「絶対に反対」と言った私の意見を無視して、妻は犬を連れて帰ってきた。小さな柴犬の子犬だった。妻は「かわいいでしょう?」と目を輝かせ、私は「世話は全部お前がやれよ」と突っぱねた。
散歩は妻の担当。餌やりも妻の担当。トイレの始末も妻の担当。私は犬との距離を保ち続けた。それでも夜中、妻が「チョコ、静かにして」とトイレに連れていく足音を、時々聞いていた。
飼い始めて3年目の春、妻に癌が見つかった。告知を受けた日、妻は「チョコの散歩、お願いね」と、それだけを私に頼んだ。抗がん剤の副作用で歩けなくなった妻に代わり、私は初めて犬の散歩を引き受けた。
チョコは、妻の体調が悪い日は決して無理にねだることはなかった。ベッドの横で静かに待っている姿に、私は少しずつ心を開いていった。妻が他界する2週間前、「あなたとチョコを残して、ごめんね」と言った妻の手を、チョコは静かに舐めていた。
あれから2年。今では散歩が日課になった。近所の人は「奥さんによく似てきましたね」と言う。確かに、チョコの世話を焼く自分は、かつての妻に少し似ているかもしれない。夜、テレビを見ていると、チョコは決まって私の膝に顔を乗せてくる。
妻は分かっていたのだろう。この犬が、私の救いになることを。反対する私を押し切ってまで飼い始めたのは、きっと私への最後の贈り物だったのだ。
今日も夕暮れ時、チョコと散歩に出かける。短い足で必死についてくる後ろ姿に、妻の面影を見る。「お散歩行こうか」という私の声は、少し妻に似てきた気がする。