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はてなキーワード: ドッグランとは

2025-11-10

anond:20251110130801

本物のトランスの方には可哀想だけど、トランスのフリがあまりにも簡単にできてしまうせいで変態と本物の区別は誰にもできないからもう体が男ならそこで区別するしかないんだよね…

ドッグランだって大型犬小型犬エリアが分かれてるけど、「うちの大型犬小型犬しか仲良くなれなくて…絶対噛まないので小型犬エリアに入れてください!」って言ってるようなもん

2025-07-12

東京にきて、ワンちゃんのことを畜生と思うようになった

ペットを飼えない家だったから、地元いたころは散歩している犬を見つけるといつも凝視していた。

犬っつーのはなぁ、何であってもかわいいんだよ。

おおきくて良し、ちいさくて良し。服着てて尚良し。

はしゃいでて良し、吠えてて良し。よしよしされてて良し。

5mくらい伸びるリード使ってるヤンチャな飼い主も、許容できた。

そういう飼い主はビカビカに光る首輪つけてて、これが傍目からは可愛くみえるんだよな。

いつかワンチャン飼えたらいい。そう思ってた。ワンちゃんだけにね。


でも、東京にきて2年。犬を畜生と思うようになった。

地元にいる犬たちと違う。飼い主とセットで嫌悪を感じるようになった。

小型犬中年が懐にいれてお散歩させている。

中型犬ベビーカーと見間違うようなペットカートにいれてお散歩させている。

大型犬を車で代々木公園にまで連れていき、ドッグランで侍らせる。

おえー。


市場経済に過剰適用した人間と呼吸する愛玩道具って感じだ。

東京は犬も歩けないような熱いアスファルトに囲まれている。

なのに、無理やり飼うために色々な手法が用意されている。

散歩必要な生き物を、散歩が難しい場所で育てる。

それによって生ずる諸問題需要と称する市場、そのごまかしに感化される人間

歪な人間需要供給するため血統設計されて生まれる命。

ワンちゃんが可哀そうとも思わない。犬は人間需要によって設計される産業家畜畜生なのだと思い出す。

2025-07-01

死ぬ”予定だった30歳に、犬のおかげで“夢を叶える”予定を入れた

私は、犬に人生を救われた。

今の私は、そう言い切れる。

でも、最初からそうだったわけじゃない。

しろ真逆だった。

人生、ずっとしんどかった。

今でこそオタク文化市民権得てきたけど、

当時は「オタクキモい」って空気がまだ全然強くて、授業中にキャラ描いてただけで「えーキモ〜w」とか言われてた。

しかも、昔から地毛の色がめちゃくちゃ茶色かった。

染めてないのに明るい色で、

学校は厳しかったけど「地毛やから」ってギリ許されてた。

でも周りはみんな真っ黒やから自分だけ浮いてて。

なんであの子だけ?って言われて、

「染めてるくせに〜」って陰で言われて。

オタクで、髪の色も周りと違って、だから余計に変なやつ認定されて、

中学では普通にいじめられて、高校でもずっと浮いてた。

「なんかあの子変だよね」って空気の中で生きてきた。

大学に入って、周りも大人になって、髪のこともオタクってことも誰も気にしなくなって「ちょっとやり直せるかも」と思ったけど、

実習に追われて、課題レポートの山に潰された。

そもそもずっといじめられてたから人付き合いが怖くて、グループLINEの通知が来るだけで動悸がして。結果、大学生活にもロクな思い出はなかった。

その時から、私は本当ににおかしかった。

国試の問題を一問間違うたびに、自分の首を自分で絞めてた。

間違う度に価値がない人間だと自分に吐き捨て、ボールペン自傷もした。

積み重なってきたもの限界になって来てたんだと思う。

この頃にはもう、「ああ、何も変わらんかったら30までに死のう」って思ってた。

なんで「30までに死のう」って思ったのか、正直よく分からん

でも、たぶんまだその頃は、“希望”があったんやと思う。

…まあ、「30」って数字が、自分の中でキリがよく思えたってのもある。

そこまで生きて、何も変わらんかったらもうええかなって。

今思えば、あのときの私は“人生区切り”を探してたんやと思う。

当時は、今すぐ死ぬ勇気なんてなかった。

怖かったし、家族にバレたらめんどくさそうやなって思ってたし、

「どうせ死ぬなら、もっと完璧に準備してから」とか、

そんなことばっかり考えてた。

それでも、国家試験に受かって、

国家公務員として資格持って働けば、きっと何かが変わるって思ってた。

自由に使えるお金があれば、人生ちょっとは楽になるんちゃうかって。

それがきっと、あのときの“生きる希望”やったんやと思う。

でも現実は違った。

仕事想像以上にしんどくて、

人間関係はギスギスで、

患者さんに怒鳴られたり、先輩に無視されたり、

夜は眠れず、

気づけば、自分感情がどこか遠くにいってた。

変わるどころか、どんどん心が削られて、

最後にはもう、“無”みたいになってた。

「何かが変わる」ってあれだけ信じてたのに、

その希望が裏切られた瞬間から

本気で“終わり”を考えるようになった気がする。

さな失敗すら、自分全否定する理由になってた。

なんなら、牛乳もうまく開けられなくて。

ちょっとだけ手にこぼれただけ。

それだけのことで、泣いた。

