アメリカでも、日本の年賀状のように次節の挨拶として年末にカードを送る習慣がある。「謹賀新年」のように定型の言葉を飾る文化もあり、クリスマスシーズンに送るので「Merry Christmas」でも良いのだが、わが家は無難さを重視して宗教色の薄い「Happy Holidays」を採用している。アメリカでは『Happy Holidays vs Merry Christmas』論争というものがあり、どちらを使うべきか、結構意見が分かれている。
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イスラエルの首都をエルサレムと認めて大使館を移転
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中絶・同性婚に禁止の立場をとる最高裁判事の任命
など、福音派を中心とした保守層に訴えかける政策を矢継ぎ早に実現するトランプ大統領。大統領して送るグリーティング・カードに「Merry Christmas」を父ブッシュ以降初めて復活させたことでも話題を集めた。
こんなことが論争になるのは、「無宗教」を標榜する人が多い日本人には少し奇妙に移るかもしれない。だが、社会を統合するためには、法律やルールを超えた「神聖な秩序」が必要だという考え方は、「お天道様が見ている」的な日本人の道徳観にも同様に表れている。お天道様の変わりが、アメリカにとってはキリスト教と考えるとイメージがつきやすいのではないか。
この「秩序の維持に宗教が必要」という考え方は、トランプ大統領支持者の中心である「福音派」の成り立ちと密接に関りがある。先日読んだ『福音派―終末論に引き裂かれるアメリカ社会』は、進化論を躍起になって否定する一部の過激なキリスト教原理主義者が、どうやって組織化され、大統領の政策にまで大きな影響を及ぼす政治勢力となったのかが、歴史を振り返って丹念に描かれている。
かなり読みごたえがあるが、宗教右派寄りの
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女性や同性愛者の人権を軽視しかねない中絶・同性婚禁止の主張が、なぜ先進国アメリカでこれほど多くの支持を集めるのか
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国際的な緊張を生むイスラエル支援や大使館のエルサレム移転といった政策が、なぜ批判だけでなく支持も受けるのか
などを深堀して理解することができるので、トランプ大統領の政策が全く理解できない、アメリカ政治を深堀して理解したい、という方にはおすすめ。
私もアメリカ生活が長いが、伝統的なキリスト教の価値観の復興を強く願う人たちの気持ちはわからなくない。アメリカ社会は常識に通じない滅茶苦茶な奴が多いので緊張感があるが、「毎週協会に行く人は一定以上の理性と常識のある、滅茶苦茶ではない人」という実感を私は持っている。キリスト教文化がアメリカの理性をある程度支えている、というのは決して過言ではない。
また、「多様な宗教観を否定することになるのでMerry Christmasと言うべきではない」、「LGBTQを推進するために、より多くの政府予算を配分すべき」といったリベラル的主張に対し、それが一方的な価値観の押しつけだと感じている人々が、「信仰を守るために政治力を行使せざるを得ない」と考える状況も、理解できる。
アメリカ市民ではなく、特定の信仰も持たない私のような「アメリカ社会の傍観者」からすると、どっちもどっちなのだ。
宗教がもたらす理性と信仰がもたらす排他性、その狭間を揺れ動きながら少しづつ前進をしていくのがアメリカ社会だ。信念と多様性への寛容さのバランスをどうとるのか、というテーマに立ち向かう過程に現在あり、それは日本とて変わらない気がする。
