短期記憶をなくすということ

ここのところ連続して90歳を迎えた老母の話を書いている。

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ほかにネタはないのかと言われそうだが、ネタはある。ただ、タイミングを見計らっているうちにどんどん逃げていく感じで、記事にあげていない。それでもひとつは遠からず書くはず。

ともかくも、今回もその老母のことだ。相変わらず私は数日おきに顔を出して、買い物その他の日常のサポートをしている。だから、高齢者を抱えた世間の人々が経験している介護の苦労のようなものとは、いまのところ無縁だ。基本的な日常生活は、自立している。私の介助は必要としていない。この先、日常の動作が自立できなくなったら、そこからはかなりたいへんだろうと予想できる。だから、できるだけ自立を失わせないようにと、そこは心がけている。

それでも徐々に失われていくものはある。小さなことではある。たとえば、この夏には長年続けてきたヨーグルトづくりがついにできなくなった。本人の感覚としては「できなくなった」ではないのだけれど、やっても失敗するし、実際にやらなくなったのだから、「できなくなったこと」のひとつといっていいのだろう。買い物に出ると「ヨーグルトの種菌を買わなきゃ」と言う。「いや、買い置きが家にあるから」と言うと納得するのだが、その買い置きの菌を使ってヨーグルトをつくるのかといえばそれはやらない。それがもう数ヶ月続いている。たぶん1990年代の「カスピ海ヨーグルト」ブームの頃から続けている習慣、もっというなら1970年頃にヨーグルトメーカーを買ったときから断続的に続けてきた習慣が、ついに終わりを迎えた。

それでもヨーグルトは買えば済む。家庭菜園の世話は、すっかりできなくなった。これは意外だった。田舎に住んでいたころ、高齢の婆さん方の畑に対する情熱にはいつも感心させられたし、いろんな知恵を授かることも多かった。身に染み付いた農作業の感覚はどれだけボケようと失われないのだろうと思っていた。けれど、これが見事に失われた。どういうことか。

短期記憶が失われるということは、日付の感覚がなくなるということだ。認知症の検査で「いまは何年の何月何日ですか」と聞くのがあるが、老母はだいぶ前からこれに答えられなくなっている。いや、ちゃんと対策はあって、そういうときには必ずiPhoneを見る。けれど、自分の中ではもういまが何月なのか、春なのか秋なのかということがさっぱりわからなくなっている。なので、つい先日も、「そろそろ夏野菜の苗を植える時期かな」みたいなことを言っていた。「いま11月」と言うと「えっ、これから寒くなっていくの?」と驚く。こういう感覚で、野菜の世話がうまくできるはずはないだろう。季節外れに野菜くずから伸びてきた西瓜のつるを大事に育てていたのはついこの夏のことだ。もっとも、これは今年の異常気象のもとでどういうわけだかうまく育って10月の末に美味しい実をつけたのだけれど、同様に伸びていたカボチャのつるは実をつけないままに枯れた。去年はトマトが「さあこれから」という時期に抜かれていたし、今年の夏野菜が早くに終わったのも(猛暑のせいだとは思うが)早くに見切りをつけてしまったせいなのかもしれない。日付がわからなくなり、季節感が失われると、いまどういう世話をすれば野菜が喜ぶのかがわからなくなる。

老母の認知症で、失われているのは短期記憶だけだ。短期記憶が失われても長年の蓄積で獲得してきた知識は失われていないし、目の前のタスクに対する判断能力も処理能力も失われていない。だったらなんとかなるだろうともいえる。実際、なんとかなっている部分は大きい。食事の支度は冷蔵庫をあけて適当なものをつくれるし、床が汚れていたら掃除機をかけることもできる。ただ、技能と判断力だけで解決がつかないこともある。

たとえば洗顔や歯磨きだ。どちらも長年やってきたことだから、何不自由なくできる。ただし、やったことを忘れる。なので、ときには二度、三度と同じことを繰り返す。まあ、歯なんて何度磨いたってかまわないだろう。たとえば入浴だ。短期記憶が失われても、完全になくなるわけではないから、「昨日、風呂に入った」というぼんやりした記憶は残る。ただし、時間の見当識が失われているため、その「昨日」が、カレンダー上で1日前なのか2日前なのか、あるいは1週間前なのか10日前なのか、それが不明になる。なので、何日も風呂に入らずシャワーも浴びないという日が続くことになる。

