2025-04-25

革命民衆の無関心

民衆とは、常に革命を語るものであるさながら昔日の恋人の思い出を語るように、あの「フランス革命」を、熱病のように口にする。しかし彼らは知らぬふりをする――その後の混沌、その血のにじむような、崇高さを欠いた小競り合いを。

貧しき者たちと学生たちが、「革命だ!」と叫び、旗を掲げて街頭に躍り出た六月。だが民衆は彼らを見なかった。いや、意図的に見なかった。まるで、夕暮れの空に投げ捨てられた詩の断片のように、彼らは無視され、忘れられ、敗北した。

六月暴動――その名を聞いたことがある者はいるだろう。だが、それに触れる者は少ない。なぜなら、それは敗北の物語からだ。革命物語ではなく、無関心の物語なのだ

かくも人は「正しき声」に冷淡である今日、たとえばれいわの如き、貧困層を代弁する政党叫びを上げるとき、我々の心には、ある種の微かな拒絶感が芽生える。それは理屈ではない。本能だ。

学生が吠え、旗を振る。それがどれほどの正義を孕んでいようと、ついて行きたくないという情動。それは醜く、そして、限りなく人間である

この感情こそ、実は、普遍である。そして革命を拒む真の暴力とは、民衆の「無関心」なのである

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん