2025-07-12

東京にきて、ワンちゃんのことを畜生と思うようになった

ペットを飼えない家だったから、地元いたころは散歩している犬を見つけるといつも凝視していた。

犬っつーのはなぁ、何であってもかわいいんだよ。

おおきくて良し、ちいさくて良し。服着てて尚良し。

はしゃいでて良し、吠えてて良し。よしよしされてて良し。

5mくらい伸びるリード使ってるヤンチャな飼い主も、許容できた。

そういう飼い主はビカビカに光る首輪つけてて、これが傍目からは可愛くみえるんだよな。

いつかワンチャン飼えたらいい。そう思ってた。ワンちゃんだけにね。


でも、東京にきて2年。犬を畜生と思うようになった。

地元にいる犬たちと違う。飼い主とセットで嫌悪を感じるようになった。

小型犬中年が懐にいれてお散歩させている。

中型犬ベビーカーと見間違うようなペットカートにいれてお散歩させている。

大型犬を車で代々木公園にまで連れていき、ドッグランで侍らせる。

おえー。


市場経済に過剰適用した人間と呼吸する愛玩道具って感じだ。

東京は犬も歩けないような熱いアスファルトに囲まれている。

なのに、無理やり飼うために色々な手法が用意されている。

散歩必要な生き物を、散歩が難しい場所で育てる。

それによって生ずる諸問題需要と称する市場、そのごまかしに感化される人間

歪な人間需要供給するため血統設計されて生まれる命。

ワンちゃんが可哀そうとも思わない。犬は人間需要によって設計される産業家畜畜生なのだと思い出す。

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