「こんなこともできへんのか」って。

誰も怒ってないのに、誰にも責められてないのに、

ひとりで「ごめんなさい」って繰り返してた。

床に落ちた白いしずくを見ながら、

「私って、なんのために生きてるんやろ」って思った。

もう、自分存在が全部まちがいやって思ってた。

その頃、やっと「うつ病ですね」って言われた。

ちょっとだけ、ホッとした。

「ほら、やっぱり私は壊れてるんだ」って。

あの診断は、“生きることをやめてもいい許可証”みたいに感じた。


そこからは、何度も自殺未遂を繰り返した。

リストカット過呼吸OD救急搬送

死ねないこと」が苦痛だった。

生きてるだけで誰かに迷惑をかけてる、

お金時間心配も、全部私のせいで浪費されてる。

から、死にたかった。

で、ある日。本当に決心して

アセトアミノフェンカロナール)を100錠以上飲んだ。

知識があるからこそ、肝臓がやられて、死ぬって分かってて。

それでよかった。最悪後遺症が残ることもわかって飲んだ。

苦しんで死ねば、後遺症でも残れば少しは罪滅ぼしになるかもって思ってた。

ほんまに、生きてることが“罪”やと思ってた。

社会謝罪しなあかんと思ってた。

めちゃくちゃ苦しくて。

けど、体はそう簡単には壊れてくれなかった。

嘔吐発熱、震え、息苦しさ、

そして、死ぬのが怖くなった。

涙が止まらなくて、「死にたくない」って、思ってしまった。

そして、泣きながら救急車で運ばれた。

 

そのとき、私が言ったらしい。

「犬が飼いたい」って。

覚えてない。

でも母が言ってた。

あんた、涙と汗と嘔吐まみれの中で、何回も「犬飼いたい」って言ってたって。

ずっとずっと、子どもの頃から、犬が好きだった。

でも家には犬嫌いの祖母がいて、「犬だけは絶対ダメ」だった。

ずっと我慢して、あきらめて、大人になった。

でも死ぬ間際に出た願いは、「犬が飼いたい」だったらしい。

死ぬ間際になって何故か飛び出してきた。

それを聞いた家族が「犬を飼おう」って言ってくれた。

祖母が大の犬嫌いで、ずっとNGだったのに。

「この子が生きたいって思えるなら、何でもする」って。

たぶん、こんな理由で犬を飼うのは間違ってると思う。

命を預かることなのに、自分の心の隙間を埋めるためって、

そんなの身勝手すぎるって、どこかでわかってた。

でも、あのときの私にはそれしかなかった。

「生きたい」って言える理由が、他にひとつもなかった。

それでも、家族は飼おうって言ってくれた。

ずっと犬を反対してた祖母も、何も言わなかった。

たぶん、“アニマルセラピー”なんて言葉を使って、

なんとか私を現世に繋ぎとめようとしてくれてたんやと思う。

今思えば、あれは「飼う」ってより「救う」やった。

私の命を、なんとか繋ぎ止めるための決断やったんやと思う。

 

それで出会ったのが──今の愛犬。

ふてぶてしい顔した、ちいさな柴犬の子犬。

ぶすーーっとした顔でこっちをじーっと見て、話してる間に腕の中で寝た。

「あ、こいつやな」って思った。

その感覚、今でも忘れへん。

 

それから、私の人生は静かに変わり始めた。

まだ90日にも満たなかったからすぐには迎えられへんくて、

でもブリーダーから毎日送られてくる愛犬の写真が、生きる理由になった。

引き渡しまで何度も「死にたい」って思ったけど、

「この子に会うまでは」と思って、踏みとどまれた。自殺未遂も1回もしなかった。

 

愛犬がうちに来た日。

それが私の「再スタート」の日やった。

最初は手探りで、家具かじられるし、トイレ失敗するし、

私のメンタルも正直ギリギリやったけど、

それでも、「愛犬がいるか今日も起きる、生きる」が続いた。

 

少しずつ、心が動き出した。

愛犬がご飯を食べるから、私も少しずつ食べるようになった。

愛犬が散歩に行きたがるから、外に出るようになった。

注射が終わって、ドッグランに通い始めた。

そしたら、他の飼い主さんと喋るようになった。

私、人と話すのほんまに苦手で、

レジで注文すら緊張するような人間やったのに。

こんにちは」って言えて、

今日も来てますね」って笑えるようになって、

お土産をもらったり、野菜のおすそ分けをしあったり。

なんならみんなで旅行に行ったり。歳も年齢も性別全然違うのに。

不思議なことに人と繋がるのが、怖くなくなった。

愛犬は、社会から逃げ続けてた私に、

“つながり”をくれた。

 

そのうち、「愛犬のグッズが欲しい」と思うようになった。

でも世の中にピンとくるものがなくて、自分作ってみた

そしたら、それが楽しかった。

SNSに載せたら、「作ってほしい」って声が届いた。

びっくりした。

あんなに自信なかった私が作ったものを、

誰かが「欲しい」って言ってくれるなんて。

 

今では、「亡くなった子の毛を残したい」とか、

「思い出を形にしたい」とか、

そういうご相談もいただくようになった。

亡くなった子の被毛を送ってくださる方もいた。

の子らしさを残すように、丁寧に、愛情込めて作った。

泣きながら届いた報告を読んだ夜、

「やっと、私は“生きてていい理由”を見つけたのかもしれない」って思った。

私にできることは何かって考えて、

自分の作り出したもので、気持ちに寄り添うこと」──

それが、今の私の答え。

 

