参議院議員・松野明美さん 家族とのゴール「金メダルを取れたと思える生き方を」/後編

ソウル五輪陸上女子1万メートル日本代表の松野明美さん(57)が、重度の心臓病とダウン症の子どもを育てながら議員生活を送っています。08年、次男・健太郎さん(21)の病気をテレビで告白してから、17年の月日が経ちました。健太郎さんは成人し、松野さんは子どもの成長とともに現在、参議院議員へとキャリアアップ。母親としても、どのように成長してきたのでしょうか―。どのように子育てと仕事を両立してきたのでしょうか―。当時の真相を振り返りながら、心境を赤裸々に話してもらいました。

2回連載の後編です。

陸上




◆松野明美(まつの・あけみ 本名・前田明美)1968年(昭43)4月27日、熊本県鹿本郡植木町出身。鹿本高―社会人のニコニコドーに入社し陸上部に所属。全日本実業団駅伝に初出場し、一気に12人を抜いて脚光を浴びる。88年、ソウル五輪、91年の世界陸上女子1万メートルの日本代表に選出されるなど、長距離界を引っ張った。2010年に熊本市議会選挙に初当選し、県議会議員を経て、22年に参議院議員選挙で初当選。日本維新の会所属。夫、長男、次男の4人家族。147センチ、35キロ。



3歳半で歩いた息子からもらったもの


東京・永田町の参議院議員会館。自宅がある地元熊本・植木町の田畑が広がる、のどかな雰囲気から一転、国会開催中で独特の緊張感に包まれていた。地元で話した時とは違って松野さんの表情も引き締まっていたが、子どもの話になると、顔が自然とほころんだ。


タレント時代から「常に明るく元気に」のキャラクター。そんな松野さんにとって、次男の存在がイメージを崩すことになると思い込んでいたという。外出する際も、子どものことを知られないよう、人前を避けていた。


しかし、3歳半で歩いた息子から勇気をもらった。


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野球

平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。