最後の転職活動は、自分の希望通りの職種に | 海外会社経営 奮闘日記 from オーストラリア

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はじめまして。永井政光(まさ)です。
気がつけば人生の半分以上海外で過ごし、現在はオーストラリア・シドニーで海外起業・進出支援、
人材コンサルティング会社NM AUSTRALIA PTY LTDを経営しています。
海外進出の第一歩を一緒に踏み出しましょう!

自分の将来を考え、ぬるま湯から出ることを決意。人間は弱い生き物なので、あまりにも長い時間ぬるま湯につかっていると、そこから這い出れる勇気がなくなってしまう。今から考えると、最後の転職を行ったのは、ぎりぎりのタイミングだったのではと思うことがある。あれ以上だらだらと給与だけを貰いに会社に行っていたのでは、その後につながらなかったはず。


それといつも思うのだが、私は本当についている。もうそろそろ我慢の限界だな。閉塞感を感じた時に、不思議と次のステージの扉が用意されていることが多い。とりあえず行った起業準備も、手助けしてくれる人が思わぬところで現れたり、自分の希望する職種に巡り合えたり出来た。人の運には限りがあるとしたら、今後先細りしてしまうのではと少し怖くなる時もある。


オーストラリアでの職歴を積み、英語力も格段に向上したが、そう簡単には仕事は見つからない。英語力が格段に向上したと言っても、ネイティブスピーカーに比べれば、話にならない。履歴書を送れども、返事が来るのはまれで、たいていは梨のつぶて。運良く面接まで進んでも、それっきり。まあ落とされるのはすでに経験済だし。アウェーで鍛えられたので、それくらいでめげるほどヤワじゃない。オーストラリアに来て、数年がたったがこの時の私はかなりタフになっていた。


そんな中たまたま求人サイトで見つけた企業に直接履歴書を送付した所、送ってすぐに返事が来た。今までこんなに早く担当者から連絡が入ったことはなく、また担当者との短いやり取りではあったが、話が弾み、好感触。初めてと言って良いほどの、手ごたえを感じていた。


面接当日いつもの様に会社に出社。何食わぬ顔をしてこれまたいつもの様に仕事に入る。仕事はどうせ午前中で終わってしまうくらいの量しかない。仕事を出来るだけ早急に終わらせ、午後からは面接のシュミレーション。PCに向かってカタカタタイプを打っているので、はたから見れば仕事をしている様に見えないこともない。もっとも露骨に隠す必要はなかったかもしれない。ほとんどのスタッフが、雑談をしていたり、仕事と全く関係のないサイトとかを見て、退社時間まで時間をつぶしていた。


退社時間になると、それまでの怠惰が嘘の様に機敏な動き。エレベーターの前には我先に帰宅するスタッフの列が出来る。私は鮨詰め状態のエレベターが嫌いなので、毎日階段を使っていた。その会社は5階にあった。エレベターですーと下まで降りられれば確かに早いが、文明の利器にも欠点はある。エレベターは2台しかないので、乗れなければ、待たなくてはいけない。しかもここはオーストラリア。口は3人前、でも仕事ぶりはどうしようもない彼らは、我先に家路に急ぐのは、この会社のスタッフだけとは限らない。16階建の建物ですべての階に止まるまる各駅電車。一度行ったら10分は戻ってこない。そんな暇があれば、階段で降りた方がよっぽど早い。でも階段を利用している人間は、ほとんどいなかった。そんなに会談で降りるのがしんどいかね~と思ってしまう。


面接の時間まではまだ30分ある。ノートに注意事項を書いていたので、それを再度チェック。基本的な事から、質問されるだろうの内容までを細かく書いてある。準備は万全。後は面接だからと言って、いつも以上の自分を見せようと、かっこつけないで普通にやれば大丈夫。あまり長めにやっても逆効果なので、20分くらい歩きながらぶつぶつつぶやき、10分前に到着した。


