言葉のチカラ、そしてカオス Volatillity and Anomary
先日書いた記事は、市場のチカラというより言葉のチカラについてだったな、と後で気づいた。
開放系で非線形な存在である我々にとって、生きることとは他者をなんらかの形で犠牲にすることだといっていい。さまざまなレベルで「外部」とのやりとりがあり、「犠牲」がある。太陽エネルギーからはじまる地表の循環環境、原材料と食物としての動植物、鉱物·化石燃料として蓄積されてきた様々な資源、大小の社会環境構造体、個人と個人のつながり、我々の存在を支えているもののコストは決して安くない。
「人間の命がなにより大事だなんて、カマトトぶるんじゃないよ」、と虚無にささやかれても当然の「生き方」を我々はしている。
先日、ひとりの人が死んだ。親近感を覚えざるをえない。
我々はブログや、メディアなどで情報を「消費」している。この「情報」にも犠牲は生じる。会ったこともない彼女の死は、そうした「犠牲」ではなかったか?
実は、私もしばらく前に異常なチカラの働きによる重圧感を感じた。ひとつ間違えば、社会的自殺をはかりかねない精神状態だった。それは、しかし、自分自身が選択し、決意し、挑戦したことの結果であった。今はこころからそう思える。
彼女の死はどのようなものであったか、私にはわからない。ただ、間違いなくメディアや、ブログや、巨大掲示板などの圧力が作用したのだと信じる。
しかし、私の不勉強なのか彼女の死に私自身、あるいはブログ界隈自体、あるいはメディアの報道が、責任の一旦を負っているという言説に出会わない。そもそも、当初の問題を最悪の方向にもっていった方々からもなにも聞こえてこない。あやまること、追悼することは、自らの責任を認めることになるとでも思っているのだろうか?
情報の配信と受容が「マス・メディア」と言われていた頃はまだ簡単だった。我々はブラウン管に映るニュースをただ受容するだけでよかった。ニールセンだったか、視聴率という顔も名前もはぎ取られたサンプルの統計に取捨されてしまうだけでよかった。ネット界隈が次第に大きくなり、ブログ界隈が生まれるにつれ、情報を受容するだけでなく、アクセス数や、ネットのランキングを求めて、一人一人が情報を集め、加工し、発信するようになった。そして、ますますカオスと混乱は広がり、今回のような悲劇を加速しはじめている。
存在の一部をメディアやネットにおかざるをえない現代に生きる我々は、我々の言動が集合的に働くときの結果におののかざるをえない。市場の力がブログ界隈に働く時、言葉の力がメディアを駆けめぐる時、カオスが生じ、線形な思考に自らを閉ざしている我々には予想もつかない結果を引き起こす。カスケード現象というやつだ。これはリンクされているノードの数が多ければ多いほど、リンクが強ければ強いほど、即時的に情報が伝われば伝わるほど、ふりはばが大きくなっていく。ボラティリティーがます。
実はある組織がもう少し慎重に情報を出す前に対策を練っていれば、このような悲劇が起こらなかったかもしれないという恨みがましい気持ちがぬぐえないのも、正直なところだ。市場の力を信じ、情報を公開することが善だとしてきた私としては不本意だが、情報というのはなんでも垂れ流せばよいというものではないのだと、このカオス的ボラティリティーが増している今思う。
本当に言葉は力なのだ。
願がわくば、この言葉の力が、人を殺すために使われるのではなく、できるかぎり多くの人のできるだけ大きな幸せにつながるように用いられることを祈る。
どうか彼女のたましいに安らぎのあらんことを。
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コメント
ひできさん こんにちは
>ひとつ間違えば、社会的自殺をはかりかねない精神状態だった。
ほう、そんなことがあったのですね。気がつきませんでした。
ま、とにかくマスコミというものは、当事者意識が薄い(ま、当事者でないのだから仕方が無いのかも知れません)ような気がします。
関係ないけど、
今日の報道は、民主党関連が大きくとりあげられてますが、わたし個人的には、「2004年5月に自殺した上海総領事館員(当時46歳)の遺書の全容が判明した」ことの方が大きく取り扱われるべきだと思いました。「脅迫に屈っせず、国のために命をかけた」方には頭が下がります。恥ずかしい話、このニュース今日まで知りませんでした。安全な場所にいてこんなことをいえた義理ではないのですが、何かいわないと気が収まりませんでしたので、コメントさせていただきました。
投稿: it1127 | 2006年3月31日 (金) 16時10分
そうそう、興奮していいそびれてしまいました。マスコミは、自分たちの言葉の力を、影響力をもっと自覚して、もっとデリケートになって欲しいと思います。
投稿: it1127 | 2006年3月31日 (金) 16時14分
it1127さん、こんばんは、
>マスコミは、自分たちの言葉の力を、影響力をもっと自覚して、もっとデリケートになって欲しいと思います。
同感です。そして、ブロガーも自分たちが情報を発信する立場にいて、デリケートさが必要になってく来ているのだと感じるべきだと思いました。
言葉のチカラの殺傷力は強いのですから。
投稿: ひでき | 2006年3月31日 (金) 18時09分
そのメディアのありようを視聴率と広告という形で選択投票しているのもまた自分達である、ということは一点付け足したいと思います。
(構造問題も含むので事態はもうちょっとややこしいですが)
投稿: SW | 2006年4月 2日 (日) 22時49分
SWさん、こんばんは、
本当に事態はややこしいわけですが、それすらもまだ平穏な日々というか、今後ネット界隈、ブログ界隈というのは、陸戦、海戦という二次元から飛行機と新型爆弾が加わって三次元の戦いとなったように、時間軸のスピードが全く異なる世界が出現し、先物と現物というか、四次元の戦闘になってくるくらいの違いが出てくるような予感がします。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2006/04/post_e0da.html
いずれにせよ、結果はかなりのボラティリティーが生じ、世界の大勢の決し方が変わり、純粋リアルに残される力はごく小さくなる可能性があります。
投稿: ひでき | 2006年4月 2日 (日) 23時43分
言わんとすることはなんとなく分かっているつもりですが、更に。
根本的なコスト構造、技術制約は変更出来ないですが、その上のサービス設計というのは選べるんですよね。
現状ある形は、実は中長期的には必ずしも前提とされないということもポイントになるはずです。全部ではないですが、形もまた変えられます。そして、その形を選択するのもまた、自分達だったりします。
「結局のところ、ポジティブなんかネガティブなんかどっちやねん」とか言われてしまいそうですが、それさえもある程度かまでは選択可能と言えます。
自分達が本当に良いと望むものは何か。
投稿: SW | 2006年4月 3日 (月) 02時18分
SWさん、こんばんは、
「自分達」がどれくらいのマスなのかというのがひとつの分岐点になってくるとは想います。いくらネット界隈で、ウェブ2.0でロングテイルだと言われても、「総意」を形成しうるマスが集まりうるのか、共感を呼べるのかというのがひとつのポイントでしょう。
例えば、今回の民主党への評価についてもあっという間にかたが着いてしまうということに、拙速ではないかという想いと、これがネット界隈のチカラかもしれないという想いがあります。
「選択可能性」ということについては、ゲーム、MMORPGなどのようなヴァーチャルな世界をどう選ぶかという問題につながりそうな気がしてきました。マトリックスのザイオンのコントロールルームを覚えてますか?
投稿: ひでき | 2006年4月 3日 (月) 18時28分