2025-07-23

anond:20250723130248

あー自分では全く同じ意味のつもりで書いたけど、文章にある言葉で書かなきゃいけなかったか


具体的な部分をマニフェストver.1.0の教育のページから引用しようね

AIメンタルアシスタントは、より日常的な愚痴相談が(匿名でも)24時間365日できる相手

https://policy.team-mir.ai/view/11_%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%97%EF%BC%91%E6%95%99%E8%82%B2.md

この「AIメンタルアシスタント」に「24時間365日」相談できるということは、児童生徒が"(1)学校教職員保護者がいない・目の届かないところで""(2)国(もしくは地方自治体)が教育の一環として提供するAIアシスタントを"利用することができるという解釈をしてるんだよ

児童生徒が自分意思で利用していたとしても(2)の段階で国か自治体が受けさせている教育であることが確定していて、教育を受けさせているにも関わらず(1)という状況が発生しうる…つまり責任を負う主体がその場にないまま教育を施している状態が出来上がる可能性があると思ってるんだわ

AI"メンタル"アシスタントから教育じゃないでしょ!と思われるかもしれないけど、学校教育の一環として導入する以上教育範疇だと解するのは自然なはずで、メンタルアシスタントを外してもAI学習アシスタントにも同じことが言えるので、ここの違いはあまり関係ない)


ここで「責任能力が不完全な子供のケツモチ大人放棄した」に戻らせてもらう

責任能力が不完全な子供」を教育する訳だから教育を施す大人全員なにかしらの責任を負っているというところは理解してほしい

「ケツモチ」なんて気軽に書くから伝わりづらかったが、ようは教育においてのミス児童生徒が行ったことの責任子供の代わりに負うこと・負う人としてこの言葉を選んだんよ

で、そのケツモチを「大人放棄した」は上で書いた「責任を負う主体がその場にないまま教育を施している」ことをざっくり表す言葉として書いたの

から「ケツモチ大人放棄した」を「責任を持つもの教育の場に介在しない」なんて言い直したわけよ

ケツモチは「ケツモチ」という役割とかプログラム名ではなくて責任比喩なの


AIは単なる道具と言われればそうだが、学校教育で道具を用いることに責任が発生するんだわ

言われたように学校にいる間も全部AIに任せて仕事放り出してたら学校責任問題だが、学校の外でも使えるAIを「AI責任を負えません。どういう情報が出力されるかわかりませんが、何かあれば学校先生で何とかしてもらえれば」なんて状況で現場が首を縦に振るかい? 自分は横に振ると思う


ここで学校問題じゃなくて「AIアシスタント製造側で責任持ちます」と言えれば多少は説得力あったんだけど…

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