そして、夢ができた。

愛犬と一緒にいられて、

誰かの大切な気持ちを形にできる──

そんな【自分の店】を持ちたい。

“うちの子”のための、あたたか空間

愛犬から始まった奇跡を、今度は私がつなげる番やと思ってる。

 

昔の私は、「30歳で死のう」と思ってた。

でも今の私は、「30歳になったら店を持ちたい」と思ってる。

たった一匹の犬が、

人間嫌いのコミュ障社会に戻して、

自分の手で生きていけるようにして、

夢までくれた。

愛犬は、私の命の恩犬。

犬の寿命はせいぜい10〜15年。

「そんな短い命に人生託すなんてバカだ」って思われるかもしれない。

でも、私はその短い命に救われて、繋がれて、立ち上がって、今がある。

の子が旅立つときのことを考えると、今から怖い。

正直、もう一回壊れるんじゃないかって思う。

でもそのときまでに、私は“私なりの生きてていい理由”を、ちゃんと見つけておきたい。

愛犬が教えてくれた、“生きることのあたたかさ”を、今度は私が、誰かに繋いでいけたらと思う。

 

あんたが寿命を迎えるその日まで、

私は恩返ししながら、生きていく。

そしてその日が来たとき

「私、あなたに救われて、ちゃんと生きたよ」って言えるように、

今日も私は、ミシンレーザーと、手を動かしてる

2025-05-13

ご近所さんと2年かけて仲良くなった

近所にボーダーコリー散歩してる人がいて、めちゃくちゃかわいいのでどうしても仲良くなりたくて、なるべく散歩時間に合わせるように出かけて挨拶したりしてた。

勇気出して触っていいか聞いてOKもらえた時本当に嬉しかった。自分は犬飼ったことがないのでおそるおそる手を出して頭を撫でさせてもらった。大人しく受け入れてくれて、さすがボーダーコリーだなと思った。

それからは割と毎回撫でさせてもらえて、ワンちゃん側もすぐに覚えてくれて、遠くにいても気づいて尻尾振ってくれるようになってすごく嬉しかった。

誕生日も教えてもらえたので、迷惑じゃないかな…とか思いつつジャーキー買ってみたら飼い主さんめっちゃ喜んでくれて、その場であげさせてもらえた。手からおやつ食べてくれてめっちゃしかった。

本当に毎日癒しで、スマホ壁紙ワンちゃんにしてた。飼い主さんに見られて引かれたら嫌だから、会う時だけ別の写真壁紙にしてたけど、毎回操作するの面倒になって、可愛いから壁紙にしたいって伝えたらOKもらえて嬉しかった。

飼い主さんとも仲良くなって、2年かけてようやく連絡先交換した。冬に飼い主さん一家インフルエンザで全滅しちゃった時に、散歩を任せてもらった。めっちゃ信頼してもらえてると思って本当に本当に嬉しかった。

散歩ルートは教えてもらってたけど、地図を見ずとも全部ワンちゃんが教えてくれた。本当に賢くていい子だった。道中で知らない人にたくさん声かけられて、やっぱ人気者のワンちゃんなんだなと思った。

