「清和源氏」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 清和源氏とは

2025-03-23

anond:20250323130639

簡単2ステップだよ

1.清和源氏の流れを汲むという家系図捏造する

2.全国の武家主従関係を結んでその頂点に立つ

たったこれだけ

2025-01-13

anond:20250112220238

徳川家康経歴詐称疑惑! 源氏末裔を名乗った男の真実とは?

日本史英雄として名高い徳川家康しかし、彼の「経歴」に重大な疑惑が浮上している。家康は公には「清和源氏」の流れを汲む名門の血筋だと称していたが、その真実は意外なものだったかもしれない――。

家康は本当に「源氏末裔」だったのか?

徳川家康が「源氏末裔」として名乗ったのは、彼の名声を高めるための戦略だった可能性が高い。歴史学者の一部では、家康源氏血統詐称したとする見解がある。彼が名乗った「松平家」は元々は地元の小豪族に過ぎず、源氏とのつながりを証明する確かな史料存在しないのだ。

家康清和源氏自称したのは、信長秀吉のような実力で成り上がった武将たちと違い、正統性を補うための必要な策略だったのでしょう」と語るのは、歴史学者のA氏。実際、家康血統起源に関する文書には、後世に作られたと考えられるものが多く、信憑性が薄いという。

桶狭間直前の「影武者説」浮上!

さらに、家康には「影武者説」という新たな疑惑が付きまとっている。注目すべきは、彼が若かりし頃の桶狭間の戦いの直前、突如として人が変わったような行動を見せ始めたという点だ。

桶狭間の戦いの直前、家康はそれまでの気弱で消極的性格から、突如として大胆で冷静な指導者へと変貌しています。この急激な変化は、実は影武者が入れ替わった結果ではないかと考えられています」と語るのは歴史評論家のB氏。

日本史の闇に葬られた「家康真実」。いまだ多くの謎を秘めたまま、彼の実像に迫る旅は続く。あなたの知っている家康像も、今日を境に揺らぎ始めるかもしれない――。

2024-10-15

anond:20241015184021

あるいはさ、うちの家系清和源氏につながるので家名を名乗りたい、とかっていうのなら、複姓ありにしようとかそういう主張はないのかな。京極三条花子みたいな。なんか別姓って結局家族解体して別々の個人に切り刻んで分断するだけじゃん?

2024-06-12

anond:20240612122243

山梨大学法学部が、わりと全体主義的な論文だしていた覚えある

名大学ができない思想工作担当しているかもしれん

防衛省熊本山梨には「甲斐」が多い

かつて九州地方検閲機関が置かれていた熊本県のような匂いがする

大元新羅人らしい

平安時代皇朝貨幣鋳造ハイパーインフレデノミを繰り返させたのは甲斐源氏である可能性も

武田氏先祖といわれる「甲斐源氏」。その祖は清和源氏一族で、平安時代の名将源義光新羅三郎)といわれています。義光の子孫は常陸国茨城県から甲斐国(山梨県)に移り住み、甲府盆地一帯に本拠を築いて「甲斐源氏」と呼ばれるようになりました

埼玉県にもかつては新羅郡があった

2023-06-02

anond:20230601153918

いがいとみんな忘れてるけど、徳川家将軍は、織田ノッブの血も浅井長政の血もひいてるのよwwwwwwww

さらにさかのぼればほとんど清和源氏にさかのぼるwwwwwww

豊臣ヒッデが異質すぎただけwwwwwwwwww

2021-02-02

父は言ってた

うちは清和源氏出身であり(この後が長いので略す)

鬼退治の渡辺の綱の子である と。

から鬼につけ狙われるのかな

渡辺姓の人は豆まきしないでいいとかきいたけど

ちなみに父の親せきに渡辺のものはいない(と思う。)

2019-12-10

anond:20191210163204

日本人なら自民党投票するのは普通のことだから、気にすることはないんだ(*^○^*)

憲法改正清和源氏末裔であらせられる晋三陛下皇籍復帰されるんだ(*^○^*)

