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沖縄・コザの歓楽街「照屋銀天街」(田口ローレンス吉孝撮影/2025年) 『宝島』という作品と出会う 映画『宝島』を観た。米軍施設からうばった食品や物資を民衆に配る英雄「戦果アギヤー」の存在を中心に据えながら、それらをめぐる沖縄の人々の戦後を描いている。繰り返される米兵の婦女暴行殺害事件、宮森小学校米軍機墜落事故(59年)、コザ騒動(70年)など、実際に起こった事件も映し出され、いまだに続く米軍基地の問題と奪われた土地と人々の命の重み、そして日本とアメリカへの痛烈な批判を訴える作品だ。 そして、映画を観た後に、やはり原作・小説『宝島』を読みたくなった。 沖縄のことを書こうと思ったら、当然覚悟がいるよねぇ。 自分の立場をまずは考えてしまう。 沖縄のルーツがあっても、ヤマトゥとアメリカーのルーツがある私ですらこれ以上ないぐらい悩むのだから、大和人(ヤマトンチュ)であれば当然悩むはずでしょう。 答
厚労省で行われた記者会見の様子。(安田菜津紀撮影) 「最良、最善の判決に、最悪の行政」――2025年11月7日、都内で開かれた記者会見で、いのちのとりで裁判全国アクション共同代表・藤井克徳さんはそう指摘した。最高裁で違法とされた生活保護基準引き下げについて、国が判決の意義に背を向け続けているからだ。 安倍政権下の2013~15年にかけて、生活扶助基準が平均6.5%、世帯によっては10%という、過去最大の引き下げが行われている。その違法性を問う「いのちのとりで裁判」は、29都道府県で、千人を超える原告によって提起されていった。 大阪訴訟と愛知訴訟のふたつの裁判の統一判断として、最高裁は2025年6月27日、引き下げを違法とした。 これまでの経緯については下記記事にまとめている。 「だまってへんで、これからも」―生活保護引き下げの違法性認める最高裁勝訴から問われる「今後」2025.7.1 しか
「いのちのとりで裁判 10.28大決起集会」の様子。(安田菜津紀撮影) 「さもしい顔して貰えるものは貰おうとか弱者のフリをする国民ばかりになったら日本国は滅びてしまう」――かつてそう言い放った人物が、首相となった。新たに発足した内閣では、生活保護を「恥だと思わなくなったのが問題」と発言した片山さつき議員が財務大臣となった。 これらは単なる「失言」と片付けられるものではない。2012年末の衆院選で自民党は生活保護費の一割削減を公約に掲げ、翌年以降、それに沿うような生活扶助基準(生活保護基準のうち生活費部分)引き下げが行われていったのだ。 その大幅引き下げを違法とした最高裁判決から4ヵ月が経った10月28日、原告や支援者らによる「いのちのとりで裁判 10.28大決起集会」が都内で開催され、会場・オンラインあわせて1400人が集った。 これまでの経緯を振り返る。安倍政権下の2013~15年にかけ
水俣第一小学校裏に残る防空壕跡。(安田菜津紀撮影) ※本記事では差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 ※戦前の日本窒素財閥を含め、チッソという呼称で統一しています。 子どもたちのにぎやかな声が、教室や校庭から風にのってかすかに届く。水俣第一小学校裏の小道を歩くと、鬱蒼と生い茂る下草の隙間から、白みがかった土嚢袋の山がわずかにのぞくが、その先に続くはずの横穴は塞がれ、中を見通すことはできない。斜面にはこうして、戦時中に掘られた防空壕の跡がぽつりぽつりと残されていた。 日本が敗戦を迎える1945年、3月29日の空襲を皮切りに、現在の熊本県水俣市は度々爆撃を受けている。チッソの水俣工場では、火薬や戦闘機用防風ガラスの原料が日夜生産されており、それらが標的となったとされる。 チッソは後に確認される水俣病の原因企業だが、同社の加害は日本国内だけに留まらない。むしろ水俣病事件の「源