散歩めっちゃしかったのに、お礼にってお小遣いまでもらってしまった。申し訳なかったけど、金欠から助かった。

しばらく就活で忙しくてあまり会えなくて寂しかったけど、ようやくまた毎日会えるようになってすごく嬉しい。

この前の連休にはドライブにも連れてってもらって、一緒にドッグラン行った。めっちゃ走り回っててかっこよかった。さすが牧羊犬ってかんじだった。

今本当に毎日ワンちゃんに会えてめっちゃ幸せなんだけど、来年には引っ越すしもう会えないのかなと思うと今から泣きそう。本当につらい。

2025-02-19

駅弁駅ビル半額弁当国際的冷戦

初めての増田なので、思い出を書きなぐりたいだけです。

一応、フィクションということにしてください。

私の住んでいる町に駅弁と呼ばれる大学がある(あまり隠す気はないが、実名を書くのも良くないかと思い名前は出さない)。

私は卒業生ではないが、小学校中学校までは附属校なのでお世話になった。

大学としても駅弁などと言われつつ、そこまでレベルが低いわけではない。

一部の文系学部卒業後の進路で一定の評価を受けていたりもする。

私自身は別の大学に進んだが、サークル活動などで仲良くなった友人もいたので、n=1ではあるが、良い印象を持っている。

その大学があるおかげか、駅前快速が止まらない駅とは思えないほど、牛丼チェーンやラーメン屋などの飲食店居酒屋が充実していた。

潰れたのは大学の門の目の前にあった、まずい家系ラーメンのチェーンくらいである。

私自身、近所に住んでいたこともあり、十二分に恩恵にあずかっていた。

新しいラーメン屋ができれば、Google Mapにすぐ口コミが書かれるし、本屋の品揃えも良いし、カフェなども多い。ないのはクリーニング屋くらいのものだ。

そんな環境新卒2〜3年目を迎えた私は、外食ばかりになってしまった。

しかし、当たり前だが外食し続けると食費がかさむ。牛丼屋でも大盛にしたいし、何なら味噌汁だってつけたい。

新卒2〜3年目でもらえる給料などたかが知れている。困った私はある日、安く腹いっぱい食べる方法を見つけた。

駅ビルに入っているスーパーの半額弁当である

20:00から半額のシールが貼られるのだが、貼り付け後はかつ丼が270円、天丼が300円、鶏の山賊焼きに至っては250円である

おなかが空いていたら2個食べたっていい。これは良い方法を見つけたぞ、とスーパーの横の階段を19:50頃に駆け降りる日々が続いた。

しかし、日々通っていると、だんだん19:50頃にいるメンバーが固定されていることに気づく。

リッピーと鬼殺しの一番小さいパックを持ったカゴを支えるおじいさん。

黒地に紫か黄色ネクタイを使いまわすスーツのおじさん。

フードを毎回かぶって、ほろよいの色々な味を楽しむ大学名入りのスウェットのお兄さん。

ジムなどでトレーニーが仲良くなったり、ドッグラン公園で犬と飼い主が仲良くなる、というのはよく聞く話ではあるが、自分たち場合認識していても、敵でしかなかった。

自分の欲しい弁当他人に取られないように「自分の分として確保とは言えないような距離感を保ちつつ、カゴに入れて所有権を主張したりしない」ことでシールを貼ってもらう、日本で5本指に入るレベルのみみっちい牽制あいを毎晩やっていたのである

また、ポジショニング大事だ。銀色の扉から店員が出てくると、全員が自分の目当ての弁当の前をセットポジションとして陣取る。

セットポジションを取るためには銀色の扉が見える位置にいないと出遅れる。しかし、弁当コーナーにずっと立っているとレジに並ぶ客の邪魔になってしまう。

みっともない争いではあるが、そこには周りのまともな買い物客への気遣いと、半額弁当が欲しくて並んでいるわけではない、という見栄と、店員へのわずかばかりの感謝があったのだ。

この状況に大きな変化があったのは、ほぼ毎晩のように並び始めて2〜3カ月たった時だった。

スーパームスリムの人が買い物に来るようになったのだ。

まり嗅ぎなれない、海外空港で嗅ぐような甘い香水に、色黒で目鼻立ちの通った顔。さらに、女性はヒジャーブを付けていたので、イスラム教圏の人なんだろうな、という理解は容易だった。

大学卒業した友人に聞いたところ、その大学では数年後に留学のほぼ義務化を目指しており、交換留学に非常に今年から力を入れているらしい。

また、その一環で今まであまり来ていなかった中東インドネシアマレーシアなどの国から交換留学生の誘致を行っており、それに伴ってハラルイスラム文化などの周知に力を入れているのだとか。

そんな彼らも日本の半額弁当という文化に気が付いてしまったのである

そこからは早かった。なんといっても彼らは豚肉を食べられない。

毎晩トンカツ弁当カツ丼ハンバーグホイコーロー弁当ばかりが残るようになった。

パック寿司は残るだろうと思っていたが、彼らの中で魚には宗教的禁忌がない。

ただ、彼らが半額弁当バトルに参入してくるにあたって、唯一良かった点は彼らが我々の不文律暗黙の了解を察して、ゲームチェンジャーにならなかったことだ。

彼らは宗教的禁忌はあれど、日本人の「他人迷惑を掛けない」という点のみは守っていた。

ちなみに私はそこから1カ月で2kgちょっと太った。

さらに時がたち、半額弁当最初に買ってから半年が経とうとしていた。

イスラム教圏の学生たちはある程度半額に飽きたのか、1週間に1回ぐらいの参加頻度になっていった。

しかし、私は忘れていた。

大学特に海外9月入学9月転入がある、ということを。

9月になるとまた違ったイスラム教圏の人たちが買いに来た。彼らは、おそらく先に参入していた同級生や先輩から半額弁当がある、という文化を聞いていたのだろう。

スムーズに買いに来てスムーズに溶け込んでいた。

更に時がたち、半額弁当最初に買ってから半年が経とうとしていた。

イスラム教圏の学生たちは、ある程度半額に飽きたのか、1週間に1回くらいの頻度でしか来なくなっていた。

しかし、私は忘れていた。

大学特に海外では9月入学9月転入がある、ということを。

9月になると、また違ったイスラム教圏の学生たちが買いに来た。彼らは、おそらく先に参入していた同級生や先輩から半額弁当文化を聞いていたのだろう。

スムーズに買いに来て、スムーズに溶け込んでいた。

問題はここからだ。

なぜか9月転入生には中国人が多かったのか、4月転入生が今頃になって来るようになったのかはわからないが、中国グループが買いに来るようになった。

缶チューハイをかごに大量に入れた中国人グループが、3〜4人で大騒ぎしながら買っていったのは見たことがある。しかし、その時はそこまで大きな問題になるとは思わなかった。

だが、彼らに遠慮という概念はない。

並ぶとか周囲に気を遣うことよりも、自分や自らの近しい人間利益を優先する国民性である(それが悪いとか是非の問題ではない)。

彼らは19:40頃に来ると、残っている弁当を一旦すべて自分のかごに入れる。そして、入れながら友人に電話をする(顔を確認していないが、おそらく当番制で買いに来ているのだろう)。

