【幟の物語〈下〉】元大関魁皇の浅香山親方が温めていた同期生から贈られた幟

本場所の会場を、多くの幟(のぼり)が彩っています。大相撲の風物詩でもあります。

九州場所は、浅香山親方(53=元大関魁皇)が担当部長を務めています。

「浅香山部屋さん江」という幟は、「六三年春同期生一同」から贈られていました。浅香山親方にとって、今場所まで大切にとっておいた幟でした。

大相撲

「大切なものだからこそ」

浅香山親方は、この幟についてしみじみ言う。

「だいぶ前にもらっていたものなんです。これを、どのタイミングで出すか考えていました。地元九州でこういう状況で出せるようになりました。大切なものだからこそ、このタイミングで出すことができてよかった。ずっと考えていたんです」

好角家なら、すぐに分かる。「六三年春同期生一同」から浅香山部屋に贈られた幟の意味。浅香山親方の同期生は、あまりに華々しい。

95人が1988年(昭和63年)春場所で初土俵を踏み、11人が関取になった。

63年春場所初土俵、一番出世の新弟子たち(1988年3月17日撮影)

63年春場所初土俵、一番出世の新弟子たち(1988年3月17日撮影)

曙、貴乃花、若乃花の横綱3人が誕生した。大関魁皇も含め、この同期生たちが一時代を築いた。のちに「花の63組」とも言われた。

昭和63年春場所初土俵の関取


最高位力士名
横綱
横綱貴乃花
横綱若乃花
大関魁皇
小結和歌乃山
前頭4枚目力櫻
十両2枚目須佐の湖
十両9枚目琴嵐
十両9枚目鶴ノ富士
十両12枚目琴岩国
十両13枚目琴乃峰

「いつか立てたい」

若貴と曙は入門時から注目され、すさまじいスピードで出世していった。関取経験者で最後に引退したのは魁皇。2011年名古屋場所が最後だった。

今も日本相撲協会に残るのは、浅香山親方と世話人の嵐望(最高位は東幕下13枚目)だけ。曙、貴乃花、若乃花、和歌乃山は引退後に親方になったが、のちに協会を去った。

優勝掲額式で握手する貴乃花と魁皇(左)(2001年5月12日撮影)

優勝掲額式で握手する貴乃花と魁皇(左)(2001年5月12日撮影)

「一緒に頑張りたい気持ちはあったけど、それぞれの考えがありますから。それをオレがとやかく言うことじゃない。同期はいつまでたっても、何をしてても同期。そこは何も変わらない」

幟は、いつごろ贈られたのか、幹事が誰だったのか、浅香山親方は正確には覚えていない。

2013年8月、NHKの番組「ドキュメンタリー同期生」で花の63組が特集された。浅香山親方の記憶によれば、その数年後に再度、同期会があった。その場で、浅香山部屋へ幟を贈る話がまとまった。2016年ごろではないかという。

浅香山親方は、幟を出すタイミングを待っていた。

2024年に日本相撲協会の理事に選出され、九州場所担当部長になった。

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。特別編集委員室所属。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。