はてなキーワード: なのだとは
https://approach.yahoo.co.jp/r/SwgTLr?src=https://news.yahoo.co.jp/pickup/6558313&preview=auto
まあ要するに、男性器を切らずに女と認めてほしいという主張が高裁で通ったらしい。
外観が女性と異なるのに「女性になりたい」と主張する男性の気持ちが分からない。
手術をすれば心のみならず身体も自認に沿うのに、手術はしたくないという。
それで女性を主張するとは笑わせる。女性はそのような存在を仲間とみなすことはできない。
社会から女性として扱われたいのなら、当然、社会が女性としてその人を扱うだけの状況を作り出すべきであって、身体的特徴の変更はその最たるものだろう。
社会に女性であると認めてもらいたいが、女性であると認めてもらうための要件を満たすつもりはない。こんな馬鹿な話が通ってたまるか。
思うにこういう男性は、単にジェンダーから逃れたいだけであって、本当は女性にすらなりたくないのだ。
社会から個人に寄せられる期待、責任、要件、そういったものから逃げたくて、つまり現実逃避で自分は男じゃないと言いたいだけに過ぎない。
女になりたいわけじゃないんだろう。ただ男でいたくないだけ。
理系科目ができないから文系にしようかなーなんて考えて文系を選択する、その実勉学全般を苦手とする高校生と一緒で、本来はどちらにも属するだけの成熟度に満たない存在なのだ。
そして、男性じゃないから女性だと安易に考えているだけに過ぎない。
だから女性たるために必要な要件を満たす努力さえろくにできないくせに、女性を自認する。
だから手術もせずに性転換したいと望む未熟者たちには「男性未満」「女性未満」という肩書を与えれば良いのであって、出生時の性別と異なる性別を名乗る権利を与える必要などない。
母はトイレ風呂など自分でできるが、車の運転は危険な状態なので病院へ連れて行く支援が必要だったり、認知機能が落ちているので、何かと見守りが必要
父は会社を引退して暇になったはずなのだが、忙しいと言って面倒を見ようとしない
高校の同窓会長になったり、町内会の仕事や付き合いで忙しいっていうんだけど
いや、全部断れるやろ。介護があるのでできませんって
忙しくて面倒見れないからと、県外に住んでる子供である増田とその姉に母の世話を頼んでくる
県外ではあるが電車で2時間くらい。休日を潰せばできないことではない
父がその同窓会とか町内会をどうにかするのが先だろと自分は姉は怒っている
それでも実家に帰り、忙しいときは行けないと断ってたら(実際行けなかった。自分は繁忙期だし姉は夜勤有りの看護師だ)、父は母を病院につれて行ってなかった。連れて行かずに同窓会とか町内会の旅行に行ってた
怒りでどうにかなりそうだ
昔の父はこんなんじゃなかった
そんな姿を見ているのがかなりしんどい
クラリネットは音域によって色んな種類の楽器があるが、その殆どがいわゆる移調楽器に分類される。
それこそ吹奏楽でおなじみな時点で、最も一般的なB♭管ソプラノからして移調楽器で、この調性はフラット系の楽曲に強い反面、シャープ系は苦手だったり。
そんなクラリネットは、今ほどキーシステムが発展していなかった頃は、ソプラノの楽器ひとつ取っても色んな調性の管があり、それを使い分けていたらしい。
そっから最終的には上掲のB♭管と、B♭管の半音低いA管という、こちらはB♭管とは対照的にシャープ系に強い管の2本が生き残った。
そしてこの2本があればどんな調性も比較的容易に吹けることから、当時の制作技術では良い音の楽器が作れなかったC管(つまり移調楽器じゃないやつ)は廃れてしまった。
このような経緯があるため、クラリネットはソプラノに限ればB♭管とA管の2本で1つが、本来は前提みたいな話になっていたり。
ところがアマチュアクラリネット愛好家は、意外なことにB♭管しか持っていない人が圧倒的多数派のようなのだ。
それでシャープ系の歌モノを、原曲キーのままカバーするとかやってるから、色々大変なことになりがち。
だったらお金貯めてA管買えばいいのに…と、演奏聴くたびに思うんだけど、現実的にA管持ってるのはオケ吹く人か、モーツァルトに入れ込んでいるガチ勢くらいしかいないイメージ。
デンプン源の作物はそれぞれの文化において多かれ少なかれどこか聖なるものの性格を帯びている。
