東京都足立区で11月24日、乗用車が暴走して歩行者を次々とはね、11人が死傷するなどの事故が起きたことが報じられました
共同通信などの報道によると(11月24日)、事故を起こした車は、近くの自動車販売店から盗まれたとみられ、運転していた男性は窃盗の容疑で逮捕されたようです。男性は警察の調べに対して、「盗んだわけではなく、試乗するために店から出て走った」と容疑を否認していますが、事故後に現場から逃走したとみられています。
警視庁は今後、自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)と道路交通法違反(ひき逃げ)容疑も視野に、責任能力の有無も含めて慎重に捜査を進めていくそうです。
これに対して、SNSなどでは、「もはや殺人罪では」といった意見もみられます。
本記事では1)「試乗のつもりだった」という言い分が通るのか、2)事故直後に逃げ出していることが責任能力の判断に影響するのか、3)殺人罪の成立の可能性はあるのか、という3点について解説します。
●「試乗のつもりだった」という言い分は通用するのか?
今回、逮捕された男は「試乗するつもりだった」と供述しています。
本当に試乗するつもりで、正規の手続を経て試乗中に事故に遭ったのであれば、窃盗の故意などが否定され、窃盗罪が成立しない可能性があります。
しかし、報道されている事実を見る限り、ディーラー側は試乗車が乗り出されてすぐに110番しているようですし、現場のものとされている映像では、かなりの速度で現場から発進させているようです。ナンバープレートのところにも「認定中古車」というプレートがついていました。
このような状況では、ディーラーできちんと手続を経て試乗したという認定をすることは難しそうです。したがって、「試乗のつもりだった」という弁解は認められない可能性が高いでしょう。
したがって、現時点で明らかになっている事情からすれば、窃盗罪が成立する可能性が高いと考えられます。
●危険運転致死傷は適用されるのか?
次に、歩行者11人が死傷した事故についての刑事責任です。警視庁は自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)容疑も視野に入れているとしています。
自動車運転処罰法では、車の運転によって人を死傷させた場合の罪が定められています。
その中でも、危険運転致死傷罪(同法第2条)は、特に危険な運転行為によって人を死傷させた場合に適用されるものです。
この罪が成立する場合の一つとして、赤信号を殊更(ことさら)に無視し、かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で運転する行為が規定されています(同条7号)。法定刑は、人を負傷させた場合は15年以下の拘禁刑、死亡させた場合は1年以上20年以下の拘禁刑です。
報道では、車は横断歩道に赤信号で進入したとみられており、また複数の歩行者を巻き込むほどの暴走であることから、「赤信号を殊更に無視し」た上で「重大な交通の危険を生じさせる速度で運転」していたという要件を満たす可能性があると考えられます。
また、同罪は故意犯ですので、赤信号を無視することや、重大な交通の危険を生じさせる速度であることの認識・認容が必要です。
なお、危険運転致死傷罪の要件を満たさない場合(たとえば故意が認定できない場合)でも、過失運転致死傷罪(自動車運転処罰法第5条)が適用される可能性があります。過失運転致死傷罪は、運転上必要な注意を怠って人を死傷させた場合に成立し、法定刑は7年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金です。
●精神疾患報道も。罪にはどう影響する?
