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ハックルベリーに会いに行く

ブロマガ

  • 野球道とは負けることと見つけたり:その50(1,844字)

    池田高校野球部員は、監督である蔦文也のことをなめてはいたが軽蔑していたわけではない。ある面では尊敬してもいた。それはあまりにも野球バカだからだ。野球の好きさでは誰も敵わない。練習も一番先に来て一番後に帰る。だから、野球部に残った以上は、もう文也についていくしかなかった。 試合でもそうで、冴えているときは尊敬できる監督だった。しかし緊張しているときはその逆で、巻き込まれないよう距離を取る必要があった。だから選手たちは、いつでも文也との距離感を図っていた。遠すぎず、近すぎず、皆自分の領域を確保しようとしていた。 こういう逸話がある。池高が初めて甲子園に出たときの南四国大会の決勝戦、サヨナラのチャンスで文也は、バッター真鍋を打席に送り出すときは「打ってこい!」と声をかけた。 それなのに、打席に立って真鍋がいざサインを見ると、ウェイティングのサインである。それで思わず打席を外してもう一度入り

    12時間前

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  • どう「住む」か?:その22(1,542字)

    ぼくが子供のときに住んでいた家は坂の上(丘の上)にあった。親の持ち家だったが売ってしまって今は別の家が建ち別の人が住んでいる。 ぼくが住んでいた場所はここである。 ぼくが住んでいた場所 今は四軒の家が並んでいるが、元々はうち一軒だった。うちが売った後に分割され四軒になった。全部で120坪だったから、今は30坪ずつになっている。 そして学校はここだった。 学校の校門 ルートはこんな感じである。 家から学校までの道のり この通学路が良いのは、いくつかの理由がある。 まずは道が碁盤の目のように細かく張り巡らされているので、さまざまなルートが選べること。工夫の余地があること。気分によってルートを変えることができたりすることである。 この「ルートを変えても同じ目的地に辿り着ける」という状況は、空間感覚を養える。それによって、空間を楽しめるようになり、通学路が楽しくなる。今思うと、

    1日前

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  • [Q&A]「王」とは何か?(2,233字)

    [質問] NHKのEテレで、古代文明の番組がやっていました。エジプト文明というのをやっていました。昔は立派な王様がいたのだと思いました。そして、たまたま先日、豊洲でやっております「ラムセス大王展」というのに行って来ました。そして思いました。「王様とはなんだろう?」岩崎先生の思う王様の定義を教えていただければ幸いです。 [回答] 王とは何か? ぼくは人間というものを長年研究してきましたが、その中で分かったのはやはり「社会」というものの重要性ですね。人は他者なしでは生きていけません。自然環境も必要とするのですが、他の人間との共生も必要とするのです。 そのため、共生するためのツールとして社会が生まれました。この社会をいろいろ試行錯誤する中で、やがて「キング」的な存在が生まれていったのです。また定着していったということもあるでしょう。 キングの利点はいろいろあるのですが、一番は人間は責任を取

    2日前

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  • 建築の学び方:その1(1,962字)

    今回から建築の学び方について連載で書いていきたい。 なぜかというと、これからの時代は誰にとっても建築がだいじになると思うからだ。建築――特に住む家は、当たり前の話だが人生の良し悪しに大きく影響する。 しかしこれは当たり前すぎて、あらためて論じられない。見過ごされがちである。皆当たり前に思っていることだけに、無意識化され、流されてしまっているところがある。 そこでこの連載では「いい建築」について意識化し、それを体系的に自分の生活に採り入れていくということを目指したい。そのためのメソッドを提供したい。 それは、ぼく自身が今、新しい家を建てているのだが、その中で気づいたことがあるからだ。何かというと、ぼくは家で失敗したことが一度もない――ということだ。これまでに14の家に住んだが、どれも文字通り「住めば都」だった。 だから、新しい家を建てるときにも「これまでの家では実現できなかったことを

    3日前

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  • 石原莞爾と東條英機:その108(1,781字)

    アメリカとの和平交渉にあたっていた日本の外務官がハルノート受け取ったのは1941年11月26日である。東條英機もこのとき第一報を受け取っている。 その詳細な内容は、28日になると閣僚全員にも知らされた。これを受け、政府は翌29日に重臣との懇親会を宮中で開く。 「重臣」とは、総理経験者を中心に構成された政府のコンサルタントのような人たちのことだ。彼らの団体を「重臣会議」という。重臣会議は次期総理などを決めたりしていた。 この役割は元々は「元老会議」が担っていたが、元老制度には弊害が大きかったので、最後の元老であった西園寺公望が後釜を作らせなかった。それで元老会議はやがて自然消滅したので、その代わりに作った組織だった。 そんなふうにできた組織だから、一応日本の最重要事項決定機関ともいえたが、実際はかなり骨抜きになっていて、政府の決定を追認するだけの場合が多かった。この頃、実質的な権力は陸

    4日前

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2014/01/30 11:01

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