その理由を客観的に解明するのは困難極まりないが、感覚的にはわかる。
何十キロも山道歩いたり何百キロも自転車こいだりして血糖値下がりまくってる時に糖質ぶち込むと感動するのである。本当に涙が出てくる。うますぎて。
https://shonenjumpplus.com/episode/17107094911848346157
全部モノローグで言っちゃうんだなあ。泣きながら嚥下のシーンも結局ただの挿し絵になっている。
明らかに言いたいことの分量と内容に対して、読み切り漫画という器が窮屈で合ってない。小説で書けばいいのにと思うが「マンガで文芸すること」に重きを置いてるのだろう。
この物語はつれあいを喪って生ける屍状態の爺さんが、爺さんを慕う孫の涙に生きる気力を取り戻すという話である。蛍とか嚥下とかのモチーフは前述の通り筋書きに従属的で、あまり効いてない。
さてしかし生きる意志って自分で投げたり拾ったり自由にできるものなのだろうか。それができると思うことは自分の人生・存在を一個のフィクションとしてしか捉えてないということではないか。
身体が生きていても、ふと魂が死んでしまうこともあるのではないか。それは身体に訪れる生物学的死と同じく意のままにはならない。「生存本能」は身体に備わったものであり意志というよりは機能である(と、整理してしまうのはとてつもなく乱暴だがここはとりあえず)。
往々にして身体と生存本能が死ぬより一歩先に人間の精神は死ぬ。その「一足先の死」を自分がいかに受容するかが人生後半の一大事だ(死に損ないは他人が介錯してやるべきという話ではない)。
爺さんは孫に「生きていて欲しい」という思いを示されて、ステレオタイプな「婆さんやもう少し待っといてくれ」をやるに至る。それは生きる意志が枯渇したところに孫の愛を注入されて持ち直したという話ではなくて、そもそもジジイの心はまだ干からびてなかった、そのことに気づいたという筋立てなわけだが、
本当に大事なのは、愛されてなお自ら最後の心を枯らし切る意志なのではないだろうか。それは自在にできることではないがやらなければならないことなのだ。
それほど頻繁に書くほうではなかったけど、月に2~3回くらいその時々思ってたことなんかを書いていた。
身バレ対策でぼかしたり違う設定を入れることはあっても、できるだけ嘘は書かないようにしてたし、自分の気持ちに正直に書くようにしていた。
そんな風に書いたものが時々ホットエントリになったりするのが密かな楽しみでもあった。
ブコメで「AIだろ」みたいなのが目についたときに、そうか「嘘松」の代わりにこれが言われるようになるのか、と思った。
そういった仕組みだからこそ生まれてくる面白い文章というのがあるなと思っていた。毎年誰かがまとめてくれる増田文学なんかも大好きだ。
匿名の実在する誰かが書いたもの、として捉えるからこそ面白いのであって、AIが書いたものだと思って読むと味はなくなってしまう。
フィクションでもなんでも面白ければいいじゃん、という考え方もあって、それは自分も同じくなんだが、
増田はやっぱり実在する人が書いてる文章だから面白い、というそれこそ良い意味での「便所の落書き」的面白さだと思ってる。
だからその中にAIの文章が入り込んでしまうと個人的には魅力は激減してしまうなと思ってる。
さらに踏み込んで考えると、AIが考える文章が面白いなら、人がわざわざなにかを書いて、人に伝えようとすることももはや必要なくなるのでは?と思考が飛躍する。
私自身は物書きではないんだけど、他のジャンルで創作を生業としている。
なので創作における美味しいところだけを、AIが全部持っていきそうな予感を憂いてはいる。
人間はたぶん創作におけるつまらないところだけを作業する役割になるだろう。
アイデア、発想、創作の醍醐味を感じる部分はAIのほうが上手なのだ。
特別養子縁組とか称して海外へ100人以上の子供を売り飛ばして行方不明、実質児童臓物の人身売買をしていたという事件を引き起こしていたのだから
近年話題になっている、トー横の若者が海外に言葉巧みに誘われて行方不明になる事件にNPO等の団体が関わっており、
団体を隠れ蓑にしてトー横で未成年をラオスやカンボジアに売り飛ばす様な事件が起きていても何らおかしくないと、改めて痛感しています。
ベビーライフは2009年に設立された一般社団法人で、主に「特別養子縁組」のあっせん事業を専門としていました。
