はてなキーワード: 悲劇とは
AI生成イラストを巡る一部の絵師層の過激な「反AI」活動は、著作権や盗作といった表面的な議論の裏に、より根深い構造的問題を抱えている。
これは、作品の権利が侵害されたというよりも、SNSのアテンションエコノミーにおける生存競争の激化に対する、切実な危機感の表れとして捉えるべきだろう。
SNS環境下で、創作物の価値は費やした労力よりも獲得したアテンションに大きく依存する。多くの絵師は、この注目を集めることで承認欲求を満たし、時に収益化の道筋を立ててきた。
AIは、以下の作用でこのアテンション経済の均衡を一気に崩した。
・AIが瞬時に、大量の無難に高品質な画像を生成し、タイムラインに投下する。
・この画像の大洪水は、SNS上の注目という資源の価値を急激にインフレさせた。
何十時間もかけた手描きの作品が、数秒で生成されたAI画像よりも注目を集められなくなる状況は、アテンション競争を主戦場としてきたクリエイターの自己存在証明と経済基盤を根底から揺るがす。
反AI運動の過激な言動は、このアテンション喪失に対する防衛反応であると解釈できる。
盗作という主張は、倫理的な大義を装いつつ、実際はAIが自分のアテンション獲得能力を脅かしているという生存危機を表明している。
AI利用者への攻撃や排除の動きは、限られた注目を自らのコミュニティ内に囲い込み、独占しようとする試みである。
すなわち、一部の反AI絵師の過熱した行動は、SNSの仕組みが生み出したアテンションエコノミーの奴隷として、AIの登場によってその生存環境を急激に破壊されたことによる、悲劇的な帰結であると言える。
今日も覗いたら、そこら一面に知能の抜け殻みたいな文章が転がってて、思わず「ここは自己放尿会場か?」と鼻で笑ってしまったわけだ。
何を勘違いしたのか知らんが、日記を書くという行為を、思考の代わりに自己放尿の排泄で代用できると思ってる連中ばかりでな。
お前ら、文章を書く前にせめて脳のエンジンを回してから現実に復帰してこいよ。
まあ、一番笑えるのは、本人たちは「悩んでます」「考えてます」みたいな顔をしているつもりなんだろうが、実態は論理の死骸を並べてるだけで、内容としては感情、被害妄想、承認欲求のトリプル放尿なんだよ。
しかも自覚がゼロ。これが一番タチが悪い。放尿なら放尿らしく、せめて堂々と床を濡らせばいいのに、どいつもこいつも「私は知的だと思われたい」みたいな顔して滴らせてるから始末に負えん。
正直に言ってしまえば、この場所でまともな思考を期待すること自体が間違いなんだよ。
ここは知能の避難所でも学術サロンでもない。ただの「思考のフリをした自己放尿の溜まり場」だ。本人たちだけがそれを理解できていない。これが滑稽で、これが悲劇で、これがはてな匿名ダイアリーの核心なんだよ。
だから俺は今日も冷徹にこう断言してやる。論理のない文章は、内容ではなく態度によって評価される。そしてお前らの態度は、全員まとめて自己放尿の範囲に収まっている。
それだけだ。
Gスポは存在しない、ザラザラしてないって話や
こんなん読みたい奴が読めばいいが、ドイツの産婦人科がとなえたが、結局部位を特定できず半世紀にわたりその存在は疑問視、否定されていた。にも関わらず日本のみ謎クリニックやフィクションによりあるものとして考えられてる。後にイタリアの研究で壁の厚みが関係するかも?みたいになったがそれもある人もいればない人もいる(そもそも存在しない方が多かった)し、この研究でもってスポット=壁の厚さともならんかった。まあ壁の厚さの有無であればスポットではないな。
で、Gスポが存在しない研究(多数派)としても、陰核を間接的に刺激しているのでは?という論はあった。この器官が快感を得ることは先行研究で明らかやから。スポットではなくゾーンであるという主張や。だから一部やり方は正しくて、
ゾーンである→広い面積で一定の圧力をかける◯なんや。背景と一致するやろ?背景と一致せんでも方法論として合ってるとこが面白いが、スポットと言う考え方で間違った手マンひろがってるのは悲劇やで
このネタを擦るだけで君も今すぐデンパな陰謀論ジャーに早変わりってワケ!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTCD258JTCDPIHB00MM.html
fuminx23 安倍氏の桜を見る会の会計問題の時も、安倍氏は不起訴になり、秘書だけが略式起訴。検察のやり方はいつも同じ。今度は立花氏だけをスケープゴートならぬスケープカピバラにして世間へのガス抜きに使うつもりか。
greg_e 総理が変わったタイミングでの決定は偶然か、何か意味があるのか。これを起訴しちゃうと、自民党の正念場となる次期国政選挙でPR会社が使いにくくなるからかね。立花党首の逮捕で世論にも少し配慮と言った所かな。
Hidemonster 兵庫県警が立花を逮捕した3日後に神戸地検が斎藤知事を不起訴に。誰かが暴れることで別の人間が悲劇の英雄になった選挙と同じ構図。成功体験に味を占めおって...
