私が企業で行っている個別の介護相談には、“親が元気なうちから相談”に来てくださる方が、キャンセル待ちが出るほど増えています。

 なぜ、そんなことになっているのか。
 それは、介護セミナーなどで“親が元気なビジネスパーソン”に刺さる、2つのお話をしているからでしょう。

 1つは(この言い方が適切かはわかりませんが)、親の介護に対する心構えが早ければ、早いほど“お得”です、というお話です。介護のコスパが高くなり、介護する側も、される側も身体・精神的な負担が少なくなります、とご説明しています。

 介護未経験の方はたいてい「介護はお金も、身体・精神的にも負担がかかるもの」と思い込まれているようです。それなのに、私がこのような発言をすると、「は? 何を言っているの?」と首を横にかしげます。年間500回以上、企業で個別の介護相談を行っている人が、常識とは異なることを言い出した、と、怪訝そうになるのです。

 ですが、私の話を聞いているうちに、横にかしげていた首を「そうなのか!」と縦に振っていただけます。

介護でとてもよくあるパターン

 まずは実例を。Aさんという方のご相談です。

・母親に認知症の症状が見られるようになってきた

・認知症の母親のために、安心・安全を最優先にした生活環境をつくる
(Aさんが母親を大切に思う気持ちによるもの、しかし一方で母親は「誰かに見守られること」を望んでいない)

・Aさんはコロナ禍によって可能になった会社のテレワーク制度を活用して、実家で母親のサポートをしながら一緒に暮らすようになる
(口うるさいAさんと母親の衝突が絶えなくなる)

・テレワーク中に母親が頻繁に話しかけてきて仕事ができないため、Aさんはデイサービスの利用を考える。しかし母親は通所を拒否。やむなく母親が寝てから仕事をしていたAさんは、睡眠不足で倒れてしまう
(常にAさんが近くにいるので、母親はついAさんを頼る生活に)

・介護ヘルパーを利用することになったが、Aさんは常に見守りが必要と考え、1~3割負担で利用できる公的な介護保険で使える範囲の介護サービスでは足りず、全額自己負担の介護サービスも利用
(母親は自分でできることが減り、何でも人に頼るようになる)

・介護認定は低いレベルなのに、母親は1人では何もできなくなり、老人ホームの入所を検討
(母親は住み慣れた家での暮らしを望んでいたのに、長年暮らした家から離れなければならなくなる。また、年金で賄える公的な老人ホームへ入所するには、要介護3以上の認定が必要)

・数千万円の入所金が必要な有料の老人ホームへ入所するために実家を売却して、母親を入所させた
(母親にとっては住み慣れた家を追い出されたという形になるため、面会のたびに「家に帰りたい」と泣かれ、慣れない環境での生活で認知症が進んでしまう)

 次に、Bさんの例を見てみましょう。

・母親が元気なうちから、「親も人、年老いていけば、だんだんできなくなることや危険なことが増えていく。それが老いというもの」という心構えを持ち、公的に介護相談を受け付けている地域包括支援センターから「いざ」というときの対処法などを聞いておいた

・母親に認知症の症状が見られるようになる

・「来るときが来たな」と地域包括支援センターの職員に相談しながら、公的な介護サービスを状況に応じて増やし、母親が住み慣れた家で暮らし続けることを目指す
(母親が望んでいる生活を重視した対策を講じることで、それまでと同じような生活が続けられるため、生活の満足度は変わらない)

・要介護3になったら「将来的に老人ホームへ入るかもしれないね」と、公的な老人ホームの申し込みをしておく(Bさんも、母親も、将来の不安に対する心理的な保険ができる)

・自宅での生活が難しくなり、申し込みをしていた公的な老人ホームへ入所(ショートステイなど段階的に公的な介護サービスを利用したことで、施設や他人に介護される経験があるため、母親は入所しても混乱が少なくて済んだ)

早期の対応でコスパも高くなる

 ちょっと極端に感じられるかもしれませんが、Aさんのほうはとてもよくあるケースです。比率で言えば、Aさんが9、Bさんが1、というところでしょうか。

 Aさんの例では、かなり早い段階から母親の年金だけではお金が足りなくなります。一方で、Bさんの例では、最初から最後までほぼ、母親の年金(あくまで現状では、でありますが…)で賄うことができました。

 金銭面でお得な介護はどちらなのかは、言うまでもありません。

 ただ、介護は“お得”なだけではダメ。“お得”かつ“コスパが高い”ことが介護する側、される側の身体・精神的な負担の軽減に繋がります。なおコスパは、受けられるサービスとその価格、そして満足度で測ります。ご本人が望んでいないサービスをいくら付け足しても、満足度は上がりませんから。

 そこで「母親に届いている介護サービスの品質はどちらが高いか」と考えても、Bさんの方が“コスパが高い”介護になっていることがわかります。

 Aさんのように、介護する側が一人で抱え込み追い詰められてしまうと、ビジネスの言葉でいうならば、介護を受ける本人のよりよいケアを考えたKPI(重要業績評価指標)など考える余裕がなくなります。

 その結果、介護を受ける本人の希望よりも、Aさん自身の気持ちを優先させてしまい、「自分の言うことを聞いてくれる老人ホームが良いところ」という判断をしてしまいます。優秀な老人ホームが、「入居する本人」にとって受け入れやすい、良い提案をしても、それがAさんの意にそぐわなければ、「使えない老人ホーム」という烙印を押してしまうのです。

