2025年秋に放送を開始したNHK朝の連続テレビ小説『ばけばけ』。主人公のモデルとなった小泉八雲・セツ夫妻がよく分かる本について、八雲のひ孫で小泉八雲記念館館長の小泉凡さんに聞きました。最終回はセツに関する本、八雲についての研究書などを取り上げます。
1回目
『ばけばけ』だけじゃない ひ孫が語る小泉八雲、世界も再評価
2回目
『ばけばけ』小泉八雲の『怪談』 多くの訳本の中でひ孫のお薦めは?
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「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です」
今回は小泉八雲の妻・セツに関する本を紹介します。
1冊目はセツ本人が語った『
思ひ出の記
』(小泉セツ著、小泉八雲記念館監修/ハーベスト出版)です。
2024年に旧字・旧仮名づかいを改め、新たに注を設けた新装版が出版されました。『思ひ出の記』は八雲の死後、セツが13年8カ月の結婚生活を口述し、それを八雲の書生でセツの遠縁である三成重敬さんが筆録したもの。いわゆる「身内による暴露本」的な本は、あまり赤裸々に書き過ぎると品位が落ちたり、悪意が感じられたりするのですが、三成さんの謙虚な人柄もあって、そうした嫌らしさが一切ありません。とても品のある文章です。本当にセツしか知り得ない八雲の思い出について語られています。
私はこの本を読んで、セツと八雲が暮らした13年8カ月はお互いの人生においてハイライトだったのだと感じました。2人がどれほどお互いをリスペクトしあっていたかも分かります。
ある時、セツが「私が女子大学でも卒業した学問のある女だったら」と学歴がないことを嘆くと、八雲は「誰のおかげで生まれましたの本ですか? 学問ある女ならば、幽霊の話、お化けの話、前世の話、皆馬鹿らしのものといって嘲笑(わら)うでしょう」と。そして、書棚の前に連れて行き、「この本皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。世界で一番良きママさんです」と言ったのです。それに対してセツも「世界で一番良きパパさん」と感謝を述べています。
八雲が亡くなるときには不思議な出来事がたくさん起きます。なかには涙が出るような感動的なシーンもあり、『思ひ出の記』の草稿を読んだ坪内逍遙は「感涙した」と言ったそうです。
また、この本は後に夏目漱石の妻である夏目鏡子さんの『漱石の思い出』の刊行にも影響を与えたともいわれています。
セツの生涯に迫る唯一の評伝
2冊目は『 八雲の妻─小泉セツの生涯 』(長谷川洋二著、潮出版社)です。八雲ではなく、セツに焦点を当てた評伝はこの1冊のみ。著者の長谷川洋二さんは自宅のある鎌倉から松江に足しげく通い、この本を書き上げました。歴史家である長谷川さんらしく、セツの生家である小泉家菩提寺の過去帳や、松江藩士の公的記録など地方史を徹底的に探究しています。そのため、セツの生涯がこの1冊に凝縮されています。長らく絶版だったのですが、再版されて読めるようになりました。
ひ孫が語る曽祖母のエピソード
3冊目は『 セツと八雲 』(小泉凡著、聞き手・木元健二、朝日新書)。曽祖母セツと私を直接つなぐ唯一の逸品は、私が生まれ育った世田谷の家にあったセツ愛用の姿見です。7歳の頃に買ってもらったゴム製のサッカーボールでひびを入れてしまった鏡です。「しまった!」と思い、はじめて鏡を間近でみると、木製のフレームの右側だけが色あせていることが妙に気になったのです。叱られついでに親にわけを尋ねると、セツは晩年までこの鏡の前で身だしなみを整えるのが日課で、その際、必ずぬれ手ぬぐいを右側にかける癖があったとのこと。幼心に、凛(りん)とした姿の曽祖母をイメージしたのです。
そんな秘話を引き出してくれたのは、2024年春まで3年間、朝日新聞松江総局に勤務されていた旧知の木元健二記者。朝日新聞山陰版の「私のそれから」というコラムで17回にわたって私の半生を取材し、書いてくださった方。『ばけばけ』制作の発表以降、人生で経験したことのない慌ただしさに見舞われている私を、温かく見守りつつ、取材を続けてくださり、生まれた本です。
