高市首相の戦術的ディエスカレーション
高市早苗首相による地政学的転換
現下の日本を取り巻く状況変化を、多くの識者が見失っているかのような事態にある。そこで目下、日中関係を沸騰させている一連の事態から振り返りたい。
2025年11月7日、高市早苗首相は衆議院予算委員会で、立憲民主党の岡田克也議員の執拗な質問に対し、中国による台湾への武力攻撃、特に軍艦を用いた海上封鎖が伴う場合、「戦艦を使って武力の行使も伴うものであれば、どう考えても存立危機事態になり得るケースだと考える」と答弁した。これは歴代政権が厳格に守ってきた「戦略的曖昧さ」を、日本政府の従来方針の転換ではないにせよ、首相自身の言葉で明確に踏み越える歴史的な瞬間だったとも言える。
安全保障関連法に基づく「存立危機事態」とは、日本に直接攻撃がなくても、密接な関係国(実質的に米国)への武力攻撃が日本の存立を脅かす場合に認定され、集団的自衛権の行使を可能にするものである。高市首相は手元の資料をほとんど見ず、自分の信念に基づいて答えたとされ、一部では「手の内を明かした」との安直に危機感を煽る理解が広がった。
この発言は結果的に東アジアの緊張を変化させた。中国外務省は「内政干渉」「一つの中国原則への重大な挑戦」と猛非難し、駐日大使が日本側に公式抗議した。11月10日以降、中国は対日渡航自粛を呼びかけ、文化観光省も注意喚起を発出し、訪日予約が急減して観光・航空業界に深刻な打撃を与えた。さらに尖閣諸島周辺での海警艦艇侵入頻度が増し、台湾海峡での実弾演習が強化さるかにも見える。中国側は発言を「80年ぶりの武力威嚇」と位置づけ、歴史的トラウマを強調。「存立危機」という言葉は、過去の日中戦争で日本が用いた「生存脅威」の論理と重なり、軍国主義復活の兆候というナラティブを展開した。
歴史的文脈と中国の深刻な警戒心
中国のナラティブとしては、1930年代の日本は「生存の脅威」を口実に満州事変や日中戦争を正当化し、数千万人の犠牲を生んだ。真珠湾攻撃も同様のレトリックで説明された過去とされる。「存立危機事態」を台湾有事に適用する言説は、北京に日本の軍事的拡張主義の亡霊を呼び起こすものとも理解されうるというのだ。さらに、日本国の平和憲法第9条は、こうした軍国主義を封じるためにGHQ主導で制定されたものであり、高市政権の「日本正常化」路線――自衛隊の完全軍隊化、反撃能力保有、核抑止議論の復活――は、アジア近隣国に深刻な不信を惹起する懸念がないわけではない、とも。これは日本の戦後左派にも共通するナラティブである。実際のところは、日本の自衛隊は専守防衛に特化された組織できあり、しかも米軍との一体行動下でしか、日本域内を超える機能はしえなず、このナラティブは現実とは乖離している。
現下に戻る。中国の今回の反応は外交・経済・軍事の三層にわたった。渡航自粛は中国人観光客の消費力を武器化した経済圧力であり、株式市場やレアアース輸出規制の可能性も囁かれた。政府系メディアは高市首相を「軍国主義の体現者」と糾弾し、習近平政権の国内統制強化にも利用された。他方、台湾内部では反応が分裂した。民進党政権は日本の明確なコミットを歓迎し、独立志向を後押しされたと感じたが、国民党寄りの勢力は対中関係の悪化を懸念した。
しかし、ここでの重要な鍵を握るは、米国である。在日米国大使は高市政権を援護したが、米国政府は沈黙した。この沈黙は、中国から「暗黙の奨励」とも解釈され、バイデン期からの継続として、再選トランプ政権も日米が日本を対中最前線に押し出す戦略を持つと見なされる面もあった。
三正面危機の現実と日本政府の対応
多くの識者がイデオロギーとナラティブに曇らされているが、この11月危機ともいえる状況の本質は、表面的な日中間の問題ではなく、多正面で連動したことにある。マスメディアの短絡的な焦点化に識者さえも振り回されている状況では理解しづらいだろうが、現実の高市内閣は、戦術的ディエスカレーションを推進していた。
東からは中国の軍事・外交・経済圧力、南からは韓国が竹島周辺での軍用機活動を理由に日韓共同訓練を破綻させ、西からは米国が岩国基地のタイフーン中距離ミサイル配備を巡り負担増を要求していた。なかでも、山口・広島両県では「台湾有事の最前線化」への反発が強く、日本はこの「三つの火元」を同時に抱え、いずれかを優先すれば他が崩壊するジレンマに陥っていた。国内では野党が高市首相の発言撤回を要求し、かつての連立与党内の公明党も慎重論を漏らした。