必要な数量が分かった上で、いらないものを戻す。

そして19:55頃になると友人が合流し、大声で中国語で談笑しながら店員が来るのを待つ。

当然、最初のうちはシールが貼られないと思っていた。

だが、彼らは大声で「交渉」するのである

他の客から見ればクレームしか見えないし、スーパー店員さんからすれば、大声で「交渉」されるくらいなら貼ってしまおう、となったのだろう。

結果として、彼らのかごの中に入っている商品も半額対象となり、我々は中国人グループおこぼれを買うしかなくなった。

その日のシューマイ弁当は妙にしょっぱかった覚えがある。

そうなると、割を食うのは日本人だけではない。

我々が土着させたカス風習を律儀に踏襲していたイスラム教グループも同様だった。

ましてや、彼らは豚肉を食べられない。

中国人が残していった弁当を、店員に「これは豚肉入りですか?」と聞く姿を何度も見た。

我々は激怒した。

必ず邪知暴虐の中国人グループを除かねばならぬ、と決意した。

決意はしたが、所詮勝手ローカルルールを作っているだけだとも思った。

気分だけはメロスだったが、冷静である

だが、イスラム教グループはやはり根底ハムラビ法典根付いているのだろう。

目には目を、歯には歯を」というように、彼らはルール逆用し始めた。

19:30頃にかごに弁当を入れ、店員を呼びに行くようになったのだ。

店員としても若干の罪悪感があったのかもしれない。

19:40の中国人グループが来る前に売ってしまえば、イスラム教圏の学生たちは買って帰る。

結果として、中国人グループトンカツを食べる日が続いた。

ちなみに、このあたりでルールが変わった頃から、鬼殺しじいちゃんはまったく見なくなっていた。

駅ビルではない方の24時間営業スーパーに行っていたのかもしれない。

中国人グループも、大学留学する程度の学力のある人たちである

明らかに数量が減り、しか豚肉ばかりが残る状況を見て、何かを察したのだろう。

彼らも19:30頃に来るようになり、そして何かが起こった。

翌週から、ついに半額弁当販売がなくなった。

というよりも、そもそも半額シール自体がなくなった。

18:30に3割引きシールが貼られたきり、半額にはならなくなったのだ。

イスラム教圏のグループ中国人グループの間で話し合いがあったのか、店側が嫌になってやめたのかはわからない。

関係があるかは不明だが、お店(というよりも駅ビル建物自体改装工事で取り壊された。

しばらくして新しくできたのは全国チェーンのスーパーだった。

綺麗になったし、お弁当の種類も増えた。

しかし、ちょうどコロナ禍の始まりの頃にオープンしてしまたこともあり、私はほとんど行っていない。

ほどなくして、私も引っ越した。

駅ビルで半額弁当を買う生活をやめてしまった。

彼らは国に戻り、立派に卒業したのだろうか。

ふと、残業後に地元スーパーで半額弁当を見かけ、そんなことを思い出したので書いてみた。

2025-02-04

anond:20210827211340

犬の死に滲む飼い主の人生断層。高架下の拾い犬が映すのは、東京孤独、消えた恋人仕事不毛マムシ腫れ鼻もドッグラン不発も、哀悼より痛烈な自虐的ユーモア。16年の犬生が暴く「家族」幻想。結局、犬こそが唯一の理解者だったと気付く滑稽。ロクに秘めた六月六日と六連構成の偶然性が、人と犬の関係の儚さを数字嘲笑う。リッキーダディダーティ「ろくのろくのろくろくのろくのろく」