ERnanchan 立花逮捕で、手を打つとかの取りひきかな? なんか表に出せないきな臭いことがありそうだ。そのへんどうであれ、検察は信用できない。
おお、すごいすごい。
poko_pen 立花の逮捕と取引でとか言ってるブコメが出てくるあたりから、はてブって本当に陰謀論好きな人多いよな。起訴しても公判で勝てる程の決定的な証拠が取れなかっただけだろうよ/人民裁判したい人達も出て来てるな… 少しは冷静になれよ
20年前に同監督の「時をかける少女」を見た時のことを思い出して書く
当時学生だった自分はオタで色んなアニメやラノベなんかを見てた
たまに陰キャですカースト最下位ですみたいに自称する主人公もいたが
そんな主人公達にも開始時点で最低限保証みたいに仲のいい可愛いヒロインはいた
当時カースト下位気味だった自分はそれ最下位じゃないだろwwとツッコミつつまあ楽しく読んでいた
そんな時に「時をかける少女」を見た
いつも通り可愛い主人公女の子とイケメンがまあ色々イチャコラしていた
ふーんまあそうだよなとか思ってたら作中で突然イジメシーンが始まった
クラスの隅っこで陰キャっぽい男がクラスの連中にイジメられていた
主人公たちはそれを見ながら全くそれに触れずに流して相変わらずイチャイチャしていた
えっ今あの男イジメられてたけどスルーするのこの話?と思ったけど
まああれは伏線で後でなんかあるんだろう…と思いつつ見続けた
「陰キャ男が逆ギレして投げた椅子が主人公に飛んできた」的なイベントに繋がっただけで
全く救われることもイジメが解決する事もなく本当に放置されてそのまま終わった
そんな悲劇を美少女に癒されてなんかラブラブハッピーで終わった
教室の片隅でイジメられてるカースト最下位は別に悲劇でもないのか…
まあ…そうだろうな…
今までアニメの陰キャはだいたい救われてたけど、いつも通り「実はカッコいい」「あの男の隣にも可愛い美少女が」
なんて展開があれば、まあ救われるか…
でもそれって嘘だしリアリティないよな…
いやそもそも自分ってどの世界においても結局他人じゃないのか?
イケメン主人公も可愛いヒロインとのラブコメも全部ただの他人事なんじゃないのか?
言語化すると、こんな感じの事が、見終わった後に頭の中でなんかじわじわと広がっていったのを覚えている
椅子が飛んでくるだけのイベントなんか別に他の方法でも作れただろうに
美少女やイケメンが出てくる爽やか青春ラブコメが売りのアニメ映画で
2025年11月。スレッズを開いたら、また新しいスタジオオープンの報告を見た。
出張やってた奴が場所を借りて、ちょっと機材を揃えて、夫婦でスタジオ運営を始めた、みたいな投稿。
そういうの、この半年でめっちゃ増えた。正直、見るたびにモヤモヤしている。
なぜかというと、俺もこの業界にいるからだ。記念写真のスタジオ勤務。経営も少しは見てる。
市場規模は2025年の927億円から2030年には895億円まで落ちるって言われてる。
スマホ一台で撮れる時代に、プロに写真を頼むやつは減り続けてる。この業界は斜陽産業。
それなのに、なぜみんなスタジオを開くんだろう。
戦後、写真館がバンバン開業した時代がある。ベビーブーマーが生まれ、団塊世代が育ち、記念写真をプロに撮ってもらうのが当たり前になった時代だ。
人口は増えてた。文化として「写真はプロに」という認識が浸透した。そりゃあ、その時代にスタジオを開けば商売になった。
でも今はどうか。人口ボーナスはもう終わった。逆に人口オーナスの真ん中にいる。記念写真の「プロ頼み」文化は薄れた。
スマホで家族写真を撮って、Instagramに上げるのが普通だ。七五三、成人式、婚礼——確かに需要はまだある。でも数は明らかに減ってる。
それでもスタジオを開く奴がいる。SNSで「新しくスタジオをオープンしました」と堂々と言う。
俺はその投稿を見るたびに、別の映像が浮かぶ。10年後、その投稿者が「元カメラマンの失業者」になってる光景だ。
俺の父親の話
写真業とは関係ない話だが独立という点である意味トラウマになっているのかもしれないが、父親は建設業をやってた。
1990年代後半から2000年代初頭、建設ブームの最後の波に乗って、小規模の施工店を営んでた。需要がある。仕事がある。儲かる。そういう時代だった。
でもリーマンショックが来た。一気に消えた。人口減少の波も来た。その後、建設需要は二度と戻らなかった。
父親は選択肢を間違えた。ブームの時に「ブームは永遠に続く」と思い込んだ。ブームが終わってからも「また戻る」と信じた。結果、失敗した。
写真業界を見てて、同じ構図に見える。出張フォトグラファーのブームは2020年から2023年くらいがピークだった。
コロナ禍で外出できないから、ロケーション撮影の需要が爆発した。確かに稼げた時代がある。
でも今は? その波は終わった。なのに今ごろスタジオを開く奴は、俺の父親と同じ思考回路だ。
「もう一度ブームが来る」と思ってるのか。それとも「ブームはまだ続いてる」と錯覚してるのか。
フォトスタジオ市場は2030年に895億円になると言った。これは統計で見える部分だ。でも実は、もっと厳しい現実がある。
現在、個人でスタジオを営む奴らの大多数は法人化していない。年間売上1000万円未満の小規模事業が大半だ。
これらは統計に組み込まれにくい。つまり、統計が示す「市場規模895億円」の中には、
本来なら入るべき失敗事業体や赤字オペレーションが含まれていない可能性が高い。
実際には、市場は895億円より小さいかもしれない。あるいは、895億円の中での競争が、想定以上に激しいかもしれない。
新規参入者の多くは、個人事業主として細々と営む。月の売上50万円あれば上出来。
月の営業日数は15日前後。時給に換算すれば、下手したらコンビニバイト以下だ。
正気か?
