「ダ・ヴィンチ・コード」と聖婚の宇宙的構造 Maitreyi and Mircea
ようやく「ダ・ヴィンチ・コード」を読了したので、感想の続きを書こうと思ったが、ない!子どもがどこぞへ持っていってしまったらしい。
そもそも本当に読ませていい内容だったのが、判断に迷った。ま、しかし、一日でこの本を読み終えてしまったという子どもを誇りに思ってしまうばか親の私であった。
正直、読了した上に「世に倦む日日」のすぐれた批評を読んでしまった今、一体何を付け加えたら良いのか、わからない。
・『ダ・ヴィンチ・コード』 by thessalonikeさん
特に「グノーシス獲得としてのセックス」は、すばらしい。
性とは何かを男が男の言葉で語らなければならない。女が語ったセックスについてのイデオロギー暴露を男がセオリーとして是認し肯首するのではなく、ジェンダー主義にそのままホールドアップするのでなく、男が男にとってセックスとは何かを自ら肯定的に再定義しなければいけない。男が男にとって性が人生の重要事であることを正当に認めること。そのことが大事だ。
性のさかりをすぎつつある中年の男として、拍手喝采を送りたい意見だ。
セックスの問題をいかに生理的、欲望的次元でなく象徴の持つ力を含めて語るか、実践するかは、歴史的にみればかなり古いといえる。宗教学者、ミルチャ・エリアーデは、1957年に出版された「聖と俗」の中でこう書いている。
当然のことながら神々の物語は、人間の結合に対して模範的典型となる。しかしなお別の一様相が強調されねばならない。それは結婚儀礼と、したがってまた人間の性的振舞の宇宙的構造である。近代社会の非宗教的人間にとっては、夫婦合体のこの宇宙的にして同時に神聖な次元はなかなか理解し難い。しかし古代社会の宗教的人間にとっては、世界はしらせに満ちたものであった。しばしばこれらのしらせは符牒で書かれているが、そこには人間にその解読を助ける神話がある。人間の体験は総体としての宇宙の生命に一致する関係におかれ、それによって浄化されうるものである。宇宙は神々の至高の創造であるから。
私には、実に「ダ・ヴィンチ・コード」はこの構造を踏襲した小説であるように思われる。エリアーデの言葉を借りればいかに「非宗教的人間」である我々が登場人物の行動を通して、天文学的な宇宙の構造、地球の方位と時間を決める構造体とも関連する暗号=符牒を、数々の神話、伝説を用いて解読していくというのは、宗教的な象徴の力が現代にも十分に生きている証拠であるように感じる。しかも、ある種の中年男性には、理想的とされるセックスの予感で結ばれている。あ、私にとっての「理想」はもちろん違う(笑)。
ちなみに、20年ぶりくらいに「聖と俗」を開いてみて、訳者が「カトリックの学者であり、今日最も有力な宗教学者の一人」と紹介しているのを発見したのだが、エリアーデはカソリックなんですかい?!ちとショックだった。
■参照リンク
・般若心経について by finalventさん
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