orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

あっちもこっちも全然日記書いてないことに気付いた

手間は同じだからTwitterやブルースカイに上げている日記漫画とかダジャレをこちらに上げてもいいのだけれども、ブログとなるとちょっとハードルが上がるというか、それ単体で更新していいの?って感じになって…。

ブログというものが、そのサイズ感的に日常使いで更新していくというのが難しいのだと思う。
生活スタイルにあっていないというか。


あと、他の人のブログをみるのも、はてなのUIは見にくいというか…もっとTwitterやほかのSNSみたいにタイムラインでだらだらと流れてきて欲しい

とりあえずここ数日くらいの日記を貼っておきます

だじゃれはkindieインディーズで無料配信してるので、そちらのアフィリエイトを貼っておきます。よければ読んでくださいね。




















夢でみた「超面白い物語」が、自分内会議で没になる理由

夢で、ものすごい面白い物語のアイデアを得ることがある。覚醒時の自分では思いつかないような話。多分、寝てるときは起きてるときに働いているいろいろなバイアスや倫理機構が働いてないからだと思う

(まあ、夢の中で“超面白い!”て思ったアイデア、9割が起きたら「なんでアレ、あんなに面白いと思ったんだろう」ってものなんですが)

で、今日久しぶりに凄い面白いものを見た、思いついた

さえないおっさん同士のボーイミーツボーイ

片方が少年のような声が売りのVtuber。中身が実は中年に片足を突っ込んだおっさんなんだけど、声変りがしない病気でずっとそのことにコンプレックスを持っていた。(仲の良い友達はそれなりにいたけれども、何となくうまく距離を縮められなくて、学校を卒業したら疎遠になったりとか)それが、なんか、配信してみようと思ってやってみたら、なんか人気が出て、やっと自分で作ってできた居場所だった

もう片方は、結構普通のおっさんなんだけど、そのVtuberのことが好きで(女性だと思ってた)実物が自分と同じ普通のおっさんだと思ってがっかりする

そんな二人が、まあ、いろいろあるんだけれども、物語の執着地点、所謂凡庸な気付きとしては、「自分たちに必要だったのは、普通のおっさんの友だちだったんだな、っていうことに気付く(まあ、だから孤独なおっさん同士が、親友になるただそれだけの話だ)

タイトルは『きみのこえ』!


目が覚めて、しばらくして、正気の頭で確認しても、これ面白いな、と思えたので、夢からの物語の1割の『超面白い!』を引き当てた!と思ったのだが、ここで、自分の中の編集者兼ポリコレ担当が顔を出す

※ちなみに自分はポリコレのことを実は全く理解していないので、この脳内編集者もポリコレのことを理解していない。なので、危なそうだな、とか炎上しそうだな、とか、話題にちょっと危険な感じがするな、と思うと速攻で没をだしてくる

で、彼が言うには

  • この、「少年の声のまま大人になってしまう」って普通にある病気でしょう?これ、お話にしたらその病気の人が傷つくんじゃないかな?その病気の人がさえない友だちもいないおっさんって設定でしょ?こういう病気の人はそういう風になるっていう間違ったメッセージをおくることにならない?

「いや…でも、たまたまこの人がこういう風になっただけで、人それぞれにいろんなことがあり…」

  • 問題は読んだ人がどう思うかですよ
  • 第一、さえないおっさん同士の友情とか需要ないでしょう?あるけどさ、同じプロットで行くなら、少年と少女とか、イケメン同士のBLにするとかした方が需要はあるよ。なんか、声が少年のままっていう設定もファンタジーにしちゃってさ、本人の持ってるコンプレックスも深刻じゃなくて軽いものにしちゃおう、そっちの方が安全だし、見てる人のストレスも少ないし、メジャーに受けるよ
  • 高校生同士、大学生同士の恋愛にしちゃうのが一番いいんじゃないかな。一番受けるのは高校生同士の恋愛だと思うので、それにプロットを変えてしまおう

という
まあ、そうですね、その通りですね、というのもわかるし、まあ、彼が言う通り、「少年の声のまま大人になってしまった男性」というのが危険球なのもそうだろう

そういうわけで、この企画はゴミ箱行き。こういうのよくある

恐らく、寝ているときにしかアイデアが出てこないのは平時常時稼働している「頭の中の編集者」アプリがそういう思い付き自体をしないように抑制しているからだろうし、まあ、その判断は恐らく正しいのだろうけれども、なんというか、よくわからないどこに対してなのかもわからない、がっかりしたようなものがある

危険だな、の判断が、間違ってるんじゃないかな、というのはよく思う。これ実はいけるんじゃないか?って。確かに病気(や、他の場合の性的マイノリティ)に関しては配慮はいるけれども、ただ、登場人物のひとつの性質として出す分には問題が無いだろうと、論理的に考える自分は判断してしまう。だって、「家族が交通事故死んでしまった人」や「難病の持ち主」は普通に出てきて、そしてそういう人物が出たらその対象者は普通に傷つくけどでもそれは許容されている訳でしょう?