電話で担当者を呼び立て、応接間で待つ事15分。少し待たされて、若干眠たくなってきたタイミングに、応接間のドアがノックされる音がした。その音で、一気に眠気が吹き飛んだ。面接官は、電話でやり取りをした担当者ではなく、いきなり代表の方がやってきた。普通は2、3次面接くらいからお偉いさんは顔を出すのだが、この会社は大手企業ではないので、直接代表が面接を行う様だ。


挨拶を交わし、名刺を頂く。型通りの儀式が終わり面接スタート。面接は今までゲップが出るくらい受けてきたし、今回も十分すぎるくらいシュミレーションをした。大方予想通りの質問で、特に返答に窮する内容ではなかった。でもここが大事な所。分かり切った質問でも、すらすらセリフを読み上げるように応えてしまってはダメ。少々考えながら、でもたどたどしくてもダメ。この頃合いは説明するのは難しが、経験を積めば誰にでも出来る。


また面接での注意事項だが、話し過ぎてもダメ。かといって聞き手に回り、話さなくても、不採用の理由になる。営業職なのか、それともバックオフィスなのかによって、面接の仕方、話し方も変わるが、大事なのは相手の話をよく聞き、内容をきちんと理解した上で回答する。簡単そうで中々難しい。面接官との会話のキャッチボールが、採用の合否を分ける。また聞き取りずらかったり、質問の意図が分からない場合には、想像で適当に答えるよりも、きちんと聞き直した方が無難。


当初は1時間くらいの面接と言われていたが、思いの他話が弾み、予定時間を30分もオーバーしていた。この時私は仕事のオファーを貰えると、確信に近い感情を持っていた。さあそろそろ面接も終了だと思った時に、最後の関門が待ち構えていた。それまでは予想の範疇の質問内容だったが、最後の質問は異なった。その内容は、採用後あなたは会社に何が出来るのか?


英語での面接だったので、日本語とは異なり、あまり耳にしていないダイレクトな言葉。例えば、日本人風に、あなたは会社に入社したら、どのような貢献が出来るのか。もう少し控え目な言い方であれば、私も一瞬止まったりはしなかったと思う。それともオファーを貰えると早とちりをし、油断した心を見抜かれてしまっていたのかもしれない。一瞬あまたが真っ白になったが、呼吸を整えそうですね~と言葉を濁した。


言葉を濁した時間は、えらい時間があった気がするが、実際はほんの数秒だったかもしれない。話が飛ぶが、昔日本人初のF1ドライバー中島悟氏が雑誌の対談で、車の事故に遭遇した際には、ほんの数秒の間に、瞬時にどれだけ回避行動を考えるかが生死の分かれ目で、普通の人は一秒間にせいぜい5,6個の回避方法しか浮かばないが、そこは世界中に20数人しかなれないプロ中のプロ。さらりと一秒あれば数十個の回避方法が瞬時に浮かぶと答えた。


もちろんそこまでの能力はないが、あの時の私はの脳はフル回転で回答を考え、一つの答えを導き出した。その答えは、私が入社することによって、会社に利をもたらします。これも日本語であれば言いにくい言葉だが、英語だとすんなり言えた。この言葉に代表は頷き、満足された顔をされた。合否の連絡は後日伝えると言われたが、私の中ではオファーが来ることを確信した。


翌日丁度昼休み時に、電話連絡があり正式に採用したいオファーを受けた。興味があった仕事だったので、舞い上がるくらいうれしかったが、まだ給与等の条件面を話し合っていない。ジュニアクラスの安い給与ではもう働きたくない。きちんと要求を出して、オファーレターが手元に届いてから正式な回答をしようと考えていた。前は急げじゃないけど、就労時間が終わった後、早速オフィスに向かい条件面を話し合った。結果基本給は希望金額には届かなかったが、その分インセンティブの枠を広げ、マネジャーのタイトルも決定。これで条件面の交渉はすべて終了。


こうして人生最後の就職活動は終了した。今は会社がうまい具合に利益を上げている。でもいつどうなるかはわからない。もしかしたら、将来また就職活動をしなくてはいけない目にあうかもしれないが、兎も角私の中での最後の就職活動はこうして、幕を閉じた。






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