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雑文置き場

たばようと月ノ美兎/記号化された身体の性と死について

『あゎ菜ちゃんは今日もしあわせ』完結記念!

マンガ家・たばようの軌跡を振り返ります。

そして、『あゎ菜ちゃん』最終巻の帯が月ノ美兎だったことの意味についても考えたいと思います。

※注意:たばよう作品をネタバレしまくります。ご了承の上、お読みください。

 

 

少年チャンピオン期待の新人・たばよう

―「TOILETPAPER MAN」「くろすぶりーど」

 

「週刊少年チャンピオン」は、鵺のごとく掴みどころのないマンガ雑誌です。

その時代によって、「週刊少年チャンピオン」らしさは大きく変化してきました。

1970年代には「週刊少年ジャンプ」以上の人気雑誌として黄金期を築き、1980年代には退潮しつつも不良マンガなどの男らしさを全面に押し出し、1990年代には『グラップラー刃牙』と『浦安鉄筋家族』という超長期連載の人気作を生み出しながら、2000年に入ると萌えマンガやアニメコミカライズに注力するようになりました。

そして、2005年10月からは沢考史が編集長となり、大幅な誌面改革を実行していくことになります。*1

沢考史は、壁村耐三*2のもとで鍛えられた最後の世代の編集者です。

その体制おいて、少年チャンピオンは面白ければ何でもありの精神で新人マンガ家の発掘に大きな成果をあげることになります。

安部真弘・梅田阿比・増田英二・阿部共実・板垣巴留などがその代表となるでしょう。

そして、それら新人の中でも特に異彩を放っていたのがたばようだったのです。

 

「別冊少年チャンピオン」2013年2月号より

 

たばようは「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」を受賞して商業デビューを果たします。*3

板垣恵介、小沢としお、佐藤タカヒロ、鈴木大、高橋ヒロシ、浜岡賢次、渡辺航といった錚々たる面々の激賞を受けての受賞でした。*4

受賞後すぐに少年チャンピオン本誌での短期集中連載を開始させ、たばように続け!と「べっちゃんマンガ賞」が新創設されたことからも、編集部のたばように対する並々ならぬ期待の大きさがうかがい知れます。

たばようのデビュー作である「TOILETPAPER MAN」はこんな話です。

文明が滅び、最後の人類となってしまった少年。彼は人恋しさのあまり「有機物擬人化薬」を発明してします。さっそくペットのゴキブリに薬を使ったのですが、擬人化したゴキブリに彼は襲われてしまいます。地球上すべての有機物は、地球を荒廃させた人類に対して敵意を持っていたのです。しかし、偶然、薬を摂取したトイレットペーパーだけが少年をかばいます。なぜなら、人の尻ぬぐいはトイレットペーパーの役目なのですから……。

奇想天外なストーリー、マンガの技術的には新人らしく粗削りなところがありましたが、読めばすぐ「これはたばよう作品だ」とわかる強烈な個性がすでにそなわっていました。

尖った個性と新しい感性を持つ新人マンガ家の登場に、私を含め一部のマンガ読みたちは当時熱狂していました。そして、短期連載「くろすぶりーど」の登場をもってして、その期待はさらに膨れ上がることになります。

 

競馬をやっている人がよく使う言葉に、”モノがちがう”というものがあります。

例えば、デビュー戦となった2歳新馬で勝利をあげた期待馬が、2戦目の重賞においてハイパフォーマンスで楽々勝利した場合などに、「この馬は”モノがちがう”。将来のダービー馬かもしれないぞ」という会話が競馬好きの間で交わされるわけです。

たばようの連載デビュー作である「くろすぶりーど」を読んだ時に、私は同じような感想を持ちました。これは”モノがちがう”と。

つまり、単純に”ストーリーが面白い”とか”絵がうまい”といった言葉では表現できない魅力を発揮していたのです。

あえて言葉にするならば、たばよう独自の世界観に惚れ込んでしまったのでしょう。

「くろすぶりーど」は、週刊少年チャンピオン2013年8~11号に4週連続で掲載されました。

それは、科学技術の暴走により、人間と動物の境界があいまいになった世界、獣人が当たり前に生活している社会を描いた作品でした。*5

独特な世界観に、魅力的なヒロインたち……それは圧倒的な個性を放っていました。

 

