今はYouTubeとか見てるだけで生成AIで作られたコンテンツが流れてくるようになったけど、自分は「すごい」という情報を食べていたのではないかな、と気づかされる。
例えば、生成AIでアニメのキャラクターを動かすアニメーションを作成しているもの。
すごくないから心が動かない。粗悪なものが量産されているような感覚になる。
枚数が少なくカクカクで拙くても、手描きMADの方が「沢山書いてすごいなあ」と感動がある。
生成AIの作ったものを見る時の感覚って基本的にこんな感じなんだけど、たまに生成AIでもそれほど嫌悪感がないコンテンツもある事に気が付いた。
例えば自分が良く見るのは、「好みの映像を出力する為にAIに指示をするが、AIが頓珍漢なものを出力するので、主はプロンプトを変えながら悪戦苦闘する」というタイプの動画。
これはなんか、試行錯誤をして工夫をしたという感じがして、ちょっと「すごい」気がする。
Pixivなんかを見てると、いわゆるAI絵感が一切なく、構図なども凝っており、魅力的な一枚を生成している人がごくごく稀に存在していて、
これもなんか、AIへの指示のレベルの高さというか、工夫や技術を感じて、ちょっと「すごい」気がする。
つまり、自分は「すごい」と感じるものに感動していたのではないか……と思った。
生成AIを使ったものの殆どはすごさを感じないから粗悪な気がするけど、たまに技術や工夫を感じるものがあるとそこまで大きくは嫌悪感を持たない気がするのだ。
(アニメキャラとか版権のあるものを生成してる場合は別の問題がある気がするが)
なので、個人的には生成AIを使う人は、生身のクリエイターと直接戦うのではなく、プロンプト技術で競えばいいのでは、という感じがする。