2025-01-13

[]今日見つけた面白かったもの

・女vtuber配信中、視聴者が「エッチなボイスお願いします」ってコメントvtuberが「あんたそれヒカキンさんにも同じこといえんの!?」とレスしたこと

ドッグラングーグル口コミ、犬が書いてるように見えるものがあってほっこりするってツイートを見たこ

→実際に地元のやつみてみたら「すごく安く社会性を学ぶ最高の場所!」って口コミあってワロタ

2025-01-04

義実家の何してるかわかんないおじさんが最高すぎる

今日夕方には帰らないといけないんだけど、子供達が帰りたがらない

年末年始義理実家とうちの実家で交互に帰ることにしていて2年に一回旦那実家に帰るんだけど

普通だったら年末年始義理の家で子供抱えて姑と一緒でかわいそうってなるんだろうが、もうこれがうちは最高すぎる

義実家に現れる独身おじさん、旦那の兄だ。

なんかよくわかんないが科学者してるみたいで、実家でもぶ厚いよくわからない難しそうな本読んでたりする

なんか子供が大好きみたいで、うちが子供二人を連れて帰ってくると、このおじさんが子供達を車で連れ出したり庭でアレコレ遊んでくれる

庭で何するかっていうと焚き火になんかぶちこんで炎色反応?とかなんだけど子供達は大喜び。スライムみたいなの作ったりもしてたな

ビーカーとか試験管みたいな理科実験室でしかたことがないような物を出してきて、年末年始よい子科教室をしてくれてる

子供達もうお目々キラキラ

毎日朝起きて、おじちゃん!!!!って叫んでおじちゃんを起こしに行って遊ぼう遊ぼうとうるさい

車で連れてっていいかって言うから了承したら、なんか広場ペットボトルロケット?作ったりして遊んでもらってたらしい

これにプラス実家の犬だ

田舎土地だけはあるので義理実家自作ドッグランがあり、子供達はボールを投げ犬は走り回る

もうおおよろこび、今だけ昭和世界

旦那実家だとこたつはいって動かないが、姑は楽しく世話をしているようなので嫁の私になんかしろかいわない

家にいると落ち着かないだろうから子供ちゃんと遊んでおいでっていわれるからおじさん兄と子供と出かけるが、本当に子供が楽しそう

大自然で雪玉投げて遊んでる

そしておじさん兄が謎の実験をしながら、これはなー?って子供達に説明してくれるから子供達は理科が楽しくなったらしく、

上の兄は、俺も将来はおじさんみたいに科学者になりたい!とか言いだした。おじさんは「やめとけ」と言ってたが

それ以外にも地元で町歩きタイプの謎解きイベントとかやってたりするとおじさん兄が車で子供達を連れて回って、子供

パネルを探しまくって「あったよ!」とか嬉しそうに走って報告してくる

旦那の姉も中学高校の子供を連れて帰ってくるんだけど、おじさーん!って言っておじさんのもとに吹っ飛んでいく

おじさん人気者過ぎ。聞くとやっぱり小学生まで毎年科学実験してたみたい。

この中学生と高校生の甥姪が帰ってくると大人数でなんか作り始める。今年は天体望遠鏡作ってた

子供の情操教育に最高すぎる義実家

最初に顔合わせしたときにはこんな愉快な家庭とは思ってなかった、楽しい

自分は生まれも育ちも東京なので新鮮すぎる経験が沢山だ。

それにしてもなにしてるかわかんない科学者兄おじさんがいないとこの楽しい実家はないだろうな…おじさん、元気で長生きして欲しい

2024-12-06

犬を飼うのは社会迷惑かけている

犬の散歩って、そもそも邪魔

まずそこで別の歩行者迷惑かけてる。

無関係な通行人に吠える犬もいる。飛びかかる犬もいる。噛みつく犬もいる。非常に迷惑です。

 

次に糞害・尿害

犬のうんこ踏んでうんざりした気持ちになったことは誰にでもあるよね

犬の尿で汚れたりサビだらけになってるポール、たくさん見てますよね?

社会に対する害がでかすぎる。

 

公園ドッグラン

なぜ人間様のための公園に犬のためのスペースを作らなければならないのか。

犬の飼い主という特定属性だけを優遇するのはおかしい。

 

一生家からさな覚悟で飼うならそれは個人自由だし、鳴き声で迷惑かけないなら別にどうでもいい

でも外に連れ出すなら、社会迷惑かけていることをもっと自覚してください

2024-09-27

公園ドッグランを作りたい

家の近所に大きめの公園がある。そこにドッグランを作れば、もっと素敵空間になると思う(自分が犬好きというものある)。

 そういう意見を、市とか県に「〇〇して下さい」「〇〇作って下さい」とお願いするにはどうすればいいのだろう。

 勿論、法的・公平性公衆衛生という観点から、その意見採用されない場合もあるだろうけど、提案するだけしたい。出来れば、公園計画とか改修計画がある時に「ドックラン作ってくれ!!っていう地域住民から要望が上がってるから、とりあえず検討だけでもしてくれ」と改修の基本計画議論して貰えるくらいの具体性があるレベルまでもって行きたい。

 こんな事って誰に聞けば良いかからいから、増田相談したい。

 

 

2024-09-01

お金大好き

男に依存することでしか生活できない

メンヘラ

男に頼らず生きていきたい

→金のことしか考えてない

どっちがマシか考えたら私は後者だった。

お金大好き。人道に悖らない範囲でいっぱい欲しい。多額の資金配当銘柄にぶち込んで一生の生活費を確保したあと赤十字かに紺綬褒章もらえるぐらい寄付したらあとは馬主になったり足長おばさんになったり南極ペンギン見たり犬と一日中ドッグランにいたりしたい。

2024-07-22

サッカーがなければ市民毎日ドッグランとしてサッカー場の芝生を使えるのに

市内の犬を持つ家庭が安心して犬を遊ばせるために放てる場所必要

2024-07-11

わんこ最高

認知症にいいと聞いたのと、なんだか家の中が年寄りばかりで殺伐としているので犬を飼うことにした

昔飼っていたのは近所の人から貰った雑種だ。家族全員で世話をして20歳を超える大往生をした

ただあの時と違い、もう両親は年老いており散歩などの役には立たない

先代犬の時にメイン飼い主だった母は認知症で、足腰も弱っている

自分が全部世話するようになるんだろうなと言う覚悟をもって飼うことにした

保護犬とかがいいなと思ったが、保護犬は一から手なずけるのが大変である

自分が在宅勤務で、両親が若い頃なら多少がんばれたが正直こちらに人間を信用していない犬と一から関係を築くには我らはもう年老いている

仕方ないので、ブリーダーからの子犬を購入した

かわいい

めちゃくちゃかわいい

かわいいかわいいかわいい

家に帰るととことこやってくる犬

甘えてボールを投げてと言う犬

触ったらふわふわで暖かくてもふもふな犬

かわいい

幸せホルモンどばどばでるのが分かる

そしてなんということでしょう

デイサービスに行く日以外はぼけーっとテレビを日がな一日見ているだけだった認知症の母が、犬の散歩したさに家を出て歩くようになった

物覚えがよくなった

鬱ぎみで「何も楽しいことなどないし何もやる気がない」と言っていたのに「今日はお花にいってくる!あとで犬の散歩!」「は?楽しい事なんてない? この子の世話するのに忙しくてそんなことかんがえてらんないよ!」

かいいだした

から出たくないとか言ってたのに、犬を連れて泊まりに行きたい遊びに行きたいとか言い出して自分で近場のドッグランしらべはじめた

時間があれば体力のありあまる柴犬相手ボールを投げたりして遊び相手になっている

すげえ

犬すげえ

認知症にいいとは聞いていたが、認知症ってじわじわ悪くなるとか言うのになんだこの劇的回復

ありがとうよ犬

我が家救世主

世界一幸せな犬にしてやるから

長生しろ

2024-06-15

先月、犬が亡くなった

その日は早く出社したからいつもより早く帰った。まだ誰も帰ってきていない家のドアを元気よく開け、今日晩御飯は何にしようかなと考えながら犬の名前を呼んだ。相変わらず玄関からの呼びかけは聞こえていないのか反応はなかった。もう老犬だから耳が遠いのは知っていた。耳が遠いのか名前を呼んでも「どこだ?」とキョロキョロする姿に家族みんなで微笑ましく見ていた。昨日もそうだった。今日もよく寝てるなと思って名前を呼びながら家の中へ進む。