判決が下された東京高裁。(安田菜津紀撮影) ※本記事では訴訟の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 「なぜ裁判官たちは、小さな部屋で警官たちが3歳の少女をひとりで聴取し、脅すことが合法であると信じているのでしょうか。なぜ母親と罪のない子どもの平和な生活を破壊することが合法なのでしょうか」 事件から4年以上が経った2025年10月16日、高裁判決を受けて、訴訟を提起したAさんはこう訴えかけた。「母子不当聴取裁判」を巡り、部分的にではあったが、Aさんの訴えは認められ、東京高裁は計66万円の賠償を東京都に命じた。しかし司法が違法性を認めたのは、ごく一部に過ぎない。 公園で受けたヘイトスピーチ、3歳の娘たったひとりを聴取 事件は2021年6月に起きた。訴状や代理人弁護士らによると、都内に暮らす南アジア出身のムスリム女性Aさんが、近所の公園で3歳の長女を遊
「あなたたちが写真に撮った場所はもうないから。だから、こんな場所があったっていうことを、世界に伝えて」 虐殺が続くガザ地区から、友人がそんなメッセージを送ってきた。彼女が案内してくれた市場、港、学校――。降り注ぐイスラエル軍の爆弾と砲撃は、こうした暮らしの場を粉々にしていった。 イスラエルは今回の侵攻前から、ガザの周囲を壁やフェンスにより完全封鎖し、ただでさえ厳しかった人と物の出入りを制限してきた。事実上の「占領」は綿々と続いてきたのだ。 外界から切り離されれば、無論、自力での生活は困難となる。ガザでは人口の半数が、国連からの食糧支援を命綱としていた。電気も通信環境も十分ではなかった。 こうした隔絶状態が「天井のない監獄」とも形容されてきたが、「監獄」とは罪を犯した人間が収容される場所だ。この不条理を生きる人たちが、なんの「罪」を償わされているというのか。 ジェノサイドが始まる前から「異常
坑道へと続く扇風機上屋遺構の一部。(佐藤慧撮影) 蒸し暑い空気に強烈な夏の日差しが降り注ぐ。蝉の声がけたたましく響くが、ときおり吹き抜ける風は緑の稲を揺らし、汗ばんだ身にも心地よい。 福島県いわき市勿来(なこそ)――。かつてここは常陸国(茨城県)と陸奥国(福島県浜通り)の「境」であった。今もその地に残る「酒井」という地名は、そうした境界線の名残であるとの説もある。 「あれは“ズリ山”だったんです」 指差す先には、お椀をひっくり返したような山が連なっている。今は草木に覆われているが、かつては茶色かったという。“ズリ山”とは、石炭や鉱物を採掘する際に、不要な岩石や質の悪い石炭など、鉱山の廃棄物を積み上げてできた人工の山のことだ。“ボタ山”と呼ぶ地域もある。 案内してくれたのは、いわき市の市民団体「平和を守る集い」のメンバーで、長年地域史を研究している龍田光司さんだ。 常磐炭田に関連する地域をご
横網町公園の朝鮮人追悼碑に捧げられた花。(安田菜津紀撮影/2024年9月1日) 2025年9月1日、関東大震災から102年を迎える今年も、東京都墨田区横網町公園で「朝鮮人犠牲者追悼式典」が執り行われ、酷暑の中多くの人々が祈りに訪れた。虐殺は果たして「過去のこと」なのだろうか。ルーツや属性のみで数多の命を奪った構造は、今も世界に、そしてこの日本社会にも残り続けてはいないだろうか――。 抹殺しても構わない ガザでの虐殺が始まってから1ヵ月近くが経とうとしていた時、イスラエルの閣僚のひとりが、ガザに核爆弾を落とすことも「選択肢のひとつ」と言い放った。イスラエルは核拡散防止条約(NPT)に非加盟だが、事実上の核保有国として知られ、閣僚の発言はその保有を公然と認めるようなものだった。 こうした言葉が飛び出すのは、「核兵器で抹殺しても構わない」と、ガザの人々を人間扱いしていないからにほかならない。国防