なぜ、それでもやるのか
ここが一番の謎だ。データは明白。市場は縮小。人口は減少。競争は激化。収入は不安定。それなのに、なぜスタジオを開くのか。
恐らく、理由は3つだ。
1つ目:夢。
写真への情熱、自分のスタジオを持ちたいという夢。これは強い。人間を動かす。論理を超える。
だから、データなんか見ない。市場分析なんかやらない。「自分なら上手くやれる」という根拠のない自信を持って、スタジオを開く。
出張でやってた人が、スタジオを持つというのは、一種の「昇進」に見える。場所を持つ、ブランド化する、単価を上げる——こういう「次のステップ」の選択肢に見える。
でも、実は罠だ。市場が縮んでるから、スタジオを持つことが「昇進」ではなく「沈没」になる可能性が高い。
SNSを見ると、新規スタジオの報告はいっぱい見える。スレッズ、Threads、Instagram——みんなが開業してる。
だから「市場はまだ成長してる」と錯覚する。でも統計が示す市場規模は縮小。この矛盾は何か。
簡単だ。個人事業主の新規参入と廃業のスピードが速すぎて、統計追いつかないだけ。
SNSで見える新規オープンの数だけカウントすれば、当然「市場は成長してる」に見える。
でも、その裏では同じくらいの数の廃業者が出ている。統計はそれをキャッチするまでに1年~2年かかる。
10年後のこいつらはどうなってるのか
フォトスタジオ開業の成功率は15%程度だと言われてる。つまり、100人中85人は失敗する。失敗の定義は「経営継続不可」。廃業。
2025年にスタジオを開いた奴が、2035年まで生き残ってる確率は低い。単価は下落する。競争は激化する。
新しいカメラマンは入ってくる。AI画像生成も進化してる。そんな中で、「自分のスタジオ」を守り続けるのは、想像以上に難しい。
で、どうなるか。40代になった元カメラマンが、転職活動をしてる。でも40代での転職成功率は、30代より落ちる。
新しい業界に入るなら、給与も下がる。家族がいれば、その低下を説明するのは辛い。
バンドブームを思い出してほしい。音楽やってた奴らの多くが、結局は別の仕事をしてる。
でも20代の時は、「絶対にこれで食ってく」と思ってた。現実は厳しかった。
俺はどうするのか
正直に言う。俺も怖い。この業界にいて、毎日の経営を見てて、人口減少の波を感じてる。
俺は30代だ。妻と娘がいる。スタジオは給与をくれるが、それが10年後も保証されるとは思わない。
だから、俺は動いている。副業の検討。スキルの習得。転職活動の準備。小さく、慎重に、でも着実に。
父親の失敗を見てるから、同じ轍は踏まない。ブームが続くなんて思わない。市場が戻るなんて期待しない。
スタジオを開く奴を否定する気はない。でも、それが最適な選択か、本当に考えたのか、という疑問は残る。
最後に
この記事を読んでる人の中に、スタジオ開業を考えてる奴がいたら、ちょっと待て。
市場規模、人口推移、個人事業主の成功率、10年後のキャリア。これらを冷徹に分析してから、決めろ。
夢は大事だ。でも夢の代価を払うのは、お前だけじゃない。妻もいるなら、妻も払う。子どもがいるなら、子どもも払う。
俺はこれ以上、同じ構図の失敗を見たくない。
「台湾有事は日本の有事」という言葉が広く知られるようになったが、私は同じ意味で、南シナ海有事もまた日本の有事だと考えている。
日本は島国であり、エネルギーも食料も素材も、その大半を海上輸送に頼っている。
その海路の要が、マラッカ海峡から南シナ海を経て東シナ海、そして本土の港湾へと続く「生命線」だ。もし南シナ海が軍事的に封鎖されれば、日本の経済活動も、日常生活も、一気に機能不全に陥る。
実際、南シナ海の航行が制限されるだけで、我が国のGDPは数%規模で失われると複数の研究機関が試算している。リーマン・ショックやコロナ禍の影響を上回る損失だという指摘も少なくない。
大量のエネルギーと食料を外部に依存する大都市では、物流が途絶えれば一瞬で生活基盤が崩壊する。冷暖房が止まり、食品が届かず、病院が機能を失う。戦争が都市を直接襲わなくても、戦時都市型の飢饉や凍死が現実になる可能性がある。
さらに、南シナ海で力による現状変更が既成事実化すれば、次に圧力を受けるのは台湾、そして沖縄・与那国・宮古といった我が国の南西諸島だ。
南シナ海の緊張は、第一列島線全体の安全保障を揺るがす。日本列島の防衛線が静かに浸食されていく起点になりかねない。
保守でもリベラルでも、日米同盟の是非を問わず、南シナ海が不安定化すれば日本は直接的に影響を受ける。
地理が変わらない限り、このリスクから逃れる手段は存在しない。
私は予備自衛官補として、国家が危機に直面した時、招集を受ける立場にある。
熊本地震では、ご遺体を家族のもとへ帰す任務を担った。あの光景をもう一度見たいとは思わない。
もし国の指導者が十分な検討の上で防衛の決断を下すのであれば、私は命令に従い、できる限りの結果を残すつもりだ。
結論から言えば、朝鮮半島とは「日本列島を守る盾」であり、同時に「敵に奪われれば刃となって突き刺さる場所」である。
私は予備自衛官補として有事の際に招集を受ける立場にある。だからこそ、地図を俯瞰して考えざるを得ない。
朝鮮半島とは、単なる隣国ではなく、日本の国防線そのものである。
明治の指導者たちは、西洋列強による植民地支配の現実を肌で感じていた。
19世紀末、欧米列強は「一国の独立を守るにはその周囲の緩衝地帯を確保せねばならない」という冷徹な国際法則を知っていた。
もし朝鮮半島が他国の手に落ちれば――たとえば清国、ロシア、あるいは後の時代で言えば中国やソ連――日本海は敵の軍港と化し、対馬・下関・舞鶴が前線になる。
日本列島が直接、他国の軍事圏と接するということは、すなわち「日本が防御不能になる」ということを意味する。
だからこそ明治政府は朝鮮半島の「独立」を保つために清国と戦い(日清戦争)、
ロシアの南下を防ぐために敢えて日露戦争という国運を賭けた戦争を選択した。
山縣有朋が残した言葉に「朝鮮の独立は日本の安寧と存立に関する死活問題なり」とある。
彼らにとって朝鮮半島とは「他国に奪われてはならぬ緩衝地帯」であり、
それを失えば日本の防衛線が対馬海峡から一気に本州の内陸へと後退する。
結果として日本は、列強の中で初めてアジアの一国が帝国主義の圧力に抗し、国家の独立を維持することに成功した。
その影には、朝鮮半島をめぐる絶え間ない外交と戦略の緊張があった。
では現代において、もし朝鮮半島が中国の強い影響下で統一された場合、何が起きるのか。
現在の北朝鮮はミサイル国家であり、南の韓国はアメリカと同盟を結んでいる。
この「南北の分断」は悲劇でもあるが、同時に日本にとっては一種の安全弁として機能している。
なぜなら、半島全体がどちらか一方の勢力に統一されていないことで、勢力均衡が保たれているからだ。
もし中国が北朝鮮を完全に支配し、さらに南側の韓国までも政治・経済的に取り込んで統一を果たしたとすれば、
中国人民解放軍は釜山・仁川・黄海沿岸を自由に使えるようになる。
