2025-09-17

個性ってなんだろう。

結局みんな朝になったら同じように目を覚まして、朝ごはんを食べて、家を出ていく。その「同じ」にどれだけ差し込める余地があるかで個性が生まれる気がする。

たとえば、「朝起きて、朝ごはんを食べて、家を出た」なんて、教科書の例文みたいな日常だ。でも、同じ朝でもある日は目玉焼きを食べたり、ある日は納豆をかき混ぜたりする。このほんのちょっとした部分が、人間の「違い」=個性につながる。大量の人の中で「自分」が埋もれてしまいそうでも、たった一つ食べるものを変えるだけで、自分物語が始まる。

細部の違い。それこそが個性の真髄なのだ個性とは、一見すればどうでもいいくらい小さな違いの連続だ。「今日目玉焼きだったから元気が出た」「納豆の粘りで憂鬱ちょっとだけ消えた」。そうやって、日々の選択自分らしさを積み重ねていく。

よく「自分言葉で語れ」などと学校会社で偉そうに言われる。でも、それって要するに、自分他人なら気にもしないようなどうしようもない細部についていちいち言葉にすることじゃないのか。「朝起きて憂鬱だったから、いつも食べないカレーを朝から温めてみたら、なぜか死にたくなる気持ちが消えた」とか、「洗濯機の音が止まらないせいでトーストが焦げた」とか、そんな取るに足らない事情を語ることが自分言葉を紡ぐ作業だ。

一般論とか、他人受けを狙った物語ほど、個性から遠ざかる。その文章は平均化されて一気に凡庸になる。逆に、ごく個人的事情――誰も気にしない失敗や、理由なき習慣、偶然見た夢について語るほど、「自分言葉」になっていく。「俺は今朝、牛乳蜂蜜を混ぜて飲んだ。粘度が高すぎてストローが詰まった。詰まったまんま置きっぱなしにして玄関で靴ひもを結び、仕事遅刻した」。こんな話はおそらく誰にも響かないが、間違いなく他人には語れない一回限りの個性痕跡なんだ。

から個性とは細部、その違いを語る力」だと思う。わざわざ「自分語り」なんて言われてバカにされるけれど、みんな個性が欲しいなら、もっと些細な現実を一つ一つ拾って語ればいい。たとえば朝ごはんのたった小さな選択肢に、自分らしさは宿る。その些細な違いをこと細かに語ることこそ、「個性」なんだ。

  • 無職ワイは朝起きてもどこにも出ていく場所がないんやで

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