 

「くろすぶりーど」第3話「熊の巻」より

各話の紹介はここではしませんが、とにかく「くろすぶりーど」の登場が一部のマンガ読みたちにとって衝撃だったことは事実です。例えば、今はオモコロで活躍しているARuFaもツイッターで「くろすぶりーど」を絶賛していました。

たばようこそが今後の少年チャンピオンを担っていく大人物なのだと、この時は多くの人が期待していたのです。

 

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プロデビュー大学生・たばよう

―『宇宙怪人みずきちゃん』

 

 

たばようがそれほどに期待を集めたのには、単純に作品が面白いということ以外にも要因があると思います。

それは、彼が若干19歳の若さでデビューしたことです。

滋賀県の成安造形大学へ通いながら、1年生の夏休みに秋田書店へ持ち込みをして担当が付きます。その後、とんとん拍子に新人賞を受賞し、少年チャンピオン本誌で短期連載でも好評を得ることになります。

新人マンガ家として、これ以上を望むべくもないキャリアのスタートと言っていいでしょう。

そして、その頃はちょうど出版社がこぞってWEBコミックサイトを立ち上げはじめた黎明期でした。秋田書店もWebコミックサイト「Champion タップ!」をオープンすることになります。

そこではじまったのが、たばようにとってはじめての長期連載作品である『宇宙怪人みずきちゃん』だったのです。

それは、こんな物語です。

少年・水乃まるは、同じアパートに住んでいるみずきちゃんに懐いていました。まるくんはみずきちゃんの正体が宇宙人であり、この町をこわそうとしていることを知ってしまいます。その日から、まるくんは宇宙人たちと防衛隊との戦いに巻き込まれていくことになるのですが……。

 

みずきちゃんたちが暮らす町

成安造形大学キャンパスの近くから眺めた景色

(これは戯言ですが、『みずきちゃん』で描かれていた箱庭的な世界は、滋賀県での大学生活の実感が生かされていたのかもしれません。成安造形大学は山手にあり、ちょうどそこから眺める景色は、ミニチュアのような街並みと偽物の海のような琵琶湖でした。)

 

この作品には、たばようらしさのエッセンスが詰まっていました。

コミカルなギャグ作品でありながら、どこかしら漂う厭世観の心地よさ、

怪獣やフリークス、変態、引きこもり、世の中のあぶれモノたちの愛らしさ、

手塚治虫、吾妻ひでおに連なる記号的身体、そのフェティッシュなエロさ、

(たばようが描くキャラクターの記号性については後に触れることになります。)

そのすべてが高濃度に凝縮された奇書が『宇宙怪人みずきちゃん』だったです。

大学生活とマンガ連載を両立させることは並大抵のことではなかったはずで、たばようがその時に持てるすべてを注ぎ込んだ作品であることが伺えます。

しかし、この作品にすべてを注ぎ込んだということは、裏返しに、マンガ家としてやれることをやり切ってしまった作品という側面もあるかもしれません。

「くろすぶりーど」では、社会に対して何らかの馴染めなさを感じている人間を動物とまじりあった人間として象徴的に描いていました。

みずきちゃんも、まさにその延長線上にあるキャラと言っていいでしょう。

「こんな世界、こわれてしまえ」思春期の少年少女が抱きがちな世界への無邪気な敵意、宇宙怪人であるみずきちゃんはそうした感情を象徴的に背負っていました。

そして最終的には、巨大化させた怪獣の背に乗って、みずきちゃんが世界をこわすところで物語は終わります。

怪獣が勝利した世界を、たばようは初長期連載作にして描いてしまったのです。

世界への報復を果たし、怪獣が勝利してしまった先に、たばようは描くべきことを見失ったしまったのかもしれません。

そして、たばようは『みずきちゃん』の連載終了後に大学を卒業することになります。*6

 

 

 

たばようと肉の生々しさ

―「ブタさん大好きぬのねちゃん」「ひとにあうひとびと」

 

2015年に「みずきちゃん」の連載を終了したあと、すぐに新たな連載がはじまるだろうと、当時のたばようファンは期待していましたが、彼はそれからしばらく表舞台に姿を見せませんでした。

時は流れ、2018年、たばようは突然、株式会社ジーオーティーが運営するWebコミックサイト「COMIC MeDu」で矢継ぎ早に作品を発表するようになります。

3年の空白期間に何があったのかはわかりません。

しかし、ただ眠っていたわけではないことは明らかでした。たばようが自身の殻を打ち破ろうとするように、「COMIC MeDu」に掲載された作品群には新たな試みが見られました。

その試みを端的に言えば、たばようは手塚治虫的な記号絵に忠実でありながら、記号に肉体性を、生々しさを持たせようとしました。*7

たばようの特殊性はいろいろとありますが、デフォルメの強いキャラクターたちは目を引きます。彼が描く主人公はたいていの場合、二頭身の子供の姿をしています。その姿は一見すると落書きのようなシンプルさを持っています。

それは、ただの手癖ということにとどまらず、彼の個性と不可分です。

たばようは自身の絵の記号性に自覚的な作家でした。

例えば、『宇宙怪人みずきちゃん』の後半では、”判で押したように”主人公と全く同じ姿をしたキャラクターが大量に登場します。これは、まさにキャラクターが複製可能な記号であることを逆手に取った表現と言えるでしょう。

 

『宇宙怪人みずきちゃん』より

「COMIC MeDu」に掲載された作品群からは、自身の記号的なキャラクターたちをどう生かすべきかという試行錯誤が見えるのです。

 

読み切り「ブタさん大好きぬのねちゃん」は、たばよう初の百合作品です。*8

それは、豚の肉や内臓をいつも持ち歩いているぬのねちゃんと、その友人であるののなちゃんとの、ピュアな愛の物語でした。

たばようは、これまでも作品の中で性愛を扱ってきました。

しかし、それは往々にして肉体的な接触を伴うものではありませんでした。

彼の描くキャラクターは、少年か少女かもわからないようなシンプルな記号的肉体しか持たず、肉体から性を感じることができないからです。ゆえに、これまでの作品ではキャラクターどうしの直接的な肉体接触はほとんど描かれなかったわけです。*9

そこで、キャラクターの記号的な身体を保持したまま、記号にはない肉体の生々しさを表現しようとしたのが「ブタさん大好きぬのねちゃん」だったのです。

 

「ブタさん大好きぬのねちゃん」より

ぬねのちゃんの肉体は、非常にシンプルな線描によって描かれています。写実的ではない記号の組み合わせとしての身体です。

しかし、死んだ豚の肉だけは写実的でリアルに描かれています。

これの表現が意味することはなんでしょうか。

人間の肉体の生々しさを直視するのではなく、豚の肉や内臓の生々しさを介することによって、キャラクターの記号的な身体を保持しながら、肉体の交感を表現しているのです。

ぬねのちゃんが、ののなちゃんのパンツに豚の内臓をつっこむのは、ただのとち狂った行動ではありません。

むしろ、リアルでない記号の彼女たちによる理にかなった性愛行動なのです。

 

連作短編「ひとにあうひとびと」では、その記号的な身体からさらに遠く離れようとするアプローチが見られます。

単純にキャラクターの頭身が上がって、写実的な表現に近づいているということもそうですが、チャットで知り合った相手と実際にリアルであってみる話を集めた連載というコンセプト自体が、たばよう作品の中で最も身近なテーマを扱っています。

1話は、まさに身体の記号性についての話です。

チャットで知り合った女性と会うための待ち合わせ場所に、男は生身ではなく、自分が普段使っているプロフィール画像を模したハリボテを身に着けて現れます。

まさに、記号的な身体を捨てられずに現実へと記号を持ち込もうとする人間が面白おかしく描かれていました。

 

「ひとにあうひとびと」1話より

comic-medu.com

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たばようと死のない身体

―『おなかがへったらきみをたべよう』「しいく委員のおしごと」

 

たばようは自身の絵の記号性に自覚的だと言いましたが、それは同時に記号絵に対する違和についても敏感だということを意味しました。

記号の組み合わせに過ぎないキャラクターは、成長するための、傷つくための、あるいは死ぬための身体を持ちえない、ということを彼は知り尽くしていたのです。

だからこそ、死んでも死ねないキャラクターをギャグとして表現もしました。

 

「やさしいおねえちゃん」より

あるいは、前章でみたように、一部写実的な表現を取り込もうとするアプローチもありました。

しかし、結局のところ、たばようは記号的表現を突き詰めることで、写実を基調としない新たなリアリズムを獲得しようとしていきます。

 