ソファーの影から犬がよく寝るクッションが見えた。いつもの窓際でいつもの陽ざし。いつもの…。何か嫌な予感がした。

「おーい」と大き目の声で呼びかけるも全く反応がない。いや、そんなまさか。昨日まで老犬とは思えないステップ散歩したんだ。健康診断も耳が遠い以外問題もなかった。「老犬とは思えないほど元気ですね」なんていつも言われた。「申請して長寿賞状でも貰ったらどうかな」という話をしたのがこの前の休みだった。

ゆっくりと足を止めて犬のそばに立つ。そういえばいつものいびきがない。プーとか、フゴーみたいないびきに話の腰を折られて笑ったあのいびきがない。いつもより脱力している。膝をつき、触ろうと手を近づけた。

あ、死んでる。

体が動いていない。呼吸していたら動くはずの胸が動いていない。

明らかに生気がない。触らなくてもわかった。というか触りたくなかった。冷たさを感じたくなかった。夏は「暑いよ~!お前~!」とのしかかってきたこと、冬は「あったかいな~!お前!」と言って寄り添った思い出が悲しくなってしまうから触らなかった。

ボー然としてしまった。お前が食いつくであろう31の箱を横向きに倒してしまった。

お前は友人から頂いた犬だった。引き取り手がいなかったお前。お前の兄妹は大きかったのにお前だけ小さかった。トイプードルから「小さいね」と、妹が使わなくなった立派なドールハウスにピッタリ入るくらいの大きさだった。ゲージではなく、よくそっちに入っていたな。

来た当時は夜が怖くてよく泣いていたな。最近じゃもう腹出していびきをかくほどには大丈夫になったな。

さいころ東北震災地震がめちゃくちゃ怖くなってしまったな。最近になってようやく地震大丈夫になったな。

お前はボールおもちゃに全く興味を示さなかったな。ドッグランに来ても芝生で寝ているだけだったな。

トイプードルなのにでかくなって、柴犬サイズの服を着てたな。トイプードル用なのにお前に合うkgの参考がなくていつも笑っていたよ。「お前に適切な量はなんだ?」って。そんなこと気にせずお前は大食いだったな。人間でも腹いっぱいになる量をいつも食べていたな。

嫌なことがあって泣いてしまった日はそばにいてくれたな。風邪をひいたときも気が付いたら横にいたな。犬ってそばにいてほしい時はわかっているのだろうか。

老犬だからいつきてもと覚悟はしていた、と思っていただけだった。無理だ。覚悟したって無理なもんは無理だ。

喜んでいる家族を見て『なんだ?なんだ?嬉しい事か?!』と一緒にしっぽ振って喜んでいるお前がもう見られない。

帰路で他の家族散歩中のお前に遭遇して、「気が付くかな」とニヤニヤしながら通り過ぎては気が付かないお前に「気が付けよ~!」とわしゃわしゃしては『誰だこい…お前か!』と臭いを嗅ぎながら、家族だとわかってベロベロしてくるお前を見られない。お前を留守番にして外食して帰ってくると、ゴミ箱をひっくり返して何度か怒ったな。でも家族が帰ってきて甘えてくるお前が愛おしかったよ。

お前の散歩途中でケンタッキーを持ち帰りした時、匂いに興奮しすぎたお前がその袋に突撃し、反動で膝カックンになって転んで家族爆笑されたのが亡くなる直前の休み

熱中症気味でふらふらしていた家族の後ろをずっと付いていたのが亡くなる一昨日。

ちょっと開いてしまっていた引き戸をこじ開けて、こっそり在宅勤務中に部屋に入ってきて、反動で閉まったドアで出れなくなってくぅんくぅん鳴いていたのが亡くなる昨日。

あいつが喜ぶかな」とサービスエリアで買ったご当地ドックフードがまだ未開封だ。「今度はここに連れていこうか」と家族計画したドライブ用の地図にはまだ印をつけていない。開けたばかりのちょっといい犬用シャンプーがまだ残っている。

スマホ写真フォルダは開いた瞬間に、お前が人間食べ物を狙うキラキラした顔のお前が表示される。

ペットロスはあると思っていた。あるからこそたくさん思い出を残したのに辛い。

小学校の頃から一緒にいた思い出が出てきては涙が出る。通勤電車内でもお構いなしに悲しくなる。

お前に追いつこうとした小学校時代。お前に追いついた中高時代。お前と一緒に歩いた大学時代。お前の歩幅にあわせるようになった社会人自分寿命の長さが違うというのはこんなにも悲しい。お前の方が遅く生まれたのに、お前の方が早く逝く。