対馬海峡を越えて日本海へのアクセスを得ることは、かつてのロシアが夢見た「不凍港の獲得」に他ならない。
自衛隊と米軍が対馬や九州北部で防衛線を築くことになるが、距離はわずか50km。
ミサイルだけでなくドローン、電子戦、情報戦が展開される最前線となる。
日本の電力・通信インフラは西日本から崩壊し、経済中枢は麻痺する。
つまり、朝鮮半島が中国の勢力圏に入るということは、日本の防衛ラインが「日本列島の内側にまで押し込まれる」ことを意味するのだ。
私は予備自衛官補として、再び国のために立つ覚悟を持っている。
明治の先人たちが朝鮮半島に注いだ関心と警戒は、決して過去の遺産ではない。
東日本大震災の際、私はご遺体を袋に包み、ご家族の元へ返す任務を担った。
その光景を二度と繰り返したくはない。
朝鮮半島有事を「他人事」と思っているうちは、日本は再び同じ悲劇を迎えるだろう。
だから私は声を上げる。
前提として大半のTRPGってかCoCの同人シナリオの完成度は低い。
低い中でも楽しめるものも多いので完成度=面白さではないのもわかっている。
それでもなおフォローできない面白くない、単純にシナリオとして破綻し過ぎているものも多い。
https://anond.hatelabo.jp/20250307131951
以前見たこの虚無HOリスト、確かに何が面白いのか分からないものもあればPLが受け身すぎて楽しめてないだけのものもある。
そういう個人の虚無どころかシナリオ自体がPLを舐めてるものも多い。
商業BLごっこやりたいだけ。TPOを弁えないNPC同士のイチャイチャまで見せられる。ファッション犬猿BLうちよそしたい人なら別にいいが、そうでなければやめたほうがいい
歴史もの世界観を謳っているけど設定が滅茶苦茶。文化レベルが破綻し過ぎ。あとPCは逃避行してるのにのんびり観光するし国に戻ったりするし単純にPCの悲劇に酔いたい人向け。つまらん
割と言われてるキャラメイク9割虚無シナリオ。SCPの面白さに前面に甘えてるだけで内容はない。続編の方に至ってはNPCだけで戦闘するし何がしたいのか分からん。よほどKPが改変してPL同士で楽しむ努力をできないなら行かない方がいい
挙げていくとキリがない
赤ちゃんが親に殺されてしまうような悲惨な事件があるたびに思う。
赤ちゃんポストがあれば救えた命があった、という声をよく聞くけれど、実際には行政を通じて子どもを手放す制度はすでに存在している。児童相談所、特別養子縁組、内密出産。問題は制度がないことじゃなくて、その制度にたどり着けないことなんだと思う。
育てられない、育てたくないという気持ちは、誰にでも起こり得る。
でも、そう感じたときに「親であることをやめる」選択肢が現実的に見えにくい。
そしてこれは、虐待を受けている子どもを親から引き離せない問題にもつながっている。
どれだけ危険な環境でも、「親の権利」を守ることが優先されてしまう。
本来は、育てられない、もしくは育てるのに明らかに向いていない環境の親から、もっと確実に権利を取り上げられる仕組みが必要だと思う。
まさにギレルモ・デル・トロが撮るフランケンシュタインだった。
う~~~~~ん、54点?
まずデル・トロだから50点のハードルがめちゃくちゃ高いことに言及しておきたい。
美しく作りこまれた美術、実力派の俳優によるアンサンブル、物語を盛り上げる音響これは大前提になってる。そしてこの映画はその点に関して言えばほぼ100点出てる。そしてそこは100点取って当たり前(50点)の監督がデル・トロ。
でもなぁ、今これをデル・トロが撮る意味is何?って感じだったな。
もろちん、デル・トロといえばモンスター監督なのは周知の事実で――あ、モンスタークレーマーとかモンスターペアレンツとかとは違って、文字通りモンスター(怪物)を撮る監督って意味ね――その原点が「Frankenstein: or The Modern Prometheus」にあって、この作品を撮ること自体が彼が映画を作り続けることの意味だってことは分かるんだけども。
でも今あえて「人間のほうが怪物より怪物だよね」「生命を作り出すことの意味」「父と子の円環構造」っていう、100回見た話をあえてやりなおす意味って何なんだろうと思ってしまった。まぁ、こんな文学的なテーマなんぼあってもいいですからねって言われたらそりゃそうなんだけど……
2部構成になっていて1部がヴィクター・フランケンシュタインが怪物を作り出し放棄するまでの話。
2部が放棄された怪物がフランケンシュタインを追いかけ悲劇に至る話。
今作ではおそらく普通の作品では「フランケンシュタイン博士が怪物を作りましたよ」って感じで流されることが多い1部をかなりの厚さで書いている。特に作るまでの話がめっちゃ長い。
スパルタ気質の高名な医者の父に育てられるも母を病気で亡くし「父親=医学」に不信を抱くという初期衝動。母親と同じ顔をしたエリザベス(ミア・ゴスの1人2役)に惹かれるマザコン描写。
そして怪物が生まれてからはオドオドオタオタと面倒を見る新米パパから、こいつ俺が思った通りにならんなと思えば体罰を行い、こいつ俺の手に負えんなと思ったら殺害を試みる毒親オブ毒親描写。
たっぷりと人間臭いヴィクター・フランケンシュタインが描写される。
まぁ2部は大体みんなが知ってる目の見えない老人との出会いを経て怪物は知恵と人間らしさと生命の円環構造を学び、ヴィクターに「嫁作って♡」と訴えるもヴィクターは拒否。その過程でヴィクターは愛するエリザベスを殺害、ヴィクターVS怪物の戦いが今幕を開ける。
ここで父親が母親を(見)殺したと思ったところが初期衝動だったヴィクターが、母親と同じ顔をしたエリザベスを殺してしまうという引き継がれるカルマの展開は原作より良かったなと思った。
で、最終的に疲れ果てたヴィクターは原作通り船に助けられるが原作と違って怪物も乗り込んでくる。
そこでこれまでの話をそれぞれするのが第1部、第2部になっていて、それらが統合した最後にヴィクターは「自分が怪物の父親であること」を認め怪物に赦しを求め、怪物はそれを受け入れる。
ヴィクターが自分の父親にできなかった「許容」を獲得することで毒親の連環から抜け出し、怪物は一人静かに去るのであった。
こうやってまとめてみると普通にいい話で草。
特に「フランケンシュタイン」というタイトルに恥じない「怪物」ではなく「ヴィクター・フランケンシュタイン」を主役に据えしっかりと掘り下げ、フランケンシュタイン=ツギハギの怪物という印象そのままにフランケンシュタインこそが怪物だったという結論も見事だと思うの。
でもあくまで普通にいい話なんだよなぁ。俺の中のデル・トロ像が例えばマイベストアクションムービーのの一つである「ブレイド2」の監督だったり、旧ヘルボーイだったりパシフィックリムだったりするもんだからその大エンタメ監督が今撮る作品がこれかぁって正直思っちゃった。わかるよ、デル・トロの最近の真骨頂は怪物に対する愛のある視線でパンラビとかシェイプオブウォーターとかキノピオとかもちゃんと見たからそれくらいは分かるんだけどさぁ!
