、というのは
以前書いたとおり。小倉秀夫弁護士もそのうちの一人なわけですが。
>そんなことよりも大切なものがあることを知っているからなのではないかとも思ったりします。
「ネット上の匿名の卑怯者批判」ですね。支離滅裂な小倉さんの主張の中でずっと一貫しているのはたったこれだけですから(笑)。オレにはそれほど大切なものには見えないのですが、まあ大切なものは人それぞれですからね。
あとコメント欄の小倉氏の発言なのですが、
>もう大学生なのだから、文章表現はある程度礼儀正しいものにした方がよいとは思います。>音羽さん。
上村さんのブログのコメント欄に付いた
「あなたはそんなに浅い人間だったんですね。悲しいです」は「受忍限度を超える中傷誹謗」で、音羽氏の「一銭も出すどころか、一銭も持ってねえ2ころのくせしやがって、ブーブー、銭の亡者みたく意地汚ねえこと言ってんじゃねえよ、この豚野郎!!!!!!
銭なんか!!!!どうだって言うんだ、このクズ!!!!!!!!!!
虫けらなら、お前なんて一銭の価値もありゃしねえよ!!!!!」は「ある程度礼儀正しいものにした方がよい」なんだ。ふーん。
そうか、一貫性ないんだから仕方ないんだ(棒読み)。
釣りにマジレスカコワルイ?やべ。オレ「スルーカ」ねえわ。
【追記12/2】
『他人のプライバシーを暴く仕組み』にご執心の小倉氏がその「大切なもの」の一端について、ご自身のブログでなく、
町村先生のブログのエントリで答えているようです。
なんか最近の小倉秀夫さんのコメント眺めていると「弁護士の俺にも警察や検察のようなプライバシーを暴く強制権限を寄越せ」と言っているように聞こえるけど?
投稿 理想だけは立派? | 2006/12/02 2:35:56
その方が、民事紛争の早期解決に資することになるとは思いますけど。
警察等に頼ることなく一定の情報を調査する権限が紛争の当事者またはその代理人に認められていない社会で、紛争の早期解決を図るとなると、隠したもの勝ちになってしまいます。
民事訴訟法学者としての町村先生は、「プライバシー権」を重視して「隠したもの勝ち」の社会を支持されるのでしょうか。
投稿 小倉秀夫 | 2006/12/02 8:04:33
どうやら「俺様の考える『社会正義』を実現するために、俺様に権力をよこせ」ということのようです。
そのためには『言動の一貫性』も問わない、とのことですから『目的は手段を正当化する』ということでしょうか。
法治国家では、個人が個人的規範を用いて他人に懲罰的に不利益を強制することを「私的制裁」とか「リンチ」というと思ったのですが。独裁者の発想ですね。
相変わらず町村先生に失礼なこと言ってるし。
- 2006/11/30(木) 21:59:09|
- Webの揉め事とか炎上とか
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la_causette: さくらちゃんと烏賀陽さんオリコンvs烏賀陽弘道事件につき、訴訟費用と生活費を支援する募金活動が行われているようです。 さくらちゃん事件のときにあれほど元気だった「募金を募る前にまず家を売れ」系の
- 2007/02/24(土) 22:32:06 |
- シム宇宙の内側にて