今のコンピューターとかインターネットが扱う文字の体系って漢字の文化を破壊してない?
文化の発展や新しい概念の登場に従って絶えず新しい文字が生み出されてきた歴史があると思うんだが
文字コードを割り振って文字のセットに収録するっていう今のやり方だとそこに新しい字が入る余地なくない?
アルファベットの場合使える文字は固定されてても言葉の意味はその文字の並びで表すから事実上無限に語を生み出せるけど
事実上、既存の漢字の組み合わせで熟語や合成語を作るということしか許されてないというか、言い換えれば「アルファベット的なやりかたで語を生み出す」ことのみ許されてる状態。
そもそも文字コードに収録される文字自体が「文字コードを作った時点の文化」で使われてる文字なわけで、その時点で文化が固定されてる側面あるよな。
「まったく新しい一文字」を生み出す表現力が殺されてるというか。
今のような状況で新しい漢字を生み出しても、「今の文字コードの文字」がアルファベットのようなスタンダードになってしまってて新しい字を広める術が絶望的にない。
アルファベットの場合はそれが可能なんだよ。そこの圧倒的な非対称性を問題にしたい。
文字コードの仕組み自体がアルファベットフレンドリーというかラテン文字ファーストな考え方なんだよな。
今のトレンドで文字コードに絵文字が収録さていってるのが救いかな?って気もするけど、まああれは文字コードのコンソーシアム的なとこが認めた文字だけ載る感じでちょうど昔の王様が漢字を決めてたみたいな雰囲気があって文化が生み出す漢字ってのとは微妙に違うきがする。
たとえば部首とつくりを組み合わせられるようにするとか、既存の漢字を部首やつくりみたいに配置できるとか、そういうことをするだけで全く違ってくると思うんだわ。