那覇・国際通りで見かけたお店のシャッター(下地ローレンス吉孝撮影/2025年) 「あぎじゃびよー!」 私はそれまで、母がときおり発するその言葉を、一度も他人から聞いたことがなかった。 家の外では一切聞かず、家の中だけで話される言葉。 これがどうやら「おきなわのことば」だと知ったのは、だいぶ後のことだ。 その言葉の正確な意味をどこかで教えられたことはなかったが、 ニュアンスはだいたいわかっていた。 「わぁ、大変だ」というような意味の、感嘆表現だ。 しかし、秋田に住んでいた時も、東京に引っ越してからも、この言葉を母親以外の人から聞いたことがなかった。 この原稿を書いている今まさにこの瞬間にも、ワードの自動校正機能による赤い波線がこの言葉の下に引かれてしまっている。 まるで、正しくない、間違っている日本語だ、と言わんばかりだ。ひどいよね。 自分の身近にあって、身知らぬもの。 自分の内面にあって、
発見された頭骨に頭を下げる井上洋子共同代表。(安田菜津紀撮影) 本記事にはご遺骨の写真が含まれています。 肌を刺すような強烈な日差しの下、海辺に集う人々の視線は沖に並ぶピーヤ(排気・排水筒)へと集まっていた。その海から突き出た煙突のような筒から、小型のボートが水しぶきをあげてこちらへ向かってくる。ダイビングスーツに身を包んだ韓国のダイバー、金秀恩(キム・スウン)さん、金京洙(キム・ギョンス)さんを、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下、刻む会)の井上洋子共同代表らが浜辺で迎えた。金京洙さんが抱えていた大きな箱から頭骨が見えると、囲んでいた取材陣、ご遺族、支援者らが息をのんだ。 海底炭坑の探索から帰ってきたダイバーたち。(佐藤慧撮影) 真っ黒に染まり切ったその姿が、あまりに長い年月と、そこが過酷な炭鉱であったことを突きつける。 2025年8月26日、歯も残された頭蓋骨とみられる遺骨が、ダ
最高裁弁論後に参議院議員会館で行われた集会で。(安田菜津紀撮影) 「それは与党でございますから、責任は無いということはないと思いますけれども…..当時の議論の経過も、いっぺん検証してみたいと思います」 2025年7月20日、JRN開票特別番組に出演した筆者が、「いのちのとりで裁判」について問うたとき、自民党の森山裕幹事長はしどろもどろながらにこう返答している。 自民党の議員らによるバッシング 「責任は無いということはない」どころの話ではない。 「生活保護を恥と思わないのが問題」(片山さつき議員)、「さもしい顔して貰えるものは貰おうとか弱者のフリをして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまいます」(高市早苗議員)など、党の議員らがバッシングを扇動してきた経緯がある。その上、2012年3月に発足した生活保護に関するプロジェクトチーム(座長は世耕弘成氏)は生活保護費削減
80年前の8月も、まとわりつくような湿気と熱気に覆われていたのだろうか。心の中がどこかざわめき、落ち着かない夏。この“ざわざわ”の正体は一体何だろうか。 あれは大学生の頃だった。戦後64年の夏に、64歳年上の飯田進さん(当時86歳)と東京新聞の企画で対談をさせてもらうことになった。飯田さんはニューギニア戦線に派兵された元BC級戦犯だ。その後も度々飯田さんの元を訪れては、少しずつ、当時のこと、そして今の時代を見つめる心の内を伺うことになる。 BC級戦犯とは、「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」に問われた人々のことを指す。ニューギニアに派兵された1943年、飯田さんは二十歳になった頃だった。補給路を断たれた上に、“魔境”と呼ばれるほどのジャングルの中をさまよい歩いた。部隊の大半が、銃撃戦ではなく飢えや赤痢でばたばたと死んでいった。病に侵された兵たちが、「殺してくれ」と自身の腕の中でうめきなが
