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2024-10-16

anond:20241015205456

もともと会津藩領民から嫌われていた。親藩で家格が高いため石高以上の出費があり領民に重税を課していた上、最後藩主松平容保京都守護職に任じられるとその負担さら年貢が上昇、会津戦争でも農民新政府軍側について会津藩士と戦ったぐらいだった。

明治維新後も会津藩士に対する反発からヤーヤー一揆という大農民一揆が起きた。明治政府会津藩士に会津に留まるか、青森県下北半島に新たに藩を作って移住するかを選択させたが、地元で嫌われていた会津藩士たちは下北半島への移住選択斗南藩が新設され会津藩士は斗南藩士として下北半島移住した。

会津地方一般人会津藩士と自己同一化して薩長に恨みを持つようになったのは、戦後会津若松市が戊辰戦争史跡観光資源化しようとして会津藩悲劇郷土史として広めたのと、司馬遼太郎小説が原因。

から会津薩長わだかまりなんてもともとなかった。

2020-07-18

武士道批判序説(5)

「『今大切なのは武士道精神ユーモア』とおっしゃる藤原正彦先生やけど、失礼ながら先生の実演されるユーモアは……」

例えば清の時代の記録によると、李氏朝鮮は毎年、金を百両、銀を千両それから美女・馬・豚・牛などをそれぞれ三千ずつ貢がなければなりませんでした。美女差し出せなどと言う中国は本当にひどい国です。羨まし過ぎて絶対に許せません。(日本韓国国家の品格」・文藝春秋2019年10月号)

「これが何であかんか、ほんまにわからんのやろか?」

ユーモアとは「距離感覚」です。いったん自分と状況との間に距離をおき、状況を俯瞰することで客観を取り戻し、事を上手く運ぶことが出来るのです。

「間違いです。ユーモアがそんなものでないことは、上方落語聴いて、少し考えてもらえればわかります

関東的やなあとは思うで? 『俯瞰』『客観』言うときながら、笑わせ方に余裕がない」

徳川期、『人は武士』の見本は旗本衆やろけど……彼らの3分の1は無役の暇人やし、それも家禄の多い者ほど役に就かへん。役職に就いた者も、実務は旗本家を渡り歩く渡用人頼り。幕府という武断政権最後有事に役立ったんは、旗本株を金で買った祖父を持つ勝家の海舟さんや、京都守護職預かりのバラガキら即製の幕臣

「ほぼ『名誉武士』やんな」

 
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