特別養子縁組とは、経済的・健康的な事情などで育てられない親から、温かい家庭環境を提供できる養親へ子どもを託す制度です。
この団体は、予期せぬ妊娠に悩む産みの親を支援し、子どもたちの新たな人生を繋ぐ役割を担うはずのものでした。
ベビーライフは認定NPO法人フローレンスをはじめとする団体と提携し、
2016年には「日本こども縁組協会」を共同で設立するなど、業界内で一定の信頼を築いていました。
フローレンスの駒崎弘樹氏が会長を務め、厚生労働省での記者会見も行うなど、
2012年から2018年度にかけて、ベビーライフは約300件の養子縁組をあっせんしました。
そのうち半数以上、実に174人以上の子どもたちの養親が外国籍(主にカナダ106人、米国68人)だったことが、
ベビーライフは国際あっせんを積極的に進め、2013~2015年度だけで海外養親から約2億円超の費用を受け取っていました。
1件あたり平均300万円近くと、国内あっせんの約100万円を上回る高額です。
これらの資金の使途は不透明で、巨額の斡旋手数料が指摘されています。
そして2020年7月、ベビーライフは突然事業を停止し、解散を宣言。
代表の篠塚康智氏をはじめとする関係者たちは、連絡を絶ち、行方をくらませました。
重要な個人情報、産みの親の同意書や子どもの記録は東京都に引き継がれず、
クラウドサーバーの契約終了を理由にデータが消去されてしまいました。
海外に渡った子どもたちの安否は、2025年現在も確認できていません。
少なくとも174人以上が消息不明で、実質的な人身売買や臓器売買の疑いが浮上しています。
このような「雲隠れ」は、事件発覚前の意図的な逃亡を思わせます。
先にも書いた様に、ベビーライフは厚生省や大手マスコミ、そしてヨッピーさんのような世間に大きな発信力を持つ超人気ライターから、
「海外で(子どもたちは)幸せに暮らしているかもしれないから、別にいいじゃないですか~」というような擁護の声が上がり、お墨付きを与える様な「ちゃんとした団体」でした。
行方不明に追い込み、実質的な児童人身売買に手を染めていたのです。
事件発覚前に団体を潰して逃亡した手口は、今後、何が起きても不思議ではないという疑念を残します。
若い女性や未成年女子、地方の家出少女を呼び寄せるような大手女性支援団体が存在した事例があります。
同様にトー横周辺でも熱心に活動していた大手支援団体は、団体の代表が元反社会的勢力の人物であり、
小泉進次郎氏をはじめとする超大物政治家との強い繋がりがあったと報じられています。
彼らも国や都、そして彼らを支援する大手マスコミや左翼団体等の「ちゃんとした人達」から
「ちゃんとした団体」のお墨付きを与えられていましたが、団体の理事が利用者にコカインを投与する痛ましい事件が発生してしまいました。
また別の件では、NPO代表(元反社、服役経験あり)が元利用者と違法薬物を用いた性行為に及んだ事件も発生しました。
元反社や現在も反社に近い人物が、NPOを隠れ蓑に支援ビジネスを展開しているのは周知の事実です。
ドラマ『相棒』でも、このようなテーマが取り上げられ、社会の闇として描かれました。
NPO法の趣旨は尊いものですが、監督の甘さから悪用されるケースが後を絶ちません。
今後もベビーライフのような団体が、NPOを隠れ蓑に若者を海外へ売り飛ばす事態が発生する可能性は決して否定出来ません。
寧ろトー横の様な有象無象が蠢く界隈において「ちゃんとした団体」の人間が信頼されるのは周知の事実であり、その信頼を悪用する事は容易に想像出来ます。
そして、ヨッピーさんのような発信力があり、公的な立場も持つ超大物が、
「海外に行っても幸せに暮らしているかもしれないんだから、別にいいじゃないですか~」
そうなると、どんなに疑惑の目があっても、世論は疑惑を向ける方を「悪」として叩く事になるでしょう。ベビーライフの様に。
自分達一般市民は、こうした問題に目を向け、欺瞞に騙される事無く、NPOの透明性を高め、子どもたちの安全を第一に守る仕組みを求めていく事が重要なのだろう。
医療資源の効率的利用という観点から言えば全く望ましくないけど、実績があってみんなが信頼する医療機関をみんなと同様に利用するというのが個人にとっての最適解なのだろうな
政府や行政が最高裁判決を軽視するならば、そいつを選挙で落とすのは、主権者たる国民の仕事だ。
