■オビワン・ケノービ
映画「スター・ウォーズ」の登場人物であり、ジェダイの騎士。「エピソード4〜6」ではアレック・ギネスが、「エピソード1〜3」ではユアン・マクレガーが演じた。
アナキン・スカイウォーカーと、ルーク・スカイウォーカーという二世代の主人公に師匠としてフォースの道を教えた人物で、「最も狡猾にして、洞察力のあるジェダイ・マスター」と評される。
各種の能力は経験に裏打ちされた高いレベルに達しており、フォースの力も、剣術の腕前も強力。長きに渡る修行の末、フォースと一体となった亡き師たちと交信する術を体得し、自身も死後はフォースと一体になる術を身に付けた。
(Wikipediaより抜粋)
残菊の折、貴社におかれましては皆様がご壮健で、ますますご発展のこととお喜び申し上げる今日この頃。
来たるべき長い冬への支度として、そろそろ「オビワン・ケノービ」に似た言葉を集めたくなる季節ではないでしょうか。
可能性として。
それはあくまで、ひとつの可能性として。
オビワン・ケノービに似た言葉とは、こういうものである。

うん。
似ている、と言っていい。
一瞬「オビワン・ケノービみたいに言った?」と勘違いしてしまうかもしれない。
屁をこいた中身や状況のことは、いったん深く考えずにおこう。
味わうのはオビワン・ケノービという固有名詞がかもし出す流れ、ノリ、パッション。
口の中で転がす感覚。
ケノービがかき鳴らす、5弦のひずみ。
そういうものだ。
準備はいいだろうか?
もっと続けようじゃないか、この“歌”を。

いいぞ。
「他人のお子さんを外道呼ばわりて!」と思うかもしれないが、ある。そういうこともある。
よほどのことが起き続けるのが、現実というものだ。
あの純真無垢で可愛かったお子さんが、外道に成り下がることも平気で起こる。
そもそも「スター・ウォーズ」がそういう話だったな。
何かを強く愛するがゆえ、人は悪にも染まってしまう。
……そんなことを考え出すと、「お子さん、外道に」と「オビワン・ケノービ」の距離は近すぎるかもしれない。
これは要注意だ。
せっかく感覚の世界にいたのに、これでは、頭がどんどんと“意味”を追い求めてしまう。
もっと意味の世界との適度な距離のある、美しい「オビワン・ケノービ」に似た言葉を見つける方法はないだろうか。

今回もオモコロというメディアの組織力を活かし、所属するライターのみんなに「オビワン・ケノービ」に似た言葉を知りませんか?と尋ねて回ってみた。
読み終わればきっとあなたの胸の中にも、オビワン・ケノービに似た言葉が生まれているはずだ。
それでは、始めていこう。

いいじゃない。
シンプルに、オビワンの部分をおじさんに置き換える。
この単純さが嬉しい。「結局、冷奴で飲んじゃうんだよね」と言っている時の気持ちよさのような。
おじさん飛行機は、何がしかの「正解」を知っている。いや、知ってしまったと言うべきか。
安心と哀愁の入り混じったような表情を、おじさん飛行機はしてる気がする。

意味深だ。
何の意味もないはずの「5時半」という時間に、途端に重みが乗ってくる。
恐らく午後だろう。未亡人のいる5時半が、午前なわけはないという確信がなぜかある。
影の部分が濃い人たちによる重要な話が、これからきっと行われる。
松坂屋の7階で。

いやだ。
ガムか、それとも犬のヨダレか。とにかく本当にいや。
前髪と、時計の文字盤だけはべちょべちょにしたくない。それが人間にそなわる本能ではないだろうか。
一度でも文字盤べちょーりになった時計は、もう二度と正確な時刻を指し示さない気がする。

人生において、何だかとても丁度いい予定。
平日か、土曜の午前中にこの予定がカレンダーに入っている一週間を想像してみて欲しい。
だいぶ機嫌よくいられそうじゃないですか?
きっと当日の空も澄み渡っている。ミニバン試乗日とはそういう日なのだから。

語感が近い上に、オビワン・ケノービとの距離感がいい感じに開いている一文。
お彼岸のうららかさもあいまって、なんだか懐のあたりに温かい感覚がある。良い。
お彼岸の土曜、きっと自分は何かしらの和菓子を買い込み、煎茶とともに楽しんでいるはずだ。
そうありたい。そうあれかし。