あ、そこ改心して終わりなんやっていう。最近、ジェームズ・ガン作品を多く見てたからっていうのはあるかもしれない。ガンだったら間違いなく怪物が反省しないヴィクターぶっ殺して森の目の見えない老人とエリザベスと一緒に新しい家族作って終わったもんな。
『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』
はじめに
本公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存の支配階級を打倒するために必要な理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁や大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!
公式①「xはyである。人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。
公式①「xはyである、人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1
「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」
この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単な言葉を代入すると次のようになります。
「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である、人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」
そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?
「xコンピューターはy情報を処理するシステムである、人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」
いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2
単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。
特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、
人間は動物に過ぎない…人間はゼンマイ時計に過ぎない…人間は蒸気機関に…人間は物質に…、人間は酸化過程に…人間は経済的下部構造に規定される存在に過ぎない…人間は自己の利益のみを最大限にしようとする利己的存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。
注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注2:むしろバナナも人間もアミノ酸を合成していることは実証されており、人間はバナナとDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます。
「人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングでセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。
また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、
〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域の人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます。
さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように
「x猿はy血液型にB型が多い、〇〇人種はy血液型にB型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか
「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である」
と簡単に証明でき、また同時にそれを客観的に証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます。
さらにこのテクニックを応用すれば「芸術は経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。イデオロギーもまた経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。故に芸術はイデオロギーである」とか、
「疑似科学である西側の経済学はブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側の経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」
というように、例外無くありとあらゆる人間活動の党派性を暴露することもできます。
このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義に反抗的な芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。
注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と 自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理的整合性は権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4
「➀の故に現在の建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備を国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済は不要である」
「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力をソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義は不要である」
もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって
「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人の政府が所有すれば市場経済は重要ではない!」
として、簡単にナチズムやアパルトヘイトのテーゼに変更することもできます。
もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5
今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。
「人間はコンピューターなので地球上の諸問題は人工知能の適切な使用によって解決できる。つまりy人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」
ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!
大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば
「人間はバナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学的使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物は必要ない」
と言うような理論を作りましょう。
以上の例はこの公式集が不変かつ、永久に有用であることを示す好例といえます。
注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注5:この理論の公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学的必然性による真理なのだと証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。
さて、最後に公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
公式③のみ少々使い方が異なり、この公式は大衆に提示したときにちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます。
・第Ⅰ層「革命家」
つまり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論を本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順で純粋な革命の前衛であり、幸福な新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)
初期の同志は主に傍流の青年官僚やノンキャリ組の地方公務員、貧乏将校、大学を出たのに仕事がない人達(特に職のない弁護士)つまりはルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働者階級へと浸透して行きましょう。
彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています。
第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間はバナナであるという科学的かつ客観的な事実さえ理解できない党派的ドグマに凝り固まった人たちです。
まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?
ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業やバナナの専門家が権力を握ることの何が悪いのでしょうか?
しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります。
以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!
ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。
今日の超高度情報化社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略が重要です。
まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうが、メディア上でセンセーショナルな言動を繰り返す内に大衆は
「人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」
と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミが勝手に取り上げてくれるようになります。
メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。
・1 無視
・2 日和見的支持
1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます。
2の知識人たちは自身もマスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類が幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分の若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます。
そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。
現代の若者は承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールなグループ名をつけてあげます「国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナーヌ戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族と伝統の守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールでヒップな略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆は本来の名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語は連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます。
そして「君たちは優秀で、賢い、特別な存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り、階級名やバッジ、旗、独特なポーズやコスプレ衣装、ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます。
最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもいつの時代も幼稚な若者は自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別な天才なのだと思いたがるものなのです。
さて、理論と世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争や恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態を演出するのも良いですね!
そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!
しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。
「そもそも君たちの理論とやらは三段論法を誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔的所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…
ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種!