これが独裁国家なら、我が命令を軽視するかっーと主権者たる皇帝が切り殺したりするんだろうけど、
世の中、パスキーってのに移行するとセキュリティ的に良いらしい
まあ、仕組みが仕組みなので、移行したいと思ってるわけだが
エンディングノートにどう書くか非常に悩ましい…
生体認証になるのならば、当然、亡くなっていれば認証できないわけで、
じゃあ生体認証抜きでアクセスしようとすると、サイト毎に方法が異なり、かつ手間が面倒くさい
参りましたねホントに
最近、増田がAIで作成した文章に侵食されているという噂が立っている。
それが本当かどうかはわからないが、私もいくつかAIで作成した増田をそれほど数は多くないが投稿した。
そのうちバズった増田があるので紹介したい。
ところで、
https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2025/10/03/124453
上から順に見ていくと、
2位に増田に投稿された増田(変な日本語だ)がランクインしている。
つまりこれが9月に一番、増田の中では最上位にブクマがついた月間ナンバーワン増田ということになる。
1612userを獲得した
という増田だ。
1000ブクマを超えるような増田を書くのはなかなか大変なことだ。
というか私には「自力」ではとても無理な話のように思える。
「ところがAIの力を借りるとさほど労力もなく達成してしまう。」
という主張は、他人が言ったことならば、とても私には納得はいかないことだろう。
ところで先日、10月の月間はてなブックマーク数ランキングも公式から発表された。
これだ。
https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2025/11/07/115645
ランキングを見ていくと
1449user獲得した
「お前らファンタジー小説ナメすぎだろ。本当に面白い作品教えてやる。」
という増田で、これが10月のナンバーワン増田ということになる。
1000ブクマを超えるような増田を書くのはなかなか大変なことだ。
というか私には「自力」ではとても無理な話のように思える。
「ところがAIの力を借りるとさほど労力もなく達成してしまう。」
という主張は、他人が言ったことならば、とても私には納得はいかないことだろう。
実際不思議で仕方がない。
胸に手を当てて自問して欲しい。
その答えが、なぜAIは人の心を捉えるのがこんなにも上手なのか?の答えになると思うからだ。
ところで、先日とあるブログで、私が昔書いた増田が取り上げられていた。
https://ffrog.hatenablog.com/entry/2025/11/05/091508
このブログの中で
② 2023年~2024年 「AIに増田を書かせる」人達が現れる
私が比較的初期の生成AIを使って、作成したちょっとおもしろかったり、
なんだ随分と前に感じていたがわずか1年とちょっと前のことなんだな。
私自身のAI熱みたいなのは、このころがピークで、その後全然ヘンテコリンな文章を作ってくれなくなったAIに興味を失って、
というか正直に言うと「AIに飽きてしまって」全然AI増田は作成しなくなっていた。
の、だが、ふと気が向いて今年の9月になってたまにはAIに増田を書かせてみるか、と作成したら実にヘンテコリンな増田を作ってくれたのでうれしくなって投稿してみた。
それが9月の月間はてなブックマーク数ランキングで37位にランクインされた
690user獲得の
という増田だ。
いや、びっくりしたね。
お前らがブクマをつけたときの心情を吐露してくれたら、それがなぜ人はAIに魅了されるかの答えになると思うよ、たぶん。
と、いうか私もすっかりと再びAIで増田を作ることに魅了されてしまって、
そのなかのひとつが9月のナンバーワン増田であり10月のナンバーワン増田というわけです。
あと、きちんと調べたわけではないけど
10月に私が作成したAI増田は、これひとつだけだったと思う。
9月に再燃した私のAI増田欲は烈火のごとく大炎上したあと、急速に飽きてしまって鎮火したからです。
と思って投稿したら、とくにバズるわけでもなく、って感じだったんで、まあそんなもんか。
と思ってたら数日経って、大バズリしてて、焦った。
ほんとなんでお前らはAIが作った文章がそんな好きなわけ???