このことに気づいたのはつい最近で、それは何の気なしにテーブルの上に置かれていたガスの伝票を見ていたときだった。老母がどれだけの光熱費を使っているのか、私はほとんど気にとめたこともなかった。なにせ全てクレジットカードの引き落としだし、口座には現金が十分すぎるほどある。エネルギー効率のわるい広い家なので一人暮らしにしては余分にかかるけれど、まあそれは私の知ったこっちゃない。なのでこのときも、特にチェックするつもりもなくぼんやり見ていたのだけれど、そこではたと気がついた。ガスの使用量が、同じ一人暮らしである私の使用量の半分しかない。私はどちらかといえばケチって使っているし、月のうちに何回かは老母の家に泊まっているわけだから、その分は使用量は減っている。それなのに老母の方の使用量が半分しかないのは、明らかにこれは風呂・シャワーを使っていないのだとわかる。

毎回、私は来るたびに「風呂は入っているか」と確認はしていた。そのたびに「昨日は入った」と返事が来るから安心していたわけだが、短期記憶がなくなった老母にとっては、以前のことはすべて「昨日」であり、必ずしも「カレンダー上の前日」ではないのだ。だからおそらく、月に数回しか風呂・シャワーを使わなくとも、「昨日入ったから大丈夫」となるのだろう。

洗顔・歯磨きを何度も繰り返すのと、風呂・シャワーに入らなくなるのと、現象としては真逆に見えるが、結局は同じことだ。どちらも短期記憶が失われることによるものであり、洗顔や歯磨きは繰り返す負担が小さいから「わからないのならやっとけばいい」になるし、風呂・シャワーは負担が大きいから「わからないならやめとこう」となるだけのことだ。同様に、薬はいつも処方された量の半分くらいしか飲まないのだけれど(毎回の通院で残薬調整をお願いしている)、それも「わからないなら控えておいたほうが安全だ」という判断から来ている。このように、短期記憶がないという現象に対するその場その場の判断は適切に実行しているので、なんとか日常の自立を保っているともいえる。10日も風呂に入らないのは「なんとかなっている」のうちなのか? だいぶとギリギリのところまできているとはいえるだろう。

 

問題なのは、そういった日常のタスクではない。それ以外のことだ。それはたとえば見舞いであったり葬式であったりという非日常のことである。このことは以前にも書いた。非日常のことは社会との関わりでもあるし、ある程度の社会との関係性を保つことは高齢者といえど重要だと思うので、そこを遮断すべきではない。親戚の若い人たちがたまに子連れで老母を訪問してくれるのだけれど、それはいい刺激になるので本当にありがたい。思えば両親は彼らが子どもの頃に夏休みに長期に滞在させてあちこち連れ歩いていた。そんなことが思い出となって訪ねてきてくれるのだから、人の世話が巡り巡って自分のところに返ってくるのだということでもあるのだろう。そういった人と人との関わりは、長寿をささえるものでもある。

ただ、こういった非日常には、その対処に必ず記憶を必要とする。一般にというわけではない。老母にとっては、「事後にすべきこと」が重要なのだ。

「写真を送ってやらんといかんのやけど」
「いや、もうLINEでデータ送ってるから」
「そうか。もうそれでええんやね」

この一連のやりとりを何十回繰り返すことか。老母は若い頃、写真を趣味にしていた。なにせ、専用の暗室をもっていたほどの入れ込みようだったのだ。その時代、なにかイベントがあったら写真を選定し、トリミングし、プリントし、配列を工夫してアルバムをつくって関係者に贈るのが彼女の楽しみだった。そこまでするだけの体力がなくなってからでも、ベストショットを大きめの判にプリントして郵送するのは当然のことだと考えていた。世の中からDPEショップが姿を消していくと、性能のいいプリンタを買った。物理の形にして保存するのが常識の時代を生きてきて、その後は老境に入った。

だから、いまだに写真はプリントして郵送するものだし、その際に「ここをカットしてこのぐらい角度を直して」みたいなことを考えるのはあたりまえだ。だから、「ちょっとお願いがあるんやけど、この写真、こんな感じでプリントして送って」と言ってくる。いや、いまはそういう時代じゃないし、デジタルだから大量に撮れるし、だったらそのままデータを送っときゃ済むんだし、実際にもう送ったのだからということを説明しなければ納得しない。