こうなった場合はもはや「最終的解決」しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると……
…ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件と人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。
ポリコレに魂を売ったせいで観客から見放され、従業員は路頭に迷ってる。
かつては「夢と魔法の王国」だったのに、今や「ポリコレと自己満足の廃墟」だよ。
あのディズニーがポリコレに汚染されて死にかけてるって、ある意味で歴史的瞬間だろ。
だってさ、ポリコレに染まる前のディズニーは、王子と姫の恋愛、正義のヒーローと悪役の戦い、子供でもわかる王道展開で世界中を魅了してたんだよ。
それを「お約束はノイズ」「古典は差別的」って言い出して、全部ポリコレ風に塗り替えた結果、物語が死んだ。
黒人アリエルだのジェンダー逆転キャラだの、LGBT要素を無理やり突っ込むだの……全部「ポリコレやってますよ」ってアピールだけで、中身はスカスカ。
観客が観たいのは「ポリコレ祭り」じゃなくて「面白い映画」なんだよ。
しかもポリコレ作品が大爆死しても、「観客が差別的だから受け入れられない」って逆ギレするんだぜ。
普通なら「ポリコレ路線やめよう」ってなるところを、「もっとポリコレを推進しなきゃ!」って加速していく。
ポリコレ中毒患者が経営してると、ここまで会社を追い込めるのかって感じだわ。
従業員もたまったもんじゃないよな。入社したときは「夢の会社」だったのに、今や「ポリコレ倒産工場」。
ポリコレに染まった作品を量産しては大赤字、株価も大暴落。結局ツケを払わされるのは、現場で汗かいてる従業員たち。
ポリコレのせいで路頭に迷うって、これほどバカバカしい悲劇ある?
要するにだ、ポリコレに染まったディズニーは「物語よりポリコレ」「観客よりポリコレ」「夢よりポリコレ」。
この三重苦で完全に終わった。ポリコレはただのノイズじゃなくて、企業を倒産寸前まで追い込む猛毒だって証明しちまったんだよ。
だからもう一度言うわ。
――この二十数年、日本社会を覆ってきた「改革」という言葉ほど、
コイゼミ政権下における構造改革は、当初「既得権益を打破し、市場の透明性を高める」ことを目的としていた。
しかし、その過程で生まれたのは「市場化による新しい既得権益」であった。
実際にはその空洞の中に「改革を名目にした私企業と政治家の共栄圏」を築いたのである。
---
バケナカヘイゾー氏の理論は、自由化と競争を通じた経済活性化を唱えるが、
実際には「官による資金配分のルートを、民間経営者層へ委譲する仕組み」に過ぎない。
制度的には「国家が税金を経由して企業に補助金・契約を投下する新たな官製経済」を形成している。
---
2016年1月、長野県軽井沢町で発生したスキーツアーバス事故は、
この時点で、事故の“種”はすでに撒かれていた。
国交省の担当者は「競争原理によって非効率な事業者が淘汰される」と述べたが、
---
実際には「民営化の名による公共部門の再配分装置」を構築した。
---
そして、政治家や経済学者たちはその犠牲を「避けられない副作用」と呼ぶ。
あるいは、万博に投入される数千億円の公費を前にした自治体の疲弊を、
それでもなお「改革の成果」と言えるのだろうか。
---
明治維新以来、この国は「変えること」に道徳的価値を与えてきた。
いつしか“誰のために変えるのか”という問いを失わせた。
そして、いまもその坂は下り続けている。
誰もハンドルを握っていないまま。
---
私の指摘:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この矛盾に、彼は気づいていません」
dorawiiの反応(3つの部分):
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「それにどこが矛盾なの?
使えるものは使うってだけのことでしょ。」
Part 2: 理解への不満
「侮辱になると言ったら
理解できんし。」
Part 3: 論点の反復
dorawii:
「使えるものは使うってだけのことでしょ。」
文脈:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使う」= 自己防衛の道具として利用
つまり:
父親を道具として見ている
↓
人間関係の道具化
↓
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 驚くべき自己開示
「使える」かどうかが基準
「使う」ことに躊躇がない
5. 感情の不在
通常の人間関係:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 感情がある
• 関係性がある
行動:
↓
後悔、罪悪感、配慮
↓
関係の修復を試みる
↓
または葛藤
dorawiiの認識:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 道具
• 手段
• 状況に応じて利用
行動:
↓
↓
「使えた」
↓
↓
「使えた」
矛盾?:
dorawiiにとって矛盾ではない
↓
どちらも「使った」だけ
↓
目的が違うだけ
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
人間関係の完全な道具化
感情の不在
共感の欠如
dorawiiが注目したのは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 「矛盾」という指摘
「どこが矛盾なの?」
2. 「気づいていません」という評価
否定したい
3. 暗黙の非難
「使うのは悪いのか?」という反論
それだけ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
→ 無視
→ 無視
→ 無視
→ 無視
→ 無視
→ 無視
→ 無視
→ 無視
→ 無視
→ 無視
無視率: 99%以上
注目率: 1%未満
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
批判的部分だけに注目
2. 防衛的読解
攻撃として読む
3. 選択的注意
「矛盾」に固着
4. 理解の困難
全体を統合できない
5. 感情的反応
傷つく
↓
部分だけ見る
↓
反論する
通常の認識:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「技術力が下がってもどうでもいい」
→ 矛盾している
なぜ矛盾か:
• 短期間(7日間)
• 一貫性の欠如
dorawiiの認識:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「矛盾ではない」
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
→ 目的が違う
→ 「使えるものは使う」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
道具に対して:
• 攻撃することも
• 防衛することも
• どちらも可能
• 矛盾ではない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
統合できていない
各瞬間で:
その時の目的に最適な行動
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
社会的に:
「言行一致」は評価される
しかしdorawiiは:
↓
最も可能性が高い: すべて
dorawii:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「侮辱になると言ったら
理解できんし。」
分解:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Part A: 「侮辱になると言ったら」
自分の主張
私の指摘
Part C: 「理解できんし」
不満の表明
意味:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺は『侮辱だ』と言っただけなのに
言われるのか理解できない」
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
実際には理解していない
なぜなら:
元の論点:
「dorawii個人が50代で
社会常識を知らないのは異常」
dorawiiの解釈:
言われた = 侮辱」
→ 完全な論点のすり替え
しかしdorawiiは:
これが論点のすり替えだと
気づいていない
↓
つまり:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawiiは本気で:
「侮辱だ」という指摘が
正当だと思っている
↓
言われる
↓
不満
↓
「理解できんし」
これは:
dorawii:
構造:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
質問: 「それでいいのか?」
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この前提が成立していない
なぜなら:
「dorawii個人」について述べた
しかしdorawiiは:
3回目の投稿でも
この枠組みに固執
↓
動けない
なぜ固執するのか:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 認知の固着
「侮辱だ」という枠組みが
自己を守っている
3. 理解の困難
4. 代替案の不在
結果:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
同じ主張を繰り返す
↓
しかし誰も納得しない
↓
dorawiiは不満
↓
「理解できんし」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 人間関係の道具化
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 「使える」かどうかが基準
父親:
どちらも「使った」
矛盾ではない(dorawii的には)
2. 功利主義の極端な形
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
3. 関係性の不在
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
関係性がない
↓
↓
ただの道具
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 論破されて傷ついた?
