はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

心がヒリヒリする

架空の居酒屋

ここはネットの片隅にある、ウス汚い架空の居酒屋。ぼくはあなたと二人テーブル席にさしむかい、壁を走るゴキブリを目で追いながら、さっきから酒を飲んでいて、時間は夜中というよりは朝方に近く、もう4時を回っています。すでにあなたもぼくも、生ビールをかなりの量飲んでいて、そしてあなたもぼくも、ウェブで日記などを書いている、しょっぱい人間同士である……と仮定して下さい。話はそこからはじまります。(←無理矢理)

メタ

とにかくぼくは、心がヒリヒリするような、そんな文章が読みたいんだ。とくに、自分より若い人たちが、しきりにメタメタ言っているそのメタって言葉に腹がたって仕方がない。お前らメタってなんなんだよ?て思う。メタって言葉の意味知ってんの?きみらのメタなんて所詮斜にかまえてるだけじゃないか。とにかくそんな気持ちの悪い(同時に頭の悪い)視線は全部とっぱらって、本当に書きたいことを、どんなに痛々しい言葉でもいいから、不器用に、爪で地面をこするみたいにガリガリ、ガシガシと、書きつけるんだよ。ぼくはきみのそんな言葉が読みたい。

ギター

むかし真島昌利のナントカって歌で、ギターを持って歌を作った時に、その自分のギターで世界が変わるんじゃないか、て思った、みたいなのがあったじゃない。そんなものは壮大な勘違いなわけだけど。でもそれでいいんだよ。勘違いしてりゃいいの。ブログはきみらにとってのギターなの。しみったれたこと書いてるヒマがあるんだったら俺のブログは世界を変えるとか、もっと景気の良いこと書いてみろ。佐野元春の歌で「世界が終わるその時まで気取り続けるのも素敵だぜ」てフレーズがあるんだよ。きみらも気取れ。格好つけなさい。その方が素敵なの。わかった?

アラーキー

アラーキーて人は、その写真はともかくとして、言ってる事はもう名言のオンパレードなんです。そのアラーキーが何かのインタビューで「写真は腰で撮るんだよ。下半身」て言ってた。ま、あの人は何か聞かれるたびに言う事が変わる人だから、その時々の思いつきでしゃべってるだけなんだけど、なんつのか彼の言う「写真は腰で撮る」っていう感覚、ぼくはすごい好きだなあ。だからね、何が言いたいかっていうと、きみらもブログを腰で書け。頭で書かなくていいからチンコをおったてて腰で書けばいいんだよ。もっと言うなら、ブログを自分の血で書け。血だよ血。頭じゃない。血で書くの。きみらのブログはきみらの血の轍なの。ボブ・ディランの「血の轍」すごくかっこいいから今すぐツタヤでかりてきて!

ネット

ネットっていうのは、基本的に、若い人たちの痛々しさみたいなのを抑圧しちゃう。ていうか、みんなのザラザラ、ドロドロしたものを小奇麗にしちゃうような、そんな方向性を持った装置つうか仕組みになってるんだと思う。まあそれはそれで別にいいんだけど。でもどうしても若い人たちが何か自分の考えを発表したりすると、それはクラスの中の数少ない友人だけに向けられた言葉なら平和でいいんだけど、ネットの場合だと、もう、色んな年代の人に見られてしまうからね。でもね、そんなの関係ねーですよ。中二病とか、セカイ系とか、メンヘラーとか、もう何言われたっていいじゃない。何書かれても屁だと思えばいい。誰かから屁をかまされたらもっとでっかくてクッサイ屁をかましてやれ。中二病がなんだ!セカイ系万歳!また手首切っちゃった!とかどんどん書きつけてやれ。手首切って生きていくのもひとつの覚悟なんだから手首切りたきゃいくらでも切っていいの。でもぼくの知り合いそれで一人死んじゃったから、切る時は気をつけてね。死んじゃだめだよ。死なない程度に手首切って流れた血をパソコンのモニターにたたきつけるの。ブログを書くってそういうことだ。

ぼくときみ

ぼくもきみも、ネットで日記なんて書いてる時点で、じゅうぶんしょっぱい人間なんだよ。ぼくに会いたくなったらいつでもここに来ればいい。平民金子はネット弁慶で、きみはぼくの恋人だ。なあ、さっきから俺の言ってる事は支離滅裂だろ?酔っ払ってるからね。朝からアクセル全開、昼もアクセル全開、夜もアクセル全開なんだよ。で、パソコンの電源落としてから、部屋で一人、フッてため息ついてんの。ぼくは痛ったいオッサンで、きみに言葉を届けたい。



届いた?