だが、高市政権の対応は極めて巧妙であった。ほぼ同時並行の三段ディエスカレーションを実行した。第一に、日韓共同海上訓練の中止である。表向きは韓国側の竹島飛行が原因だが、実態は多正面衝突回避のための戦術的選択だった。第二に、岩国基地からのタイフーンシステム一時撤去である。中国東部沿岸を射程に収めるこのミサイルは北京の最大の刺激対象である。この撤去は、中国側を安心させる。このプロセスは米側との事前調整がなされ、長期配備計画自体は変更なしと防衛省が明言している点でも着実であった。第三に、11月18日の外務省アジア大洋州局長の北京訪問で、「台湾政策に変更はない」「レッドラインを認識している」と説明し、最低限の礼儀を国際的に示したことである。これにより、中国のエスカレーションは国際政治のナラティブにおいては抑え込んだ。
重要なのは、これらが高市首相の受動的な「戦略的撤退」ではなく、彼女が主導した「戦術的後退」である点である。高市首相は10日の国会で「今後特定のケースを明言することは慎む」とトーンダウンしつつ、他方、発言本体は「政府従来見解に沿ったもの」として撤回を拒否した(実際のところ政府見解を超えるものがなく撤回事態が不可能である)。防衛費GDP比2%達成、反撃能力(長射程ミサイル)の法制化、日米豪印クアッド深化、日米韓情報共有制度化という長期抑止力強化路線には一点の曇りもない。高市首相は、短期的な火消しと長期的な火力増強を時間差で並行させる二段構え戦略を完璧に演じていたのである。
国内政治と歴史認識のジレンマ
高市首相によるこの戦術的ディエスカレーションは今後も国内的に維持されるだろうか。当然、彼女の支持の基盤による。現状、その基盤は、18~34歳の若年層に強く、この世代は戦時中の加害責任より、日常的な対外問題での被害者意識が強調される。つまり、戦後神話の風化ともいえるが、結果的な「選択的記憶」を共有している。背景には、戦後日本ナラティブの矛盾がある。ドイツと比較するなら、ドイツも国家消滅という矛盾の糊塗にナチス責任を徹底的に受け入れたかに見せて、欧州和解を築いた。日本は、莫大なアジア支援と平和日本ナラティブのもと、実際には米国の冷戦戦略でアジア最前線基地として位置づけられた。これらのナラティブの齟齬が、日本では、靖国参拝問題や教科書記述で近隣国との摩擦を生む背景にあつと一方、参政党といったポピュリズム政党を躍進させている要因でもある。
こうした矛盾したナラティブのなか、高市政権は連立政権の脆弱性を抱えつつ、保守層の支持で強硬姿勢を維持する。支持基盤への配慮として、保守的に見える発言の背景には、こうした新しい支持基盤を見据え、選挙公約の「日本正常化」、つまり専守防衛からの脱却、核武装議論のタブー解除の意図は隠さない。
地政学的リスクと「ヤルタ2.0」
ナラティブと現実には越えがたい壁がある。現下の日本を巡る「危機」の現実から見るもう一つのナラティブは、米中間の「ヤルタ2.0」と呼ぶべき新冷戦の構図である。背景にある国際政治の大きな軸は、米国主導の「地政学的勢力」(Geopolitics)と中国の「地経学的勢力」(Geoeconomics)である。これが世界を二分し、東アジアが最前線の引火点ともなる。
だが、日本は高市首相主導のもと、抑止と対話の精密管理を遂行し、強硬一辺倒では三正面崩壊、完全弱腰では抑止力喪失の二元論を超える「第三の道」を選んだる。国内論壇の「屈服」批判は短絡的であり、彼女のこの手際は火事場で三方向の炎を抑えつつ消防車を増強するといった離れ業であった。
今後のさらなる成功の鍵は、実は内政的な経済問題と権力問題を抱え込んだ中国の動向にある。北京が外圧がなにかと効果的だと読めば2026年は尖閣常時プレゼンスや経済威圧の常態化を招く。かつてのオーストラリアのように、「忍耐強い相手」と見せば、G20やAPECでの対話が再開し、危機管理ホットライン設置につながるだろう。
長期的には、日中歴史共同研究の再開や多国間枠組みでの台湾海峡安定メカニズム構築が不可欠である。高市政権は、今回、静かに、どこにも完全に勝たず、しかし屈せず生き残るという絶妙のバランスを取ったが、この地域を巡る地政学は今後の単純ではない。
今後はどうなるか。特に習近平政権の存続が問われる2027年以降の中国行動が、東アジアの状況を決めるだろう。この11月危機は、日本が戦略的曖昧さの限界を超え、新たな抑止パラダイムを模索する、見えづらいが、大きな転機となった。
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