ところで、これらの増田がAIで書かれたという証明は特にするつもりはありません。
いまのところは。
「2501」
という数字をこれらの増田のどこかに追記しておこうと思います。
とまあこんな感じです。
何もしてないのに色んなことが不安になる。
お薬は飲んでる。
今もおちんちんが外に出てしまってるのではないかと心配になる。
露出してもいない。
確認すると、確かにあるが、パンツの中にしまうと、居なくなったのではないかと心配になる。
多分これは強迫性障害なんだと思う。
知らんけど。
ほら、こうやって増田を書いてる間も、おちんちんがお出かけしてるかもしれないって思っちゃう。
ある!いる!安心する。
居なくなれば、確認行動もなくなるはず。
おちんちんなんていらないのだ。
でも、取れない。
そうと分かっているなら、おちんちん確認行動を取らなくてもいいはず。
考えたのが、パンツにカメラを仕込み、常におちんちんを映しておく。
するといちいちおちんちんを目視しなくて済むし、単にスマホを見てる人に擬態できる。
だがもしスマホの画面を見られたら…?それこそ変態だし、通報されるかもしれない。
「いや、これは自分のおちんちんなんです!」と警察に言っても分かってもらえないだろう。
猥褻物陳列罪に問われるかもしれない。
仕方ないので丸出しで過ごすことにする。
こいつは何の負担も負ってないし人助けも何もしてない、単にジロジロ見ながら通り過ぎる人たちの中でじっくりめにジロジロ見ただけなのだが
棘ッターのコメ欄かよ。
「人助けの難しさ」になどかすりもしていない話
紅茶が好きで茶葉を買い、家でもよく飲むんだけどさ
甘い紅茶が好きだから今まで避けてた、午後ティーの無糖をこの前初めて飲んだのね
美味いじゃん!!!!
いやドリンクバーとかファーストフードの希釈された紅茶っぽい、独特な薬品ぽさは否めないのだけど
でも飲みやすい
で、ペットボトルの紅茶って濃さが一定で渋くならないじゃん………!!!!!って本当に今更、改めて気づいて
家だと、茶葉とお湯の量も時間も、毎回ざっくりだし、うっかり放置するとめっちゃ渋くなるのね
それがペットボトルには無いのって、当たり前っちゃ当たり前なのだが…でも、すごい と思う
今度無糖のミルクティーも飲んでみよう
量子力学の測定問題とは、ざっくり言えばなぜ波動関数が結果を持つのかという問いだ。
数学的には、量子系はヒルベルト空間というベクトル空間の中の状態として記述され、時間の進行はユニタリという厳密に可逆な変換によって動く。
ところが、実際に観測をすると、必ずひとつの結果、例えば粒子がここにあった、という確定した現実が現れる。この確定が、理論の形式からは出てこない。これが測定問題の核心である。
量子状態は、通常、いくつもの可能性が重ね合わさった形で存在している。
観測装置と接触させると、系と装置は相互作用して一体化し、双方の状態が絡み合う。
結果として、宇宙全体の視点では、系と装置がひとつの巨大な純粋状態として存在し続ける。
しかし、観測者が見る局所的な部分だけを取り出すと、それは確率的に混ざり合った混合状態として見える。
つまり、観測者にとっては、ある結果が確率的に現れたように見える。
だが、ここに重要な区別がある。この見かけの混合は、真に確率的な混合ではない。
宇宙全体では、全ての可能性がまだ共存しており、単に観測者がその一部しか見られないというだけの話である。
だから、確率的にどれかが起きるという現象を、ユニタリな時間発展からは厳密には導けない。数学的には、全体は今も完全に決定的で、崩壊も起きていない。
ではなぜ、我々は確定的な結果を経験するのか。