収容所に連行された人々の遺品の靴(佐藤慧撮影:アウシュビッツ=ビルケナウ博物館/2017年) 7月に行われた参院選では、「日本人ファースト」や「終末期延命治療の全額自己負担化」など、命の選別をするような言説が目立ちました。 かつてナチスドイツは、障害のある人への強制不妊政策として通称「断種法」を制定し、「T4作戦」と呼ばれる殺害計画が実施されました。 日本では、1948年から1996年まで続いた優生保護法を違憲とし、国に賠償を命じる最高裁判決が昨年(2024年)下されました。 こうした背景にある「優生思想」に抗うために、必要なこととは何かー。NPO法人日本障害者協議会代表の藤井克徳さんと考えていきます。 藤井克徳さん(本人提供) 優生思想とは何か? ――「優生思想」とは、そもそも何を意味するのでしょうか? 古くはギリシャ時代に遡りますが、近代の優生思想の源は、1883年にチャールズ・ダーウ
ヨルダン川西岸地区アイーダ難民キャンプにイスラエル軍が築いた分離壁(2015年5月©高橋真樹) 本記事はノンフィクションライターの高橋真樹さんによる寄稿記事です。高橋さんは持続可能性や人権問題をテーマに取材・執筆を続けており、国際協力、核廃絶、パレスチナ難民支援などに携わってこられました。高橋さんの新刊『もしも君の町がガザだったら』(ポプラ社/2025年7月24日出版)では、本記事インタビューの一部が掲載されています。 パレスチナの人々に激しい攻撃を加えるイスラエル軍や社会のあり方に疑問を持ち、イスラエルを離れた家族がいる。2024年2月、イスラエル人のリラン・ベンアミさん(45)と北原葉子さん(50)のご夫婦は、幼い息子を連れて、日本に移住した。 建築家のリランさんと、クリエーターの北原さんは、2006年からイスラエル最大の都市・テルアビブに暮らしてきた。しかし、2023年10月7日のハ
判決後、最高裁から出て門に向かってくる原告、弁護団。(安田菜津紀撮影) 2025年6月27日15時過ぎ、炎天下に集まっていた大勢の人々の一部から、拍手と歓声が聞こえてきた。どうやらニュース速報で、先に「結果」を知ったようだ。涙をこらえるような表情で、最高裁のガラス扉が開くのを、今か今かと見つめる支援者の姿もある。やがて弁護団と原告が、手を振りながら門に向かってきた。歩みがゆっくりの原告を待ち、9本の旗を並べた。 「逆転勝訴」 「保護費引下げの違法性認める」 「司法は生きていた」 生活保護基準引き下げの違法性を問う「いのちのとりで裁判」は、29都道府県で、千人を超える原告によって提起されていった。大阪訴訟(大阪高裁で原告敗訴)と愛知訴訟(名古屋高裁で原告勝訴)のふたつの裁判の統一判断として、最高裁は原告の訴えを認めたのだ。 大阪の原告、小寺アイ子さんが満面の笑みで掲げた旗には、「だまってへん
――初めて日本に向かうとき、どんな思いを抱いていましたか。 初めて日本へ向かう船に乗った時、とても気分が悪かったです。亡くなった叔父や多くの犠牲者たちが、船でどんなに辛い思いをしたのだろうかと考えると、胸が締め付けられました。私たちは、寝る場所もある旅でしたが、あの時、炭鉱へ連れていかれた人々の道中は、そんなものではなかったのですから。 ――叔父さんが連れていかれた当時の状況で、どんなことが分かっていますか。 私の叔父もそうだったようですが、連行される時、田舎には炭鉱の募集人が来ていました。村ごとに割り当てがあり、必ず誰かが連れていかれます。(※1) 地域の巡査が労働者を集める村を決め、適当に人を選んだといいます。あるいは募集の際に、「日本に行けばたくさん食べられて、お金も稼げる」と説明し、騙して連れて行きました。田舎は重税で生活が苦しかったので、何が待ち受けているかも知らずに、そうした言