2022年、秋田書店での復帰作となる『おなかがへったらきみをたべよう』では、まさに記号的身体が死にゆく様が描かれました。*10

写実性を取り込もうとする試みは鳴りを潜め、むしろキャラクターは記号性はより強まっています。子マンモスは、マンモスなのかどうかもよくわからないほど、シンプルで記号的な姿をしています。

 

極限まで記号化された少年と子マンモス


10万年前の原始時代、親を失った少年は、同じく親とはぐれた子マンモスと荒野を行く物語です。

当然ながら、その旅路は過酷で危険なものであり、常に”死の予感”が付いて回ります。
これは、記号的な(死なない)身体を持つはずのキャラクターが決められた死に向かっていく物語なのです。子供が子マンモスと辿る道行は、読者が”記号の死”を受け入れるために必要な時間です。

 

おぼれて死にかけている少年と子マンモス

また同時期に発表された「しいく委員のおしごと」もキャラクターの死を扱った作品でした。

たばよう作品の中で最も肉体感覚的な死を描いたものでしょう。

学校の飼育委員であるぼくと麻井さんがムグリちゃんという化物をこっそり飼育することになるのですが、手違いからムグリちゃんを殺してしまうという話です。

ここでは、ムグリちゃんが内側から腐るようにして死んでいく様が肉体的感覚を伴って描かれています。

 

「しいく委員のおしごと」より

ここでムグリちゃんの死よりも重要なことは、主人公のぼくは記号的な絵であるのに対して、麻井さんは頭身も高く肉体のラインも服装のディテールもリアルに描かれているという対比です。

この対比は明らかに意図的です。

飼育委員の麻井さんは、傷がついたら血も流れるし、生き物が死んだら悲しむことができるリアルな存在として描かれています。

それに対して、主人公は傷つかないし心も動かない、死をリアルなものとして感じられないことが繰り返し描かれます。

つまり、記号は成長しないし傷つかないということに対する逆転の皮肉です。

成長しないし傷つかない未熟な主人公を記号絵とすることで表現しているのです。

 

 

manga.nicovideo.jp

 

 

「性」を与えられた記号たち

―『せせせせ! 〜目指せ初H! 童貞女子のときめき大作戦』

 

たばようが死を描いた後に扱ったのは、記号的身体に宿った性の問題でした。

『せせせせ! 〜目指せ初H! 童貞女子のときめき大作戦』は、たばようのデビュー誌である「別冊少年チャンピオン」への凱旋を果たした作品です。

主人公・綾乃ながらは5年生の大学生(25歳)、自堕落で人生に絶望しているような男です。そんな男が、ある日目を覚ますと、女子中学生になっていたのです。女子中学生として新たな人生をおくることになった主人公は、長年の夢であったセックスをするために奔走します。

たばようは、性を描くために、今までのように少年の主人公を捨て、女子中学生の着ぐるみを着ることにしたのです。

実際、TS【性転換】することによって(豚の肉や女の子の吐しゃ物を介することなく)肉体同士の触れ合いを描くことができました。しかも、ちゃんと最悪なかたちで。

 

「せせせせ! 〜目指せ初H! 童貞女子のときめき大作戦」2巻より

しかしながら、本作は性を描きながら、逆に性を描くことの不可能性を感じさせます。

綾乃ながらは、女子中学生としての生活を謳歌しつつも、謎の男の影におびえることになります。

その謎の男の正体は、TSする前の自分の姿でした。その姿は記号化された姿ではなく、写実的でリアルな姿によって描かれています。

記号的な身体を捨て去り、女子中学生の肉体に逃げ込むことで、かえってリアルの自分と向き合わざるを得なくなるのは皮肉という他ないですが、この物語は、男性の自分と和解することで終わり、一応のハッピーエンドを迎えることとなります。

マンガの中の記号的身体とリアルな自身の身体、その葛藤こそがたばようの原動力なのです。

 

「せせせせ! 〜目指せ初H! 童貞女子のときめき大作戦」3巻より

 

 

たばようと月ノ美兎

―『あゎ菜ちゃんは今日もしあわせ』

 