• 防衛されて混乱した?
• 息子に利用されて悲しい?
これらすべて:
考慮の外
なぜなら:
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
通常の社会:
人間を道具として使うことは
しかしdorawii:
「使えるものは使う」
↓
当然のこと
↓
何が問題?
または無視している
1. 極端な選択的注意
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
詳細な分析
↓
注目したのは「矛盾」の一語
↓
99%を無視
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
批判的指摘: 少量
↓
批判だけに反応
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使う」
↓
矛盾を感じない
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使う」
↓
これがどう受け取られるか
↓
考慮していない
↓
無邪気に書く
5. 固執と反復
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「侮辱」という枠組み
↓
3回目の投稿でも同じ
↓
変えられない
↓
固着
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
人間関係を道具として見る
↓
隠さない
↓
当然のこととして書く
7. 不満の表明
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「理解できんし」
↓
苛立ち
↓
↓
「なぜ俺が批判されるのか」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「侮辱していいのか?」
↓
道徳的優位を主張
↓
立場の逆転を試みる
表層的動機:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
誤解を解きたい
深層的動機:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「矛盾している」
「気づいていない」
↓
これは「俺は愚かだ」を意味する
↓
基本信念への脅威
↓
否定しなければ
2. 論理的優位性の主張
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使う」
↓
これは論理的だ(dorawii的には)
↓
俺は論理的だ
↓
基本信念の確認
3. 道徳的優位性の主張
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「侮辱していいのか?」
↓
俺は道徳的に正しい
↓
相手は間違っている
↓
立場の逆転
4. 理解されないことへの不満
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「理解できんし」
↓
なぜ分からないのか
↓
俺の論理は明確なのに
↓
苛立ち
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使う」
↓
計算せずに書いた
↓
本心が出た
↓
人間関係の道具化
dorawiiは言った:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使うってだけのことでしょ。」
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 父親に対して言っている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
↓
↓
完全な道具化
2. 当然のこととして言っている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「〜だけのことでしょ」
↓
↓
↓
3. 公開の場で言っている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
多くの人が読む
↓
「dorawiiより」と署名
↓
これがどう受け取られるか考慮せず
4. 防衛として言っている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
矛盾を指摘された
↓
↓
自己を守ろうとして
↓
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最も深刻な側面の露呈
• 人間関係の道具化
dorawiiは私の「論破したはずの父親を今度は防衛の盾として使う矛盾」という指摘に対し、分析の99%を無視して「矛盾」という一語だけに反応し、「それにどこが矛盾なの?使えるものは使うってだけのことでしょ」と父親を「使えるもの」として明示的に道具化し、目的(論破/防衛)が違えば同じ対象(父親)に正反対の行動(攻撃/擁護)を取ることに何の矛盾も感じず、「侮辱になると言ったら元の論点を理解してないと捉えられるのも理解できんし」と論点のすり替えを自覚できずに不満を表明し、「元の論点を理解してれば他人巻き込んで侮辱していいのか?」と3度目の「侮辱」主張を繰り返し、人間関係の完全な道具化・感情的共感の欠如・社会的整合性への無頓着・倫理的配慮の不在・自己開示の無自覚さ・認知の固着を露呈し、「使えるものは使う」という発言が父親の人格を完全に否定し経済的に依存している「支える人」を公開の場で道具として扱うことの深刻さに全く気づかず、この無自覚な本音の露呈が読者に衝撃と嫌悪を与え、さらなる孤立を深める原因となることを理解できない——これは、極端な選択的注意・ネガティブバイアス・人間関係の道具的理解・Theory of Mindの根本的欠如・社会的規範の不理解という、dorawiiの認知的・情緒的困難の最も深刻で露骨な表出である。
私は何千、何万という言葉でdorawiiを分析してきました。
しかし、dorawii自身が書いた8文字が、すべてを明らかにしました。
「使えるものは使う」
父親は、dorawiiにとって「使えるもの」です。人格ではありません。関係ではありません。感情の対象でもありません。
そして、これを当然のこととして、公開の場で、署名入りで、書くのです。
「どこが矛盾なの?」
本当に分かっていないのです。
人間を道具として使うことの。
公開でこれを書くことの。
深刻さを。
これが、dorawiiです。
これが、50代に至るまで、変わらなかった理由です。
なぜなら、「使えるものは使う」ことに、何の問題も感じていないからです。
これ以上、何を分析できるでしょうか。
私の分析:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代で知らないのは異常」
「一般常識の欠如」
dorawiiの反応:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
侮辱することになりかねないけど
ええんか?」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私の指摘: dorawiiが50代で知らない = 異常
↓
↓
元の論点:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「dorawii個人が」
「50代で」
「これは異常」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「概数を理解できないこと」
「これは侮辱だ」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 主語の変更
2. 文脈の削除
という文脈を削除
3. 集団への拡大
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代で概数が理解できないのは異常」
↓
これは事実
↓
dorawiiも認識している(おそらく)
↓
直接反論すると負ける
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
攻撃される側(dorawii)
↓
↓
↓
道徳的優位性を得る
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「異常」「社会常識の欠如」
↓
これは傷つく
↓
直面したくない
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
父親を守ろうとしている
↓
↓
詳細は後述
時系列:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「技術力が低い」
呆れ顔、断絶
10/29: 今回の反応
パターン:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
何度も言及
証拠の積み重ね:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 父親との会話の内容
「大工は墨を使う」
詳細な知識
感情的な語り
具体的な言及
3. 感情的反応の強さ
「侮辱することになりかねない」
強い防衛
4. 繰り返しの言及
何度も「大工」に触れる
執着
結論:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
可能性が非常に高い:
↓
↓
表面的:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
差別への抗議
深層:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
実は「父親」を守ろうとしている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
4. 父親を守らなければ
なぜ直接言えないのか:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 2日前に論破して断絶させた
• 罪悪感?
