SDGs(持続可能な開発目標)を巡るラグジュアリー界の最前線を追う連載企画。本記事では、25年近くにわたってこの分野を独走してきたパイオニア、ステラ・マッカートニーの取り組みにフィーチャーする。自身の名を冠したラグジュアリーブランドを創設し、クリエイティブ ディレクターとして活躍。これまでの歩みを振り返りながら、彼女が到達した現在地と、その先に見据える未来を探っていこう。
持続可能な世界へ 彼女が変革の口火を切った
モード界の重鎮、アナ・ウィンターは、米「TIME」誌のインタビューでこうたたえた。「ステラが変えるまで、ファッション界で『ラグジュアリー』と『サステナビリティー(持続可能性)』を同時に語ることは不可能だった」と。
ファッションのために動物が犠牲になるべきではない――ステラ本人の言葉を借りると、「動物にとって残酷で、地球に有害な習慣を終わらせるため」、2001年のブランド創設時に動物皮革、毛皮、フェザー、動物由来の接着剤を一切使用しないと宣言。
変革の口火を切ったデビュー当時、リアルレザーやリアルファーといった動物性のプレシャス素材を使わずに、ラグジュアリーブランドを成功させることは不可能だと、周囲に言われ続け、嘲笑されることもあったという。「エコな変わり者と呼ばれていました」と、後に彼女自身が回想しているほどだ。
ゲームチェンジャーが生まれるまで
1971年、英国・ロンドンで、音楽界のレジェンド、ポール・マッカートニーと写真家の妻リンダの間に生まれたステラ。両親ともに厳格な菜食主義者であり、動物愛護・環境活動家という家庭で育った彼女にとって、「人にも動物にもクルエルティフリー(研究段階でも動物実験をしないなど動物を犠牲にしない)であること」はごく自然で本質的な価値観だった。
幼少期は英国の田舎、イースト・サセックス州の農場に暮らす。当時は「サステナビリティー」という概念はほとんど存在しておらず、「オーガニック」という言葉さえも黎明(れいめい)期だった。だが、そうした価値観を自然に持つに至ったのは、両親がオーガニック農業のパイロット事業に参加していたからだ。農場生活と華やかなステージやツアーを行き来しながら、筋金入りのエコロジストの感性は育まれた。

1973年のマッカートニー一家。当時2歳だった末娘のステラ(左)は、父ポールの腕に。労働者階級出身のポールは地に足の着いた暮らしを望み、子どもたちを地元の学校に通わせた。公の場では有名でありながら、私生活ではごく普通の家庭だったという
デザインは12歳から 着実に自らの道を開く
ステラは12歳からデザインを学び始め、ロンドンの名門芸術大学、セントラル・セント・マーチンズ美術大学へ。今に続く活躍を果たしたのは、著名一家に生まれたイットガールだから、と見る向きもあるかもしれない。
だが、実は15歳の頃からクリスチャン・ラクロワのクチュールコレクションを手伝い、大学在学中には、英国ビスポーク・テーラーの聖地、サヴィル・ロウでも修行を積んだ実力の持ち主だった。
1995年、ケイト・モスやナオミ・キャンベルらが友情出演したセントラル・セント・マーチンズ卒業コレクションで脚光を浴び、卒業からわずか2年後の1997年には、25歳の若さで「クロエ」のクリエイティブ ディレクターに就任。サヴィル・ロウ仕込みのテーラリングを駆使したセクシーなスタイルで、その名を轟(とどろ)かせる。
そして2001年、当時のグッチグループ(現ケリング)との提携のもと、ラグジュアリー ファッションハウス「ステラ マッカートニー」を立ち上げた。地球上で大成功を収めたスター、“サー”ポール・マッカートニーの娘という枕詞(まくらことば)を飛び越えて、自らの道を歩み出したのだ。

ステラ・マッカートニー 1971年、英国・ロンドン生まれ。1995年にセントラル・セント・マーチンズ美術大学を卒業。1997年より、カール・ラガーフェルドの後継者として「クロエ」のクリエイティブ ディレクターを務めた後、2001年にグッチグループ(現ケリング)とのジョイントベンチャーで「ステラ マッカートニー」を設立。2004年以降はアディダスと長期パートナーシップを継続。2018年4月、ケリングが17年間保有していた株式の50%を買い戻し、独立企業に。翌2019年7月には、LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトンと提携し、LVMHグループのベルナール・アルノー会長兼CEO(最高経営責任者)の特別顧問としてもサステナビリティーを推進。2025年1月、LVMHが保有する株式49%を買い戻し、LVMHから独立。LVMHのアンバサダーとしての役割は継続しつつ、独立企業として自らのブランド哲学をより深く追求。プライベートでは、英国「Wallpaper(ウォールペーパー)」誌の元パブリッシング・ディレクターであり、現在は「アデイダス」のチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めるアラスデア・ウィリスと結婚し、4児の母



















