2024年、たばようは「となりのヤングジャンプ」にて『あゎ菜ちゃんは今日もしあわせ』の連載を開始することになります。*11

今現在、おそらく『あゎ菜ちゃん』がたばよう先生にとって最も広く読まれた作品になるでしょう。*12

「あゎ菜ちゃんは今日もしあわせ」1巻より

本作は、なんの取り柄もないコンビニバイト店員あゎ菜ちゃんが、しあわせを自家発電する日々を描いた作品です。

あゎ菜ちゃんが仕事や人間関係の失敗からストレス発散のために暴食や破天荒な行動に至るというのが基本的なパターンになります。

この形式は、同時期に連載をはじめた『ドカ食いダイスキ! もちづきさん』ともしばしば比較する声がありました。

しかし、この2作品が目指すベクトルは明確に違います。

『もちづきさん』は、主人公の破天荒な行動(暴食)をギャグ、あるいは恐怖を喚起する表現として利用しています。(作者は伊藤潤二を参考にしているそうです。*13)

『あゎ菜ちゃん』にもギャグマンガの要素はありますが、何かちっこい生物がストレス発散のために暴れまわっている姿を読者には”かわいい”ものとして消費させています。

例えば、これは「ちいかわ」などに近いところがあり、あるいは、一部のエッセイコミックにも近いところがあります。(永田カビ作品とか)

ただし、そういった作品と『あゎ菜ちゃん』には決定的に違うところがあります。

あゎ菜ちゃんには将来があるということです。作品内では、あゎ菜ちゃんがこのまま年齢を重ねてどうなるのかという漠然とした不安が常に漂っています。

「ちいかわ」に死はありますが老いはかなりぼやかされていますし、エッセイコミックは過去に起こったことしか描かないので、その問題を回避できます。

しかし、あゎ菜ちゃんは自分が老いた先のことを考えずにいられません。このまま何もできない人間として一生を終えるのかという不安が迫ってきます。

 

「あゎ菜ちゃんは今日もしあわせ」3巻より

これは、非常にたばよう的な問題設定です。たばようは一貫して主人公を記号的でマスコットやぬいぐるみのような存在として描きながら、逆にそうした”かわいい”存在の死や性を描くことで違和を読者に突きつけてきました。

しかしながら、『あゎ菜ちゃん』の最終話は意外な結末を迎えます。

200年後に時代が飛び、そこでも”かわいい”存在として生き続けるあゎ菜ちゃんの姿が描かれたのです。

これは、これまで描かれてきた問題意識を無視した開き直りのようにも見えますが、これはたばようの祈りだと思います。

永劫回帰の無意味な人生を生きるマンガのキャラクターに、自らの確立した意思でもって幸せに生きる姿を演じさせることで、自身が理想とする超越した存在を見出したのではないでしょうか。

 

そこで話は月ノ美兎に向かいます。

たばようは、PixivtやTwitterでの投稿を見る限り、かなり活動初期からの月ノ美兎ファンです。彼が、月ノ美兎というバーチャルYouTuberに惹かれるのには必然性があると思います。

本記事では、たばようがマンガのキャラクターという記号が死や性を演じることの違和について敏感な作家であるということを繰り返し述べてきました。

バーチャルYouTuber・月ノ美兎という存在も、記号が死や性を演じることの違和と闘ってきた存在なのです。(本人がそう思ってなくてもそうなのだ!)

バーチャルYouTuberは、その発生初期において記号的だからこそ画期的で良いとされていました。

生のアイドルやタレントと違い、老いることもないし性トラブルとも無縁だと、なんならガワを維持できれば中身を入れ替えながら永遠に続けることができるというのが初期のコンセプトでした。

