

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
日本を代表する作家、三島由紀夫の生誕100年である今年、三島作品をぼんやり読み直していた私はある日、SNSに興味深いバレエ公演の告知を見つけた。20世紀バレエ界の巨匠、モーリス・ベジャールが演出振付した「M」である。東京バレエ団のために1993年に創作された。「M」とはもちろん三島の頭文字。また海(Mer)、変容(Métamorphose)、死(Mort)、神秘(Mystère)、神話(Mythologie)という意味もある。
ザ・カブキ
ベジャールは歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」をバレエ化した「ザ・カブキ」などで知られ、日本文化にも造詣が深い。また「バレエ・フォー・ライフ」では伝説のロックバンドQUEENのヴォーカル、フレディ・マーキュリーを描き、斬新な演出で世界を圧倒した。一方昭和とともに生き、齢45歳で自ら華々しく命を絶った文壇の寵児、三島由紀夫。彼の人生と作品をバレエにするのは一見破天荒のようにも思えるが、ギリシャに憧れ、自らも彫刻のような身体へ肉体改造した三島の美意識は、美しい肢体を持つダンサーによって演じられるバレエというツールが最もふさわしいのではないかと思う。
バレエ・フォー・ライフ
しかし普段〈耳〉を使って仕事をしている世界の人間としては、時に舞台作品の〈音楽〉に点が辛くなる傾向がある。特にバレエは視覚的要素が大きいせいか、踊りや演出に比べると音楽の中身が薄いと感じてしまうこともしばしばある。「M」の幕が上がる直前、私にはそんな一抹の心配もあったのだが、それは冒頭から大いに払拭された。暗闇の中から響く「潮騒」の音、舞台上には仏像のように手を合わせた女性ダンサーが並ぶ。そして地底から湧き上がるような声明。これだけでその空間が一変し、単なる劇伴音楽ではないことがわかった。それもそのはず、これは三島の「金閣寺」をオペラ化した際、その音楽を作曲した黛敏郎が担当。オリジナルの他、ワーグナーやドビュッシー、J.シュトラウス、サティなど様々な音楽をコラージュしてまとめている。それはまるで万華鏡のように色彩豊かに、時に深い三島の精神世界へと誘う。
J.シュトラウス:南国のバラ
舞台は三島由紀夫の人生とその作品が交錯していく。老女に手を引かれた少年は幼い頃の三島=平岡公威である。祖母の夏子は10代の頃、宮家に行儀見習いとして仕えたこともあり、歌舞伎や文学などの貴族趣味を持ち、孫の公威を溺愛していたという。そんな祖母の存在はその後の三島の人生に大きく影響していく。無音状態で舞台の端から端をゆっくりと歩いていく2人の姿はまるで能役者のようで、能の舞台同様に静寂と美、ある種の戦慄をも醸し出す。
続いて4人の男性ダンサーが「イチ、二、サン、シ!」という掛け声とともに三島の分身として現れる。特に「シ」は〈死〉を意味し、常に三島に付き纏い、狂言回しとして登場する。この4人の存在は「鏡子の家」に準えたものでもある。
その他にも「仮面の告白」「禁色」「鹿鳴館」「午後の曳舟」「憂国」「金閣寺」そして「豊饒の海」。至高の三島文学のイマージュがあちこちに散りばめられており、その作品を知る人には、音楽とともに「M」の中に更に深く入り込んでいけるだろう。
もう一つ三島と切り離せないのは彼の理想像でもある「聖セバスチャン」である。古代ローマの軍人であり、キリスト教への信仰を捨てずに皇帝の命令で処刑された人物。美術作品として様々な芸術家のモティーフとなっているが、中でもバロック期の画家グイド・レーニによる「聖セバスチャンの殉教」は三島の性的な目覚めの象徴として「仮面の告白」の中にもセンセーショナルに描かれている。矢に打たれてもなお、苦痛に耐え殉教する美青年はいわば〈萌え〉の走りとも言えるだろう。

グイド・レーニ「聖セバスチャンの殉教」
そんな三島の同性愛的指向、ベジャールのシンパシーも投影して男性ダンサーの活躍が目立つ。後半の軍服姿の群舞はまさに迫力満点。〈男臭い〉という言い方は現代では使いづらいのだが、まさに〈男の美学〉をバレエ化したこの作品はやはり出色だろう。イチ、二、サン、シを演じる、4人のダンサーの研ぎ澄まされた肢体から繰り広げられる力強く、しなやかなパ・ド・カトル、そして23日の公演では聖セバスチャンを演じた大塚卓の孤高の純粋性も際立っていた。
M
またワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の〈愛の死〉が舞台袖のピアノで唯一生演奏される。黒のタンクトップのドレス姿で演奏する背中は一見男性かと見違えるほど引き締まっており、ダンサー顔負けの存在感で舞台から去っていったのはピアニストの菊池洋子。余談だが、過去に菊池さんを番組ゲストにスタジオにお迎えしたことがあったのだが、その時も背がスラリと高く、長く艶やかな髪がひときわ印象的だったのを思い出した。
菊池洋子
休憩なしの2時間の舞台、最後は再び「潮騒」の音で満ちる。三島本人が映画や映像に興味を持っていたことは有名だが、そのビジュアル的な美学と何よりも示唆に満ちた音楽で、三島への愛が詰め込まれた玉手箱のような「M」に陶酔したなら、あなたもきっと絢爛な三島作品を再び読み返したくなるだろう。

東京バレエ団「M」
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