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野球道とは負けることと見つけたり:その38(1,682字) 1971年夏、甲子園に初出場した池田高校は、初戦... 野球道とは負けることと見つけたり:その38(1,682字) 1971年夏、甲子園に初出場した池田高校は、初戦で西中国代表の島根県・浜田高校と対戦する。大会4日目、8月10日の第二試合だった。 この試合、池田高校は先攻で、5-4と逃げ勝った。決勝点は、3-3と同点の7回表、二死満塁から押し出しで奪ったものだ。 このとき、池田高校監督の蔦文也は打者に対して「押し出しを選べ」と指示している。相手投手が浮き足だったのを見て、ストライクが入らないだろうと予測したのだ。その采配がズバリと当たって、見事決勝点をもぎ取った。 これには伏線がある。文也の恩師である稲原幸雄が、幻の甲子園で優勝したとき、決勝点は押し出しでもぎ取っているのだ。このときも、相手投手のコントロールが定まっていなかったので、稲原は打者に「目をつぶっておけ」と指示した。そうしたら、まかり間違ってもバットは振らない。バットさえ振らなければ
2013/04/18 リンク