外国人人権法連絡会発行「人種差別撤廃法モデル案ガイドブック」。(佐藤慧撮影) 外国人人権法連絡会による「人種差別撤廃法モデル案」発表の記者会見と「包括的差別撤廃法制定を求める議員連盟」勉強会が、2025年6月2日、衆議院議員会館にて行われた。 モデル案の全文は一般公開され次第こちらにURLを追記します。 必要不可欠な「人種差別撤廃法」 世界に広がる自国中心主義・排外主義や、社会に根深く巣くう差別意識、そしてアテンションエコノミーの高まりによる人種差別の「消費」といった現象は、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムとして、日本社会においても大きな課題のひとつとなっている。 そもそも日本は「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約)」を締結しているが、包括的な「人種差別撤廃政策」や「人種差別禁止法」が存在しない。また、「政府から独立した人権機関」の不在も長年の課題となっており、人
最高裁弁論前の原告と弁護団。(佐藤慧撮影) 「私の最後のたたかいとして今日ここに来ました」 80歳になる小寺アイ子さんの声は、法廷の最後尾で傍聴していた私には少し震えているようにも聞こえた。ただでさえ最高裁判所の構造は、要塞のように権威的だ。小寺さんを見下ろす位置に座る裁判官5人の中で、女性はひとりしかおらず、対する国側の代理人も、スーツ姿の男性がずらりと並ぶ。 それでも毅然と陳述するその姿に、裁判官は幾度も頷き、耳を傾けていた。生活保護基準引き下げを巡る「いのちのとりで裁判」は、5月27日、大阪・愛知訴訟の最高裁弁論の日を迎えた。小寺さんは大阪訴訟の原告の一人だ。 「ただ生かされているだけ」 小寺さんは2000年からカラオケ喫茶を営んでいた。2012年には初孫が生まれ、仕事の休憩の合間にお風呂に入れた。孫はその後、4人に増え、お店の常連客とのかかわりと並んで、小寺さんの生きがいだった。
突然の爆弾で足がずたずたに 「道路で友達と遊んでいたときです。とつぜん砲弾が落ちてきて爆発し、みな怪我をしました。私の怪我が、一番酷いものでした」 悲しみに満ちた目でそう語るのは、ガザ地区北部のベイトラヒアに住む13歳の少女、ヌール・アル・アシュカルさんです。 すぐに病院へ搬送されましたが、足はずたずたに引き裂かれており、切断するしかほかありませんでした。今は松葉杖を使用していますが、瓦礫だらけの街では困難が伴います。できれば「義肢」を装着したいと思っていますが、イスラエル軍は、医療品をふくむあらゆるものの搬入を厳しく制限しているため、その入手は困難です。ヌールさん以外にも、多くの人が義肢を必要としているのです。 松葉杖を携えて、ヌールさんはかつて友人たちと遊んでいた通りに戻りました。大好きだった「ケンケンパ」はもうできません。通りには瓦礫があふれ、彼女の自宅も破壊されていました。現在、ヌ
2021年4月、具志堅さんと訪れた糸満市・束辺名(つかへな)グスク近くの壕で。(安田菜津紀撮影) 記事中に戦没者の方のご遺骨の写真を掲載しています。 「遺骨には、戦死者には、人と会う権利がある。あなたが撮った写真の掲載されたものが、偶然、遺族の元に届くことだってあり得る。生まれた家のテレビに映されたり、その居間で新聞が開かれたりするかもしれない。写真を通してこの人が家に帰れるようにと、念じながら撮って下さい――」 2021年4月、沖縄戦の戦没者遺骨収集を続ける「ガマフヤー」代表、具志堅隆松さんの活動現場を初めて訪れたときのことだ。旧日本軍の壕から次々と掘り出される遺骨を前に、私がシャッターを切ることを躊躇していると、具志堅さんがこう、語りかけてきた。 その後も具志堅さんと共にガマや壕に入るとき、必ずこの言葉を心に刻みなおすようにしている。伝える者として、そして「本土」に生まれ育ち、今なお沖
