傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

アメリカン・クッキーと異国の花嫁

 今年はもう、クリスマスから日本に帰っちゃおうかなあ。

 姉がそう言ったのでわたしはいくぶん驚いた。姉は十数年前にアメリカで就職しており、航空券が安い時期にしか帰国しない。もちろん年末年始に帰国したことはない。けちなのである。
 この数年にかぎっていえば、わたしたちの父は亡くなり、母はわたしたちの育った家を売って高齢者住宅に入った。わたしは東京にいるが、住居に客間なんぞありはしないし、年末年始もわりと仕事である。姉が帰国したところで泊まるところもなく、迎える人もいないのだ。高騰している都内のホテルを取るのか。けちなのに。
 わたしがそのように尋ねると姉はモニタの向こうで渋面をつくり、だって、と言う。クッキーがあるからさあ。なんか、つくづくいやになっちゃって。
 クッキー?

 姉はふだん、パートナーのジェイと、そのあいだに産まれた子どもと三人で都市に住んでいる。ジェイは白人男性である。
 ジェイの両親ときょうだいは他の州の郊外に住んでいて、姉が移民であることや非白人であることについて直接あれこれ言うことはないらしいが、「それにしたって田舎の年寄りだからさあ」と姉は言う。わたしは口をはさむ。人口密度の低い小規模自治体にだって現代的な考え方の高齢者はいるでしょうよ。
 しかしジェイの親族は、同世代であるジェイのきょうだいたちも含めて、だいぶ、オールドファッションドな人々であるようだった。姉は言う。彼らは善良な人たちなんだ。なにしろわたしが行くと皆でOrigamiを折るタイムがもうけられる。
 うへえ、とわたしは言った。それほんとに現代の話?
 姉は画面の中で肩をすくめ、歌うように告げる。彼らは、異国から来た花嫁をやさしく受け入れて、その文化に寄り添う、そしてクッキーを焼くーー女たちだけで。

 わたしはもう一度、うへえ、と言い、それから尋ねる。
 なんで行くの。シンプルに不快だし、向こうだって別に姉ちゃん個人が好きってわけでもないでしょ、なんせ何年経っても解像度がOrigamiどまりなんだから。ジェイが帰省したいなら一人で帰ればいいじゃん。子どもを連れていきたいなら彼が連れていけばいい。
 姉は言う。わたしはあんたみたいな異常個人主義人間じゃないから、夫の実家を「無関係」とか言えないの。ジェイの親はいちおう「義両親」なの。
 わたしは「ふーん」と言う。わたしは現在のパートナーから結婚をオファーされたとき、いくつかの条件をつけて受諾した。そのうちの一つが「あなたと婚姻契約を結ぶことは可能だが、それを根拠にあなたの親兄弟と『義家族』になることはない」というものである。姉はわたしのそのような言動をさして「異常個人主義人間」と言う。何が異常なのか。明治憲法下みたいなこと言ってるほうが異常だと思う。
 まあとにかく、姉はクリスマス休暇くらい『義家族』とうまく過ごしたいと思って毎年行っていたものの、そろそろ限界らしかった。

 なにがいやって、誰も食べないの、あのクッキー。
 姉がつぶやく。焼きたてが出されて皆がオオって言ってつまむ、っていう流れはあるんだけど、そのあと誰かが食べているのを見たことがない。帰りにカンカンに入れたやつを持たされるんだけど、ジェイも全然手をつけない。しょうがないからわたしが一生懸命食べるはめになる。
 いや別にまずくはない。普通のアメリカン・クッキー。普通のレシピでそこそこ衛生的に作られている。でも食べる気になれない。別にまずくはないんだけど。

 捨てれば。
 わたしがそう言うと、姉は、食べ物を? と念押しする。食べ物を、とわたしは繰りかえす。わたしたちは「食べ物を粗末にしてはならない」という教育を受けて育った。
 しかし、わたしが思うに、そのクッキーはたぶん食べ物であるより前に、記号なのである。
 家族の中には一時的な諍いも不仲もあった。息子は遠く離れた都会でよくわからない嫁をもらった。しかし、今ではみんな仲良しだ。クリスマス休暇には離れた家族も帰ってきて、皆でクッキーを焼く。
 そういう物語を象徴するのが、そのクッキー作りなのだ。家族(のうちの女性たち)で焼いて、みんなで食べる。その光景こそが、姉の「義家族」の必要としているものであって、クッキー自体は持ち帰ったあと捨てたってべつにかまわないのだと、わたしは思う。なあに、バレやしねえよ。

 たっかい航空券買うくらいなら、クッキーを捨てなよ。そのほうがずっと安いよ。そんで無理なくゆっくり過ごせるときにおいでよ。
 わたしがそのように進言すると、姉は可笑しそうに言うのだった。あんたって、ほんっとーに、けちだよねえ。