2024-12-30

下振れ

五十を過ぎてから、思い出したかのように急に息を吸うことが増えた。

その手前で自分が呼吸をしていたか記憶にない。

止まっていたのかも知れないし、知らぬ間に浅くなっていたのかも知れない。

深呼吸のようなゆっくりものではなく、びっくりした瞬間の勢いのような感じでそのまま吸い続け、深呼吸のように息を吐き出す。

書類に目を落としている時、テレビをぼーっと眺めている時、パソコン今日の出来事斜め読みしている時、本当にふとした時に起こる。

そうすると決まって、飼っていた犬が死んだ時のことを思い出す。

社会に出てもまだ実家ぐらしだった時、残業が終わってそのまま同僚と飲みに出て日付が変わる頃家に帰ると、苦しそうにする犬を母親が目を真っ赤にして励ましながら撫で続けていた。

すでに20年を生きた一匹の家族半年前くらいから急に弱り始めた。

医者に見せてもできることはなく、弱っていく姿をただ見ていることしかできなかった。

ここ数日は横たわったままで呼びかけに小さく目を開ける程度だったのが、今日になって急に苦しみ始めたらしい。

翌日休みだったこともあり酒に任せてそのまま眠るつもりだったが、さっさとシャワーを浴びてから自分も犬の横に座り負担にならないように撫で始めた。

母親言葉にならない声で何度も「頑張れ」と繰り返していた。

呼吸が段々と細くなってきたようにも思う。撫で始めてから1時間くらいだろうか。

一匹の家族は突然大きく息を吸うと、それを吐くことなく動かなくなってしまった。

その時の息の吸い方にとてもよく似ているのだ。

今はまだ自分の命は高い位置を飛んでいて、エアポケットのような落差があってもそれで死ぬことはない。

ももし命が水面すれすれの低いところを飛んでいた時、こうしたちょっとした下振れでその線を越えていってしまうのかも知れない。

そんな呼吸のように思えた。

いや、本当にこの命は高い位置を飛ぶことができているのだろうか。

犬が死んだ翌朝、近所の氷室開店を待って氷を買いに行った。

業務用の卸業者ではあるが言えば小売にも対応してくれる。

昨日の酒せいかスポンジでできたアスファルトの上を歩いているようなふわふわとした感覚で店を目指す。

トラックが直付けできる無骨冷凍庫の扉を横目に店の奥に向かって「氷を下さい」と声を掛けると、個人客には興味がなさそうに「何にお使いでしょう」とぶっきらぼうな声が返ってくる。

「飼っていた犬が」

ここまで口にした途端、涙が溢れて嗚咽が止まらなくなった。

から出てきた今の自分と同じくらいの男性が、持っていた発泡スチロールの箱に黙って氷を詰めてくれた。

お代とお釣りを交換して呼吸を整えてから店をあとにする。

発泡スチロールに詰められた氷のせいか足がずしりアスファルトに沈み込んでいくようだった。

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