レイシャル・プロファイリングの問題や技能実習制度を描き話題となったNHKドラマ『東京サラダボウル』。本作の在日外国人社会考証を担当した、社会学者の下地ローレンス吉孝さんに、ドラマなどの作品を通して差別を描くこと、日本社会に横たわる排外主義やマイクロアグレッションなどの問題についてうかがいました。 ※本文には「ハーフ」や「ミックス」という言葉が使われています。これらの言葉にはいろいろな議論があり差別的とされる場合もありますが、実際に人々のアイデンティティの一つとして使用されている場合も多く、本記事ではカッコをつけて使用しています。 下地ローレンス吉孝さん(本人提供) ドラマで「差別」を描く難しさ ――NHKで放送されたドラマ『東京サラダボウル』には、レイシャル・プロファイリングの問題や技能実習制度が描かれ話題となりました。下地さんは本作の在日外国人社会考証を担当されましたが、特に意識したこと
引き下げられた生活保護基準を巡り、生存権を保障する憲法25条や生活保護法に違反するとして、29都道府県で1000人を超える原告が国を提訴した「いのちのとりで裁判」が続いている。 訴訟の詳細については、小久保哲郎弁護士がこの記事中で語っている。 「社会保障の権利性を取り戻す裁判に」―生活保護費引き下げ訴訟から(弁護士・小久保哲郎さんインタビュー)2023.5.23 大幅な引き下げの背景には、「生活保護を恥と思わないのが問題」(片山さつき議員)など、一部政治家らがバッシングを扇動してきた実態がある。2012年3月に発足した自民党の生活保護に関するプロジェクトチームの座長も務め、保護費削減を主導してきた世耕弘成氏は、生活保護利用者の「フルスペックの人権」の制限も厭わない発言(※)をしていた。 (※)『週刊東洋経済(2012年7月7日号)』の紙面にて、世耕弘成氏は生活保護制度について「フルスペック
Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)は、写真や文章、多様な表現を通じて、世界中の人々が対話に希望を見いだせる世界観を伝えていきます。国家・人種・宗教・性別など、あらゆる境界線を乗り越えた平和な世界を目指して。
※この記事は、性被害についての記述を含みます。 2025年2月27日に掲載した記事『あの日の「告発」から6年が経ち見つめた今』に、たくさんのコメントをありがとうございました。6年を経て、実名で広河隆一氏からの被害を公表した理由は、記事に記した通り、数々の「告発」の声によって積み上げられてきたはずのものが土台から崩され、加害が矮小化されていくことに危機感を覚えたからです。 こうして言葉にしたことで、自分の心が発していた声に初めて、じっくりと耳を傾けることができました。逆に言えばこれまで、「自分の心身の出すサイン」を見ないふりをすることで、走り続けようとしていたのかもしれません。 以前にも、それに気が付く小さな「きっかけ」はありました。ここ数年、縁あってボクシングを続けています。ある時、トレーナーの藤岡奈穂子さんに「自分の体にもっと関心を持ってみて」と言われ、その何気ない言葉に「衝撃」を受けた
オリーブの木(2025年1月撮影、東エルサレムにて) ナチス・ドイツが主導した、ユダヤ人やロマの人々、社会的マイノリティなどへの大量殺戮「ホロコースト」。こうした過ちを二度と繰り返さないため、加害の歴史・記憶を受け継いできたはずのドイツ社会ですが、イスラエルによるパレスチナの人々への民族浄化が加速する現在、むしろドイツ政府はイスラエルに加担する姿勢を続けています。 なぜドイツ国内において、パレスチナの現状は軽視されてきたのでしょうか?食や農の観点を踏まえ、歴史学者の藤原辰史さんに伺いました。 藤原辰史さん(本人提供) ホロコーストと記憶の偏り ――そもそも「ホロコースト」とは何なのか、藤原さんはどのように説明されていますか。 ホロコーストの定義は様々あり、一概には言えません。よく言われるのは、古代ユダヤで行われていた、動物の肉を焼いて神様に捧げる祭りの伝統を指す「ホロコースト」という言葉を