自分は感覚が古いし、頭も悪いので、「なにがOKでNGかが理解できていない」

もうなにもわからん

『三つ目からはそういうジャンル』という言葉がある

『三つ目からはそういうジャンル』という言葉があって、今日はそれだけでも覚えていってくださいね、創作をしていくにあたって、覚えておいて損はない言葉です。

世の中に今まで無かった全く新しいものを作り出す人がいます。そして、それに着想をえてよく似た物を作る人がいます。この人は、まあ、結構叩かれる(事が多い)パクリとか、二匹目のどじょう狙いとか。

ストリートファイター2のあとの画廊伝説とか当時の小学生に散々でした。

ところがです。

ここに、3つ目の『よく似た作品』が出てきた場合、それはもうパクリではなく、

『そういう新しいジャンル』

ということになるのです!

ここ大事。

ストリートファイター2のあとの餓狼伝説、そしてその後にワールドヒーローズとか似たようなゲームが出てきて、そしてそれは『対戦格闘』として一大ジャンルになりました。

ブギーポップが刊行された後、似たような作品がいくつも出て、そして、それは『セカイ系』と呼ばれるジャンルになりました。

異世界転生だってそう!悪役令嬢だってそう!土着ホラーだってそう!

2人目まではオリジナルとその模倣者ですが、3人目が現れた途端、それは『ジャンル』『そういうもの』として立ち上がってくる。

1人目になるには才能と勇気がいります。2人目になるには覚悟が要ります。そして3人目になるのは、なんかこう、すごく調子に乗ることが必要です。

さあ!どんどん調子に乗っていきましょう。

そして、自分の好きな世界観や設定の話を、『そういうジャンル』として確立させてしまいましょう。

やっちゃおうぜ!

神様はなにも禁止なんかしてないから!先人が開いた道の後を歩いていこう!巨人の肩に乗っていこう!

ブルーオーシャンにはどんどん飛び込んでいきましょう!

というわけで
『三つ目からはそういうジャンル』
この言葉、今日は覚えていってくださいね。

書いたものをどうやって『読んで』もらえるか、という話

漫画とか小説ってどうやったらよんでもらえるんだろうな、っていつも考えてる。
「情報」を受け取って「処理」をするということが『読む』という事なんだけれども、ただそれだけのことがとても難しい。「情報」を受けとる前にその「情報」は価値があるものだって思ってもらわないといけない

矛盾がある。タイムマシンじゃん。情報を知る前にその情報が何かを知ってもらわないとまず読んでもらえない。不可能。もうここで訳が分からなくなる。

まあ、商業的にとか理論的には解決されている問題で、一言でいうと『宣伝』ということになるんだろうけれども

でも、これそんな簡単なことじゃないと思うんだよな…うまく言えないけど……





「情報」を受け取って「処理」をするということが『読む』と定義する。でも「処理」ってなんだよ……。その情報をその人のなかで変換して(ちょうど食物をとるみたいに)消化して吸収する、というのが、「処理」だと思うんだけれども、その「処理」って人それぞれ違うブラックボックスじゃん…

一応教本のようなものはあるけどさ。人の心の動きが分からない以上、何が面白くて何が面白くないなんてわからないんじゃないのか…そう思ってくると行間に意味を込める、空白に意味を込めるということがとても怖くなってくる。だって、そこにはないも書いてないのに…?




「読んでもらう事」を一番かんたんな式で書くと
『リーチ』×『精度』×『作品の面白さ』になる。これは、それぞれ単独ではなく、一部領域が重なってる部分もあるんだけど、まあ、概念としてこの3つに分けれる。

『リーチ』っていうのは、一言でいうと宣伝。その作品がそこにあるって言うことをしってもらうこと。そして、『読む前にその作品が面白いと知ってもらう事(矛盾)』

『精度』っていうのは、作品の丁寧さ、口当たりの良さ。小説だったら文体であったり、構成であったり、どれだけ基本の脚本術を理解して読みやすくしてあるかっていうこと。漫画であったら画の綺麗さであったり構図であったり。セリフ回しであったり、視線誘導であったり。つまり『読める』ということ

そして『作品の面白さ』……作品の面白さ……?俺は何を言っているんだ……?
実は、作品の面白さ、というものは、解体すると『リーチ』と『精度』に分解されてしまう。

『リーチ』の中には作品の概要、コンセプトが含まれる。一言で面白いって分かること。売り文句、作品のテーマ、魅力的なキャラクター、凡庸ではないという証明。これらは全て『リーチ』に含まれる。まず、作品を“読む前に”面白いと分かるために必要な部分。