八雲を学術的に捉える1冊
朝の連続テレビ小説で八雲が注目されていることもあり、ここからは改めて八雲の功績も振り返りたいと思います。八雲についてはさまざまな研究書が出ていますが、近年では『
ラフカディオ・ハーンと日本の近代 日本人の<心>をみつめて
』(新曜社)が素晴らしいと思います。著者の牧野陽子さんは長年、比較文学研究をされてきた方。この本では八雲が見い出した「日本人の心」、すなわち「生者も死者も異界も自然もすべてつながる古代的な宗教的感性」をはじめ、八雲が説く国や民族、文化の違いを超えた普遍的な人間の心について、比較文学の広範な事例から解き明かしています。
各章ではグリフィス、イザベラ・バード、柳田國男、柳宗悦、芥川龍之介、林芙美子などを取り上げ、ハーンの思考や作品との比較、影響関係についても深く探究しています。牧野さんの研究の集大成ともいえる1冊です。
八雲の穏やかな声音が聞こえてきそうな講義録
続いては『 小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために 』(ラフカディオ・ハーン著、池田雅之編訳、角川ソフィア文庫)。
こちらは120年以上前に帝国大学文科大学(現・東大文学部)で行った最終講義を含む16編の講義録の翻訳書です。池田雅之さんの訳が読みやすく、講義内容も「文学における超自然的なものの価値」「詩歌の中の樹の精」「妖精文学と迷信」と八雲らしさ全開。いかにゴーストを大事に思っていたかが分かります。
八雲は講義ノートなどを用意せず、メモ書きを見ながら話していたとか。それでもちゃんと講義になるように話し、そこには詩的な言葉も入っていました。そして、それを速記のように書き留めた学生がいたから、講義録として今の世にまで残った。講義録が残っている作家はそれほど多くないと思いますので、ありがたいことですね。読んでいると、教壇から八雲の穏やかな声音が聞こえてくるようで、ライブ感が楽しい1冊です。
八雲のオープン・マインドを子どもたちにも
最後は今の子どもたちにも八雲を読んでもらいたいと思い、児童書である『 小泉八雲と妖怪 』(小泉凡著、玉川大学出版部)を紹介します。「見えざるもの」にひかれ、名もなきものたちの声を聞きつづけたその八雲の生涯を私が八雲本人になりかわって書いています。
この「知のパイオニア」シリーズでは『寺田寅彦と物理学』『岡倉天心と思想』『柳宗悦と美』など、各分野の偉人を取り上げており、八雲は妖怪のパイオニア。妖怪の名前だけでは伝承されにくかったところを八雲が「怪談」という物語にしたからこそ、人々の心に響き、記憶に残ってきたのだと思います。
ちなみに八雲は幽霊の話も多く書いていますが、「幽霊」と「妖怪」はどう違うのでしょうか。こちらについては妖怪学の第一人者である小松和彦さんが、妖怪には3つの側面があると言っています。
1つは「現象」。誰もいないのに物音が聞こえる、神隠しに遭うといった不思議な現象。2つ目は「存在」。不可思議な現象を引き起こす存在、例えば狸や狐、鬼といった存在です。幽霊も不思議な現象を起こす超自然的存在だから妖怪といえるでしょう。そして、3つ目が「絵画・造形化」。中世以降、妖怪は絵巻物の百鬼夜行や水木しげるさんの漫画などで描かれることで、その存在が定着してきました。
私は今後も八雲の怪談が読まれ続けてほしいと願っていますが、読み方や解釈は自由にしてもらうのが一番です。
1回目
の記事でもお話ししましたが、八雲はオープン・マインドな人で、「怪談には一面の真理がある」と言いつつも、人々にそれを押し付けることはせず、余白の部分に少しの示唆を感じさせる程度でした。
この世は人間の世界だけでは完結しない。八雲の本が見えない世界や自然に敬意を払い、五感を研ぎ澄ませて生きるきっかけになれば幸いです。
取材・文/三浦香代子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/吉澤咲子