現実の観測では、周囲の環境との相互作用によって、異なる可能性の間の干渉がほぼ完全に消えてしまう。
この過程をデコヒーレンスという。デコヒーレンスは、我々が古典的な世界を見ているように錯覚する理由を説明してくれるが、それでも実際にどの結果が選ばれるのかという一点については何も言っていない。
数学的には、干渉が消えたあとも、依然としてすべての可能性は存在している。
この状況を抽象代数の言葉で表すと、量子の全体構造の中からどの部分を古典的とみなすかを選ぶことが、そもそも一意に定まらない、という問題に突き当たる。
つまり、何を観測対象とし、何を環境とみなすかは、理論の外から与えなければならない。数学の構造そのものは、観測という行為を自動的には定義してくれない。
さらに、確率とは何かという問題がある。量子力学では確率は波動関数の振幅の二乗として与えられるが、なぜそうなのかは理論の内部からは説明できない。このルールを外部から公理として置いているだけである。
確率の起源を論理的に説明しようとする試みは多数ある。対称性から導くもの、意思決定理論から導くもの、あるいは典型性の議論を用いるものなど。だが、それらはどれも追加の仮定を必要とする。
開放系の理論(リンダブラッド方程式など)は、系が環境と関わることで混ざり合い、最終的に安定した状態に向かう過程を記述できる。
しかし、これは統計的な平均の話であって、単発の観測でどの結果が現れるかを決定するものではない。数学的な形式は、あくまで確率分布を与えるだけで、確定事象を選ぶメカニズムは含まれていない。
多世界解釈は、この問題をすべての結果が実際に起きていると解釈する。つまり、我々が経験するのはその分岐の一つにすぎず、波動関数全体は依然として一つの決定論的な構造として存在している、とする立場だ。
ボーム理論では、波動関数が粒子の軌道を導く実体的な場として扱われ、結果の確定は初期条件によって決まる。
崩壊理論では、波動関数に物理的なランダム崩壊を導入して、観測に伴う確定を確率的に再現する。
しかし、いずれも新たな公理やパラメータを導入しており、なぜそうなるかを完全に説明したわけではない。
第一に、量子の基本法則は常に可逆的で、確率的な選択を含まない。
第二に、観測によって現れる確率的混合は、単に部分的にしか見えないことによる見かけの効果であり、真のランダムな決定ではない。
第三に、確率法則そのもの、なぜ振幅の二乗なのかは理論の内部からは出てこず、別途の公理や哲学的前提を必要とする。
つまり、量子測定問題とは、単に波動関数がなぜ崩壊するのかという素朴な疑問ではなく、物理理論がどこまで現実の出来事を自力で生成できるかという根本的な問いなのだ。
しかし、どの可能性が実際に起こったと言えるのか。その一点だけは、いまだに数学の外に、あるいは意識や観測という行為の奥に、置かれたままである。
本当に残念なことに、デジタルカメラ時代の「写真家」を名乗る人間のほとんどが自分でRAW処理ソフトウェアの開発をしたことはなく、審査員を名乗っている人間の多くは、実際に行われた処理の内容を想像することすらしない。
主観的に良し悪しを判断するのは間違いではないのだが、何が行われて写真撮影ができているのか、そしてそれをどうやって鑑賞できているのか知らない人間ばかりなのである。
ただひたすらに画角がどうの、コントラストがどうの、彩度がどうのなどと言ってみているが、RAW処理ソフトの「コントラスト」や「彩度」というパラメーターがどのような実装になっているのか、或いはトーンマッピング処理について理解して審査しているまともな人間がどれほどいるというのか?