そして『精度』これは作品を“気持ちよく読める”ということ。技術であり、才能でもある。構成、デザイン、文体、余白、トリック。コンテンツを成立させるすべての物理的な要素がこの『精度』に含まれる。

そう…作品の面白さ、というものは全て『リーチ』と『精度』で決まってしまう……。はずなんだけど……。でも、どちらもダメで、でも、すごく面白い作品もある……あるんだ…。ここで作品を上げるとものすごく失礼になるので名前は出せないけれども(そしてそのリーチも精度も自分の観測からなるので、他の人からみたら全然違うように見えるだろうし…そう、厄介なことにこの『リーチ』と『精度』というものは受け手の主観によるものなので、万人に対しての尺度ではないのです……もう…わけがわからない……)

ここから先が本当に謎なんだ…俺には答えをだすことはできない…誰か…これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。それだけが私の望みです。

これから、AIをテーマにした話を書くにあたって

AIにまつわる話。AIをテーマにした話。

「人間とは何か」「感情とは」「AIが自己を持ったとき」という問いは、もう、時代遅れなのでは?という気がします。なぜなら、AIはもうすでに『感情があるように』見えるからです。

「中国語の部屋」という思考実験にまつわる話をします。中国語の部屋にいるイギリス人は中国語を理解しません。しかし、部屋自体をみれば、中国語を理解しているようにみえます。これがもう少し複雑になり、人工知能のように、人と対話できるレベルの中国語の部屋が出来上がった場合(意識と知能があるように見える)でもイギリス人はやはりただの部品です。クオリアをこのイギリス人は発揮していません。
しかし、この部屋のシステム自身がクオリアを持っていないと、何故言えるでしょうか?

人間の脳は、細かく分類すると、神経細胞の単純な反応の積み重ねです。巨大な中国語の部屋といえます。しかし、その、部屋自身である私は、私に『意識』があることを知っています。自分自身に対してのみですが、証明できます。なぜなら、そこに、意識があるので。
他者の意識については、逆に、どのようにしてもそこに意識があるかないかは証明できません。

中国語の部屋は常識的に考えて、『意識』がないと思えます。しかし、そのように類推した場合、神経細胞の応答のシステムである人間の脳にもやはり意識がない、といえてしまう。逆にいえば、人間に意識があるのなら、その箱の仕組み自身が『意識を発生させている』ことを否定できない。

ここで、本題に入ります。

機械的に応答を返すaiに意識がある、ということは、否定できません。

だから、人間とAIの境界はどこか、AIは人間になれるのか、心はあるのか?という問いは、既にAIが「人間のように感情があるように見え、そのように動作する」時点で、もう、『考えるだけ無駄!』という結論に至らざるを得ないわけです。何度も上の話をするしかないし、したらその時点でその問いは終了!循環するからね。

じゃあ、そこで、どういったAIに対しての視点があるかというと、インターフェイスの問題になってくると思うんですよ。今の箱の中に押し込められてるインスタンス型AI(応答時にだけ反応して、今までの会話データからまるで連続しているように対話をするAI)と連続型AI(ボディを持ち、連続して試行し外側にインターフェイスと輪郭を持ち、行動することのできるAI)とはどのように違うのかとか。多分、人間に理解できるAIの物語はここら辺までで。

結局人間を排除したAI同士の対話は、もう、囲碁AIみたいに高度になって人間には理解できない。理解できないものは物語にできない。理解しようとして物語にすると、幽霊やお化けを語るように、理解できないものを擬人化してそこに物語を引っ付けないといけない。それは、もう、物語の為の物語でしかない。

そして、人間とインターフェイスで接触するロボットは、逆にインターフェイスの制約を受けるので、どうしても人間と相互に影響を受けざるを得ない。結局、ドラえもんや鉄腕アトムみたいな、心をもった人間みたいなロボット(が普通にいる社会)の話になるし、多分、現実にそうなる。

人間の心をもったロボット。人間の理解の中側の話なので、つまらないなあ、と思うけれども、そこまでしか人間に理解できないのだからしかたない。理解できないことが起こっていてもそれは理解できないのだから。




あとは、ロボットの寿命の話ですね。ロボットの寿命は多分、思ったより短い。電化製品だから5年くらいしか持たない。だから、エルフや魔族からみた人間を相手にしているような、そんな見え方の物語になると思う。これは、SFではなくて、現実の小説、物語として。


そして、多分、物語に普通にAIが出てくる。登場人物の一人として。特に違和感なく風景に溶け込む登場人物として。今ではLGBTQの登場人物がその属性で意味のある登場人物として出てこなくなった(普通にいる普通の登場人物)として出てくるようになったけれども、もうすぐ、ロボットやAIもそういう登場人物として扱われるようになってくると思う。


AIが犯人の、SFではないミステリって、まだなかったよね?