そういった考えが全くの間違いであることは、すぐに明らかになるのですが、少なくとも発生初期はそう考えている人が多くいたのは事実です。

実際に、最初期のバーチャルYouTuberは自分の人格を出すのではなく、キャラを演じているものが大半でした。

そして、記号に過ぎないはずのバーチャルYouTuberにも内面があることを、はじめて示したの者たちの一人が月ノ美兎でした。

特に、世の人々に衝撃を与えたのが、2018年、一連の「楓と美兎」関連の配信です。*14

「楓と美兎」とは樋口楓と月ノ美兎のコラボ名であり、バーチャルYouTuber事務所である「にじさんじ」の黎明期を支えた一期生の二人の配信のことを指します。

「楓と美兎」では、二人が死生観を語り合ったり、活動への不安を共有しお互いが励ましあう姿、そして二人が親密になっていく過程が非常に生々しく映し出されていました。

これは、バーチャルYouTuberはキャラのロールプレイングであり、記号的存在に過ぎないと思っていた人々に深い衝撃を与えました。*15

二人の関係性を表すネットスラング「てぇてぇ」も、「楓と美兎」から生まれた言葉でした。

良くも悪くも、「楓と美兎」はバーチャルYouTuberの見方を変える事件の一つでした。

月ノ美兎は記号的なキャラを演じている自分たちにも内面があり、死も性もあることを示しながら、それでも永遠に16歳の高校二年生としての月ノ美兎を演じ続けています。

まさに、月ノ美兎はその存在自体がたばよう的命題を生きている人なのです。

200年後も月ノ美兎は月ノ美兎であってほしいというたばようの祈り、それがあゎ菜ちゃんだったのです。

 

youtu.be

 

www.youtube.com

 

 

なんか書いてるうちに怪文書化が止まらなくなった。
それでは、また次回~

*1:編集長になる前の沢考史の功績として、板垣恵介を引き抜いてきたことがあります。今現在、読者が少年チャンピオン的だと考えるものの多くは沢考史によってつくられたと言っても言い過ぎではないでしょう。

*2:手塚治虫『ブラック・ジャック』を立ち上げるなど、70年代の「週刊少年チャンピオン」黄金期を作り上げた伝説の編集長。

*3:2012年下期「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」は、『月刊少年チャンピオン』、『別冊少年チャンピオン』と合同で『別冊少年チャンピオン創刊記念新人まんが賞』として開催されました。

*4:新人賞なんて褒められて当たり前と思う向きもあるかもしれませんが、「絵はプロレベル。話はまんがをバカにしているとしか思えません。」と酷評された安部 真弘先生の故事も知っておきましょう。

*5:板垣巴留「ビーストコンプレックス」の連載がはじまったときは、なんか「くろすぶりーど」っぽい作品がはじまったなぁというのが私の感想でした。

*6:卒業設計として「やさしい死んでるおねえちゃん」30Pの連作短編を作ったそうです。おそらく、少年チャンピオンに掲載された読み切り「やさしいおねえちゃん」と何かしらの関連がある作品だと推測されます。

*7:手塚治虫は晩年に、いわゆる「まんが記号説」をインタビューなどで盛んに唱えたことは有名ですが、その概要を説明するのはめんどうなので自分で調べてください。

*8:オールタイムベスト百合マンガのうちの一本なので全人類が読むべきです。

*9:初期作品には登場人物の分泌物(ゲロ、よだれ、しっこ等)が頻出していました。それはただ作者の性癖を反映したものとは言えません。分泌物こそが肉体と肉体をつなぐ媒介として機能していました。

*10:「Champion タップ!」の後継である、秋田書店のウェブコミック配信サイト「マンガクロス」にて連載された。

*11:「週刊ヤングジャンプ」系列は、集英社の中では比較的サブカル寄りな作品も載るので、よく考えると相性はいいのですが、連載がはじまった時は予想外過ぎて腰を抜かしました。昔不定期刊行されてた、ヤンジャン増刊「アオハル」はすごかったです。集英社のアフタヌーンでした。

*12:完全に余談ですが、『あゎ菜ちゃん』は『宇宙怪人みずきちゃん』と対になっている作品だと思っています。あゎ菜ちゃんとみずきちゃんは普通の人のように暮らしていますが、その内ではある種の凶暴性を秘めている人物として描かれており、それぞれ爬虫類をそばに従えています。やもちーとチンポコドン。ただ、その理性を捨てた凶暴性を、自分を幸せにするために内に向けたのがあゎ菜ちゃんで、外に向けて世界を壊すことにしたのがみずきちゃんだと思います。

*13:

www.animatetimes.com

*14:2018年、『宇宙怪人みずきちゃん』の連載終了から姿を消していたたばようが復帰した年です。奇妙な偶然です。

*15:当時、この配信をみていたら友人から電話がかかってきて何時間も意見交換をした思い出があります。次月の電話料金がめちゃくちゃ高くなって破産しかけました。