そんな説明ぐらい、どうということはない。けれど、それを「写真を送ってやらんといかんのやけど」からはじまる依頼に対して1日に10回も20回もやらねばならなくなると、ちょっと「どうにかしてくれよ」という感覚が生じてくる。禁句だとわかっていても「さっき言うたやないの」と文句を返したくなる。そして、そのうんざりした顔が老母の感情を傷つけることになる。なんでこっちがうんざりしているかなんて覚えていないのだから、ただ「お願いしたことに嫌な顔をされた」という事実だけがそこに発生する。そして、そういうネガティブな記憶だけは不思議と消えない。

 

高齢者と付き合っていく上で、バテないためにはできるだけ多様な支援のオプションを用意しておくことが重要だ。だからこの春には「要支援」の認定もとったし、この夏には具体的に動かす相談もして、10月の頭からデイサービスの利用もはじめた。これに関してもいろいろと老母の思い込みと現実のズレみたいなことがあって、事細かに書いてもそれはそれで話にはなるのだけれど、とりあえず1点だけ書いておく。それはデイサービスに通いだしてすぐ、「あそこの支払い、あんたが出してくれてるんやろ。それは私が払わなあかん」みたいなことを言うようになったことだ。それもほぼ3分おきぐらいに。

もちろんそういう事実はなくて、利用料金は老母の口座から引き落としの契約になっている。その書類に記入・押印してサインしたのは老母自身だ。説明を受けて書類を渡されたら、そのぐらいのことはできる。そういった判断力、対処能力に何ら衰えはない。ただし、その事実を覚えていられない。即時に忘れる。

けれど、「何らかのサービスを受けたら対価を支払わねばならない」という長年の間に身に着けてきた生活技術は失われていない。そしてデイサービスは現金払いではない。よって、デイサービスに行くたびに、「支払いはどうなってたっけ」という疑問が湧く。そして、私に尋ねる。その返事に納得する。そしてすぐに忘れる。ただし、「支払いはしなければならない」という感覚は残る。よって、またすぐに尋ねる。これを永遠に繰り返す。

メモをすればいいのだ。実際、それは本人もわかっているからメモを取る。同じことを書いたメモがどんどん蓄積していく。蓄積するメモは、もはやメモの用をなさない。さらに、私がいないあいだには、「支払いどうなってる?」「立替えてもらってる分を払うこと」みたいなメモが蓄積している。それをすべて廃棄しないことには、いくら正しい状況を書いたメモがあっても意味がない。

あんまりにも面倒になったので、引き落としの契約時に受け取った控えを渡して「これに書いてあるから」と言ったこともある。すると書類を仔細に読み始め、
「へえ、あそこって会社の名前は屋号とちがうんやねえ」
みたいなやたらと細かいことに感心する。そして、
「それはそうと、支払いはどうなってる?」
「その先に書いてある」
しばらく読み進めて、
「この口座って」
「お母さんの銀行口座。そこから引き落とすことを書いた書類や」
「これ、私の字? 下手くそやね」
「自分の字くらいわかるやろ。私の字はもっとこんなふうや」
「そやね。私の字やね。下手くそになったなあ、って、もともとか。ところで、支払いはどうなってるの?」
「その支払いを引き落としするのに、そのサインがしてある」
「ああ、そういうこと。ふうん、いろいろ細かい説明もこっちに書いたあるわ。なるほどね。ところで支払いは?」

と、こんな調子だ。それでもようやくに理解できて、その書類を定位置にしまって、じゃあお茶でもいれようかとその支度をはじめて数分後、
「ところで気になってるんやけど、金曜日に行ってるところの支払い…」
と、新たな波状攻撃が始まる。正直、やってられない。

 

福祉関係の人の話を聞くと、「何を聞かれても、何回目でも、気にせずに〈そうですね〉と答えておいたらいいんですよ」みたいに言う。それはそうだろう。プロだ。

高齢者は、基本的にほぼすべての社会的責任から免除されている。もちろん法律を守ることとか契約に従うこととか、そういうレベルで責任を免れるものではないけれど、たいていのことは周囲が代行してくれることになっている。高齢者が最も気にかけるべきは自分自身の日常であり、「生きのびること」である。それが怪しくなっている要介護・要支援の人々はなおさらだ。それ以上のことはたいていは家族をはじめとする周囲の支援者が段取りしてくれるのだし、それが不可能な場合は福祉が手を差し伸べてくれる(はずだ。そうあってほしい)。だから、責任を負う必要のない高齢者には、当たり障りのない「そうですね」程度の無難な返答を返しておけばそれで足りる。ひどい言い方かもしれないが、どうせ3分たてば忘れるのだ。それよりは、その瞬間に幸せであるほうがよっぽど重要だ。「そうですね」という肯定の言葉には、それだけの力があるだろう。

