はてなキーワード: 遷座とは
ここ数回の『ブラタモリ』は江戸時代に盛んだった“大山参り”の道のりをたどるという企画で、都内から大山街道を巡り、昨日はいよいよ最終目的地、大山阿夫利神社を目指すという回だった。
江戸時代の浮世絵もみながら、いかに“大山参り”が盛り上がっていたか、なんて話もしながら、大山ケーブルに乗車。
途中、日本のケーブルカーでは唯一という“離合ポイント”(ケーブルの両端で繋がってる2台の車両が丁度すれ違うところ)に駅があるという“大山寺駅”で一旦降車。
車両のすれ違う様子をみたり、急斜面にある駅のベンチにすわってみたりして、そのまますぐまたケーブルカーで移動して、大山阿夫利神社の下社に参拝。
さらに登った山頂にある本社にはさすがにタモリを歩かせるわけにもいかず、スタッフと中継でつないでいた。
さて、なにがスルーされたのか。
タモリ一行が神社に参拝するシーンで、唐突に隅の方にテロップがでた。
日本の歴史ある寺社の多くがそうなのだが、大山というのも江戸時代までは神仏習合の山岳信仰の対象で、大山参りというのも、今でいう“神社にお参りする”という感覚とは少し違った。
現在、大山阿夫利神社の下社がある位置には、「石尊大権現・大山寺」があり、不動明王も祀られていたのである。
大山参りとは、仏教とも結びついた“権現さまとお不動さまへのお参り”だったのである。
だが、そんなことは全く触れないので、なんだか今も昔も神社へのお参りをしてたような印象になっていた。
明治の廃仏毀釈で、大山阿夫利神社と大山寺は完全に分離された。
“幕末の大火と廃仏毀釈により廃寺の危機に陥ります。神道による祭政一致の王政復古を目指す明治新政府にとっては、江戸幕府が保護した仏教寺院は旧体制の象徴にほかなりません”
”廃仏毀釈により数多くの寺宝が失われ、堂塔が破壊される中、ご本尊の鐵不動明王だけは地元住民の篤い信仰に守られ、山外退去を免れて現在地に本堂が再建の後、遷座しました”
と記されている。
タモリが途中下車した“大山寺駅”は、この寺の最寄り駅だったのだが、寺には寄らず。
江戸時代に賑わった大山も、神道を中心にした“祭政一致”を目指した明治政府のせいで、なかなかに激動の一時期があったはずなのだが、そのことはテロップ一行でスルーされたのである。
断片的な記憶だが、以前、高尾山にいったときには、神仏習合の名残が色濃く残る様子をみながら、“ここは廃仏毀釈を免れたんだねえ”なんて話をしてたように思う。
だからタモリも廃仏毀釈とか、そのへんの知識がないわけ無いし、番組としてそのへんの話を絶対にさけるとかいうことではないのだと思うが、ま、今回は案内役が大山阿夫利神社の権禰宜の方だったので、“実は、昔はここは神道の神社じゃなくて不動明王さまが祀ってあったんですよ”なんて話はするわけないか。
明治維新は、日本の伝統をいろいろ破壊したけっこう過激な運動だったはずなのだが、どうもそのへんはあんまり知られてないように思う。
せっかく大山いったんなら、そのへんももう少し突っ込んだ番組にしてほしかったけど、ま、紀行バラエティにそこまで求めるのは無理か。
やはり阿夫利神社の権禰宜の方に出ていただく手前、大山寺の不動明王と、阿夫利神社と、両方お参りするとかは無理?
ところで、さっきwikipediaを見たら、大山阿夫利神社、戦後、神社本庁の傘下(宗教法人法でいうところの被包括宗教団体)にはならず、単立でやってきたのが、今は神社本庁の下にあるという記述があった。
どういう経緯があったのだろう?
そこそこ参拝客いそうだし、単立でもやっていけそうだけど。
個人崇拝推し進めて僧侶に盾突いて扇動してたら破門されるのは当然なんだよなぁ。
僧侶は信仰の内容を500年後1000年後に伝えていくのが使命だし、その為の仏教って概念に対する人身御供な所あるし。
在家の一個人がどれだけ教学に秀でてても、僧侶より偉いんだなんてやり始めたら、信仰が歪められちゃうからね。
以下wiki
大石寺第67世日顕の代、2000年4月に着工し、2002年10月に完成し落慶法要が行われた。 この場所には、かつては創価学会の寄進(御供養)により建設された正本堂(1972年完成)が建っていたが、
創価学会が破門(1991年)されたことを契機として、同会員が日蓮正宗の信徒資格を喪失(1997年)した翌年の1998年に、本門戒壇之大御本尊を奉安殿に遷座した上で正本堂を解体し、跡地に建設した建物である。