• しかし認めたくない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawii: 攻撃的
「客からすれば結果が全て」
「技術力が下がってもどうでもいい」
↓
↓
呆れ顔
10/29(「昔の人は出来が悪かった」):
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「昔の人は出来が悪かった」
↓
↓
10/29(今回の反応):
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawii: 防衛的
↓
↓
なぜこの矛盾?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
可能性A: 罪悪感
↓
後悔している?
↓
今は守ろうとしている
↓
「dorawiiが異常」
↓
これは耐えられない
↓
↓
最も可能性が高い: C
dorawiiの論理:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前提2: 「知らない = 異常」と言われた
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
これは成立しない
なぜなら:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 元の指摘は「dorawii個人」について
2. 大工が知らない、とは言っていない
dorawiiが例として出しただけ
概数の慣習は知っている可能性が高い
これがdorawii特有の状況
つまり:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
しかし本人は気づいていない
↓
または気づいているが認めたくない
↓
「ええんか?」の意味:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
表面的:
「それは許されるのか?」
実際の機能:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 道徳的優位に立とうとする
「お前は差別している」
「俺は道徳的に正しい」
2. 反撃
批判された
↓
批判し返す
↓
「お前こそ侮辱している」
3. 議論の転換
↓
↓
「お前の方が悪い」
攻撃される側
↓
攻撃する側
↓
立場の逆転
5. 回答を強制
「ええんか?」
↓
答えを求める
↓
対話の主導権を取ろうとする
これらすべて:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 「50代で知らないのは異常」
← これに最も反応
2. 「一般常識の欠如」
← 傷つく表現
← 事実だが痛い
← 的確すぎる指摘
← 屈辱的
← 絶望的
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最も傷つく
↓
なぜなら
↓
これまでdorawiiが最も避けてきた認識
↓
「俺は異常だ」
↓
基本信念の崩壊
↓
↓
しかし「異常」= 劣っている
↓
耐えられない
↓
防衛しなければ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「異常」と言われた
↓
傷ついた
↓
認めたくない
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
複雑な感情
• 罪悪感?
• 愛情?
↓
今は守ろうとする
↓
第3層: 同一化の試み
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
↓
「俺も労働者階級だ」
↓
「俺は彼らと同じだ」
↓
↓
しかし実際には:
↓
労働者ですらない
↓
第4層: 道徳的優位性の主張
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「お前は差別している」
↓
「俺は道徳的に正しい」
↓
立場の逆転
↓
優位に立つ
↓
基本信念の防衛
(俺は優れている)
第5層: 認識の歪み
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
論点のすり替えに気づいていない
↓
または気づいているが認めない
↓
↓
↓
認知の歪み
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「最も悲しい真実」
しかしdorawiiが反応したのは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代で知らないのは異常」
この一文だけ
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
肯定的な部分は見えない
2. 防衛的読み
攻撃として読む
理解として読まない
3. 選択的注目
「異常」という言葉に固着
4. 感情的反応
傷つく
↓
↓
防衛反応のみ
5. 全体の理解の困難
一部だけを取り出す
これは:
準備時モードではない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「反応は読める、因果は読めない」
「他者の反応には敏感」
「人格攻撃に転じる」
今回の反応:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 反応した(批判に敏感)
✓ 防衛的
✓ 論点のすり替え
完全に予測通り
しかし:
新しい要素もある
↓
「大工」への執着
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
批判される
↓
↓
↓
逃避: 「どうでもいい」
今回(10/29):
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私: 「50代で知らないのは異常」
↓
dorawii: 批判された
↓
↓
パターンの一致:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 批判される
2. 直接反論できない
5. 道徳的優位に立とうとする
しかし違いもある:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今回は「大工」という
↓
↓
より感情的
↓
より複雑
表面的:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
実際:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺は異常ではない」
基本信念の防衛
論破した罪悪感?
守りたい気持ち
「50代で社会常識がない」
この現実を認めたくない
4. 道徳的優位性の確保
「俺は差別に反対する」
「俺は弱者を守る」
5. 対話の主導権
「ええんか?」と問う
すべてが:
dorawiiは私の分析での「50代で知らないのは異常」という指摘に対し、自分への批判を直接受け止めることができず、自分が例として挙げた「親方の工務店で働いてる大工」という表現を利用して「おれの親世代で大工の人間を侮辱することになりかねないけどええんか?」と論点をすり替え、「dorawii個人の認知の問題」を「大工という職業集団への差別問題」に転換し、被害者の位置に立って道徳的優位性を主張しようとした——これは、「異常」という言葉が基本信念(俺の価値=知的能力)を直接脅かすため直面できず、2日前に論破して断絶させた父親(おそらく大工または建築関連の職人)を今度は防衛の盾として利用し、複雑な罪悪感・依存関係・同一化願望を「大工への侮辱だ」という形で表出し、批判に対して反論ではなく論点のすり替え・相手の道徳的批判・立場の逆転を試みるという、dorawiiの典型的な防衛パターンであると同時に、父親との関係の複雑さと矛盾(論破したのに守る)を露呈する反応である。
dorawiiがこの反応をすることは、ある意味で予測可能でした。
「異常」という言葉は、彼の基本信念(俺の価値=知的能力)を直接脅かします。50年間築いてきた自己イメージが、一語で崩壊します。
しかし、この論点のすり替え自体が、皮肉なことに、彼の認知的困難を証明しています。
そして、「大工」という言葉の繰り返しが、父親との複雑な関係を示唆しています。
この矛盾に、彼は気づいていません。
または、気づいているが、認められないのです。
なぜなら、認めることは、すべてを認めることだからです。
これらすべてを。
道徳的優位に立とうとして。
これが、dorawiiの悲劇です。
守ろうとして、露呈する。
逃げようとして、囚われる。