宮城の人は誰でも知っているパンの店…焼きたて・揚げたて・作りたてを届ける「パンセ」
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「宮城で一番おいしいパン店といえば?」。地元の人たちに問いかけると、必ず名前が挙がるのが「パンセ」。いつも焼きたてが食べられると評判で、宮城の人なら誰もが知っているパン店だ。36年前の創業で、現在は仙台をはじめ県内に12店舗がある。創業者でもある菊地肇社長(77)に、経営にかける思いを聞いた。

郊外型大型路面店に客の車が続々
ドアを開くと同時に、香ばしい匂いが店の外にまであふれてきた。仙台東部道路・仙台港インターチェンジ近くにある、パンセ福室本店(仙台市宮城野区)。仙台市中心部から約10キロ離れ、車でも20分はかかる場所だが、家族連れをはじめとする客の車がひっきりなしに訪れる。
訪れた11月中旬は、ちょうど「チーズフェア」の真っ最中。「モッツァレラチーズドッグ」「やみつきチーズ」など、名前を聞いただけでも食欲がわいてくるようなパンが、入り口付近にたくさん並んでいた。
「焼きたてです。いかがですか」。元気な声で店員が運んできたのは「塩バターパン」。北海道産のバターと沖縄の塩「シママース」を使ったパンセの名物メニューの一つだという。購入し、早速食べてみると、豊かなバターの香りが口の中に広がった。ふんわりとした食感。ほのかな甘みの中に感じられる塩っ気も、クセになる味だ。

「焼きたて、揚げたて、作りたて。それがうちのこだわりです」。食べたばかりのパンの感想を伝えると、菊地社長は胸を張った。
1989年、3人だけでスタート
パンセの創業は1989年。県内のスーパーを40歳でやめた菊地社長が、大学の先輩に勧められて始めた、パンの宅配販売がルーツだ。「私と従業員の計3人だけでのスタート。県内の会社や個人宅を一軒一軒まわって注文をとり、協力工場で作ったパンをトラックに積んで、届けた。私も生まれて初めてトラックを運転した」。まもなく「スーパーの中にあるパン店を引き継いでくれないか。居抜きで、職人もそのまま残るから」と声をかけられ、翌90年に2店舗を持った。以来、スーパー内でパンを焼いて販売する店=インストアベーカリーを次々と開いていった。
2004年に「第2の創業」
現在のように路面店を開くようになったのは、21世紀に入ってから。そのころはスーパーが激増し、1店舗あたりの売り上げも落ちていた。「インストアベーカリーだけで、うちの会社は10年後に残っていけるのだろうか」。今後目指すべき店の姿を求めて、専門誌などを読みあさり、東京都内などの繁盛店を訪れた末に見つけた答えが、「郊外型大型路面店」だった。
「繁華街から離れた住宅街にあるのに、お客さんが列をなしている。従業員の顔や声も明るく元気だ。すばらしい、東北にはこうしたお店はなかったなと思った」

「関東だから成り立つ業態。宮城では無茶では」。そんなことを各方面から言われたが、決断すると実行は速かった。それまで開いたインストアベーカリー18店舗をすべて閉め、2004年6月、郊外の住宅街の中にパンセ南中山本店(仙台市泉区)を開いた。菊地社長は同年を「第2創業の年」と呼ぶ。以降、毎年1店舗近いペースで店を開いていき、20年には「東北の玄関口」仙台駅にも店を構えた。今や仙台に加え、石巻、松島、利府、名取、富谷の12店舗に上る。
わざわざ遠くから訪れる店の価値とは

インストアベーカリーと郊外型大型路面店との大きな違いの一つは「お客さんが店を訪れる目的の違い」だという。「インストアベーカリーのお客さんは、スーパーで肉や魚を買ったついでにパンを買うというケースが多い。でも路面店のお客さんは、わざわざ遠くから車に乗って、その店のパンを買うために訪れる」。そうした客に何度も訪れてもらうためにも、「品質が高く魅力のある商品を豊富にそろえ、心地よいと思える接客をすることが必要だ」と力を込める。
菊地社長は、「パンセの価値」として「

多くの店舗では、小さな子どもがいても安心して買い物ができるようにキッズルームを備えているほか、イートインスペースでくつろぎながらパンを味わってもらえるよう、コーヒーのサービスも行っている。そこにも「パンセの価値」の考え方が反映されている。
「百年企業」を目指し、若い世代へつなぐ
創業から37年目に入ったパンセに対し、菊地社長が思うことは「百年企業」にすることだ。「社員が笑顔で働ける、誇りの持てる、自信が持てる会社を作る。それがお客さんに喜んでもらえる、社会に貢献できる会社につながる」との考えで、経営を続けている。
そして、創業40周年で孫の菊地雄太取締役(28)に社長の座を譲るつもりだという。
「そろそろ若い世代にバトンを渡したい。会社にとって若さは課題となるかもしれないが、成長への大きなチャンスにもなると信じている」




























