今でも思い出せる、あの感動。
いろんなアーティストのお気に入りの曲だけが綺麗に並んだプレイリスト画面。
ヒゲダンが5曲並んだ後にはback numberが待ち受けており、その後にはaikoへと続く。
それまでCDをレンタルしたりPCでダビングしてオリジナルCDを作っては再生するという何度手間か分からない作業を繰り返していた俺からすると、音楽サブスクのプレイリスト機能はそれはそれは近未来で自由度の高い世界に思えた。
いつ何時聴いてもテンションが上がる楽曲が数百と並び、どんな方法でも自由に再生することができる。
アルバムの中の、お気に入りの一曲を聴くためにその他13曲を聴いていた期間が長いからなのか、交感神経を刺激するお気に入りを大量摂取し続けると気持ち悪くなってしまう。
どれもこれも心を揺さぶるような素晴らしい曲の集まりだと言うのに、何故だか途端にお腹いっぱいになってしまうのだ。
せっかくプレイリスト型の音楽サブスクが台頭し、決して安くない金額を払って利用しているのに数曲聴いて「あー満足した」なんて言っているのはなんだか利用方法が間違っているような気がする。
特に米津玄師やYOASOBI、Adoなんかは「話題になった曲:そこまで話題になってない曲」の比重が7:3くらいのアルバムを出してくれており、これなら一昔前の「気にいる一曲のためにその他の13曲も聴く」みたいな苦行をしなくても済む。
「ベストアルバム」という言葉が待ち遠しい時代を生きてきたが、まさかこんなにも自分に自由に対する許容量がないとは思わなかった。
歳なのか、最近のストレスで許容量が下がっているのか分からないが、少なくとも当分はお気に入りのプレイリストを開くことは無さそうだ。