あー自分では全く同じ意味のつもりで書いたけど、文章にある言葉で書かなきゃいけなかったか
具体的な部分をマニフェストver.1.0の教育のページから引用しようね
この「AIメンタルアシスタント」に「24時間365日」相談できるということは、児童生徒が"(1)学校の教職員や保護者がいない・目の届かないところで""(2)国(もしくは地方自治体)が教育の一環として提供するAIアシスタントを"利用することができるという解釈をしてるんだよ
児童生徒が自分の意思で利用していたとしても(2)の段階で国か自治体が受けさせている教育であることが確定していて、教育を受けさせているにも関わらず(1)という状況が発生しうる…つまり責任を負う主体がその場にないまま教育を施している状態が出来上がる可能性があると思ってるんだわ
(AI"メンタル"アシスタントだから教育じゃないでしょ!と思われるかもしれないけど、学校教育の一環として導入する以上教育の範疇だと解するのは自然なはずで、メンタルアシスタントを外してもAI学習アシスタントにも同じことが言えるので、ここの違いはあまり関係ない)
ここで「責任能力が不完全な子供のケツモチを大人が放棄した」に戻らせてもらう
「責任能力が不完全な子供」を教育する訳だから、教育を施す大人全員なにかしらの責任を負っているというところは理解してほしい
「ケツモチ」なんて気軽に書くから伝わりづらかったが、ようは教育においてのミスや児童生徒が行ったことの責任を子供の代わりに負うこと・負う人としてこの言葉を選んだんよ
で、そのケツモチを「大人が放棄した」は上で書いた「責任を負う主体がその場にないまま教育を施している」ことをざっくり表す言葉として書いたの
だから「ケツモチを大人が放棄した」を「責任を持つものが教育の場に介在しない」なんて言い直したわけよ
ケツモチは「ケツモチ」という役割とかプログラム名ではなくて責任の比喩なの
AIは単なる道具と言われればそうだが、学校教育で道具を用いることに責任が発生するんだわ
言われたように学校にいる間も全部AIに任せて仕事放り出してたら学校の責任問題だが、学校の外でも使えるAIを「AIは責任を負えません。どういう情報が出力されるかわかりませんが、何かあれば学校や先生で何とかしてもらえれば」なんて状況で現場が首を縦に振るかい? 自分は横に振ると思う