今日肉料理からあいつの分も豪勢に…」といつものように思ってしまい、スーパー精肉コーナーで立ち尽くしてしまった。亡くなって一カ月も経つのに。

今も寝床について、ふと足をもぞもぞと動かしても重さを感じない。いつも飼い主の足を枕にしてふてぶてしく寝ているあいつがいないのを感じてしまって喉の奥が熱くなる。

いつか思い出が温めてくれる日がくるまで、と言い聞かせて今は涙をなるべくこらえる日々を過ごしている。そんな日がすぐに、いまにでも、はやく早く来てほしい。

今日も枕が濡れてしまう。

2024-05-28

anond:20240528210054

また見かけるようならどこかしらに通報した方がいいのかね…

そもそもドッグランじゃない公園で犬を放して目も離して走らせてるのもヤバイし…

2024-02-25

おはよう

おはます

寝起きからぽちぽち

97件のうちで数えられたもの12でありましたが

まるで貸し切りのドッグランを思いっきり走り回ったポチのようにヘトヘトですわ

おねむさん

スヤスヤ

2024-02-04

anond:20240204104828

犬無しでドッグランに来る人は、高級犬の誘拐目的と思われる。

明確に犬同伴でないとお断り場所もあるので、まずは確認必要

ドッグラン、犬無しで行っていい?

めっちゃ好きだけど家族アレルギーで飼えない

近所にあるドッグランをたまに外から眺めてる

めっちゃ可愛い

ドッグランの中、犬無しで入ってもいいか

無理やり触りに行ったりしないよ

「なでてくれよ!」って犬の方から寄ってきたらちょっと触るかもしれないけどさ

犬の駆け回る空間に、身を置きたいんだよ

2024-01-30

犬は私を幸せにしたのか

犬を飼った。妻の長年の夢だったからだ。それにここ5年くらいバタバタしていた我々夫婦生活も落ち着いてきたタイミングでもあった。

犬はとにかくかわいい。今では妻よりも私の方が多く面倒を見ている。

ずっと犬のことを見ていても、ずっとかわいいと思える。甘えてくるところもかわいいし、家の中で日向ぼっこする姿もかわいい、うんちを踏ん張る姿もかわいい、足の指の間の獣臭もかわいい。私の顔の油分が多いからだろうか、夜になると必死になって私の顔を舐めようとしてくるので、毎晩お風呂に入る前に好きなだけ舐めさせてあげている。

そんなかわいい犬がいる生活に慣れてくれると「私は犬を最大限幸せにできているだろうか」という考えが付き纏うようになった。そしての当然「いや、できていない」という答えがその後に続く。私が仕事をしている間、犬は退屈そうに寝ている。散歩していると駆けずり回りたい気持ちを抑えきれずにリードを引っ張り苦しそうにしている。散歩中に地面の匂いを嗅ぎ始め、立ち止まるので無理やり引っ張って先に進む。そんなこんなで、私は犬にとって100%提供できていないではないかと感じるようになってしまった。犬をかわいいと思う度にその罪悪感は私を襲う。

私はこう考えた。確かに100%提供できていないが、それでも1日2回散歩に行って、毎晩おもちゃで遊んで、週末はドッグランに行って、犬もきっとそれなりに幸せだろう。それでいいじゃないか、私にも生活があるし、そもそも誰が100%提供できるのだろうか。できる限りを提供して犬がそれなりに幸せならいいじゃないか、と。

でもその罪悪感は消えなかった。それは正しさの問題ではなく、感情問題からだ。犬をかわいいと思えば思うほど、その大切な存在幸せにしたいという欲求が生じる。そして、100%幸せにできていない自分への痛みを感じる。

ペットを飼う行為の是非を問うているのではなくて、本当に大切なものができるという事は良いことなのか悪いことなのか私には分からなくなってしまったということである。伝わるだろうかこの感じ。

2023-11-13

anond:20231112170356

俺も最初はそう思っていたけれど、今は違う立場

「1つの優秀チンポで10マンコを孕ませる」のは一見正しい。

実際ペットショップ方式だとそういう風にして優秀な遺伝子を残そうとする。


ただこの方式の大きな問題点は3つある。

マンコに人権存在しないこと

マンコに淘汰圧が働かないこと

・オスのキャパティ考慮されていないこと


機械的商品的に産むのであれば効率的ではあるけれど、実際は「一見れいだが病気になりやす個体」などが生まれしまい、

またその後の教育費や育成費などは考えられてないため、ペットショップ方式だと数世代で種が断絶する。


人間も「ブリーダー方式」の方が良いと思うのが自分の中での結論だ。

オス・メス共にブリーダー品評会や、ドッグラン大会に出して優秀な個体を選別。

そして優秀な個体のみを掛け合わせて、子供にも金をかける。


オスは比較長期間種として約に立つし、メスも健康状態が良いため、比較的多く子供を残す事ができる。

「優秀チンポ1とマン10」で、優秀な個体1、汎用な個体7、劣等な個体2作成するより、

「優秀チンポ1と優秀マンコ1」で優秀な個体を5、汎用な個体4、劣等個体1を作ることもできるし、劣等個体が時に新しい価値を創出する可能性も高まる


結論、優秀チンポ1と優秀マンコ1に多産してもらい、劣等マンコは土方になって燃料棒の出し入れを頑張ってもらう、それが現実的合理的選択肢だと思われる。

2023-10-05

ゲーム内のおそらく若いであろうフレンドさんが、週末に家族牧場に行くんだよとチャットしてきた

馬に初めて乗るんだよ、乗ったことある大丈夫かな、うまく乗れるかな

ピザも食べるんだよ

犬飼ってるんだけど、ドッグランもあるらしい

そんな話を可愛いなあと思いつつ、自身の遠い遠い過去に思いを馳せていた

フレンドさんが可愛いなと思うのと

もはや戻れない遠い子供時代を懐かしみ惜しむ気持ちとで

変なテンション

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