一般論としてはそうだ。けれど、息子として老母に対峙するときに、それは通用しない。期待されていることが全く違う。外部のプロであれば、「あの人はなんかようわからん返事をするけど、とにかくちゃんと仕事はしてくれるし、いろいろ助かる。ありがたいわ」という印象になるだろうけれど、息子に対しては「人が尋ねたことにはちゃんと返事しなさい」と、教育的指導が入るだろう。いくら老境に差し掛かろうが、親は親だ。子どもには過度な期待をかけるし、期待通りに動かなければ「私の育て方が悪かった」ぐらいの惨めな気持ちになるだろう。

息子としては、親の疑問に対しては真摯に納得のいく答えを返さねばならない。それぐらいはわけはない。ただし、それが何回も同じ繰り返しになると、耐えられなくなる。悪気はないのはわかっている。それだけに、「どうにかしてくれよ」という気持ちになってくる。

 

老母を見ていて、人間は短期記憶なんかなくったって生きていけるものだなと思うようになった。自分の記憶がもたないような人生を、以前私は想像もできなかった。けれど、たとえ5分前のことを覚えていられなくなっても、自分自身がしっかりと状況に対応できるだけの判断力と行動力を備えていれば、生活はできる。自分のめんどうを見ることぐらいはできる。

その一方で、社会と関わるときには、短期記憶は重要だ。だから短期記憶が怪しくなったら仕事はできなくなる。それはもうしかたないとして、短期記憶がないと他人との関わりに支障をきたすようになる。なかなかたいへんだ。

たとえば、かつて田舎でかかわった高齢の婆さんのことを思い出す。そういえば、畑で「あんた、よかったらウチで使ってない備中あげるで」みたいに言われたことがあった。もらえるものはなんでももらいたいからと後で取りに行くと、「あんた、何しに来た」みたいな顔をされた。その頃の私に認知症の知識はなかったから「話の辻褄が合わんなあ」と思いながらも、特にほしいわけでもなかったから「いや、いいんですよ」みたいに帰ったのだけれど、あとでその家の人が「なんかうちの婆さんが変なこと言いましたか」みたいなことを言っていたな。

あるいは、私が東京から引っ越して2年ぐらいたった頃だったか、以前住んでいたアパートの前を通ったときのこととかも思い出す。まあ、懐かしいからちょっと回り道をして通ったのだけど、たまたま管理人の婆さんが表に出ていた。挨拶すると「まあ、珍しい」と話が盛り上がり、「急ぐのかい」「いえ」「じゃあ、お茶でも飲んで行きなさい」みたいな感じでアパートの裏の婆さんの家に通された。「あんた、今夜はどこに泊まるんだい」「まだ決めてないんですよ」「じゃあ、うちに泊まればいい」なんて話があって、なんとなくそのまま泊めてもらうことになった。それが晩飯もごちそうになって、テレビを見てる最中に「で、あんた、今夜はどうするんだい」と尋ねられて、ぎょっとした。いや、泊めてもらえるという話だったんじゃないのか? まあいまから安宿でも探すかと思っていると、「あんた、もう遅いから泊まっていけばいい」と、いま思いついたように言う。それで結局泊めてもらったわけだけど、あれも結局は短期記憶がなくなっていた状態だったんだなと、いまにして思う。

ただ、あの婆さんが豪快だったのは(他人を一人暮らしの自分の家に泊めるところもそうだけど)、忘れてしまっていても別に何も困らない鷹揚さがあったことだろう。そして常に相手が何を必要としているかを感じ取り、自分ができることを提案した。そのことを改めて考えてみると、短期記憶がないことがそこまで支障をきたすものでもないような気もしてくる。自分自身の芯がしっかりしていれば、短期記憶なんて、なくったって人と関われる。自分自身の言動が一貫していれば、記憶によって一貫性を保つ必要なんかないのかもしれない。

いまでも私は、あの夜、婆さんに聞いた話を覚えている。第二次世界大戦直後の復興期の東京を婆さんは文字通りもろ肌脱ぎになって土方仕事をやって支えた。この腕で舟いっぱいのコンクリを撹拌したんだと見せてくれた。そんな婆さんの思い出話は、私の宝物でもある。

短期記憶をなくした高齢者でも、そうやって人に宝物を与えることができる。それは高齢化が進んでいくこの国にあって、ひとつの希望ではないだろうか。うんざりする気持ちのなかにあっても。