そうなんだけど。
ここは味噌じゃなくて、コチュジャンを入れてピリ辛にしたいところなんだけど。
コチュジャンって使い切れる自信がなくて、家に常備してないんだよね。
あと、あの、めちゃくちゃ「匙(さじ)」にくっついてくる感じ!!!!
あれがあると、心底「コチュジャンだなぁ」って思える。

オイルヒーターをね、そろそろ出さないと。
ストーブに比べると強烈に暖かくなる感じでもないんだけど、なんか「よさげ」だし。
本当はファンヒーターとかでパッサパサになるぐらい温まりたいけど。
なんかオイルヒーターぐらいの温かみで満足できるのが「粋」なのかなって。
いや、もうちゃんと言おう。断熱性の低い家じゃ無理だ! オイルヒーターは!

忍者って、意外と手裏剣を投げたくない日もある。
「今日投げてもなぁ」って、なんか気が乗らない日が存在する。
一撃必殺の切り札でもない割に、意外と投げる時と、外した時の心理的負担がでかい。
一回投げたら変わっちゃうんよね、その日のテンションとか。
たかが手裏剣、されど手裏剣。

ここに決まること、ほぼない。

引き出しの奥にずっと引っかかっていたくしゃくしゃのプリントを引っ張り出した時に、この文字がちらっと印字されているのを見た記憶がある。
不思議と、そんな気がした。

ちょこちょこ国道沿いで見かけている気がするんだけど、いざ行こうかってなると全然ない。
夢庵は目的地にする場所ではない、たまたま導かれるものであるという気がする。
それは「フォースの導き」とも近いものと言えるだろう。May the Yumean be with you…

普通に恵方巻を食べることも飽きたな、という人がいたとする。
恵方巻の中身もサラダとか、エビカツとか、そういう変わり種も一通り食べちゃって、本当の本当に飽きたなという時。
その人は、お皿に山盛りにしたあんこを恵方の方角にそっと置くことを「恵方巻」と呼び始めるのではないだろうか。
ある日突然、恵方巻の構造を変えてしまうのではないだろうか。
そんな予感が、常にある。

昔、カウントダウンTVを見ている時、知る人ぞ知るアニメや声優の曲がこのくらいの順位に入ってきていて、「お」と思ったことがある。
初めてランキングに入ったことを示す、花丸のマークが順位の数字の後ろについている。
その光景が、何だか少し、嬉しかった。

薄そうなのに!?

「ぼぎわんが、来る」、その時に。
親戚から預かった甥を連れて来るってこともあるかもしれない。
まだ小さい子だと、家に一人で留守番させとくの不安だし。
ぼきわんも仕事に行かなきゃなんだけど、甥も連れてきて仕事場の共有スペースでちょっと座って待っといてみたいな。
ああいう時、職場の人から差し出されるお菓子とか漫画とか。
気を使わせてるなって気持ちと、ありがたさと。
両方が、来る。

東京から2時間くらい車を走らせると、自然と出てくる言葉。

最近は、新幹線の乗り場に向かう時、常に「海苔弁山登り」を入れていい腹か?と自問自答している。
大丈夫だよな?「山登り」食っていいよな?
着いてからすぐ飯とかではないよな?
出張は、最早「のり弁支給日」と同義だ。
楽しみたい、この日を。

壁掛けモニターを取り付けに、工事の人が家に来るぞという日の緊張感。
家の中なのにちゃんと着替えたり、リビング回りを綺麗にしたりして、午前中からずっとソワソワしている。
いざ取り付けが始まると、自分は特に何もやることがなかったりして、「ギュルルルゥン」というねじ回しの工具の音を聞きながらパソコンに向かって仕事をするが、どこか上の空。
施工が終わり、「詳しいことはここに書いてありますので」と説明書を手渡された時ですら、まだふわふわしている。
「一回、ビール飲みに行きてえ」と思っている。


ふと尿意を感じて目覚めるけど、どうせあと1時間ぐらいで起きなきゃいけないのかと思うと、なんか一回我慢しちゃったりもする?
しない?
今日は良かった。
たくさんのオビワン・ケノービに似た言葉を聞くことができた。
時が来れば、また会おう。
体温でいい具合に温まった布団の中で。
それまでにもし、あなたがオビワン・ケノービに似た言葉を見つけたなら、
#オビワン・ケノービに似た言葉
に、いつでもご投稿ください。


オモコロ編集部






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