ただし、刑事責任を問うには、本人に「責任能力」があることが前提となります。
責任能力とは、簡単に言えば「自分のしていることが良いことか悪いことかを判断でき、その判断に従って行動できる能力」のことです。
男性は、精神疾患を抱えて6年前から通院していたとの報道もあり、捜査機関が責任能力の有無について捜査を続けているようです。
ここで注意が必要なのは、仮に精神疾患があったとしても、自動的に「無罪」になるわけではない、という点です。むしろ裁判所の判断は厳しく、精神疾患があっても責任能力が認められるケースが多いのが実情です。
●「心神喪失」と「心神耗弱」の違い
「責任能力」が刑罰に影響する場合としては、「心神喪失」(しんしんそうしつ)と「心神耗弱」(しんしんこうじゃく)があります。
まず、責任能力がまったく認められないのが「心神喪失」です。
精神の障害のため、善悪を判断する能力や、判断に従って行動する能力が完全になくなっていたことをいいます(刑法39条1項)。
この場合は無罪となりますが、「単に精神疾患がある」というだけでは足りず、事故にどの程度影響したのかが厳密に検討されます。
次に、責任能力が限定的にしか認められないのが「心神耗弱」です。
精神の障害のため、善悪を判断する能力や、判断に従って行動する能力が著しく低下していたことをいいます(刑法39条2項)。
この場合は、刑が軽くされますが、「著しく」低下していることが要件で、こちらも精神疾患があるというだけでは認められません。
仮に精神疾患があるという診断を受けていても、運転を自分の意思でおこない、危険を認識できていたなら、責任能力があると判断されるでしょう。
実際の裁判で「精神疾患がある」と認められた場合でも、心神喪失や心神耗弱とされるのは、ごくまれです。
●犯行直後の行動は、責任能力判断の重要な要素
本件では、まだ詳しい事情がわからないため、責任能力があるとかないとか判断することはできません。だからこそ警察も詳しく捜査をしているわけです。
ただ、報道によれば、男は事故直後に現場から逃走しているようで、事故直後のものとされる動画では、自動車がぶつかった際に男がすぐにドアを開けて走り出しています。
犯行直後の行動は、責任能力の判断において重要な要素の一つとされています。「逃走」は、自分の行為が法に触れることを認識し、それを回避しようとする合理的な判断に基づくものと評価できます。
犯行直後に逃走したという事実は、犯行時に自己の行為の是非を判断する能力があったことをうかがわせる事情といえ、責任能力を肯定する方向に働きます。(犯罪事実認定重要判決50選(上)、2013年10月、立花書房/小林充、植村立郎など参照)
もちろん、最終的な責任能力の有無は、犯行直後の行動だけではなく、事件当時の詳細な状況や精神鑑定の結果などを総合的に考慮して判断されることになります。
●殺人罪が適用される可能性は?
今回の事件では、ネット上で殺人罪(刑法第199条)の適用を求める声も上がっています。殺人罪が成立するには、殺人の故意(殺意)が必要です。
「殺意」が認められるためには、必ずしも「絶対に人を殺してやろう」ということを認識していることまでは要求されません。
人を殺すほど危険な行為をしていること、自らの行為から人が死亡する結果が生じることを認識し、それでもかまわないと思っている場合(認容)には、殺意は認められます。
車を歩道で高速度で走らせ、多数の歩行者に向けて突進させた場合、人に衝突して死傷結果が生じることは認識できそうですし、それを十分に分かっている上で行為に及んだのであれば、認容もしているといえそうです。
ただし、死傷結果が生じる危険性は具体的に認識・認容していなければならず、通常は、今回のようなケースであれば歩道に人がいて、その人にぶつかってしまうという認識・認容があったことまで主張立証するため、現実に殺人罪では起訴しないのが実情です。
この点について、たとえば最高裁令和3年1月29日は、同僚の看護師にひそかに睡眠導入剤を摂取させて自動車を運転させ、事故を起こさせた事案で、対向車の運転者に対する関係でも殺意を認めています。この判決の読み方もなかなか難しく議論があるのですが、少なくとも抽象的に死亡事故を引き起こす危険性が高いということを認識・認容しただけでは殺意が認められない可能性が高いため、今後の捜査はこのような観点からも行われると思われます。
なお、同じ「故意犯」でも、先に書いた危険運転致死罪(自動車運転死傷行為処罰法2条)の場合には、たとえば7号であれば「赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する」ことの認識・認容で足りるため、殺人罪の場合とは故意の内容が違うことに注意が必要です。
今後の捜査で運転者の動機や心理状態が明らかになれば、殺人罪の適用も視野に入る可能性はありますが、現段階では未知数といえるでしょう。
(参考文献).
[刑事判例研究]殺意の認定と刑訴法382条最二小判令和3・1・29向井香津子 ジュリスト1579号150頁.
法学教室497号127頁【判例セレクトMonthly】刑法 ひそかに睡眠導入剤を摂取させて自動車を運転させる行為と殺人の故意(最判令和3・1・29)高橋直哉.
令和3年度重要判例解説 刑法1 ジュリスト1570号129頁・古川信彦.
[最高裁時の判例]刑事 最高裁令和3年1月29日第二小法廷判決 ジュリスト1564号105頁・内藤恵美子.
監修:小倉匡洋(弁護士ドットコムニュース編集部記者・弁護士)