フランク族はローマ人を悩ませました。
ガリア人のようにローマ化するものとの期待があったのですが
あまりに蛮族過ぎてローマは彼らにとって略奪する存在でしかなかったのです。
これはローマとの接触が長かったガリア人と
ローマのガリア進出に伴って
あらたに国境を接することになったフランク族との
違いとも言えます。
ガリア人のローマに対しる抵抗は頑強でしたが、
一度大きな敗北を喫したあと、
昨日の敵を今日の友として遇するローマのやり方には
違和感なく馴染んだのです。
一方フランク族はローマ人がタッパーからフランクを取り出したら激怒します。
それは彼らのやり方ではないのです。
そのフランク族の王が皇帝となり自らをローマ帝国の後継者と考えるまでにはなお半世紀以上の年月が必要なのでした。
Permalink | 記事への反応(1) | 10:22
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フランクはそれで説明がつくが、フルトはどうなんだ。