 結果として、Aさんは実家を売却してまで高額なお金を支払ったのに、親子関係が崩壊し精神的にもしこりが残り、母親は不満足な状態のまま老人ホームで生活するしかない。残念ながら、こういったケースが非常に多いのが現実です。

ビジネスと同じ心構えで

 このような結果をもたらさないためにも、親が元気なうちから、お互いがストレスなく、スムーズに介護をランディングさせることが介護においての戦略目的だということを心に留めておくことが重要です。

 老いは病気ではありません。若いときの状態への回復を目指すと必ず無理が来ます。

 変化を受容して、親にも自分にもストレスがかからないようにすること。このコラムのタイトル「介護生活敗戦記」というのは、連載を始めた松浦晋也さんの名言「介護は撤退戦である」=(元の状態に戻るという「勝利」を目指してはいけない)から来ています。その心構えをあらかじめ持っておく。介護に入る前の、親が元気なうちから、マインドセットしておくこと。それが、撤退戦を上手に戦うために欠かせないのです。

 そうは言っても、実際に介護をしていると気持ちが揺らいでしまうときもあるはずです。

 ビジネスでもそうです。主力商品なのに時代に取り残され、さまざまな手を打っても売り上げが上がらない。そのとき、目先の売り上げの回復に目を奪われるのではなく、本来の目的、KPIは何だったかを思い出せるかどうか。「この商品の売り上げ回復はもう無理。顧客の満足度を損なわずに終売へ向かう方法を考えながら、代替商品を世に出そう」という発想に切り替えられるか、です。

 介護においても、目の前で起きていること(親の老化の進行)に気を取られて「なんとかしなくては」と集中してしまうと、親の満足度を考えず、無理なリハビリや過剰なサービス投入に陥りがちです。

 「介護の目的はあなたが頑張ることでしたか?」
 「目的は、親に介護が必要になっても、良好な親子関係を維持し続けることではないでしょうか?」

 ストレスがかかってきたと思ったら、上記の言葉を思い出しましょう。正しいKPI設定に繋がる代替案に柔軟に切り替えることができれば、すぐに利益が上がらない(親の回復に直結しない)としても、結果的に、親とあなたの両方にとって、“お得”かつ“コスパが高い”介護が実践できるはずなのです。

 この発想ができないと、最悪の場合、あなたのお子さんにも大きな影響が発生します。最近話題になる「ヤングケアラー」のリスクは、もっと知ってほしいと思います。

 皆さんの目の色が変わるお話の2つ目は、まさにその「ヤングケアラー」についてです。当然ですが、お子さんがいる方には特に刺さるようです。

 令和2年(2020年)度の厚生労働省の調査で、調査に参加した中学校の46.6%、全日制高校の49.8%が「ヤングケアラー」の存在を認めています。「家族の介護」が理由で学校に通うことができなかったり、明るい未来が描けない状況下にない、とした中学2年生が5.7%(約17人に1人)。

 なかなかショッキングな数字ではないでしょうか。

ヤングケアラーが生まれる経緯

 具体的にどんな家族構成だと、子どもがヤングケアラーになりやすいのか。

 例えば今、息子さんが4歳で、両親は60代後半で元気。あなたは何の問題もなく働くことができていたとします。10年後、息子さんが14歳になったとき、両親は後期高齢者となり80歳が目前に。

・近くに住む認知症になり始めた母親(息子にとっては祖母)のことを「ちょっと、おばあちゃんを見ていて」と頼む

・息子は幼い頃に働く両親に変わってすごくかわいがってもらった思い出もあり、「おばあちゃんのお世話をしなくちゃ」と責任感が湧き、喜んで面倒を見る

・「ありがとう、助かった」「おばあちゃんも喜んでいる」と母親に感謝され、お小遣いをもらい達成感を得る。さらには、ご近所さんも「お孫さん、えらいわね」と褒めてくれる

・息子はこれによって「良いことをしている」と自身の行動を強化し、お母さんが忙しいときは率先して自分が祖母のお世話をするようになる(その結果、祖母の認知症が進んでいても周りは事態になかなか気づかない)

・息子は若くて体力があるため、最初のうちは学校と両立できているが、祖母の認知症の進行とともに介護がどんどん大変になり、疲労が溜まり学校に行っても寝てばかり。授業に付いていけず、友人との会話もすれ違いになり、ついには不登校に

・常に家にいるようになるが、母親も介護をしてもらえると助かるので、「とりあえず……」と子どもに頼ることをやめられない

・数年後、祖母が亡くなる。友人たちは高校、大学と進学をして、社会で活躍しているのに、介護経験しかない息子はニート状態となり、後々の人生にも大きな影響が及んでしまう

 「いくらなんでも、飛躍し過ぎ」という声もあるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。

 例えばあなたが収入面で家族を支えている立場になったら、あるいは、海外勤務も含めた遠距離への転勤などで単身赴任となったら、「子どもに介護を任せるなんて、絶対しない」と言い切れますか? 詳細は『 ヤングケアラー発生防止への提言~子どもを介護の担い手にしないために~』を参照してください

 さらに、ヤングケアラーには介護する立場としての決定権がありません。どういうことかというと、認知症になった祖母に公的な介護保険を利用して、デイサービスに通ってもらう、ショートステイを利用する、老人ホームに入所してもらう、これらを決定するのは、すべて親です。

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