おむすび握って50年、貫く「素朴」というこだわり

創業50年以上の歴史を持つ、東京都調布市仙川の駅前にあるおむすび屋「omusubi teshima」。近年、個性豊かな専門店が次々と開業し、海外からも日本の伝統食として注目を集めているおむすび。omusubi teshimaは昔ながらの「米店のおむすび屋」として、地元民を中心に愛されてきました。看板娘は、82歳の手島弘子さん。最近では、弘子さんの握ったおむすびを食べようと海外から足を運ぶ人もいるといいます。その人気とおいしさの秘密を、弘子さんと息子の健太さんに聞きました。

おむすびを“握らない”ことが、柔らかさの秘けつ

――どのおむすびもおいしそうですが、種類はどのくらいありますか?

弘子さん:いまは25〜30種類くらいですね。一番人気は紅鮭です。あと変わったものでは、鳥ごぼうや豚そぼろ。混ぜごはんだと、ひじきも人気ですよ。ひじきは体にいいからね。

omusibi teshimaの看板娘・手嶋弘子さん。弘子さんに会いたかった!といって訪れるお客も多い

――手づくりの温かみを感じるおむすびですね。

健太さん:お米は、新潟県胎内産コシヒカリ「みずばしょう」で、おこわの餅米は新潟産「こがねもち」を使っています。お米はガス釜で炊いて、ふっくらと仕上げていますよ。母がメインで握り、残りは僕と従業員で手分けして握っています。おむすびの販売数は日によって変わりますが、多い時は配達の注文分だけで300個になることもあります。店頭で販売する分も合わせれば、それ以上ですね。

弘子さんと一緒に店を切り盛りする次男の健太さん

――おむすびが「ほどけるように柔らかくておいしい」と評判ですが、握り方のコツは?

弘子さん:おむすびは、握らない方がいいんです。私の場合、手にひらにお米を乗せたら、握るというよりは指でちょっと包む感じ。だから、何秒もかかりません。こうした方が、柔らかく仕上がるんですよ。

注文が入るとあっという間に握ってしまう弘子さん。「のりを巻くと三角っぽくなるでしょ」

――まさに長年おむすびを握ってきた「職人」の至言ですね。では、接客される際に気を付けていることはありますか?

弘子さん:いつも元気で明るくいることですかね。私が働く姿を見て元気をもらえたといってくださるお客さまも多くいらっしゃるので、なるべく悪い印象を与えないように、明るい接客を心がけています。

「背が縮んでしまったから」と弘子さんは台に乗っておむすびを握る。途中、背伸びをしてお客の様子をうかがうこともある

米店の先行きを案じてはじめた「おむすび販売」

――もともとは米店として創業したそうですが、どんなきっかけでおむすびを販売するようになったのですか?

弘子さん:父が米店を経営していて、それを引き継ぐ形で、私と主人が昭和43年に「手嶋米店」を開業しました。当時、お米はよく売れましたね。高度経済成長期でしたし、お米の流通が自由化する前だったので、『米は米店で買う』というのが基本だったんです。ただ、主人は米店の先行きは明るくないとその頃から考えていて、この先の経営をいろいろ模索した上で、開業から5年後に、米店と並行しておむすびの販売を始めました。

ケースに陳列されたおむすび。取材時は閉店間際だったため並んでいる数は少ないが、注文すれば出来立てを握ってくれる

――お米だけでなく、お米にひと手間加えた商品をつくることで、付加価値をつけたんですね。

弘子さん:おむすびも売れましたね。通勤のサラリーマンのほか、学校が近くにあるため、学生さんや学校の先生が買ってくれました。

――ご主人には先見の明があったんですね。50年以上お店をやってきて、一番苦労されたことはなんですか?

弘子さん:どうでしょうか、長いことやっていると、悪いことって全部忘れちゃうんですよ(笑)。ただ、時代とともにお米が以前ほど食べられなくなったり、スーパーがお米を取り扱うようになったり、大変なことはいろいろと経験してきました。

――そういった逆境に対して、どのように乗り越えられてきたのですか。

弘子さん:おむすびの種類を増やしたり、お弁当の販売もはじめたり、取り扱う商品をさらに充実させていきました。ちょうど東京都庁が移転した頃に、NHKで当時のお昼ごはん事情を特集した番組が放映されたんです(※)。その中で、主人がお弁当を配達しているシーンが放送されて、それが宣伝になったようで、番組を見た人たちからの注文や配達も増えていきましたね。

※ 1991年に東京都庁が丸の内から新宿に移転。それに伴い、ランチ難民が続出するほど、周辺地域でランチの需要が高まった時代背景がある。

手作りのお弁当やおむすびセットも人気商品

惣菜も種類が充実している

――ご主人はもう引退されたのですか?

