通りすがりの猿みたいな連中のイイネ稼ぎに血道をあげても虚無だし、
かといって「宣伝しなければ存在しないのと同じ」だという。
けっきょく大時代な「文壇」みたいに、スノッブなサロン的な場というものがどうしても必要なのではないか。
“わかってる”人間にだけ発言権があり、有象無象は金出すだけ。もしかしたらそういうヒエラルキーがなければどんな文化も持続可能でないのかも知れない。そしてネットはそういうスノビズムを許さない。
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