サッカー・戸田和幸「次の機会が来い」…監督解任を糧に「フットボールをできるだけ知りたい」
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日韓ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバーで、Jリーグ・清水エスパルスやサンフレッチェ広島でプレーした戸田和幸さんが読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演した。大学や社会人クラブでの指導経験やJ3・SC相模原での監督経験について、現在JFA Proライセンス(旧・公認S級コーチライセンス)の取得を目指している番組MCで元日本代表の槙野智章さんと振り返った。
引退後は指導者へ
戸田さんは2013年シーズンに現役を引退した。指導者としてのキャリアを意識したのはいつ頃か?
「30歳前くらいで、そういう方(指導者の道)に行きそうな気はしていた」
選手として複数の国でプレーした経験も、指導者を意識するきっかけになった。
「メインではなくサポーティブなプレーヤー。日本とイングランド、オランダで、同じスポーツですが求められることや『良い』と言われることが違った。ちょっとフットボールで迷子になった時期もある」
「いろいろ考えていた頃に『チーム』を意識し始めて、監督やコーチのちょっとした一言が気になり始めた。結果、そっちの方向に進んでいくんじゃないかなと思っていた」
選手にあわせた指導

Jリーグのクラブからコーチ就任の打診もあったが、慶応大学のサッカー部(慶応大での呼び名はソッカー部)のコーチに就任した。
「大学での指導はたまたまですけど、トップチームじゃないので全員がプロを目指せるとかでは全くない。みんなそれぞれ目的が違っていて、でもサッカーが好きで、リーグ戦で勝ちたい気持ちがある。ひとりひとりに目線を合わせながらチームをつくることが求められていたので、僕にとってプラスになりそうだと思った」
その後、一橋大学や社会人クラブ「SHIBUYA CITY FC」(東京・渋谷区)での指導を経て、2023年にJ3・SC相模原で監督に就任した。
「プロは扱う組織が大きくなるので、そこに自分がうまくフィットすることを意識した。できるだけ目標に向かって同じ方向を向く流れをつくれるかどうか」
相模原の監督就任当初は、選手が大幅に入れ替わったタイミングで、チームづくりは苦労があった。
「勝っていくチームをつくるためにまずどうすべきかを考えた。個人を把握して成長できるよう、チームをつくりながら鍛えて変化させていくことが必要だと思った。実際、勝てなかったんだよ。勝てなくて苦労しましたけど」
チームはオンリーワン

監督として志向するサッカーと、勝つために必要なサッカーは、同じとは限らない。
「クリーンにボールを運び続けてゴールを目指せたらいい。できたら一番それがいいですけど。簡単じゃないんで」
「『俺はこのサッカーやってるんだ』って言って仕事ができる監督は、本当にトップ・オブ・トップのごく少数」
戸田さんは、ペップ・グアルディオラ監督が率いていたバルセロナを引き合いに、「フットボールは一つじゃない。監督のフットボールに対する考え方もありますけど、選手の特徴や質もある。みんながバルサを目指してバルサになれるわけではない。(バルセロナに)似たようなものが世の中にあふれているけど、(グアルディオラ時代の)バルセロナですらできなかったことがある」と語る。
「全てのチームはオンリーワン。同じようなスタイルでも、結果が出ているチームもあれば、出ていないチームもある。それをひたすら考えている。フットボールをできるだけ知りたいと思っている」
相模原の監督は2024年シーズンの途中に解任された。様々なことを吸収しながら、新たなチームのオファーを待っているという。
「次の機会が来いよと思って生きてます」




