弘子さん:仕事中に腰を痛めてしまい、お店に出て働くことは難しくなったので、それ以来、私と息子の健太がメインでお店をやっています。

長年通う常連客も多い

健太さん:それが、いまから17〜18年前のことです。父からバトンタッチしたタイミングで、店もいまの場所に移転してきました。前の店は、ここから5〜6軒先の場所にあったんです。

スッキリと洗練された雰囲気の内装

――お店のデザインがすごく洗練されていますよね。これは健太さんのアイデアですか?

健太さん:そうですね。ホームセンターで資材を買ってきて、DIYで店をつくりました。シンプルなデザインにしているのは、まさにうちのおむすびが、「素朴だけど、真心が詰まっている」という、店のコンセプトを表現したかったからです。

店内の至る所に描かれたかわいい女の子のイラストは、健太さんの甥っ子であるイラストレーターのJUN INAGAWAさんによるもの

弘子さんをモデルにしたというキャラクター「ころりんちゃん」(左)、某大手自動車メーカーの車を手掛けた著名デザイナーによる店舗ロゴ(右)

――健太さんの代になってからの新しい取り組みはありますか?例えば、新商品の開発などは? 

健太さん:商品を陳列できる数に限りがあるので、メニューを積極的に増やしていくことは考えていないのですが、折を見て少しずつ商品の拡充を行っています。例えば、ちまきやあんドーナツ、カレーパンといったメニューは意外と人気があって、おむすびには目もくれずカレーパンだけ注文するお客さまもいらっしゃいます(笑)

Instagramで弘子さんが大バズり!でも素朴さは忘れずに

――先ほど、埼玉からSNSを見て来たという若い女性二人組のお客さんがいました。地元以外からも注目されるようになったきっかけはなんですか?

健太さん:少し前に、何万人もフォロワーがいるグルメ系のインスタグラマーさんが、母がおむすびを握っているところを撮影してくれたんです。その動画が話題になり、若い人や遠方からもお客さまが来てくれるようになりました。『マツコの知らない世界』をはじめ、テレビ番組に取り上げられるようになったのも、それがきっかけだったと思います。

外国からのお客さまも多いですよ。この間は、ヨーロッパでおむすび屋をやっているという現地の方たちが来てくれました。

――弘子さんが真面目におむすびを握る姿は、国を超えて人を魅了するものがあるんですね。それまで、ご自身でもSNSでの発信活動はされていたのですか?

健太さん:そこまで積極的にはしてこなかったです。ただ、インスタグラマーさんの動画が話題になってからは、毎日、母がおむすびを握っている姿を撮影して投稿するようにしています。

やさしく手際よくおむすびを握る弘子さんの様子を、つい見てしまう

――いま、全国的におむすび専門店が人気を集めています。おむすび屋の先駆けとして、この状況をどのように感じていますか?

健太さん:おむすびが盛り上がっていること自体は、とてもいい状況だと思っています。うちのおむすびは決してSNS映えするようなものではありませんが、お客さまから「歴史の厚さ」を評価いただくことが多いですし、やはり地元で長く愛していただいているお店であることは変わらない事実なので、「米店のおむすび屋」という基本を忠実に、いままで通り素朴なスタイルを貫くことで差別化を図っていきたいです。

――最後に、今後チャレンジしたいことや目標があったら教えてください。

弘子さん:(お店を続けるために)自分がまず健康でいなきゃいけないですからね。自宅でもお風呂の時にスクワットをしているんですよ。お休みの日もテレビばかり見ていないで、暇を見つけては運動をするようにしています(笑)

健太さん:若い人にもっとおむすびを食べてもらいたいなとは考えています。僕はもともとサーフィンやスケボーといったストリートカルチャーが好きで、過去にDJがプレイしている横でおむすびを提供するというパーティーを企画したことがあるんです(笑)。いまはお店が忙しくてイベントはできていないのですが、もう少し余裕が出てきたら、若い人を巻き込めるような企画をやっていきたいですね。

取材先紹介

omusubi teshima

取材・文小野和哉

1985年、千葉県生まれ。フリーランスのライター/編集者。盆踊りやお祭りなどの郷土芸能が大好きで、全国各地をフィールドワークして飛び回っている。有名観光スポットよりも、地域の味わい深いお店や銭湯にひかれて入ってしまうタイプ。

写真新谷敏司
企画編集株式会社都恋堂