例えば「ホワイトバランス補正」と言われて「色温度」と思った人は、実写の画像処理に対する理解が足りていない可能性が高い。
特に静止画の撮影者は技術面に明るくないものが多く、動画の人のほうがよっぽど技術面に詳しい。実際には同じことをやるのに。
もっとも重大な誤解は、ある種の「無加工」と信じられている実写映像と肉眼が十分に近い、と思われがちだというところだろうか。
カメラが見ているものとCGは非常に近いが、人間の見ているものとカメラが見ているものには大きな乖離があるという大前提が抜け落ちてしまっているのだ。
なにせ撮って出し信仰者なんてものもいるのだから。カメラの中でどういう処理がされているのか少しでも理解しようとするならば、撮って出しを「真」とするのがいかに愚かなことであるか、初期の段階でわかるはずではないのか。
例えばFUJIFILMのように、この辺りを踏まえて「一般消費者はメーカーの言うとおりにすべきだ」と言わんばかりの姿勢を見せるメーカーもあるが、これはかなり理にかなっているとも思う。FUJIFILMは「記憶色」を謳ってきたが、これ自体は間違いではない。(もちろんFUJIFILMの色の処理が適切だとは微塵も思わないし「フィルムシミュレーション」などという、知識不足の消費者にPROVIA・ASTIA・VELVIAなんてあたかもフィルムを再現しているかのような名称で売るのはいかがなものかと思うけれど)
日本語の意味合いとして「真を写す」なんてものにこだわるのは誤りだと言わざるを得ないが、せめて、何をしているか理解しようという姿勢を見せたらどうなんだ。
「プリセットを販売します」とか「フィルムを再現します」とかいう、ただ消費されるだけの消費者を見ているのは少しばかり腹立たしくもあるが、それを利用して商売を続けてきた側は間違いなく悪い。
美術目的なら好きなようにやれ、と言うことに決めているが、理解した上で全ての利用者が開発者になってくれれば、もっと自由な世界が待っているのに……。
また、せめて複写をするようなプロは「Foveonは正しい紫色が撮れる」「Adobe Camera RawよりCapture Oneのほうが色が良い」「LUMIXは色が良い」「FUJIFILMは撮って出しで正しい色が出る」みたいなバカなことを言っていないで、画像処理(フィルム・デジタル・動画・静止画・実写・CG問わず)の勉強をもう少しばかりやり直していただきたいものである。
フィルム時代に自分の手で現像とプリントを試みることよりも、デジタル時代のほうが圧倒的に安定していてシンプル(同じ処理をすれば同じ結果が得られると言いたい)なのに、それをしない。
なるほど。男が浮気をしないのは、本命の嫁を失いたくないからなのだな。どっちのちんぽもの問題は、口と想いが一致しないか、何か試されているとかそういうこと?あるいは片方はキープのちんぽかもしれない
都内の実家を相続した。築30年、駅徒歩12分、土地はそこそこ広い。
ありがたい話のはずなのに、どうしてだろう。
ローンを組まなくても金融資産から払える金額のリフォームの見積もりを前に。
あの、SNSでよく見る「仮審査通った!」「本審査ドキドキ」みたいなヒリヒリ感。
人生の試練のような、通過儀礼のようなあの感情を、私は味わうことができない。
みんな「税金戻ってきた!」と喜んでいるけれど、私はその“減税ゲーム”の参加資格すらない。
現金払いでは国からのご褒美もなく、ただ淡々とリフォーム費用が口座から引き落とされていくだけだ。
そして団信。
それすら私は持てない。
何よりも、住宅ローンを組むという行為には「一人前になった感覚」がある。
社会から「お前はちゃんと働いて、返せる人間だ」と信用された証なのだ。
その“信認”を得られないまま、私はただ親の土地に棲みつく人間である。
住宅ローンは、言ってみれば最大の「国公認の借金レバレッジ投資」だ。
インフレが進めば実質負債は減価し、固定金利ならむしろ得をする。
世の中が住宅バブルだと騒いでいる間、私は「フルローンで買っときゃ勝ちだったのに」と
誰よりも冷静に、そして誰よりも羨ましく見ていた。
結局のところ、
「家を持つ」よりも「家を買う」ことにこそ、
この国の成熟した消費者が感じる一種の“人生イベント”があるのだと思う。
ありがたいはずの相続は、
どこか「ショートカットしてしまったRPG」のような虚しさを残している。
タイトル候補をいくつか出す(例:「ローンを組めなかった男」「審査のない人生」など)
どんな方向に仕上げたいですか?
免責事項: めんどくさいからほぼ調べずに書くし、抜けてる話や間違ってる話もあると思う。
Mozilla系の日本語翻訳はmarsfさんとdskmoriさんの2人がメインでやってる (追記: 今確認したらひとりアクティブな人が新規参入してたので3人が正しかった)。
概ねSUMOはdskmoriその他全てがmarsfという棲み分けだが、お互いどっちの貢献もやることがある。
SUMOコミュニティ解散ってのはSUMOに関わる実質的な権限持ちはdskmori1人になりますって話かな?