偉大なる晋三陛下万歳なんだ(*^○^*)

2019-11-22

anond:20191122224517

わぁ。父も清和源氏の血を引いてるというのが自慢だったなぁ。遠縁かも。

晋三陛下清和源氏の血を引く日本一高貴なお方なんだ!(*^○^*)

憲法改正の暁には皇族に復帰され、晋三天皇として即位されるんだ!(*^○^*)

日本にはこんな偉大な方がいるんだ!と全世界に発信して欲しいんです(*^○^*)

2017-06-05

鎌倉戦国時代に燦然と輝く北条家は、日本史教科書では分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

日本史教科書いくら見ても本当のところは理解できないんですよ。

なぜ北条家が坂東武士の頂点に立ち、鎌倉幕府頼朝が作ったにも関わらず、北条がその後の支配権を握り続けたのか。そして戦国時代に「後北条家」が、北条家と特に関係がないのに成立し、関東盟主足り得たか源氏とは、北条とは何か。

北条は、坂東平氏の家柄である坂東平氏とは、桓武天皇の血を引く、関東にやってきた平氏総称であり、その五世である平将門新皇自称して、朝廷に対して関東支配権を主張して反乱を起こし、敗れた後に祟りを起こして神となったことで、関東に決定的な影響力を及ぼすようになった。

平将門は神である。そこを間違えてはいけない。平将門怨念とされるものは畏敬の対象として、現代人に対しても深く印象づけられているが、関東ではほぼすべての神社平将門を祀っていたほどに力があった。坂東武士たちにとっては、平将門は実際に神であり、朝廷反旗を翻し関東独立した政権を、坂東平氏が頂点となって打ち立てることは坂東武士の念願であった。平忠常というそのへんの平氏関東で反乱を起こしただけで一大ムーブメントになってしまうぐらい、平氏関東支配朝廷から独立するという夢は坂東武士の間に広がっていた。元記事に書かれている関東の有力豪族千葉氏上総氏は、平忠常の子孫とされている。

そこにやってきたのが源頼朝である源頼朝清和源氏事実上嫡流である清和源氏桓武平氏といった用語を知らない人のために説明すると、天皇家は偉いわけだが、子孫がいつまでも皇族だと皇族が際限なく増えてしまい、現代で言う宮内庁予算が際限なく増えてしまうので、どこかで平民になってもらわなければならない。平民になる時に、皇族には名字がないので、名字を与える必要がある。その時に、源、平の名字が与えられた。天皇の血を引くスゴイ人たち、という意味が源、平という姓には込められている。清和源氏清和天皇の子孫で源姓を名乗った人たち、桓武平氏桓武天皇の子孫で平姓を名乗った人たちである

たとえば足利も、徳川も、本姓は源である。源尊氏源家康が本名だ。なぜ足利とか徳川というかと言えば、源が増えすぎて区別必要が出てきたというのもあるが、源というスゴイ名字を出すのは気が引けたから、という要素が大きいように思う。本当の名字は避け、住んでる所を名字にする、といったことをして、木曽義仲とか、足利尊氏とか、あるいは自分でっち上げ徳川という名字を使った家康のような人もいる。これを説明するには、武士にとって本名いかに大切であったか述べなければならないが、面倒だ。武士の下の名前は諱(忌み名、呼んではいけない名前)とされていたということを考えれば、上の名前もそれなりに大事だということはわかると思う。(そして信長様~とか秀吉様~とか言っている時代劇が全部嘘っぱちだということも分かるだろう)

平忠常の乱を平定しようとした、桓武平氏嫡流平直方は、乱の平定に失敗するが、清和源氏事実上嫡流である源頼義を婿に迎え、領地であった鎌倉を譲り渡す。この時、鎌倉坂東源氏拠点であると同時に、平氏源氏嫡流が交わった聖地という意味が生じた。そこから八幡太郎義家が生まれ源氏の声望が高まり、その嫡流である頼朝権威づけていく。