※この記事には、性被害に関する内容が含まれています この文章を書くまでに、長い、長い時間がかかりました。 報道写真の月刊誌「DAYS JAPAN」の元編集長でフォトジャーナリストの広河隆一氏による、長年に渡っての性暴力やパワーハラスメントに対する告発が2018年から相次ぎ、2020年12月には外部有識者で構成する検証委員会の報告書が公表されました。 ところが、被害者の声を伝える文春オンラインに掲載された記事で名誉を毀損されたとして、広河氏が文藝春秋を提訴し、2025年1月22日、東京地裁が同社に55万円の支払いを命じる判決を言い渡しました。 広河氏の主張していた記事の削除や謝罪広告の掲載は認められなかったものの、「部分的にその訴えが認められた」という知らせが届き、私の心の奥底にあった何かが一気に冷え込み、凍りつきました。それからこの文章を書いては消し、消しては書き、を繰り返しました。 なぜ
本日、日本外国特派員協会(FCCJ)にて、映画『Black Box Diaries』をめぐる記者会見が行われ、参加してきました。問題を提起する弁護士らの会見に続き、伊藤詩織さんの会見、及び映画上映も予定されていましたが、伊藤さんは体調不良によりドクターストップがかかり、伊藤さんの会見と映画上映は見送られました(そのため伊藤さん側は文書資料で声明などを発出)。SNS上では多くの問題が議論され、様々な情報が飛び交っていますが、本問題を理解し、考えていくうえで、本日の会見および声明などを参照することは、どんな言葉を発するにしても重要な基盤となるはずです。 《動画》記者会見:伊藤詩織氏のドキュメンタリーにおける倫理的懸念 原題:Press Conference: Ethical concerns over Shiori Ito documentary ※問題を提起する弁護士らの者会見の模様は下記に
※本記事では訴訟の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 2025年2月5日、私(安田菜津紀)が提起していたネット上のヘイトスピーチに関する裁判の判決が確定しました。改めて、支えて下さったみなさまに感謝致します。 「発端」となったのは2020年、Dialogue for Peopleの公式サイトに掲載した『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』という記事でした。 私の父は、私が中学2年生の時に亡くなっています。その後、高校生になり、戸籍を手にしたことから、父が在日コリアンだったことを知ります。「なぜ父は、何も語らなかったのか」――。死者に尋ねることはできず、古い記録を頼りに、父やその家族の歩みをたどる「旅」をしました。その過程で、ルーツを容易に語ることができない、差別の実情があることを改めて知ることになります。 そうしたことを綴った記事をシェアした
記事中に差別文言の記載があります。ご注意ください。 2025年2月12日、埼玉総合法律事務所にてとある裁判に関する記者会見が開かれた。被告は埼玉県南部の川口市や蕨市に暮らすクルドの人々に対し、ヘイトスピーチやヘイトデモを繰り返してきた渡辺賢一氏(日の丸街宣倶楽部)だ。そうした街宣活動の差し止めや、その被害に対する損害賠償を求め、本件裁判は昨年24年末に提訴されている。 会見の様子。(佐藤慧撮影) 原告は川口市内にある一般社団法人「日本クルド文化協会」だ。その代表理事であるシカン・ワッカス氏は、ヘイトデモやネット上の差別扇動の影響などにより、「(クルド人の知人が)アパートや駐車場を借りようとしても、“クルド人”だというだけで断られるようになった」「顧客が減るなど、事業にも影響が出ている店もある」「子どもたちへのいじめも発生している」と、差別による被害の実態を語った。 被告は2023年9月以降
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