正直、SUMOでメインで貢献してるdskmoriさんじゃなくてmarsfさんが文句言うんや?と疑問なんだけど、
Mozillaにとっては、SUMOとかいう誰もアクセスしてない限界集落サイトの話より、marsfさんがFirefoxのその他すべての翻訳を一手で担ってることが重要だよね。
「marsfさんがSUMOの貢献辞める」って言ったってそれ自体ではどうでも良いのだが、裏の意味は「俺の気持ち次第でFirefoxの翻訳終わらすことだってできるんだぞ」って警告と読むべきかもしれない。
SUMOはFirefoxのサポートサイトね。Firefoxの使い方に疑問が生じたときにみるところ。まあそういう用途で作られているというだけで、アクセスする人がいるのかいたって疑問だが。
想定読者は技術に疎いFirefoxユーザなので、「機械翻訳ならユーザーが自分でやるから不要」みたいな意見は全くナンセンス。
Firefoxの内蔵翻訳機能はプライバシー重視という建前の翻訳API破産防止のため、ローカルのCPUで動く設計になってる。必然的にMicrosoftやGoogleの翻訳より精度がかなり落ちる。ゆえにFirefox使って普通に英語版SUMO読むより、公式で精度よい機械翻訳提供したほうが、ずっと良い体験を提供できるよね。
また対抗をGoogle翻訳のような無料クラウド翻訳と考えるとしても、サポートサイトに特化するようファインチューニングした機械翻訳エンジンを使えばHelpを助けてと訳すような暴走も抑制できるから、これも公式による機械翻訳提供に優位性はある。
なお、統計上アドオン一切入れてないFirefoxユーザーが大多数なことからわかるように技術に疎いFirefoxユーザってかなり多いからね。
Firefoxはラピッドリリースで機能がコロコロ変わるので、ある時点でベストな翻訳になっててもすぐ時代遅れになる。
dskmoriさんなどができる範囲で貢献してたとはいえ、品質維持できる量ではなかったので、SUMOには、例えばすでに存在しない機能についての記述を含む記事が普通にあった。
これは比較的アクセスありそうな重要ページでも同じで、私もさすがに見かねて貢献したこともある。
Microsoftのプロ技術者向けサイトはもともと有償の翻訳者が訳してたのを機械翻訳に切り替えたのでこれは単純に劣化なのだが、SUMOについてはごく少数の素人が自分にできる範囲で訳していたという点を踏まえる必要がある。もともとクオリティが高かったとは言えないし、機械翻訳の精度もここ2,3年で異常に上がってるから過去の機械翻訳騒動をもとに騒ぐのが正しいとも思えない。
今回の事件で思い出すのがLibreOffice日本語チームのDramaね。LibreOfficeの翻訳のメイン貢献者の某氏がある日、日本語チームのメーリスで「何でお前らはまともな仕事ができんのんや」と長文でブチ切れて、チーム脱退を宣言した事件。理念は立派でもすでに敗北の流れは決定的で新たな貢献者の望みは薄い、希望の見えないまま最後に残った1人として惰性で維持するしかない、辛い。
今回は、LibreOfficeの事件よりはヤバさだいぶ低めだけど、「翻訳ガイドラインに従っていない」「新たな人間の貢献者を育てることができない」とか、SUMOボランティア翻訳の実情を思えば「何言ってんだ、現実をみろよ」という感想にしかならないし、CCライセンスで貢献してるのに、AI翻訳の学習に使うなも意味不明。
marsfさんは、某xkcdで言うところの「感謝なしに2003年からデジタルインフラを維持してきたネブラスカ州の無名個人」に位置する人で、もっともっと感謝されてしかるべきではあるのだが、SUMOの長年の構造的な問題に対し抜本的な解決に打って出たMozillaに対して、さもコミュニティが現在も十分に機能しているかのように反論してるのがとても印象悪い。どう見ても分かってない人ばかりがMozillaを炎上させている。
20年感謝なしに維持し続けるのは幻想が必要なのはわかるが、Mozillaとしてはそういう個人に依存するのは不健全でしかないので、現在marsfさんがやっているFirefoxほぼすべての翻訳も翻訳会社による有償翻訳に移行すべき。