ここまでくれば、坂東平氏である北条家が頼朝を婿にとり鎌倉本拠地に据えた意味が分かるだろう。平家源氏が交わり、鎌倉拠点とするというのは故実に則った神聖儀式なのだ。ちなみに、北条家が坂東平氏の由緒正しい血筋だというのはおそらく自称であり、フィクションである。だが坂東武士は将門の祟りの方が怖いので、血筋の細かい所は気にしないのだ。

鎌倉に作られた幕府は初めから天皇を中心とする朝廷対立関係にあり、承久の乱勝利することで朝廷の上位に立ち、皇位継承操作するまでになった。それはなぜかといえば、平将門朝廷から独立志向していたかである平将門怨念が実際に実を結んだのが鎌倉幕府である頼朝の下で働いた北条梶原三浦和田千葉熊谷などは、みな坂東平氏である。そして役割を終えた源氏はどこかに消えて、坂東平氏北条家による支配が行われた。

そして戦国時代、後北条家の話になるが、後北条家は伊勢新九郎盛時、北条早雲によって立ち上げられる。伊勢氏室町幕府政所執事の家柄で、ものすごく偉い。ちなみに桓武平氏である

室町幕府というのは北条家に牛耳られた鎌倉幕府を倒して出来た政権である鎌倉幕府内の源氏で最高の血筋だった足利鎌倉幕府を倒し、北条家はほぼ滅亡してしまう。そして源氏である足利京都朝廷とベッタリの幕府を作った。平氏による独立志向関東幕府から180度の転換である

史実ではものすごく偉かった伊勢新九郎盛時であるが、実家室町幕府の偉い家柄で、関東を牛耳りに来たというのは、いかにも坂東武士には都合が悪い。仕方ないので、先祖を辿れば同じ坂東平氏という縁にあやかって、北条の名を名乗ることにした。ちなみに名乗ったのは息子の氏綱の代である。そこで、おそらく後北条家のプロパガンダによって、歴史改変が行われ、謎の素浪人北条早雲が、下克上嚆矢となり関東に覇を唱えたという、我々のよく知るストーリーが現れる。よく調べると、全てデタラメである

これにより、なぜ後北条家が秀吉と争い、滅亡への道を歩んだかも分かるだろう。秀吉関白天皇代理である天皇と対抗する存在である坂東武士にとって、秀吉に降ることは、平将門祟りを招きかねない決断であった。そのため、天下の趨勢が決しても、徳川伊達の援軍が得られなくても、単身で秀吉と抗い、滅びたのである。それだけ将門の祟りへの畏れや、坂東武士の誇り、天皇家という存在に対する対抗心が強かったのだ。

平将門武士の始まりであり、武士スピリット体現する存在である武士は武装し土地を守り、権力に抵抗する存在であると同時に、一族で争い、殺し合う存在である。その構図は徳川家康武士を飼いならすことでご破産になり、そこにあった本質は見えにくくなってしまっているが、武士を知りたければまず平将門を見て欲しい。

2008-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20080722114728

苗字だとわかんないんですよね。東北には昔から金姓がいるわけです(九戸郡を本拠とする金姓久慈氏)。

古代までさかのぼれば朝鮮半島の金氏とは同じ源流ですが、そこまで遡って在日うんぬんと言い出すのもどうかと。

清原氏も朝廷に仕えていた明経道の家もあれば、創氏改名の時に名乗った清原氏もあり、見分けは困難です。

新井氏も上野新田郡発祥の清和源氏新田氏もあれば創氏改名の時に名乗った家もありますし。

星野氏も三河国宝飯郡星野荘発祥の藤原南家なのに、なぜか在日扱いされています。トンデモ本藤原氏帰化人説というのが

ありましたが、まさかそれを鵜呑みにしている人がいるのでは?!

どうも2ちゃんねるのいい加減な情報に惑わされて在日認定をしまくる人が多いんですよね。

あれの根拠のなさは失笑物です。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん