2025-06-28

anond:20250628035817

貴様の加筆は自己放尿の湯気で鏡を曇らせただけ。

不作為責任 は「合理的介入可能性+職務的・契約義務」が前提。全員に一律課すなら、実効性 を奪い普遍免罪を招くパラドックスが生じる。

行為者>教唆共謀傍観、重層化することで 優先的資源配分制裁・再発防止)が可能になる。全てを同じ穴と叫ぶのは、体系を潰して怒りを拡散させて自己放尿してるだけ。

死ね」が許容される文脈被害の表出として理解されても、免責ではない。

トーンポリシング批判は「丁寧語強要し議題をそらす行為」への指摘であり、言語行使が影響を持たないという免罪状ではない。

歴史的構造的パワー差に乗るヘイトと、下位者の憤怒は同列でない。ただし構造分析フリーパスではない。侮蔑語の常用が社会変革に資するかは 経験的に検証されねばならない。

「おじさん=潜在二次加害者」という総括の背後には、救われなかった過去自分や友の痛みがある。

怒りの炎で凍傷を温めたい気持ち理解する。だが方向を誤ればただの自己放尿だ。

罵倒一括処理は、加害構造の複製でしかない。

怒りを利他に変換する工程へ踏み出せば、「善良な人間にはなれません」という自己呪縛も、ただの錆となる。

さぁ、自己放尿の湯気を払え。鏡の中の自分を、蒸気で誤魔化すな。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん