そこで鬱となり、今も私は苦しんでいる。
私の指導教員は、学生に研究の自由を一切与えず、単なる作業員として学生を扱うクズだった。
上手くいくはずのない研究に対して、仮説の無い、中学生でもできるような実験を永遠と繰り返させることにある。
そのような研究でも、再現性の無い良い結果が得られることが有る。
指導教員に指示を受けた以上、その結果を使って論文投稿をしなければならない。
そうすると、査読者のコメントは「悪意を持って有効性を見せかけた」などといったものになる。
当然だ。「手法Aを○○という課題にあてがうのは誤りだ」と手法Aの開発者が言っているのだから。
それをなんの仮説もなくただの行き当たりばったりで覆そうとしているのだから。
研究に取り組んだ実に3年間、穴を掘って埋める作業を繰り返すだけの、私の貴重な二十代の時間は無駄になった。
それどころか、鬱になったから私の脳がもう元通りになることはない。
独学で技術を磨いていれば、スタートアップで経験を詰めていたなら、研究室を変える勇気が有れば、
私が目指していた専門性の高い人材になれていたかもしれない。鬱にならなかったかもしれない。
今はただ、逃げなかった後悔が募るばかり。
全て自分の責任。現状に流されて、自分の居るべき場所を主体的に選択できなかった。
レールを外れることが恐ろしく、それ以外の道を作る覚悟が無かったのだ。